gray scale photo of man lifted by people holding stratocaster guitar

フィンランド式精神医療、オープンダイアローグ(開かれた対話)⑤


永遠なのか本当か
時の流れは続くのか

いつまで経っても変わらない
そんな物あるだろうか

見てきた物や、聞いた事。
今まで覚えた全部、
でたらめだったら面白い。

そんな気持ち わかるでしょう

答えはきっと奥の方
心のずっと奥の方

涙はそこからやってくる
心のずっと奥の方♪

♪ザ・ブルーハーツ「情熱の薔薇」より♪



ここまで、長々と、講師の精神科医、森川すいめい氏と、オープンダイアローグの型を書いた。まだ序盤だ。

真骨頂は、この型を基本に実践する、リフレクティングにある。
この単語の意味は後述するが、私はこれを体験し、言葉に尽くせない感動を覚えた。

「開かれた対話、というのは、これか!」
と、目から鱗が何枚もはがれた。
目の前に光の粉がキラキラと輝き、舞っていくかのようだ。これは実践した者にしか分からない境地と思う。


そして、体感すると、冒頭のブルーハーツを歌いたくなるね。


永遠なのか本当か
時の流れは続くのか

いつまで経っても変わらない
そんな物あるだろうか

見てきた物や、聞いた事。
今まで覚えた全部、
でたらめだったら面白い。

そんな気持ち わかるでしょう

答えはきっと奥の方
心のずっと奥の方

涙はそこからやってくる
心のずっと奥の方




 
 誰もが、人生に何らかの傷を負って生きている。傷の大小あれど、人によって異なる傷は、どんなに他者に話しても、その人自身にしか分からない痛みだ。リフレクション、は、私流に訳すと、波紋だ。森川先生の著書(*)によると、リフレクションとは「話すことと聞くことを分けて、それらを丁寧に重ねるための工夫」だそう。

 例えば、ある女性が心をモヤモヤさせていたとする。悩みの元がわからないままでいい。何か感じるモヤモヤを、他者らに始める。その時、その人はただ、じっくりと聞く。質問や遮りは不要だ。
 聞き終わったら、彼女の前で(ここ大事)、彼/彼女は一切見ないで(ここも大事)、今の話を聞いてどう思うか、ということを他者らがまた話し、話した女性もまた静かに聞く(ここ大事)。これがその工程だ。
 

 「誰かが話しているとき、聞いている人は聞くことに徹する。何と答えようかとか、次に何を話そうかとか、考えながら聞くのではなく、ただ聞く。話す人も、自分が話しているときに誰かに遮られたりしないことを知り、安心して話したいことを話す。そのように話すことと聞くことを分けると、自然な会話が生まれてくる。そして、その分け方は無数にある。…(中略)…ただ、これだけのことだったのだが、この体験は、私の中でオープンダイアローグの可能性を大きく広げてくれた。話すことと聞くことをわけるだけで、対話が促進される。このシンプルな仕掛けは、無限に応用可能だ
 *森川すいめい著「感じるオープンダイアローグ」より



 私はやっただけで、ゾクゾクした。そして、演習では、先生が私たちに、「自分に負荷がかかった話を他者にしてください。ただし、この場は見知らぬ人同士ですから、話してもいいという程度の話でいいですよ」と仰ったので、私は、職場でのストレスを吐露した。

 4人チームになってやるとき、1回が話し手になり、残り3回は聞き手の役になる。

で、対話を始めてみるとまたもや不思議な信頼感が生まれる。先生は私たちを「チーム」と呼んだが、まさにチームワークであった。だんだんと、対話をミルフィーユのように重ねるたびに、みんなでやってやろう、という気になる。
 そして、その通りになったのか、2回目の演習になると、ある参加者は、非常に内密な告白をされた。演習だが、その人は話したかったのだろう。私は稲妻に打たれたように、固まってしまった。何たる事実。何たる衝撃。だって、その人の過去にそんなことがあったなんて、全然見えないんだもの!!!人は見かけによらず、涙腺が緩んだ。

 10分後、聞いた私たちが対話する番になった。全身全霊で、感じていることを話す。その人の顔は見ない。それはまるで、映画の感想をお互いに一所懸命述べあうに近い。しかし、映画は他人事、これは私事。1000%の心を込めて、その人について意見を述べた。きっと他の参加者も同じだったと思う。誰もが誠実に尽くしたはずだ。

 そして5分後、話者の番になった。その人は、「泣きそうになった」と、喜んでいた。皆が受け止めてくれたことをうれしいと言った。そして、のちにこの時の体験を、「浄化されたかのようだった」と評されていた。


何だこれは…。私は汗びっしょりだ。思いが言葉にならない。

⑥へ続く