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sakurako について

Sakurako,a business working woman who live in Shibuya,Tokyo.

言いたくない、家族のこと。私の「どうすればよかったか?」(5)

介護の話、続きです。

怒っても、罪を犯してはなりません。
日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。
悪魔に機会を与えないようにしなさい。

(エペソ人への手紙4章26節―27節)


怒りの問題について、教会でカウンセリングを受けることになった。

牧師はまず、私の自己開示が不可欠、と説明した。
曲がりなりにも、カウンセラーなので、意図は知っている。

ここでは、信仰を隠さなくていい。
真理について、深く深く語り合う場に、私は飢えていた。

教会のカウンセリングだからって、それがいいとは限らない。
ここで万事解決とは、思わなかった。

たとえ、牧師が関わってくれるにしても、
一つの機会に過ぎないとも思っていた。

だが、抜きん出て素晴らしいことは、祈りが加わることだ。


祈っています

もし、あなたがたのふたりが、どんな事でも、
地上で心を一つにして祈るなら、
天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。

ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、
わたしもその中にいるからです
(マタイ18:19,20)

あなたは、祈ったことがあるだろうか?

私は「日本人は無神論者だけど、危機に直面すると、とっさに祈る」という話が忘れられない。

例えば、家族が事故にあった、という知らせを受けたら、
(ああ、神様助けてください)と祈りながら、病院へ向かうだろう。

子供が病気になれば、
(ああ、神様助けてください)と祈りながら、看病するだろう。


かようにして、どの神様に頼んでいるかも分からずに、
私たちは天に向かって、祈らずにいられない。
私は、人とは、そういうものだと思っている。


聖書は、その神とは、わたし、だと言っている。

世界は聖書でできている
「世界は聖書でできている」
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それで、あなたがたのふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら…かなえてくださいます」と、ある。


祈りは、目に見えない、きわめて地味な行為だが、実のところ、私はこれが、非常に難解だ、と思っている。


「汝の敵を愛せよ」

は、有名だ。

嫌いな人のために、その人の幸いを祈れ

と聖書は説く。

おまけに、人生の主導権をあなたではなく、わたし(神)に委ねよ。とも説く。


どれも、難しくないですか?
目に見えない神を信じること。日本や世界に、神はごまんといること。
なぜ、その中でイエスキリスト?

で、どうして、嫌いな人の幸いを祈る?祈りたくない。
ある程度、自分で人生をコントロールして、どうしてもうまくいかないときだけ神に頼りたい。

多くの人はそう思うのではなかろうか。



あれこれ書いたが、本題に戻る。
私は、この祈りについても、あれやこれや、長年、疑問を抱えていた。

その悩みは次の章で、書くことにする。

by桜子


言いたくない、家族のこと。私の「どうすればよかったか?」(4)

介護の話、続きです。


私の燃える怒り

時は前後するが、私は父との意見の相違に際し、
次第に、よく怒るようになった。

実家へ行くたび、感情が激しく揺さぶられた。

父の漕ぐ船で、船員が溺れ始めている。
私が助けなくては!
そんな心の葛藤は、これまで述べてきた通りだ。

私は、怒りが何も生み出さないことを知っている。
だが、怒らないーーこれだけのことが、出来ずにいた。


「これから実家へ行きます。どうか怒りませんように」

どんなに努力しても、祈っても、9割方、怒っていた。



「お前はこんなに怒る性格だったっけ?」

父が他人事のように呆れて私を見た。
が、私もまた、そんな父の鈍感さに呆れて父を見た。


さて、この怒りについてーー聖書は何と書いているだろうか?

御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 柔和、自制…
(ガラテヤ5:22)


神を信じると、イエスキリストの御霊が、私たちに宿るようになる。
つまり、いつも(御霊に)満たされていると、「愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制」がある…。


私は、まったく逆で、満たされていなかった。

話しは飛ぶが、私はそれ以外の場でも、感情を乱すことが日常で多くあった。
仕事、家庭、育児…。
私は自分の家はとてもうまくいっている、と信じていた。
だが、夫や娘は私に不満があり、我慢しているような様子が多々見られた。
この時と並行して、どうやら私の存在が、夫や娘を困らせている、と気がついた。


それは、あたかも、実家の父の姿と私が重なるかのようだった。

”本人は気がつかないけど、家族が困らされている”ーーそんな構図が、私の家にある!


これに気づいた時、大変なショックであった。



私はどうして、こんなに怒るのか?

もし自分が裸の王様であるとしたら、それは大変なことだ。
なんとか、しなければならない。


教会で偶然、牧師とすれ違った。
去年の夏だ。

私は彼と話したことが、殆どなかった。
だが、思い切って声をかけるなら、今だ!と思った。

「すみません、聖書的カウンセリングというのを知って、私、受けてみたいんですけど」


それは、聖書を土台にカウンセリングするプログラムで、私はそれを、受けてみたいと考えた。
奇しくも、友人がカウンセラーをしていた。
だから、私は誰かが、私と相手してくれたらいいな、と考えていた。


だが、間髪入れず返ってきた答えは、とんでもないものだった。

「いいですよ。私がやりましょう。」


あっさり言う牧師に、私は目を丸くした。




by桜子

言いたくない、家族のこと。私の「どうすればよかったか?」(3)


介護の話、続きです。

2年が過ぎ、初めて父が母を別の病院へ連れて行った。
診断された名前が違った。パーキンソン病と言われていた母は、


「パーキンソン病とレビー小体型認知症の合併症」
これまでと違う薬が処方された。




主治医の見立ては、誤っていた。


薬が変わると、母は回復した。
しだいに会話がハッキリしてきた。体重も栄養剤で35から45キロへ増加した。


お母さん本当は、どうしたいの?ーー

「そうねえ。他愛ないこと…。お茶飲んだり、おしゃべりすると、やっぱり楽しいじゃない?」


彼女がゆっくり本音を吐露するとき、決まって父はそこに居なかった。
私は母を助けたい、といつも思い、いつも生活を変えたくて仕方なかった。

でも何も変わらなかった。
日が経てば経つほど、実家に対して鈍感であれ、鈍痛であれ、と心に念じた。
祈りだけは欠かさずにいたが、夏の、最も注意を要する時でさえ、実家には行かなかった。


秋になった。昨年の話だ。

久しぶりに実家へ行くと、母の部屋に父の布団が敷かれていた。
父は、自室で寝ていたはずだが、変わっていた。
閉まっている父の部屋の襖を開けると、寝床を敷く場所がなくなっていた。

高齢者のゴミ問題が取り上げられている名著(上記の写真を押すと別ウィンドウが開き、詳細を確認できます)。私としては、非常にお薦めです!

この本はこんな内容
 *高齢になってゴミ分別する工程が、日本の高齢者にどれだけ負担をかけているか。

<ゴミ捨てで起こる問題>
・何曜日が燃えるゴミ?
・何曜日がプラスチック?
・どれがプラスチックで、どれが資源ごみ?


繰り返すが、父は平日仕事へ出かけ、自らも難病で病院通いがあり、母が介護4で、介護サービスなし。
例えば牛乳を飲むと以下の5工程が発生していた。

紙パックを①はさみで分解→②洗う→③乾かす→④保管→⑤ゴミの日に出す


「それは余裕がある人がやることで、うちはそれ、やらなくていい!」と私は叫びたかった。



話を戻す。

結論から言うと、親の家は、本書で取り上げられる写真までにはなっていなかった。
が、そうなるのも時間の問題だと思った。




(片づけたい、片づけたい)

私は実家に行くたびに、かさばるタッパーやお皿を一つ、二つと持って帰った。
「そんなことをしても、何にもならない」と夫は言ったが、
私は1ミリでも綺麗にしたかった。

しかしこれもまた、取ると父が気がついた。
次第に私が来ると、父は「勝手に物を持って帰るなよ」と警戒した。

by桜子

2022_SakurakoDiary

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私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。
見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。
Ⅰコリント4:18

言いたくない、家族のこと。私の「どうすればよかったか?」(2)

介護の話、続きです。

「どうしてこうなったのか?」

父には、父の物語がある。彼なりの考えがあったとは思う。
だから、読者の方には、少し差し引いて読んでいただけたら、と思う。
家族の問題は、外から見えるほど単純ではない。

だが、私は苦しかった。
私しか、この惨状を知らない。
命を預かっているような責任が重く肩にのしかかったた。
母の生活が下降線をたどるのは、最初から分かっていた。

いつか、父や母のどちらかが亡くなると、この惨事は終わるのか。
それまで見ているだけしか、出来ないのか。
私は神に祈っていたが、落ちていく親を傍観するのが自分の仕事とは、とても思えなかった。


数年が経過して、私は次第に、一つの答えにたどり着いた。



親子の間にある「境界線」


人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うべきである。
(ガラテヤ人への手紙 6:5)

ひとりひとりが重荷を背負い、生きている。

そして、母と父は、二人で一つ。




「だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。
従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」
(マタイによる福音書 19:6 新共同訳)


聖書に照らし合わせると、母をどうしようが、父の自由。
そして、病の母もまた、彼と結婚した責務があった。

二人のどちらかが、「助けて」と言ってこない限り、家族と言えども手出しが出来ない。

そのような答えを見出し、静観する覚悟が出来たのは、去年のことだったのか。
いや、一昨年であったろうか。

何度も離れては、過去、私はあらゆる方法を試みていた。

・行政、ケアマネージャー、親戚、クリスチャン

誰を介せば、母を助けられるのか。書籍も読んだ。
だが、どれもうまくいかなかった。

わが家に関わる人は誰もいなかった。





「家族の問題だから」

皆、口々にそう言った。
もし私が単身だったら?そう思うとゾッとした。

神の狙いは何か?父はなぜ、こんな暮らしを続けるのか。
母を愛しているのはよく分かる。
だが、父は母が第一と言いながら、仕事を辞めず、母を一人にする。

この人は一体どういう人なんだろう…。
ーー私は初めて、父親を一人の人間として捉え、考え直し始めていた。

そして、冒頭に戻る。
境界線ーー可哀相でも、二人の歩む道を、私はただ、黙って祈るしかないと思わされていた。


つかず離れずで、遠くから見守る


夫に、何度もそういわれた。

だが、この、距離を保つことが、私の場合、とてもとても難しかった。
父がどれくらい「助けて」と言わないか、については、慶應の医者が<下記で>証言した通りである。




2年が過ぎ、初めて父が母を別の病院へ連れて行った。
診断された名前が違った。パーキンソン病と言われていた母は、



「パーキンソン病とレビー小体型認知症の合併症」
これまでと違う薬が処方された。



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by桜子

言いたくない、家族のこと。私の「どうすればよかったか?」(1)

ざっくりいうと、私はこの3年余、父との考え方の違いに長く悩んでいた。
パーキンソン病と診断された母の、医療と介護の問題である。



診断当時、私と夫は、母は「レビー小体型認知症ではないか」と疑った。
父に何度もセカンドオピニオンを薦めたが、そうしなかった。
介護サービスも、「様子を見て」と繰り返し、利用せずに生活が続いた。

当時、父は仕事をしていた。
つまり、母は日中、家にひとりでいた。
母は次第に気力を失い、口元に食事や水を持ってこないと食べないようになった。

父は母の状態を認めたがらなかった。
「あなたが食べないと、俺が(娘に)責められるんだぞ」と母に何度も大声で言った。
母はいつも、黙っていた。
いま振り返ると、それは父の不安や叫びだったかもしれない。

看護婦の友人が、実家を訪問し「脱水症」と言った。
冬なのに脱水症になる。それを初めて知った。


「こんな生活はおかしい」と父に叫んだ。しかし、ことごとく玉砕した。
1年が過ぎ、母は35キロになった。

(亡くなるのが御心なら、早く天に引き上げてください)

何度もそう祈った。だが、頭でそう考えても、身体は弱い。
私はどうすればよかったか?
ーー毎晩3時にグルグルと脳内が動き出して寝ながら考え、朝は泥のように起きた。
そんな日々が続いて、夫が進言した。「実家と距離を少し置いた方がいい」



映画「どうすればよかったか?」をご存じだろうか。


統合失調症の姉を持った弟、藤野知明さんが2024年12月に家族の映像を公開した、ドキュメンタリーだ。
・公式サイトはこちら https://dosureba.com/



「どうしてこうなったのか?」

父には、父の物語がある。彼なりの考えがあったとは思う。
だから、読者の方には、少し差し引いて読んでいただけたら、と思う。
家族の問題は、外から見えるほど単純ではない。

だが、私は苦しかった。
私しか、この惨状を知らない。
命を預かっているような責任が重く肩にのしかかったた。
母の生活が下降線をたどるのは、最初から分かっていた。

いつか、父や母のどちらかが亡くなると、この惨事は終わるのか。
それまで見ているだけしか、出来ないのか。
私は神に祈っていたが、落ちていく親を傍観するのが自分の仕事とは、とても思えなかった。



数年が経過して、私は次第に、一つの答えにたどり着いた。


▶ 続きは「言いたくない、家族のこと。(2)」へ


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by桜子

■私のこれまで


類天疱瘡に罹患

類天疱瘡(るいてんぽうそう)に罹患して=指定難病162=

父の治療が、慶應義塾大学附属病院で、入院初日から早々に開始された。

3/2、夫と病院へ行った。
「まず治療方針を聞くべきでしょう」と父の面会より先に、医師の予約を入れてくれていた。
さすがだ!私は頭がいっぱいで、そうしていいのかさえ分からなかった。
改めて、この夫を与えてくださった神に感謝した。

父は会うなり、「なんで、今日こうなった?お医者さんはとても忙しいんだよ」と目を丸くした。
あたかも、多忙な医者の時間を取るな、と咎めるようだった。
が、夫が事情を説明すると、父はそんなことが出来るのかといった顔で感心していた。

実際、父は入院後に初めて、医者との総合的な時間を持ったようだった。
状況の把握が進み、私たちは現状を理解した。

■類天疱瘡(るいえんぽうそう)とは?

本来は体を守るはずの「免疫(めんえき)」が、まちがえて自分の体を攻撃してしまう病気(=自己免疫疾患)の皮膚版。「皮膚や粘膜が、べろんとはがれる」

皮膚の構造:

【表皮】
────────── この接着面が攻撃され、✔水疱✔びらん✔ただれ✔紅斑が発生
【真皮】

■これまでの経緯

大病院でステロイド20mと中等量の投入に限界を迎え、2024年に慶應義塾大学付属病院(以下、慶應病院と略)へ。激しい水疱が、口、喉、食道に。ステロイドを増やすには入院治療が不可避。が、父が仕事を辞める決心を出来ず、回避して2年経過。

今回の経緯は、1月に発症したリウマチーー手足がパンパンに腫れて歩けずーーによる。
涙点疱瘡との関連性はないと医師は言った。父には、父の景色があると思うが、私から見ると、神がリウマチを罹患させた、と思った。父がいつまでも頑張るのでそれを与えた。そうでないと、仕事や家を手放せなかった。
私に映る景色はこうだった。

実のところ、父の我慢強さには、医者でさえ舌を巻いていた。


「24年から食道の皮膚がめくれているんですよ。画像見ます?」見た瞬間、おえっ。吐きそう。画像に驚いた。

===================================
医師:重症です…。こんな状態で今までどうやって…?

   普通は食べられず、入院する人が殆どです…。

夫 :(父が)よく我慢してたね…。

医師:(大きくうなづいて)おっしゃる通り…。
===================================


忍耐強いことは良いことと信じる私だが、時と場合によりけり、とこの時は心底、思った。


■治らない病と希少な症例(糖尿病、感染症…)

医師「この病は、治癒が難しい。今の医学では、寛解(=かんかい)しかない

病気の勢いを抑えるために免疫抑制の治療を開始し、効果は出始めている、と医師は言った。

「まだ口の中は剝けています。ただ、範囲がすこし狭まってきている様子がある。
 あと『歯磨きをしても出血しなくなった』ですよね?明らかに治るのは、まだまだ先。
 ですが、少しづつ反応し始めていますよ」


入院前は、真っ白だった父の顔に精気が少し戻っている。父は、他にも病がある。

・1型糖尿病


かなり珍しいタイプですよね。涙点疱瘡の治療で、ステロイドを飲むと、誰でも副作用がある。血糖値が上昇。その中で、1型糖尿病が最もコントロールが難しい。インスリン量を注意して調整していきます」

さらには、入院前の検査で、感染症の肺MAC(マック)症がありそうと分かった。
「通常は経過観察ですが、桜子パパさんの場合、免疫抑制をかける。だから、その感染症が悪さをしないか、というのが非常に大事な点です


このほか、歯が毎年抜けていた。皮膚の炎症で歯ぐきからごそっと取れてしまう。
将来的に歯が全部抜けるのか、と尋ねたら、今日から歯科の介入が入ったようだ。
医師は父を、「我々も診てて不安になる方」と評した。



■退院時のゴール


・今後、より強い治療をするかもしれない。
・方針を色々検討中で、より詳しい検査や、場合によって抗生剤を飲む、可能性あり。
・皮膚科としては、ステロイドとは別の、免疫抑制剤開始の検討も、再発防止のためにある。


父「……大変な病気ですね。…肺まであると思わなかったなあ…。」



<この先の予定>
・高容量のステロイドを2週間継続、好反応であれば、減量していく。
・薬の効果がいまいちなら、減量の期間の変更や、追加治療を検討。
・重症例では、透析もある。もしかしたら、+αで入院が延びる。



<退院時のゴール>
・容態が安定し、ステロイド30㎎になれる。→以降、外来にて減量を行い、最終的に5㎎を目指す。
※一般的に5mgが①副作用なく②ちょうどいいバランス、という考え方があるそう


したがって
◎通院で「5㎎になる」を目指すために、まずは30㎎での状態安定を目指す。。
 5㎎になるのは早くて2年後、ちょっとづつしか、減らせないのだ、という。難しい、難しい治療のようだ。


身体が暴れる原因に、、酒や食事はないという。ただし、糖尿病だから血糖値の上昇に気をつけて。
ストレスが最も身体に悪い。だから、よく眠り、気をつけながら生活して。



そんなふうにして、話を終えた。

父は私たちと再会した時もそうだったが、終盤になってもまた、同じことを繰り返した。

「自分のためにみんなが動き回ってくれて、本当に申し訳ない・・・!!」

うっすら涙ぐんでいるようだった。
何度も何度も、同じことを言って、医師に詫びていた。


私は帰り道、夫に呟いた。
「ここは病院じゃない?なんで、父は当たり前のことを、何度も言うんだろう?病院は支援してくれるところだよね?」


夫は、
「生きてきた時代が違うんだよ。人に迷惑かけないように、と言われて、お父さんは苦労してきたんだよ」と私を諭した。

「お父さんの長い長い、修学旅行だね」


病院にいることは、旅行だと夫は言った。
そういえば、
長年、家長として父は人一倍、頑張り続けてきた。休みがなかった。


帰りに見た、信濃町駅は心なしか、キラキラ光っていた。


by桜子

2026年、ストレスは突然に(2)

昨日、家族の昇天を経験した人たちと話をした。

ある娘さんは、90歳過ぎの父を見送った。
最後に、病院で治療させたことを、未だに少し悔いていた。

彼女は、父を病院へ預けない選択肢もあったのに、と言った。

今となっては過去のこと。
だが、それでも考えてしまうのは、大事な人だから。



この日は、本当に不思議な昼だった。
私以外の全員が父親を失う経験をしていた。
ひとりひとりの話を聞くうちに、なんとなく、私の番になった。


・2/25、父が、慶応義塾大学に入院。
・2/26、要介護4の母が老健に入居。


1月から父が、起き上がれなくなった。
父は助けてと言わない。だが、珍しく連絡があった。

「急いでベッドを買って!今すぐに!」

目覚めるとき、床につく手の痛みで身体を起こせない、という。
這って母のベッドポールをつかみ、なんとかはいつくばって起きる状態だった。

この父が、介護サービス一切を使わず、母を世話していた。
私は父に、「助けて」や「手伝って」と言ってほしかったが、最後までこれ以外の支援を求められなかった。

私は実家に行くのが大きな苦痛だった。見る現実が辛すぎた。
が、何度訴えても、父の耳に入らず、父は自分の解釈で物事を進めていた。
私は自分の精神を守るため、実家と距離を保つしか、選択肢がなかった。





人にはおのおの、追うべき自分自身の重荷があるのです(ガラテヤ6:5)



落ちていく実家を、未然に防止したかったが、神は各々に重荷を負わせた。
私は、どちらかといえば、祈りと共に行動を大事にするタイプだが、親の運命は祈るしかなかった。




孤立していく実家を見、クリスチャンの末路を思った。

子どもの頃は、クリスチャンの末期は愛で溢れていると信じていた。
だが、そうでもなさそうな話を最近よく聞く。
第一、聖書には殉教者の死が多数ある。ハッピーエンドは天国で初めて実現するんだろう。




わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、
だれ一人自分のために死ぬ人もいません。

わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、
死ぬとすれば主のために死ぬのです。
(ローマ14:7、8)



両親の死を覚悟していた数年間だった。が、まだ二人は生きている。
孤立からも、ようやく解放されたかもしれない。
入院・入居で、家族以外の目や支援が、両親に注がれる。


なんだって私にはこの上なく、ありがたく思う。

ただ、私は一言だけ最後に書いておきたいことがある。
孤立していった親だが、最低限の人たちを神様は残してくれていた。

私は親がこの上なく悲惨になったと思っていたが、
ひとり、ふたりと、親を慕う人たちが残されていた。
これは大きな驚きの一つでもあった。


by桜子

2026年、ストレスは突然に(1)

早いもので、明日から3月。今年初のブログ投稿だ。
ネット空間にいる暇が、全くなかった。


先月からなんどかEAPにお世話になった。
EAPとは、会社員のためのメンタルヘルス支援プログラムで、専門家に相談できる。
本当に精神的な危機を感じたとき、私は電話をした。

例えばこんな相談だ。
A:「今、プライベートが非常事態なのに、職場でトラブル発生。メンタルの危機!どうすれば?」
B:「心拍数が高まってきた。落ち着く方法を教えて」

ふだんなら、乗り越えられることも、ストレス過多な状態では自身が脆くなっている。
そんなとき、この制度はインフラとして大いに機能した。

たとえばBでは、私は無自覚だったが、対話を通して自分の身体が冷えていると分かった。
そこで、以下のプロセスを教わった。

1.室内を温める
2.上着を着る、靴下を履く
3.暖かい飲み物を取る

そんなバカみたいな取り組みでも、一つ一つ電話で「はい、やりました」などと言いながら、
行動に移すと、身体が幾分か楽になった。


この他、家族にも警戒警報を出しておいた。
「今、私の体調は危ない感じだから、私に何か不具合があっても見逃して」というもの。
事前の防御で、家族が色々と気遣ってくれた。


この他、なんといっても、ありがたかったのは、祈り、である。
時に行動し、話を聞き、連絡をもらう等で、支えられた。
大きな体感として、”私は祈られている”と感じた。それはちょっとした感動体験だった。

*  *  *

2月25日(水)、父が信濃町の慶応義塾大学に入院した。
父は「先生、死ぬんですかね?」と入院前、医師に質問した。
看護婦は、「死にはしないけど、退院時は体力が搾り取られています」と言った。


父は、涙点疱瘡という皮膚の免疫疾患で、難病だ。
難病ゆえに、改善するか不明で、確率は50%という。
患者の中には、「入院したけど良くならなかった」と怒る人もいるそうだ。

入院初日からステロイド50ミリを身体に投与した。
2週間続けて、2か月入院の予定だ。
NYの友人ウッディは、「慶應でレベルの高い治癒を受けられるだけでも幸せです」とメッセを送ってきた。
確かにそうかもね。

ところで、この涙点疱瘡は、どんな不調があるのだろうか。
こんな症状があるそうだ。
===============

・睡眠不足(痒みで寝つけない。寝てもすぐ起きてしまう。背中が真っ赤)
・食事の不自由(歯が抜けていく)
・食事の不快(口の中がボロボロになり慢性の口内炎、味覚障害、嚥下障害)
・食事のストレス(生命の維持に食事は大切だが、食事に2時間を要し披露蓄積)
・失明(目が片方、見えなくなった)

===============

書き連ねるだけでも、すごい病だ。悲惨極まりない。
しかし、驚くべきは、わが父の精神というべきか。

いつも明るい



そんな父の好きな聖書の言葉は、

いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべてのことについて感謝しなさい。
(新約聖書)



1か月前に父がこの言葉を口にしたので、私はぎゃふん、となった。


ああ、話が尽きないな。続きはまた、次回で。

by桜子


2025年アフタークリスマス

昨日、大好きなクリスマスが終わった。


色々書きたいことがある。


昨日はどう過ごしたか。今年のクリスマス会がどんなふうに行われたのか。
難病の両親は今、どうやって命をつないでいるか。


いいこともあれば、悪いこともある。
嬉しい奇跡もあれば、信じられない悲劇もある。


これもあれも神のなさること(伝道者の書7:14)


当たり前だけど、人生には、自分の好ましいことがいつも身の上に起こるわけじゃない。
信じられない仕打ちを受けることや、悲しい経験もする。

そんなとき、私はこの聖書の言葉をよく思い出す。
これもあれも、神のなさること。

ということは、神様がすべてご存じなんだ。

ああ、だったら、すべて責任取ってくれるし、背負ってくれるし、慰めてくれるよね、と。

今日は仕事納めである。
年末年始に、時間がとれたら、ゆっくりあれこれ書きたい。


今日も良い1日を!

by桜子