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sakurako について

Sakurako,a business working woman who live in Shibuya,Tokyo.

Chip Tanaka

世界の作曲家、Motherの田中宏和氏と会う

最近思ってること。

「思ったことはやりましょう!

我々にはもう、ためらってる時間はあまりない!」

大泉 洋

ほんとそうだよね。誰が見てても、見なくてもいいじゃん。
面白かったことや、うれしかったこと、気づいたこととか、書いちゃおう。

ってことで、先日は作曲家のたなかひろかずさんに、バッタリ会った。
昼休み、めったにいかない夫の会社に寄ったら、得した~。
ポケモンのテーマソングを作曲し、ゲームミュージック界のマエストロとして世界的にも知られる有名人であり、「田中宏和という同姓同名運動」で3番目の人。(私の夫は2番目)

「同姓同名運動でも見かけないレアキャラだー!」と私は、彼に会って年甲斐もなくはしゃいだ。
初対面だったので。そして、なぜか、この日はいっぱい話せ、フランクな方だったことも、とてもうれしかった。

奇しくもCDを発売したばかり!糸井重里さんともイベントされたばかり!
MOTHERのおんがく。 – ほぼ日刊イトイ新聞 (1101.com)

More Lost Tapes byたなかひろかず

宣伝しときますね!ってブログ掲載許可もらった!記事はこちら→たなかひろかずは「MOTHER」の音楽や“めざせポケモンマスター”をどう作った? 佐藤優介が聞く世界的作曲家の秘話 | Mikiki by TOWER RECORDS

一緒に写真で、ありがとうございます!

私、超うれしそう。
この日は仕事でストレス過多だったから、ものすごい気分転換になった。

ミーハー魂、炸裂。
恥ずかしいけど、今日も、神様のキセキに感謝。

by 桜子

woman with umbrella on beach

人生で一番話をする相手

早く目が覚めて、珍しく凝った朝食を作ると、心はニュージーランドに飛んだ。
以前、知り合ったニュージーランドに住む日本人パパが、赤ちゃんを授かったとFBに書いていた。その知らせは今朝の私を現地に運び、気づくと、空想の中の私は、現地の群れの輪に入り、一緒にその幸せなニュースを喜んでいた。

ニュージーランドに住むAさん、Bさん、Cさんを東京で思い出す。
元気かな?最近はすっかり連絡をとってないな。
私が今朝、思い出して心を寄せているなんて、きっと想像すらしないよね?

そんなことを考えてお味噌汁を作っていると、
目の前の具材がご馳走の数々に見えてきた。
そうだ、これらは、かの地では貴重な食材だった。
皆にこれを分けたら、どんなに喜んでくれるだろう。今度は「美味しい、美味しい」と言いながら食べる姿が浮かんで、ニンマリした。


この間、30分だろうか?
そう、人生で一番話をする相手とは、自分である。

だから、聖書にこんな言葉がある。

「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」(箴言4:23)

心の中で感じる思いや考えが、今日の私たちをつくる。

仕事が大変 →やりがいがある。
あの人は理屈っぽい →あの人は論理的思考
問題が起こった →改善のチャンス!


自分で、自分に、大切な己の魂を萎えさせないようにしよう。
魂をゆさぶって、元気がでるようにしていこう。

この歳になって自分の数々の思考癖に気づくようになった。
今まで何やってたんだろう・・・・×
今が一番いいときだ!・・・・・・〇


というわけで、今日も皆さんに良い日が訪れますように!

by桜子

パプアニューギニア国旗

パプア大使とイッテQの妙

神様はいつも人生にちょっとしたスパイスを落としてくれる。


去年わが家は、ちょっとした小さな縁で、パプアニューギニア大使一家と親しくなった。
私はたいして英語が出来るわけでもないのに、ニュージーランドから帰国したばかりだったから、次なる地はパプアニューギニアか?!と神の導きを感じて、パワーで英会話に励んだところ、彼らが食べたいというラーメン屋さんへお連れするという光栄に預かった。


そんなわけで、それまでパプアニューギニアの場所すら心もとなかった私が、地理や民族を知るにつれ、興奮したのは、日テレで「イモトのパプアニューギニア特集」があると知った夜だった。

すぐさま大使夫人にSNSを送った。
「今夜あるよ」

さほど気合もいれず連絡したそれが、やがてわが家での録画鑑賞会に発展していった。
見逃した夫人が、データを求めたので、困った私が、「うち、録画してるから見に来れば?良かったら夕飯も一緒に」と言ってしまったせいだった。

メニューは、悩んだ末、B級グルメにした。以前彼らが恵比寿のラーメン屋さんに舌鼓を打ったため、たこ焼きを前菜にした。これは、日本のストリートフードだよ、と紹介したら、美味しい!と喜んでくださった。

で、メインディッシュが日テレの録画データ。
珍獣ハンターイモトワールドツアー in パプアニューギニア|世界の果てまでイッテQ!|日本テレビ (ntv.co.jp)


放送では、「パプアニューギニア人は笑いやすいので、こんな小話でも笑うか?という街頭実験が行われていた。映像では、現地の人たちが大笑いしていた。
これは、日本人だったら絶対に笑わないような話で、私は映像の意味を解説しようと彼らの方を向いた。

そしたら、
な、な、なんと、すでに一家が隣で笑い始めていた…(!)


オーマイガッ!
実験が本当に正しかったと、私は日テレさんに連絡したくなった。
番組で説明していた通り、パプアニューギニアの人たちの笑いの沸点は低かった。
意味が分かる私と主人と娘だけが顔を見合わせクスリと笑った。



富む者と貧しい者とは互いに出会う。
これらすべてを造られたのは主である。(箴言22:2)



by桜子



mountain ranges covered in snow

K2滑落、日本人登山家2名の捜索打ち切り

中島建郎さんのニュースはショックだった。お目にかかったことがあったように記憶していた。
K2滑落の日本人2人 救助活動を打ち切り 所属会社が発表 | NHK | パキスタン


瞬間的に、叔父がエベレストに旅立った日を思い出した。
あの日、自宅には私と母とおばあちゃんがいて、祖母の黒電話から、成田空港にいるという叔父が、「これから山に行ってくる」と言った。ギリギリまで言えなかったのだ。
あのときの祖母の背中や、母の顔、祖母の室内の感じを今でも覚えている。
何があってもおかしくない。母は叔父のことを毎日一生懸命に祈っていた。


最近、テレビで登山番組が身近に流れて、登山がエンターテインメントの一つに写ることがある。
技術は進化し、大昔のそれより楽になった部分もあるのかもしれないが、山は山。行けば、大自然の中で頼れるのは自分だけ。

捜索は打ち切られたけど、もしかしたら、どこかで生き延びている可能性もあるのか。

私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。(詩編121:1)

この聖書の言葉の続きには、私の助けは神から来る、と書かれている。

by桜子

タナカヒロカズカンパニー×夫の誕生日

夫の会社にマスコミが来られた

今月1日、名前繋がりだけの会社が産まれた。社員は、みな同姓同名のメンバーだけ。背景に、2022年タナカヒロカズ氏の178名ギネス世界記録達成(同姓同名最大の集まり)があり、互いのスキルを生かし、ビジネスをする。

その知らせは、ワイドショーや、J-waveラジオ、ネットニュースで報道された。

タナカヒロカズ・カンパニー
https://company.tanakahirokazu.com/)

「起業しただけでニュースになるなんて、会社としてはありがたいね」と、夫は言った。

私の夫は、タナカヒロカズカンパニーの役員で、渋谷の田中宏和だ。

私は、結婚してから夫が加入する?同性同名集めを見ていた。彼はよく発起人に協力していた。だから、偉いなあと思ったり、イヤだなあとここだけの話、困っていた。

というのも、夫はサラリーマンではないから、協力すればするほど(上記写真は、夫の社内)、彼は深夜残業や休日出勤となり、私は彼が倒れやしないかとハラハラしていた。

今では、渋谷のラジオ(週1で昼にオンエア)も無償奉仕で参画している。


そんな彼が,今月、誕生日を迎えた。

その数日前、彼は言った。
「君さ、サプライズとかやるけど、今年は一切しないでね。僕、毎日がハレの日だから、誕生日は祝わなくていいの」

「え?毎日がハレ?」

「うん、僕、毎日楽しいもの。誕生日は普通に過ごしたい。レストランやご馳走は用意しなくていいから。ケーキもいらない。唯一、美味しいお酒が飲めればいいかな。いつもの日曜を、いつもの通りに過ごす。それが僕の願い。」

私は夫の、飾り気なさを尊敬している。先に書いた起業も、裏方の仕事も、FBに書かないのはもちろん、誰かに特段言うこともなく、いつも静か。

・・・私と、逆だね!!

GOOD DESIGN AWARD

グッドデザイン賞も全然自慢しないね。。。ちなみに、タナカヒロカズカンパニーのロゴは彼が書いたけど、、、

というわけで、新会社が華々しく宣伝されたのと裏腹に、夫はひっそり歳を重ねた。

愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。
(ヨハネの手紙第三 1章2節

誕生日を迎える全ての人が、すべての面で恵まれ、健康でありますように。

by 桜子

woman standing beside woman on white wooden chair facing body of water

老年期の過ごし方、真価が問われるとき

先日読んだフライデーの記事によれば、武蔵野市「吉祥寺駅」で救急医療病院がなくなりつつあるという。渋谷区でも、救急医療ではないが、東京女子医科大学附属成人医学センターが来年閉院だ。他人ごとと思えない。

娘を産んだとたん、街中でベビーカーや親子連れが目に入るようになった。

それと同じく、母の介護に携わると、ヘルパーさん連れの高齢者や、介護事業社のミニバンが、朝に夕に目に飛び込む。わが街でも高齢化がじりじりと進み、すれ違う人みなに老いを感じる。


教会でも同じだ。
以前はぎゅうぎゅう詰めだった「礼拝」場が空いている。
来なくなった人もいるが、気になるのは来れなくなった高齢者だ。知り合いがいなければ、祈りのリストや支援の輪からこぼれ落ちる。
それは社会の縮図を色濃く現わすようだ。



「日本人の5.5人に1人が75歳以上になる」と言われる2025年問題。高齢化は2040年まで進む一方、既に減少に転じている生産年齢人口(15~64歳)は、さらに減少が加速。(厚生労働省園https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000060713.html)報道では、ヤングケアラー(若くして介護する人)、ダブルケアラー(育児と介護をやる人)という単語も珍しくなく、日本は厳しい局面にある。


こうなると、大勢に見送られて、天へ旅立ったAさんやBさんが羨ましい。
人生の正念場は、まさに老年期であると思う。

そんな教会で、先日私たち一人一人は、神の手紙なのだ、というメッセージを聞いた。
「私達の人生は、読まれている。」皆から見られているのだ、という内容だったように思う。


私の顔は泣いて赤くなり、
私のまぶたには死の陰がある。
しかし、私の手には暴虐がなく、私の祈りはきよい。
(中略)
私の友は私をあざけります。
しかし、私の目は神に向かって涙を流します。
(中略)
数年もたてば、私は帰らぬ旅路につく・・・(旧約聖書ヨブ記16:16~22)


今朝、聖書を開いてここを読んだら、思わず、父を想起した。親の姿が脳裏に浮かぶ。

日曜の礼拝メッセージでは、井上兄弟が「私たちの足りないところを、主が補ってくださる」と述べておられた。ありえないことが、聖書には至るところに書かれている。聖書を引っ張り出すと、次のような悲しいことも書かれている。


あなたがたは、世にあっては患難があります。
しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。
(ヨハネ16:33)


同時にこんな嘘みたいなことも書かれている。

…わたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。
(ヨハネ14:13)

私は、人にとって最もつらい時期とは、社会から必要とされなくなり、友もいなくなり、存在すらも忘れられ、歩けなくなる、そんな老年期を迎える人々だと心底思う。

先の事どもを思い出すな、昔の事どもを考えるな。見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。
(イザヤ書43章18節ー19節)


こんな時代に、希望を持って生きるなんてとんでもないことだ。
だが、人には出来ないことが、神には出来る。そして、私たちは神に祈ることで、神を通して出来るようになると、書かれている。
信じるか、信じないか。

絶えず、“常識”で、世の中を眺めてしまうが、私たちは神を信じたい。
そして神が言う通り、荒野に「道」を、荒地に「川」を、用意される神に期待し、常に前向きでいたいものである。


スティーブジョブズの、
Stay foolish, stay hungryは、こんな時に使ってもいい気がする。

by桜子

silhouette of boy running in body of water during sunset

光よあれ

「みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます」詩篇119:130

moon in wonderful blue sky in evening

Nothing is impossible(2)

「人にはできないことも、神にはできる。(ルカ18:27)」

ブログ更新が滞っている間に、新規プロジェクトが2つ取り去られた。
一つは、賑やかなニュージーランド一家が、日本を満喫して、無事に帰国した、ということ。
そしてもう一つは、中1の娘が渋谷の家を出て、私の父のもとへ行き、そこで暮らしはじめたこと。

私はニュージーランドの家族をもてなす気力はゼロだったが、
全部できたし、箱根にもいけた。
それは、めちゃくちゃ楽しかった。
そして、わが子が早くも独立した。

どちらも全く予想外だった。



娘がいない家は静かだ。
私は、意気揚々と家を出る娘を見て、苦々しく思う(娘は私をうざったいと感じている)と同時に、妻を手放さざるを得なかった父のもとへ、”太陽”を送り込んだ気がした。


かようにして、神の計画と言うのは人には計り知れぬものである。

by桜子