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sakurako について

Sakurako,a business working woman who live in Shibuya,Tokyo.

ウクライナ情勢緊迫でNY株続落

  「もしかしたら事態は急変するかもね」と夫が言った。私はNYに住む友人ウッディ(仮称)に、「アメリカの様子はどう?」と連絡した。

 ウッディは、私が独身時代にNY旅行で知り合った日本人のデザイナーで、クリスチャンだ。詳細は割愛するが、意気投合し、住まいも、性格も異なるのに、年齢や性別を超えて親しくなった。まるで美川憲一と神田うのみたい、と密かに思っている。(もちろん、私がうの。)で、現在リタイアした彼は、いつでも連絡していい、と私に言っていた。(※参考リンク:I was in NY NYの教会で愛されるベック氏書籍

 だがウクライナ…の話は即終了し、興味はお互いの近況にすぐ変わった。そして、彼は言った。

 「パンデミックがあった、私の病もあった、色々経験した。だけど今はね…。こんな安寧な生活してて、いいのかしら・・・?」

私は意味が分からなかったので、その真意を問うと、最近の暮らしぶりは次の通りだった。


「昨日はリンカーンセンターでバレエを観たの。明日はディオール(*)のエキシビションがあるの…。それで、今日は、朝に目が覚めたらアパートメントのジムでエクササイズをして…、それから同じアパートメントの人とハドソン川を散歩して…家に帰ってからは美味しいランチを食べて…。昼寝して…好きな本をずっと読んで…。」
*ディオール=ハイブランドのDior 

「いいじゃない!!!」

ああ…!私の好きな街NY!ハイファッションの香りは、彼と話しているだけで鼻孔をくすぐる。彼から語られる何気ない日常が、なんだかひどくお洒落に映ってくる。

「私、パンデミックが終わったら、まずNYに行くね!!!」

と、鼻息荒く、私は叫んだ。
が、彼が言いたかったことは、”こんな暮らしをしていては、クリスチャンとしてダメだ”ということだった。


「クリスチャンっていうのはね、祈るじゃない?それで、すぐ祈りが叶えられるわけじゃないから、祈りが増えていって、どんどん祈る時間が長くなってくるじゃない?」

要するに、どうやら最近、長く祈ってないということか。    ※あくまで主観です


「それでいいじゃない!」と即座に言ったが、彼は納得しなかった。
そこで、「それならあげるわよ」と私は彼に、祈りの課題を一つ渡した。ちょうど今朝、深刻な話があったのだ。
それで、彼はすぐさまペンを取りに行き、私に復唱し、「はい、私、お祈りします」と、なんとも素直に応えてくれた。


私は聞くうちに、そういえば一度だけ、自分も若い頃、祈る課題がないと悩んで、父に相談したことがあった。
当時、父から教わった次の御言葉を彼に伝えた。


順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ」(伝道の書7章14節)


「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい」(ヤコブ5:13)


彼が言うには、自分は日常で祈る者だから、何かうれしかったら、「ああ、神様ありがとうございます、とか、そういう(短い祈りなの)」とのことだった。

私は私で、「いいんじゃない、それで」と、神様でもないのにOKサインを出した。
…そんな資格はないと、昨日アンジャッシュ渡部の復帰賛否両論とイエスキリストで書いたばかりだが。


人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。”(Ⅱコリント3:15-17)


私は祈りについて語れる者ではないが、「人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれる」という、御言葉が好きだ。クリスチャンでも、ノンクリスチャンでも、すべてはそこから祈りが始まるからだ。

by桜子

アンジャッシュ渡部の復帰賛否両論とイエスキリスト

 「ねえねえ、渡部建の復帰、あなたは応援派それとも、否定派?!」

 私は、お笑いに疎く、アンジャッシュのコンビ名も、児島と言う相方も、知らなかった。が、一連の不倫騒動で、「渡部建」をよく学習し、すっかり関心を持つようになった。そして2月15日に、彼が千葉テレビで芸能界復帰を果たす報道を聞き、私は先週、夫に聞いた。が、どうでもいい、の一言で終わった。ごもっとも…。

 スナック菓子は身体に悪いと分かっていても、つい食べてしまうように、私はこのニュースが流れるたびハマって読み、日本中が彼を嫌っているように感じさせるネットの破壊力に恐怖を覚えた。私は彼の友達でもないが、同情した。この手の、誰かを批判するネットニュースを読むたびに、思い出す新約聖書の言葉がある。

 「あなた方の中で罪を犯したことのない者が最初の石を投げなさい。」

 これは姦淫の罪を犯した女性を「石打ちにすべきか?」とイエスに周囲が尋ねた時、イエスが返したセリフだ。「あなた方のうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」

 結局、年長者から始まって一人また一人とその場を立ち去っていき、誰も女に石を投げなかった。ひとり残された女はイエスにこう聞かれる。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」

 「だれもいません。」

 イエスは言った。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」


 今から決して罪を犯すな、という神の言葉は厳しい。
が、神の子のイエスは当然、人がその後に罪を犯すことは熟知していた。

 聖書では「罪」というのは心の中で感じた悪いこと、たとえば妬み、嫉み、憎しみも、罪であり、姦淫の罪と、心で感じた悪い思いを比べると、神の目から見たら同じ、ということだ。
 だから、聖書では、罪の贖い主である神の子イエスキリストを心に受け入れて人よ生きよ、と言っている。

 そんなことはおそらく知らないであろうお笑いの松本人志が、フジテレビの番組ワイドナショーで渡部建の復帰について語った記事が面白かった。

「もう二度とやりませんなんて、ここでうそついたら駄目やで」by松本

中スポ2月13日記事を抜粋する。

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復帰作となる千葉テレビのバラエティー番組「白黒アンジャッシュ」の収録に、相方の児嶋一哉(49)とともにスーツ姿で臨んだことなどが紹介されると、松本は
「ちょっとなんかもう堅すぎるから、もう少し柔らかく。絶対またやるし。絶対やるんですよ。絶対やる。本人が反省とか、二度とこんなこととか、言えへん方がええねん。またやってしまうと思うんですが、こんな僕を見続けてくださいってね。
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私は人間の本質を良く表したコメントだな、と目を留めた。


 私を含め、あの人はひどい、この人はおかしい、とつい言ってしまう、人の性(サガ)。
人を裁く権利や資格をもつ者は、誰も本当はいないことは明らかだが、どうして私たちは批判したり、裁いたり、叱ったりして、誰かを攻撃してしまうのだろう?

 一人の人が罪を犯すことになった背景にある社会的責任は、社会のすべての人にあることをも意味しています。
と何処かの記事に書いてあった。

 そういうわけで、私はどちらかといえば応援派。辛いことを経験したからこそ学んだ糧をバネに、渡部建には何か良いことを発信する、苦難を知り、神様を賛美する人になってもらいたいと思っている。


by桜子



 
  

日テレのイッテQ!宗男オジとみやぞん出るYo!

https://youtu.be/jHz7EelNe7g

 イモトさんが出産したので、このまま日テレ「世界の果てまでイッテQ!」からフェイドアウトすると思われた、天国ジジイこと、貫田宗男オジ。
 ※過去の話はこちら:貫田宗男おじさん、ついに日テレ専属タレントへ?!

 私のもう1人のオジ(よなよなダンスに見る和田アキ子と、私の叔父さんの不死鳥ぶりがハンパない)が、レビー小体型認知症から奇跡の回復を成したように、天国ジジイも日テレにカムバック。

 今夜7時58分から放送。良かったらぜひ見てください。

じん帯を切った脚は治ったのか?!

今何歳になったんだっけな?!

コロナになってから、オジに会ってないが、
いくつになっても元気で活躍する叔父たちを守ってくださる神さまに感謝。

by 桜子

大雪警報が外れた渋谷の子どもたち

 2月9日に東京で大雪警報が発出された時の話。
 「雪が積もる!」と騒ぐマスコミの報道は過剰だったと思う。NHKも「買いだめを」とアナウンサーが呼びかけるものだから、私はすっかり思い込んでしまった。10日は雪が沢山積もる、と。
 
 よく考えたら、天気も、明日も、神のみぞ知る未来なのに、どうして私は信じきってしまったのか。人はかくも、扇動されやすい。すっかり煽られた私は前日、スーパーへ行けば買いだめにソワソワし、子供用スノーブーツまで買い求めに5店舗も探した。そして、結局のところ、アウトドア専門店モンベルで、雪用靴のパウダーブーツというのをわざわざ購入した。
 ※参考までにこの日は在庫がはけるほど、飛ぶようにパウダーブーツが売れた(担当談)

で、

その必要がなかったのは、皆さんご存知の通り。

  
 ただ、当日は朝から子供たちがいつ積もるのか、と心待ちにして登校した。
うちの子も、ふだんより足取り軽く、新品の靴を履いて、雪道を歩く授業を楽しみにし、放課後に友だちと雪合戦をする約束をしていた。そして、うっすら積もった雪の放課後、娘は帰宅するとすぐ、友達が待つ場所へ出かけていった。



30分後


「こんにちはー!!!」
と、うちの子含む5人が、玄関に勢いよく入ってきた。

私が知らない子どもたちが、目をキラキラ輝かせている。
雪に興奮して、頬はピンク色に染まっており、渋谷の都会っ子でも、子どもらしい表情を見せている。しかも、男女で一致団結しているから、良い空気が流れて、熱量は高い!

娘は「ママ、バケツ取りに来た!」という。
(バケツが必要なほど、積もってるっけ?)
そう思いながらも渡すと、一人だけびっしょり濡れている子供がいて、レインコートも何もない、というから、私は仕事の傍ら、あたふたと、自分のを貸そうと物を出し入れし、忙しくバスタオルを取りに行った。

すると私の背で、

 

「金持ちが、神の国にはいるよりは らくだが針の穴を通る方が・・・・」

と男の子たちが、口々に言う声が聞こえた。

(何言ってるんだ・・・?)


と思いながら、私は洗面所で何枚かのタオルを手に取り、戻ってみると、その意味がなんだかわかった。

原因は、これだ。

これは私が20代に書いた、色鉛筆画だ。
玄関の内ドアに何気なく貼っていたが、誰かに見せるつもりはなかった。
たまたま、本棚から見つかったので、昔を懐かしんで、貼っただけ。


ちなみに、

「金持ちが神の国に入るよりは らくだが針の穴を通る方がもっとやさしい」
と言う聖書の言葉は、それぐらい、神様を信じることは特に金持ちには難しい、という意味だと思う。



あー、これがこんなに注目を浴びるんなら、
もっと分かりやすい聖書の言葉を子供に紹介したかったー!!

という、私の心の叫びは子どもには届かず、(きっと、意味わかんないだろうなー)と私は苦笑した。

そうして、神様ってすごいな、と思った。
あらゆる機会を生かして、神様がご自身を子供たちに現されたこと。
そして、娘の友達を一気に私だけに見せてくださったこと。
私は最近、彼女がどういうお友だちに囲まれて過ごしているのか、知らなかった。


神様は、いつも私たちの想像を超える方だと、私は主を賛美した。
大雪は降らなかったけれど、ハレを私の心に恵んでくれた。

by桜子

オミクロン株感染増でも、幸せでいよう

 私が以前観たニュースではオミクロン株のピークは今日という。1日あたりの感染者数は24000人予想とされていた。それが、今日の日経報道では19798人(17:07現在)とあった。この数字をどうみるか?
 
 専門家ではない私の考察など、どうでもいいのだが、言いたいことは1つ。
予想より感染者が少ないと知れば、気持ちは上向きに。昨日より増えたと聞けば気持ちはダウン。何を基準で物事をみるかで、心が左右される不思議について、今日は考えませんか?


 現在、情報の多くをインターネットが担っている。それでも高齢世帯はテレビが主流だ。報道、といえば夜7時のNHKニュースを信頼する家庭が根強くある。
 それで、眺めていると、ネットでも、テレビでも、コロナに関して言えば、日経平均株価と同じように前日比で報道されており、今は連日、「昨日より増えました」と記録更新され続けている。嫌なニュースを耳にして、気持ちは萎える。不安が煽られる。子どもが感染源と言われて、12歳以下の子どもがいるわが家はどうなるの?

 だが、前述の通り、数週間前の報道予測と比較すれば、今は最悪というわけでもない。子どもも、近所の子に感染したと思しき子がいない。だから、何を見て、どう生きるかは、すごく大事だな、と思う。

 そして、私たちの暮らしぶりに転じて考えてみても、結局のところ、マスクや消毒液が溢れて、生活できている。感染状況事態は悪いけど、最悪よりマシと前向きに捉えられる部分も多数ある。

 コロナは暗い影を落とし、心は曇りがちだ。でも、軸を変えると、幸せになれる。
影響され過ぎず、ビビりすぎずに、幸せになろう。

helen keller
New York Times Co.Getty Images

「世の中には辛いことがたくさんあるけど、それに打ち勝つことでも溢れているの」Although the world is full of suffering, it is also full of the overcoming of it. byヘレンケラー



オミクロン株感染増でも、幸せでいよう。


by桜子

 

 

 

「学校に行きたくない」と子供が言ったとき親ができること

 タイトルずばりの本を、不登校新聞編集長の石井志昂氏が書いている。不登校児だった著者が書いた、当事者に寄り添った内容だ。要約すると結論はただ一つ。子どもが休みたいと言ったら、親は休ませろ!だ。

 きっと、正解だろう。だが、それを選択することが、親には簡単に出来ない。特に共働きであれば、尚更だ。学生である限り、子供の登校問題は続く。行きたくないと言ったら、いつも休ませていいの?!

彼の論理は次の通り。
============================================
・休みたいと訴えてきた場合、当人はギリギリの状態だから、休ませる。
・親は「もう少し頑張れ」と声を掛けがちだが、続けると、当人の限界を超えて休みが長期化の場合がある。
・休んで充電が1日ですめば、翌日は学校へ行ける。傷は浅いうちに対処。一日休んでも大したことはない。
・長期化したときは、回復に時間を要している。子供はいつか必ず立ち上がる。信じて待て。
・休むと勉強の遅れが気になるが、疲弊には休息が必要。勉強はあとからどうにでもなる。
============================================

そもそも、学校へ行く価値とは何ぞや、という話は以前書いた(日曜夜、東大院卒の塾長から電話)。ここでは、まず子供を学校へ行かせるゾ、と決心した親がどうあるべきか、という話。

本では、行かない間の過ごし方はフリースクールの活用程度にとどまっていた。
が、これが最も難しい所なのだ。
子どもを休養させることを選んでも、親はその時どうするか。専業主婦なら楽かと言えば、そうじゃない。一人の時間がなくなるし、年齢によって、子供との過ごし方に限界もある。親子で煮詰まることもある。
おそらく、今は黎明期の後半か、転換期なんだろう。今、この悩みを抱えた家庭は一定数いるし、既にいくつか指南書も出ている。

こういうとき、参考になるのは体験談だ。

知人で中学生活を1年以上休んだ子どもを知っている。彼の場合、日本有数の大学を卒業しただけでなく、周囲の憧れの的になっており、ドラマみたいなサクセスストーリーに仕上がっている。

もっとも、それを知る夫によれば、「そもそも親のDNAが違うからね」と言う。そこで、私は、その事実さておき、とりあえず、そういうときの過ごし方について、そのママへ聞いてみた。

「学校へ行かなくても、勉強しなくても、学校行きたくないと言ったらしょうがないよね。聖書さえ知っていればいいよね。」

「そうそう!」と言う反応を静かに待ったが、即座に否定された。

「いや、桜子ちゃん。やっぱり勉強はね、出来るんならさせたほうがいいわよ。せめて、本だけは、読ませて。今、聖書を読めない子が増えているんだから」と言う。

彼女の回答が正解かはさておき、私は、クリスチャンというのは、神様さえ知っていればあとはOKじゃないのか、と子供っぽいことを考えた。明日世界が滅びると思えば、勉強などどうでもいいが…。
でも、たとえ明日滅びるとも、リンゴの木を植えよう、で生きていけ、と言うメッセージだろう。

Even if I knew that tomorrow the world would go to pieces, I would still plant my apple tree. byMartin Luther


最後に、この本を抜粋して、紹介を終える。


<石井志昂氏の言葉>
・不登校は一番苦しい時期を脱したサイン、休み始めた瞬間から、心の回復が始まる

<東大名誉教授・汐見稔幸氏の言葉>
・社会性のベースは、友達同士でいっぱい遊ぶことではない。「学校に行けば社会性が育つのか。条件として可能性はあるけれども、実際は中身によって全く違う」

・「子どもが赤ちゃんの時に泣いたから…うるさい、バチン!とやっていなければ、基本的な社会性は育っていると思っています」※社会性基礎は0-2歳で育つ

・「今の学校は点数で子どもを脅したりしてね(笑)。そうすると、本当に子どもが勉強したいことを上手に学ばせているとは限らないんですよ。(中略)試験が終わると、すぐ忘れてしまうような知識が多い。それに対して、「僕はどうしてもこれを知りたいんだ。調べたいんだ」ということを中心にカリキュラムを作っていくと、その方が間違いなく一生残る知識になったり、探求心になったりしていく。」


どうぞ、皆さんのお子さんたちが、どういう状況でも、いつも元気で健やかでありますように。

by桜子

ドラえもんがやってきた

 雲の上のドラえもんよろしく、娘にドラえもんのような友だちが与えられた。
うちの子が、のび太、というわけではないが、ドラえもんは、娘をグイグイ知らない世界へいざなっていく。

 まず、休みの過ごし方。
 ドラえもんは、タケコプターならぬ、お手製「しおり」で、娘を休日の朝9時半からお出かけへ連れて行った。意気揚々と、お弁当をリュックに詰めた娘が飛び出していく背を見つめ、私は感慨深かった。子ども同士のお出かけを許可したのは初めてで、ドラえもんママに聞くと、すでに昨年からお嬢さんはそのように行動している、と言う。

 ドラえもんが小学4年にして行動力が高いのは、それだけではなかった。
前夜に仕込んで、自分で作ったお弁当を持ってくるという。私は、ドラえもんに触発されて、のび太も作ると言い出すか、ソワソワしたが、のび太は即座に言った。

「ママ、作って。」

 ʅ(◞‿◟)ʃ …。


 私は、ドラえもんが、私の知る、渋谷の子でないことに驚いた。小学四年にして、この自立した行動力と家事能力の高さに、並々ならぬものを感じた。おまけに、どうやら優しい子で、うちの子は波長が合うらしく、知り合って以来、いつも一緒にいるらしい。

 「ドラえもんが来たみたい」と、夫は言った。


 もっとも、主人に言わせると、その子にとっては、娘がドラえもん、かもしれないよね、と言う。確かに、何かの波長が合ったからこそ、ともに行動しているわけだから、何かあるかもしれない。


 先のことはわからないが、ともかく、わが家は、いまドラえもんと娘の行く末を、祈りつつ、静かに見守っている。



 「鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。」箴言27:17


by桜子

悪いストレスは人を変える?みかん実験

昨年の暮れ、義母から美味しそうなみかんを一箱いただいた。
少々もったいなかったが、そのみかんを2つ取り出し、娘がそれぞれに絵を描いた。

1つは、にっこりマーク(^^)、もう一つは、怒ったマーク(*`Д´)プンスカ 。
前者には「かわいいね」「きれいだね」と褒め、後者には、「汚いね」と悪い言葉をかけた。(※ちゃんと個体を各々離れた所で声掛けをするのが実験のミソ)

娘が勝手に始めた実験だが、教わった内容によると、後者のみかんは腐っていくという。
はたしていかに。

その一か月後が、下記の写真だ。

左が、悪口を言った方。右が褒めた方。

各々の、輪郭の違いが分かりますか? 触ってビックリ、左の皮はコチコチ硬く、右はふにゃりと柔らか。

左のみかん「ストレス受けて、身も心もコチコチです!」と、しゃべっているみたい。(^^;
毛穴もめちゃくちゃ開いているのだ!
家族で、ほっほう~と驚いた。

が、夫は、「これ、n個で実験してくれたら、説得力あったのにな~。」
「個体差があるじゃん」と論理的。


確かにそうだけど、そもそも、同じ箱から取り出して、実験当初は何の変化もなかったのを目視した私としては、「何もないじゃん!」と冷めて観察してきただけに、この変化には心底驚いた。きっと、n個やっても、結果は同じと思う。

そうしてみると、左のみかん、悪口言われた姿は、眺めていると、人間の脳にみえる。

心療内科や精神科で、傷ついた人たちの脳はこんな風にコチコチするのだろうか。するに違いない、と思う。だって、美容師さんが私の頭をシャンプーしてくれるとき、頭が硬いと、「お客さん疲れていますね」というもの。
実際、人は緊張すると、身も心も硬くなる。
もしも、嫌なことを言われ続けたら、確かに周囲と境界線を張ることで身を守っている。

一方、柔らかいみかんの弾力性といったらない。
その柔軟性が、世の中の辛いことも、対処できるバネであるかのよう。


2つのみかんにしんみり…。



聖書から、ストレスに対処する言葉を幾つか拾ってみた。

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(Iペテロ5:7)

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:6,7)


なまじ、人間には脳があるから、考えてしまうけど、
考えすぎず、自分を責めず、神様よろしくと、疲れた日は美味しいものを食べてよく眠りたい。

…そうは言っても、私だって悩んでいるときには、それで済めば楽なことないよ!と思ったことがたくさんあるから、ことは単純ではないけれど。
でも結局いつも、最後はなんとかなっている。

だからきっと、神様は、私たちに、良い言葉を口からよく出して!といつも仰っていると思う。
それが、ストレスから身を守る秘訣だから。

まあ、それを継続するのが難しいのはよくわかる。
そんな時は、聞いてくれる誰かを探して、祈ってくれる誰かに祈ってもらって、
いつも良い言葉を口から出すようにしていきたい。

私が一番それができないからね、自戒を込めて。

by桜子

冬休み明け、学校再開で始動

今年はどんな一年になるだろう?!

 期待に胸を膨らませていた学生の頃に比べ、社会人歴を重ねた今は、日常の再開にときめきはない。それでも、子供のおかげで「1」がつく年初めに、気分は清々しい。

 冬休み明けの1月11日、さっそくわが家に来訪があった。小学校でお世話になった担任が、所用で来られた。用事を済ますと、先生は、玄関に飾ってあった娘の作品(写真)を見て、仰った。

「学校で見た瞬間、目が潤んで…感動しました…」


 三角錐の一面には、聖書を開くと最初に書かれてある、創世記1章1節があった。初めに神は天と地を創造した、とある。そして別の面には、わが家の名字が書かれてある。
 これは小学校に入学すると、子供たちが保護者会に来る親用に、座席を知らせる表札として作った作品だった。昨年の暮れ、担任から返却されたので、私は創世記が書かれているのを見て、捨てるのに忍びなく、玄関に飾っておいたのだ。

 先生は、「入学してすぐ聖書の一ページ目にある言葉を書くなんてね」という風なことを仰った。

 私は、返却時に先生がこれに目を留めて、涙腺が潤んだ、と仰ったことに感動した。4年前に、初めての学校保護者会で、私がこれを見た時には、ギョッとして、先生と同じことを思ったのだ。6歳で、しかも学校でこんな言葉をここに書くなんてね…、と。

 この言葉には、確かに強い力がある。初めに神が天と地を創造したのだ。それで、世界が始まったのだ。


 あれから4年余りが経って、娘はもちろん、同年代の子どもたちも、ずいぶん大きく成長した。世の中を経験しつつも、脳と心はまだ発達段階だ。

 私は最近、いつも同じことを祈っている。
 
 神様、どうぞ、すべての子どもたちが健やかに、思いやりをもって、成長しますように。愛し、愛されて、大人になれますように。

by桜子

代官山生ソフトフランスパン1000円

夫がオープン前から買いたがり、昨日ついに買ってきた、代官山生ソフトフランスパンのNIJi。虹、というらしい。

千円なり

「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」(マタイ4:1〜4)

ワクワクして買った夫が言うには、パンがたくさん余ってた、というのだけど・・・

ともかく、千円のパンは贅沢ね。(^_^;)