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sakurako について

Sakurako,a business working woman who live in Shibuya,Tokyo.

よなよなダンスに見る和田アキ子と、私の叔父さんの不死鳥ぶりがハンパない

 和田アキ子のYONA YONA DANCEを、小学四年の娘がアレクサに歌わせ始めたのはいつだっただろう。 
 在宅勤務をする私の背後に流れるブルースに、(なぜ昭和のR&B女王、和田アキ子を娘が知っている?!)と訝しがりながら、仕事が終える頃になると、忘れていた。
 
 それが今夜、娘がまた、「アレクサ、和田アキ子の“よなよなダンス”かけて」と命令しているので、「なんで、知っているの?」と聞いたら、彼女は、「和田アキ子って女の人?それとも男の人?」と言う。

 ググってみて、YouTubeを見て、なるほど…と理解した。

https://youtube.com/watch?v=zh-4M5blbiI%3Fstart%3D2

和田アキ子が全面に出るのではなく、イラストを使ってTikTokで流行らすこの感じは、まさにイマドキ!

私は、フレデリック氏(TikTokでバズる楽曲を熟知するプロデューサー)を知らず、このヒットが練りに練った戦略の下に実を結んだ、当然の結果であったとしても、今の娘世代(小学生)に、昭和のゴッド姉ちゃんこと、和田アキ子が華麗に蘇ってきたことが、ものすごく、うれしかった。

私は何度か曲を聴いて、頭の中に何かが駆け抜けていったのを見逃さなかった。

なんだろう、この感じ…。最近、どこかで経験した…。

そうだ!!!!!
レビー小体型認知症になった、私の叔父さんにそっくり…!!

昨年蛭子能収さんがレビー小体型認知症になった報道があったが、その少し前に、私の叔父は、レビー小体型認知症と判明した。
叔父のそれは、蛭子さんよりずっとひどく、単独で外出はできず、一歩の歩幅はちょこちょことしか歩けず、じっと座っていられず、呂律が回らず、議論好きな叔父のお喋りは遠い過去になり、別人へ変貌していた。

大きな体は痩せ、私は、もう余命が短いことを覚悟して、友だちに祈りをお願いし、一人でお見舞いに行くのが怖くて、夫についてきてもらうほどだった。

その叔父が…なんと、まさにアッ子さんのように、不死鳥のごとく、蘇ってきた。世田谷区の映像が送られてきたのは、3日前だ。なんと公の場で、自身の病を喋るという講演会でパネルディスカッションに登壇するまでに回復・・・!!!これはすごい、事件だ!!!

https://youtube.com/watch?v=RGb3TOvEvxk

「ねえ、神さまってすごいわよね。今までの彼がやってきたテレビの仕事も、人間関係も、すべてが益とされたのよ。苦労してきたことも、すべてが無駄じゃないのよ」と、母が驚嘆していた。

私は、そんな叔父に、聖書の詩篇103を贈りたい。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。

あなたの若さは、わしのように、新しくなる。

まさに叔父は、蘇ったのだ。

by 桜子

89歳+私+イギリス人講師

先日の日曜、私はマンツーマンの英会話教室へ出かけた。
子供に習い事を薦めているくせに、自分は全く努力しないので、少しは自分も何かを頑張ろうと、週に1,2回のレッスンを数か月前から始めていた。

“How’s your day?”(今日はどんな感じ?)と、毎回聞かれて、Goodや、So so(まあまあ)と答え、すぐ授業に入るのが常と思うが、私はこれを問われるたび、ハッとする。

今日はどんな日だろう?!

そこで私は、今朝受けた突然の電話を、イギリス人講師へシェアした。

 20年前程前に、JTBのイランツアー旅行へ単身参加した折、親しくなった夫妻がいた。帰国後に会うことはなかったが、私の結婚が決まると、大いに喜んでお祝いの品をくださった。そして一年後、主人がテレビで取り上げられるのを偶然見た(例:マツコデラックス深夜番組に出たよ)夫君が、わが家へ電話をくださった。
 ちょうど受話器を取った主人が、「家内は今病院なんです。昨日、娘が産まれまして」と答えたのは、なんと恵まれたタイミングだったろう。
 以来、音沙汰がなかったが、日曜の朝、急に連絡があった。何事かと思ったが、前と同じ世間話だった。「今は89歳、三途の川がもう見えている」と笑う彼の年齢に私は驚いたが、声に張りはあり、若々しかった。
 だが、奥様の安否を確認すると、障害者一級になり、自身も「肺に穴が開いて入院し、退院したばかりだが、もう歩けなくなった」と言う。そして、ひとつだけ、普段と違う話を私に伝えてきた。


「あのね、私があなたのことを忘れられないのはね…」

(はいはい、なんでしょう……。)

「空港で別れるときに、あなたが唯一、私にハグしてくれた人だったから。」

 それを聞いた瞬間、私の頭の中に神様が流れ込んできた。神が、この89歳の老人の脳裏に、ちっぽけな私の記憶を残してくださっていた。先日書いた、中嶋悟じゃあるまいし、生きている価値があるかどうかもわからない私が、彼の思い出に残る栄誉といったら、この上なかった。
 しかしそれは、ひとえに、神の技だろう。すぐさま、聖書の言葉が浮かんだからだ。

【いつまでも残るのは信仰と希望と愛です。その中で一番優れているのが愛です】

 そのハグは愛だったに違いない。わが人生で最良の行動だった、と私はドラマの1シーンのような情景を想像し、うっとりとした。が、講師は言った。

「彼、そのとき何歳?40ぐらい?」

私は性的な意味にとられたのかと思い、一気にげんなりした。

「たぶん70過ぎだったと思うけど…。」

講師は誤解していたのかもしれない。私は彼の妻とも親しく、きっと空港では、婦人にもハグをしたと思う。が、それはさておき、私はこの老夫婦に対して、毎年何かしたいと思いながら、忙しさにかまけて忘れてしまう。今年こそ何かしたい。しかし、何をしよう?!

 そう考えながら、次に礼拝へ出かけた。

 この日は、この後まさか、後で話す予定ではなかったが、外国人へ紹介するのにピッタリの教会へ出かけていた。というのも、そこは英会話教室から近く、英語で聖書のメッセージが行われていて、私は手元にあるプリントの翻訳を見ながら、その話を聞いていたからだ。
 
 この日は「Treasure in Heaven (天にあなた方の宝を積め)」という話だった。
 折しも、前日に私の女友だちから聞いた、大量の豚が崖に落ちて死ぬ話と似ていた。何を言ってるか分からない人のためにまとめると、要するに、神様よりも、この世で大事に握り締めているものがあれば、それを手放せ、というテーマだった。

 「連続して同じような話を聞いたから、私にとって、この世で握り締めている偶像は何だろう」と考えていたところです」と、講師に言うと、「面白い」と言う。
 
「僕も、ちょうど昨夜、イギリスの妹から連絡があって、自宅にある大量の本をどうするか、と聞かれてね…」

 ちょっと話がずれていたと思うが、ともかく、私の行った教会名を彼は、ネットで検索し、まんざらでもない風だった。「僕は無宗教だけど、こういう話は好きだよ。どうもありがとう」と言われた。


 私はレッスン終了後、その日がおかしかった。
一日中、聖書がメインテーマとして流れていて、前日に聞いた女友達も、89歳の紳士も、イギリス人も、私にとって、すべてがシンクロニティ(意味のあるつながり)であった。

by桜子

心、この不思議なるもの

今日はもうダメだ、と思った。

似た境遇の人に、自分の境遇を訴えたら、気持ちをわかってもらえるかもしれないと期待した。
もしかしたら、慰めや、示唆に富んだ言葉が返って来るかもしれない。

だが、瞬時に飛んできたリプライは見るまでもなかった。人に、多くの愛を求めるのは酷というものである。

時折、私の周りにいる、すべての人が自分の敵のように感じるときがある。が、落ち着いて考えれば味方は多い。仮に、たとえ、一人だったとしても、私には神がいる。
それが、信仰だ。


神はいる。
全てのことに意味はある。
必ず、すべては益に変えられる。


聖書をふだん信じていて、私は毎日、祈っている。心から信じているつもりなのに、本当に信じてはいないのではないか、と揺さぶられる時がある。
私は、朝、近頃はきちんと祈っているから、きっと穏やかな顔をしているに違いない、と思っていたが、私の見ている鏡と、家族が見る私は、違うものが映っているらしい。
私はいつも怒っている、と家族は言う。

いや、神様、もうダメです。私は、いっぱいいっぱいです。誰も助けてくれません。

夜明け前は最も暗いーーと言う言葉を思い出しながら、私は嘆きや呟きを抑えようとしながらも、こぼれていく心を抑えられなかった。

けれど、しばらくして、もう一度その言葉を思い出してみる時、空が最も暗いなら、まもなく陽は昇る。東から朝日がやってくるのではないか。だとしたら、今が堪えどきである。




明日もやっぱり、祈ろう。
この道を信じて、ついていくしかない。

泣いたカラスはもう笑っていた。


  

元F1レーサー中嶋悟さんと私の密時間

今月初めの朝、夫がボソッと、「中嶋悟かあ・・・」と呟いていた。

その意味を、数日後、日経新聞朝刊を開いて知った。

文化面にある「私の履歴書」が、今月は中嶋悟さんで、私は以前、お会いしたことがある。それも彼の事務所で。インタビュアーとして、車も良く知らず運転免許もない私が、厚かましくも、手作りの質問を携えて、彼に応えて頂いたのである。


いや、ありえないでしょ?!F1業界のレジェンドだよ!
野球で言えば、王貞治か長嶋茂雄、
サッカーで言えば、キングカズ(もしくは釜本?)
そういう人に、話を聞いた、ってことでしょ?! 

私はただの一般人でーーーーーーーーーーす!!!

(*´Д`) ハアハアハア…

私はこのことを思い出すと、彼に限らずこれまで多くの著名人にインタビューができた過去に我ながらビックリする。が、すべて神さまと、皆さんのおかげ。会社の人や、友だちにどれだけ助けられただろう。
次の聖書の言葉を思い出すのだ。

「富む者と貧しい者とは互いに出会う。これらすべてを造られたのは主である。」(箴言22:2)


別に私が貧しい者ってわけじゃないけど(笑)、人生はこのようにして、有名な人も無名な人も交錯し、出会いも別れもあって、機会があるから面白い、と思う。

ちなみに、どんな文章を書いたかな~と過去記事をググってみたら、なんとその72:F1界の“神” 中嶋悟氏が、消滅~!どんだけ~!まぼろし~!!(IKKO風にね)

(涙)。


もうあの記事、要らなかったですかね。
それなら、私が記事を復活させちゃいますけど・・・。
誰かインタビュー連載をまた、私とさせてください。ご連絡お待ちしてます。

by桜子

追伸:不登校の居場所づくりに関わっている私のお友達が、インタビューを受けました!聖書を片手に生きる証です。主にクリスチャン向けと思いますが、ラジオ感覚で楽しめると思うので、神さまを信じていない人も、良かったらぜひどうぞ~。

Podcast:ニコラスまどかさんのインタビュー「縦から横へ、コミュニティの中の教会」

Never Let Go Of Me /私を手放しません

季節は冬に近づいているが、私の今夜は、夏一色だった。

 なぜかというと、Never Let Go Of Me という数年前の夏の音楽に、聞き入っていたからである。懐かしい…。素晴らしい曲だ。なんて、秀逸なリズムなんだろう・・・!

 以下に紹介するのは、アメリカ各地の教会で毎年行われるサマープログラムで提供された一曲だ。そのサマープログラムを、Vacation Bible School (略してVBS)と言う。アメリカ発だが、日本でもそのプログラムをやっている教会があり、私の娘は数年前から、夏になると参加していた。
 ちなみに、年によってテーマは変わるが、以下は「難破船(Shipwrecked)」というテーマに括られた一曲だ。(例年5曲ほど学ぶ)

 ずいぶん難しい単語を小さな子供たちに教えるんだな、と当時は思ったが、神さまを見失う状態を難破船、と表現する発想の柔らかさに、さすがアメリカの教会、と思った。そして前置き長くなったが、ともかく、一度、聴いてもらいたい。これもまた、クリスチャンが聴く音楽の常識を破るものである。

https://youtube.com/watch?v=A-YuWeVojEw
※ティーンらによるダンスのVBS。なお、この教会や団体のことは私は一切知りません。


ちなみに、娘たちはこんな難易度の高いダンスは出来ず、以下のビデオが近い。今度は歌詞付きなので、もう一度良かったらぜひ、聴いてみてください。

https://youtube.com/watch?v=WJgIPk_NkZY



ブログに、このVBSのことを書いた日はなかったかな、とググってみたら、5年前の記事が見つかった。(VBS at Daikanyama

初参加は、6年前か、5年前だったのか。アメリカンスクールの夏のプログラムは高額だと聞いたが、娘のこのVBSはなんと無料であり、雰囲気はアメリカンスクールに負けないと思う(行ってないから分からないが)。ちゃんと、スナックタイムもあれば、ダンスも工作も運動もある(笑)。
 150人程の子どもたちで、歌って踊る5日間で、最終日の午後は親も参加して、私も大いにその期間を楽しんだものだった。

懐かしいな、懐かしいな、とお風呂場にまでスピーカーをもっていって、聴いていたら、子供が「泣きたくなった」と言う。

私にとって、あの時間はけっこう貴重で大事だったんだな、というようなことを呟いている。そうだね。そうかもね。今はあんな風に謳って踊れないものね。泣いてもいいよ。と私は言った。


しかし、お風呂から上がったら、
「なんか、曲聴いてたら、元気が出てきた・・・」
と言った。

そうだ、神さまは私を手放さない、なんて言われたら、元気がみんな、出るもんね。

by桜子

お弁当づくり

前の晩に下ごしらえして、朝からお弁当作り。目覚ましを普段より1時間早くかけて就寝するも、緊張して、よく眠れなかった。

朝、起きるのに失敗したら、炊き立ての白米が出来ない!

ということで、緊張。

寝ながら具はどうしよう、と考えては、アイデアを練り、

出来上がったお弁当。

「力、入れすぎじゃない?」と苦笑する夫。

キャラ弁など、やる人の気がしれない、と思っていた私だが、この年になって目覚めた。

お弁当箱を開けた時、

少しでも笑顔になってくれたらいい。

親心である。

「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」第1コリント13:13

by 桜子

ヤバいぞニッポン!小中高生自殺最多415人

他の人の感じ方は分からないが、一週間があっという間に過ぎていく。
ブログを更新できない時は、たいていテンパっている。
そして、頭の中で複数の考えを、ああでもない、こうでもない、とこねくり回していて、吐き出したいのに、書く暇がない。

今はポッカリ空いたので、今週の出来事をちょっと書く。

ずっと在宅勤務で家にいる、と以前書いたが、今週は、月曜と火曜にオンライン研修(終日)を受けた。
月曜と火曜でテーマが異なっており、火曜に受けたのが、教える技術、だ。
業務でチームにどうやって上手に教えるか、ということが、テーマだったと思うが、私の脳裏にあったのは、わが子だ。いかに上手に娘に勉強を教えるか、を隠れメインテーマにしていた。

そんな私の心はさておき、その中で、驚く事件があった。
その講座では、ZOOMというオンライン会議の、グループ分け(ブレイクアウト機能)を使って、互いに教え合う演習があった。そこで、どんな知識でも良い、という演習があったので、私は切り抜きしておいた、先月の日経新聞記事(文部科学省10月13日公表データ:2020年度の小中高生の自殺者が415人)を紹介した。
私はこれに関して問題意識を持っているし、伝えることで、ただの演習を、それ以上の提言の場にして、参加者に社会課題を共有したい思いがあった。


それで5分の発表をし終えた途端、聴講者の年配男性が、

「うちの高校一年の娘が今年頭に、自殺未遂しましてね・・・」

と口火を切ったから、ガツンと頭を叩かれるくらいの衝撃を受けた。他のメンバーもビビっていた。私は泣きたくなった。

「いや、もう大丈夫なんです。心療内科を受けているから…ハハハ、ハハハ」
と、男性は気を遣って笑顔で言った。

が、心療内科にいま通っているなら、もう大丈夫です、という言葉通りに取るわけにはいかない…。まさか、こんな展開になるなんて。私は謝った。

だが、男性は、「いいんです。僕も、大人や社会が問題だと、発信したい側なんで、いいんです。ぜんぜん。気にしないでください」と笑顔で言った。

夜、主人にこの話をしたら、驚いていた。
そして私と同じように、この人に神さまの話が出来たらよかっただろうね、ということを考えたようだった。
だが、私は彼と二度と会うことはないだろう。オンラインだったし、そもそも他社である。
リアルで研修を受けていたら、名刺交換ぐらいは出来たかもしれないが。

社会がもっと良くなればいいのに。
大人も、子供も、もっと大事なものに目を向けて生活できる日々だといいのに。
子どものお稽古お迎え時間が来たので、今日はここまで。

by桜子

おうちごはん

実家の窓に、ロールスクリーンを設置しに行ったら、晩ごはんどうぞ、と母が美味しそうなお寿司を用意してくれていた。

見た目にも美しい!

今週は忙しく、毎晩の食事は、買ったお惣菜という3夜連続だったため、心も胃も疲れていた。

なので、実家のごはんが実にありがたかった。

エネルギーチャージ!!

気づくと、やはり実家で何かしら癒やされている。。親には、まだまだ、元気で生きててほしい。

主の山に備えあり

神はすべてを事前に、計画している。

mountain ranges covered in snow
Photo by Denis Linine on Pexels.com


 私たちはあれこれ悩み、未来を考える。が、神は、人の考えるそれよりずっと遥か前に、あらかじめ全てを究極的に支配し、結果を決めているという。聖書にそんな文章はないけれど、聖書全体を読めば、その事実がよく分かる。

そう聞いて、私はこう思った。


 なーんだ、それなら、あれこれ考えても意味ないじゃん。


 神は、人間を“神の似姿に創った”(創世記1:26)が、すべてを支配する神が一つだけ支配権を行使しないと人間に創った場所がある。それが、人の心。

 なぜそんな厄介なことをしたのか、それが神の愛なのか、凡人には全く理解できないが、これこそ神の不思議があり、私たち人間の、神を信じる、信じない問題がある。その判断と決意は、すべての人に任せられている。

 私は何年も前から、「信じ」ている。
 だけど、信じても山あり、山あり、山ありで、苦しいことばっかりあるなあ、辛いなあ、こんなに辛いなら、早く天国に行きたいなあと、絶望ばかりだった。(※独身時代)
 
 だけどここ数年分かったことは、信じているからOK、ではなくて、「1000%疑わずに朝から晩まで一点の曇りなく絶えず信じ続け、理不尽なことがあっても神にいつもYES!と言い続けられる状態」こそ、神が私たちに問いかける、本当の「信じる」の意味であった。

 そんな奥深いものと知らずに、信じる道へ進んだ私は、なかなか波乱万丈だった。が、今思うと、私のその時の態度は、信じきっていなかったんだろなあと思い至る所があり、それで私は試練が多かったのかなとも思う。
 もし私がいつもYESと言い続けていたら、もっと早く主人に出会えていただろうか。今となっては、検証するすべもないが。


 そういうわけで、いまだに山はたくさんあるが、慰め(喜び)も沢山もらっていて、今はいつもぶっ倒れる、ギリギリの所を神に絶えず通らされて、あなたは私を信じますか?と、問われているように思う。

 

主の山に備えありーー神はすべてを事前に、計画している。

先日うちに来た、A男のお泊りも、まさにそれだった。
私は、男子をうちに積極的に泊めさせていないが、そうするように自然と導かれて、私はA男をわが家に招き入れた。結果として、彼が来たことは神が計画したものだった、ということを味わう結果となった。

詳細をかけないのが残念だが、私は感動し、神の計画に乗る、というのは、なんと自分に無理がなくて、気持ちのよいものだろうと思った。そして、自分で頑張ることや、○○はしない、と決めるのはさほど重要でないな、と知った。


若い頃、何度聞いても分からなかった、信仰を持ったら、「頑張らなくていい」というセリフは、意味がまるで分からなかった。たが、「頑張らなくていい」というのは、こういうことなのかな、とちょっと分かった境地にいる、今夜の私だ。

by桜子



コロナ禍のお引越し

私の両親が、引っ越した。
コロナ禍の昨今、郊外へ出る人が増えたというが、うちは逆だ。年老いた夫婦が、都心に戻ってきた。

新居の窓からは美しい富士山が見えた。終の棲家がもしこの家なら、悪くない。いや、かなり素晴らしい!

私の両親は、長年住み慣れた地を5年前に離れたが、今回、戻ってきた。
それも意識してそうなったわけではなく、偶然そうなったから、親の喜びはひとしおだった。
娘の私からすると、今までの両親の苦しみを、これからは幸せにして倍にして返してもらう手始めに映る。
もっとも、当人たちはどう思っていて、今後どうなるかは誰も分からないけれど、
とにかく親は、誰の目にも見て分かりやすい“幸運”を、上から一方的に与えられた。



そして、その幸せは今後、私に波及するのだろうか?
いや、すでに及んでいるんだろうか?
遠い存在の両親が、住まいが近くなったことで、身近に感じられるようになった。

これまでも親の所に行くことはあったが、その回数は多くなく、
諸般の事情により長い滞在が出来なかった。(むろん、泊まることもない)

それが今回、新居の手伝い(家財道具揃え、買い物、配送、収納、配置、棚の組み立て)で、連日親元に行くようになると、その滞在時間は数時間に及び、私は実家が別荘のように感じるほど、快適に過ごせるようになって、これからは定期的にここに来そうだ、と感じていた。

その最大のメリットは、子供の豊かな家庭体験、である。夫婦二人の生活なら実家不在でいいのだが、育ちゆく子供に関わる家族は多い方がいい。無意識に子供と対話する親の様子を見ても、私は子育ての重圧が薄らいでいく。子どもにとっても、3人のテーブルより、6人のテーブルの方が嬉しい。

だが一方、親と会う回数が増えたことで、知りたくなかった現実にも直面することとなった。
それは、両親の老い、である。

夕食の支度時に実家を訪れると、野菜を切る母の手が震えていて、私はショックを受けた。
「神経性の炎症」と聞いてはいたが、これほど悪いと知らず、もはや3度の食事を母一人にやらせるのは、ひどく酷だと感じた。だが、長年の習慣とは恐ろしいもので、一緒に居過ぎるがゆえに、家族は誰も母の肉体的変化に気づいていないようだった。
昭和の台所のまま年月が流れている実家の食卓では、母が食事の支度をするのは当たり前になっており、負担を減らす必要性も分かっていないことが、私には大きな衝撃だった。もちろん、家族はそれなりに家事をやっているのだが、それでも、手が震えている母のハンディキャップは、もっと手助けがあっていいと思うほど、見ていて忍びなかった。


その夜、私は配食サービスをたくさん検索した。母の家事負担を減らしたい一心だった。
だが、いざ頼もうとすると、おそらく文句を言って食べないであろう父や、弟の食事の問題など、難題にぶち当たった。母は、変化を受け入れる柔軟さがある。だが、肝心の父や弟が変化を嫌う人種で、そこが厄介だった。

結局、すぐ新サービス導入を提案することは難しいと判断した私は、翌日、料理を持っていった。5品ほど調理し、さらに渋谷のデパ地下コロッケもセットにして、親の住む駅まで配達を提案すると、母は素直に喜んで受け取ってくれた。



かようにして、親が近くに引っ越してきた。

私にとって親のことや、実家について考えることが前よりちょっと増えた。

たぶん、これから親を含めた家族時間は増えるだろう。


「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」(箴言17:1) 


上記は、聖書の有名な言葉で、我流の略は、「貧しくとも、平和である家がいい」と言う意味だ。
私はこれを、いいね!というほど、信仰心が厚くはなく、親の実家にはどうか、「一切れのかわいたケーキ」ぐらいが家にあって、平和であればいいな、と願っている。