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sakurako について

Sakurako,a business working woman who live in Shibuya,Tokyo.

冬休み明け、学校再開で始動

今年はどんな一年になるだろう?!

 期待に胸を膨らませていた学生の頃に比べ、社会人歴を重ねた今は、日常の再開にときめきはない。それでも、子供のおかげで「1」がつく年初めに、気分は清々しい。

 冬休み明けの1月11日、さっそくわが家に来訪があった。小学校でお世話になった担任が、所用で来られた。用事を済ますと、先生は、玄関に飾ってあった娘の作品(写真)を見て、仰った。

「学校で見た瞬間、目が潤んで…感動しました…」


 三角錐の一面には、聖書を開くと最初に書かれてある、創世記1章1節があった。初めに神は天と地を創造した、とある。そして別の面には、わが家の名字が書かれてある。
 これは小学校に入学すると、子供たちが保護者会に来る親用に、座席を知らせる表札として作った作品だった。昨年の暮れ、担任から返却されたので、私は創世記が書かれているのを見て、捨てるのに忍びなく、玄関に飾っておいたのだ。

 先生は、「入学してすぐ聖書の一ページ目にある言葉を書くなんてね」という風なことを仰った。

 私は、返却時に先生がこれに目を留めて、涙腺が潤んだ、と仰ったことに感動した。4年前に、初めての学校保護者会で、私がこれを見た時には、ギョッとして、先生と同じことを思ったのだ。6歳で、しかも学校でこんな言葉をここに書くなんてね…、と。

 この言葉には、確かに強い力がある。初めに神が天と地を創造したのだ。それで、世界が始まったのだ。


 あれから4年余りが経って、娘はもちろん、同年代の子どもたちも、ずいぶん大きく成長した。世の中を経験しつつも、脳と心はまだ発達段階だ。

 私は最近、いつも同じことを祈っている。
 
 神様、どうぞ、すべての子どもたちが健やかに、思いやりをもって、成長しますように。愛し、愛されて、大人になれますように。

by桜子

代官山生ソフトフランスパン1000円

夫がオープン前から買いたがり、昨日ついに買ってきた、代官山生ソフトフランスパンのNIJi。虹、というらしい。

千円なり

「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」(マタイ4:1〜4)

ワクワクして買った夫が言うには、パンがたくさん余ってた、というのだけど・・・

ともかく、千円のパンは贅沢ね。(^_^;)

クリスチャン新年会

1月2日の日曜、新年早々の礼拝後に、主にある家族6組が、わが家近くの一軒家に集まった。

group of people making toast
Photo by fauxels on Pexels.com


主にある家族、というのは、天の神を父と考えた時、私たちはみな、誰もが兄弟または姉妹(※)という考えによる。米映画でよく耳にする、Brother(ブラザー)とSister(シスター)は、要するにクリスチャンからきている。

 新年二日目から、親戚の少ないわが家が、血のつながりはないにせよ、家族と呼べる人達と集まれたことは神の恵みそのものであった。私は、娘が産まれた当時、親戚のいないわが子はなんと不憫だろうと長年、重荷を背負っていた。が、この日示して頂いたことは、神様をお父さんにしたら、彼女に親戚は無限に与えられているという事実だった。

 そうして集まった私たちの目的は、実は新年会ではなかった。
きっかけは昨年、互いの子供たちが学校で様々な困難に合っていた危機感から、聖書を知る子供たちが互いの体験を仲間と語り合って、成長していく心の場を作ろうということから、祈って集まった会であった。

「もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。」
伝道者の書4:12

 子供たちは、地元や学校に、聖書について語り合う人が親以外いない。コロナ禍で、子供が一番、他人との関係が希薄になる。大人が、自由に外へ出て、携帯やSNSで人と繋がれるのに対し、こと小学生以下にそれらがない。幸い、私たちは、同じ年齢の子どもを持つ親たちで、それがないとマズい、と気づいたので、率先してクリスチャンの子供たちの交流の場を定期的に持とう、と相成ったのだ。

 再会した子供たちは、親の心などつゆ知らず、呑気に、2年前と変わらず会うとすぐ、外で遊び始めた。が、その身体つきは、ティーンエイジャーの入り口で、男の子は凛々しく、女の子は可愛らしくなっており、成長ぶりには目を見張るものがあった。この子たちと関われるのは、あと何年だろうか。
 
 そうして、ひとしきり遊んでお昼をすませると、子供たちにクワイエットタイム(静かな時間)と称し、円陣になってもらった。そして、友だちの旦那さんが、英語と日本語で司会をし始めた。(※英語を母国語とするお友だちが数人いたため)
 

「今まで、いじめにあったことのある人?」

 この日のテーマは、いじめ、であり、30分余りの時間を使った。いじめについて、どう思い、どう感じて、どう対処するかというシェアの時間を持った。だが、この内容は割愛する。
 ただ、後ろで静かに見ていた主人に言わせると、いじめがテーマの話題は進行が難しく、「大人の自己満足になりがち」と辛口の評価が下ってしまった。
 言われてみれば、その通りであったが、娘に言わせると「ちょっと退屈したけどまあまあ」とぎりぎり合格点をもらったか。
 とかく、大人が司会者になると、一定の方向へ導きたくなるが、いじめは正しい対処法があるとは限らないので、次回からはもっと子どもに好き勝手にしゃべってもらって、大人も一緒に悩みたい。
 

 だが、なんにせよ、教会の仲間と気持ちを分かち合ったこと自体は、良かったと思う。ある精神科医が、「話すことが、子供を強くする」と、言っていて、以来、私は子どもを信頼おける人と関われるように配慮するようになった。ぜひ、この集まった子供たちにも、互いに語り合ってもらって、強くなってもらいたいものである。


 困難な時代にあって起こる一つ一つのことが、私たちに色んな気づきを与えている。
生きづらい世の中にあって、子供たちが、希望を失うことなく、強くたくましく、生きていってほしい。
 私たち大人は、そんな次世代をこれからも応援し続け、忍耐をもって関与し、祈り続けていきたい。

by桜子

富士山を仰ぎみて新春初滑り

今年は富士山によく出会う。

すっかり忘れていたが、1月3日から4日に家族でスキー旅行を計画していた。場所は富士山近くで、自宅から車で2時間ほどの距離にある。

初日、娘はスクールに入れて、私と夫は二人で滑る。
翌日は、家族全員で滑る。

「子どもがいなきゃ、スキーなんてしないよね」と夫が言い、そうたそうだ、と合いの手を私が打つ。
「感謝だね〜」と言って、滑った。

今年はよく働き、よく学び、よく遊ぶ年にしたい。

by 桜子

2022年あけまして、おめでとう

初めに神が天と地を創造した。創世記1.1

新年は、実家で始まった。写真は、窓から見える今日の富士山である。

私たち家族は起きるとすぐ祈りを捧げた。

が、父はすぐ朝ごはんの支度に勤しんで、母も朝から白いエプロンをつけて、台所仕事を始めている。

私は、母に、なぜ2人はすぐ祈らないのかと父の居ない時に尋ねたら、母はコソッと私に言った。

「あなたたちがうらやましいわ」

私は、母の思いを察し、父に言った。

「一年の初めなんだから、まずは3分でも夫婦で祈ってから、食事の準備をすれば?」

新年早々の言葉としては相応しくなかったが、今言わねば元日の朝は過ぎてしまう。ところが、父は言った。

「これがわが家のやり方。お母さんも納得してる」

なぜだろう。

母の本音を父はまったく知らぬ。

私は新年早々、聖書から見る、クリスチャンの妻の在り方について考えてしまった。

夫に従う母は立派か。それとも、そのせいで、自身が、期待する生活が送れなくても、それは聖書的には大した問題ではないのか。

何はともあれ、これまで、実家に泊まることはおろか、元旦を過ごしたことのない私たち一家には、未だない新年の幕開けだった。

食卓に集う家族の数が多いのは、なんと楽しいことだろう。

一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。(聖書)

正直、家族だから、口数が増えれば、口論もあった。それでも、家族は家族で、存在自体が、ありがたい一日だった。

早く召されたいと願うけれど、やはり家族は皆元気で、長生きしてほしい、と願わずには生きいられない元旦だった。

by 桜子

クリスマスの朝

家のポストを開けると、1通の赤い封筒が入っていた。

開くと、お隣さんからの手紙だった。

お隣は先月、上階から引っ越してこられた老夫婦で、私は奥様から話しかけられた際に、優しそうだな、と思っていた。手紙には、その彼女から、私が前日に差し上げた林檎のお礼と、プラスアルファ、がしたためられていた。


「もしや、お宅はクリスチャン?」


話は12月上旬に遡る。
私は玄関の表ドアに、娘のお手製リースを飾った。

a christmas wreath hanging on the door
Photo by Anastasia Shuraeva on Pexels.com



そして、私と同じように、ドアへ飾りをつけている家が、同じフロアに他に2件あった。その1つが隣で、ポイントは、それがサンタとトナカイだった点だ。


私は今、在宅勤務だから、家を頻繁に出入りする。そのたびに、隣のサンタとトナカイが視界に入ってくる。そして、いつも、何の気なしに思っていた。

           (・・・サンタなら、プレゼントが届くよな…)


それで、隣に何かを差し上げたいとずっと考えていた所、23日(結婚記念日!)に、家へ突然、大量のリンゴが届き、その見事な青森のリンゴに、私はこれをおすそ分けしようと決めた。

 紙袋にボンボンとリンゴを入れた。が、これではどうもハレの感じが出ない。


 そこで、透明のパラフィンでリンゴ2つを包み、上を赤いリボンで結んだ。
(おお!これで一気に、クリスマス!・・・)

そうそう、忘れちゃいけない、と慌てて、友お手製のクマ飾り付き「聖書の言葉カード」を括り付けてみた。うーん、可愛らしい。完成だ!



 さて、隣のチャイムを鳴らす。

 
 私とて、知らない人のドアを叩くのには、勇気がいる。

 変な人に思われたらどうしよう!!だが、だからこそ、リンゴは少なくした。どうかな、どうかな。ドキドキ…。だが、出てきた夫人は大変驚きながらも、とても喜んでくださり、私はホッとした。

 それで、クリスマスの朝に話は戻る。

「もしや、お宅はクリスチャン?」


この後には、続きが書いてあった。


私はクリスチャンホームで生まれ、夫は●年前に洗礼を受け、今はXX教会に通っています。
聖書の言葉を見つけてうれしくなりました。




私が、その朝どれくらい喜んだか、書くまでもない。
そもそも、このリンゴを頂いたことにも、他のストーリーが含まれていたのだが、そこを披露すると、キリがないので割愛する。

クリスマスの朝に、隣人がクリスチャンだと知ってうれしかったが、何よりも、そのことを知らずに、日常が過ぎていくこともあり得たのに、神が私の生活に手を伸ばし、施してくださった采配が、何よりうれしかった。

今日も神は生きて働く。私は神さまを心から賛美する。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、


あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。

by桜子

クリスマスイブ、決戦の金曜日

(起きるにはまだ早すぎる・・・)と目を閉じたまま、もう少し眠ろうと考えた。

 が、今日これからのことを考えると、目が覚めた。私の頭の中には、次々に色んな人たちが浮かんでは消えていた。

 今日はクリスマスイブで、夜には娘の友達が出演するミュージカルのイブ礼拝もあるし、21時にはその一人がわが家へ泊まりに来る。そして明日は3家族旅行と、楽しみがてんこ盛りだ。

 しかし、頭が冴えた理由はそれではない。今日が娘の最終登校日だからだ。24日がXデーになったらすごいな、とは思ったが、まさかそうなるとは神様の愛なのか。

 赤いランドセルを背負って、張り切って小学校へ行った日から、今に至るまでの約4年、考えられなかった、数多くのことを経験してきた。極上の経験も、沢山あった。

 「意外とブログ読んでいる人いるわよ」

と近所のお母さんに声をかけられたので、詳細は割愛しよう。

ただ、私にとって、今日という日は大きい。感謝しつつ、足の塵を払って出たいと考えている。


 人生の岐路に人が立つ時、私たちは多いに迷う。私は、自分の鍛錬不足なのか、幾ら祈っても答えは得られなかった。それで、ある朝、突然主人が判断した。


「あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから『これが道だ。これに歩め』と言うことばを聞く」イザヤ30:21

 
 道が仮に間違っていても、主はけして私たち一人一人を見放さない。この真実を胸に、今日も歩む。

by桜子

よなよなダンスに見る和田アキ子と、私の叔父さんの不死鳥ぶりがハンパない

 和田アキ子のYONA YONA DANCEを、小学四年の娘がアレクサに歌わせ始めたのはいつだっただろう。 
 在宅勤務をする私の背後に流れるブルースに、(なぜ昭和のR&B女王、和田アキ子を娘が知っている?!)と訝しがりながら、仕事が終える頃になると、忘れていた。
 
 それが今夜、娘がまた、「アレクサ、和田アキ子の“よなよなダンス”かけて」と命令しているので、「なんで、知っているの?」と聞いたら、彼女は、「和田アキ子って女の人?それとも男の人?」と言う。

 ググってみて、YouTubeを見て、なるほど…と理解した。

和田アキ子が全面に出るのではなく、イラストを使ってTikTokで流行らすこの感じは、まさにイマドキ!

私は、フレデリック氏(TikTokでバズる楽曲を熟知するプロデューサー)を知らず、このヒットが練りに練った戦略の下に実を結んだ、当然の結果であったとしても、今の娘世代(小学生)に、昭和のゴッド姉ちゃんこと、和田アキ子が華麗に蘇ってきたことが、ものすごく、うれしかった。

私は何度か曲を聴いて、頭の中に何かが駆け抜けていったのを見逃さなかった。

なんだろう、この感じ…。最近、どこかで経験した…。

そうだ!!!!!
レビー小体型認知症になった、私の叔父さんにそっくり…!!

昨年蛭子能収さんがレビー小体型認知症になった報道があったが、その少し前に、私の叔父は、レビー小体型認知症と判明した。
叔父のそれは、蛭子さんよりずっとひどく、単独で外出はできず、一歩の歩幅はちょこちょことしか歩けず、じっと座っていられず、呂律が回らず、議論好きな叔父のお喋りは遠い過去になり、別人へ変貌していた。

大きな体は痩せ、私は、もう余命が短いことを覚悟して、友だちに祈りをお願いし、一人でお見舞いに行くのが怖くて、夫についてきてもらうほどだった。

その叔父が…なんと、まさにアッ子さんのように、不死鳥のごとく、蘇ってきた。世田谷区の映像が送られてきたのは、3日前だ。なんと公の場で、自身の病を喋るという講演会でパネルディスカッションに登壇するまでに回復・・・!!!これはすごい、事件だ!!!

「ねえ、神さまってすごいわよね。今までの彼がやってきたテレビの仕事も、人間関係も、すべてが益とされたのよ。苦労してきたことも、すべてが無駄じゃないのよ」と、母が驚嘆していた。

私は、そんな叔父に、聖書の詩篇103を贈りたい。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。

あなたの若さは、わしのように、新しくなる。

まさに叔父は、蘇ったのだ。

by 桜子

89歳+私+イギリス人講師

先日の日曜、私はマンツーマンの英会話教室へ出かけた。
子供に習い事を薦めているくせに、自分は全く努力しないので、少しは自分も何かを頑張ろうと、週に1,2回のレッスンを数か月前から始めていた。

“How’s your day?”(今日はどんな感じ?)と、毎回聞かれて、Goodや、So so(まあまあ)と答え、すぐ授業に入るのが常と思うが、私はこれを問われるたび、ハッとする。

今日はどんな日だろう?!

そこで私は、今朝受けた突然の電話を、イギリス人講師へシェアした。

 20年前程前に、JTBのイランツアー旅行へ単身参加した折、親しくなった夫妻がいた。帰国後に会うことはなかったが、私の結婚が決まると、大いに喜んでお祝いの品をくださった。そして一年後、主人がテレビで取り上げられるのを偶然見た(例:マツコデラックス深夜番組に出たよ)夫君が、わが家へ電話をくださった。
 ちょうど受話器を取った主人が、「家内は今病院なんです。昨日、娘が産まれまして」と答えたのは、なんと恵まれたタイミングだったろう。
 以来、音沙汰がなかったが、日曜の朝、急に連絡があった。何事かと思ったが、前と同じ世間話だった。「今は89歳、三途の川がもう見えている」と笑う彼の年齢に私は驚いたが、声に張りはあり、若々しかった。
 だが、奥様の安否を確認すると、障害者一級になり、自身も「肺に穴が開いて入院し、退院したばかりだが、もう歩けなくなった」と言う。そして、ひとつだけ、普段と違う話を私に伝えてきた。


「あのね、私があなたのことを忘れられないのはね…」

(はいはい、なんでしょう……。)

「空港で別れるときに、あなたが唯一、私にハグしてくれた人だったから。」

 それを聞いた瞬間、私の頭の中に神様が流れ込んできた。神が、この89歳の老人の脳裏に、ちっぽけな私の記憶を残してくださっていた。先日書いた、中嶋悟じゃあるまいし、生きている価値があるかどうかもわからない私が、彼の思い出に残る栄誉といったら、この上なかった。
 しかしそれは、ひとえに、神の技だろう。すぐさま、聖書の言葉が浮かんだからだ。

【いつまでも残るのは信仰と希望と愛です。その中で一番優れているのが愛です】

 そのハグは愛だったに違いない。わが人生で最良の行動だった、と私はドラマの1シーンのような情景を想像し、うっとりとした。が、講師は言った。

「彼、そのとき何歳?40ぐらい?」

私は性的な意味にとられたのかと思い、一気にげんなりした。

「たぶん70過ぎだったと思うけど…。」

講師は誤解していたのかもしれない。私は彼の妻とも親しく、きっと空港では、婦人にもハグをしたと思う。が、それはさておき、私はこの老夫婦に対して、毎年何かしたいと思いながら、忙しさにかまけて忘れてしまう。今年こそ何かしたい。しかし、何をしよう?!

 そう考えながら、次に礼拝へ出かけた。

 この日は、この後まさか、後で話す予定ではなかったが、外国人へ紹介するのにピッタリの教会へ出かけていた。というのも、そこは英会話教室から近く、英語で聖書のメッセージが行われていて、私は手元にあるプリントの翻訳を見ながら、その話を聞いていたからだ。
 
 この日は「Treasure in Heaven (天にあなた方の宝を積め)」という話だった。
 折しも、前日に私の女友だちから聞いた、大量の豚が崖に落ちて死ぬ話と似ていた。何を言ってるか分からない人のためにまとめると、要するに、神様よりも、この世で大事に握り締めているものがあれば、それを手放せ、というテーマだった。

 「連続して同じような話を聞いたから、私にとって、この世で握り締めている偶像は何だろう」と考えていたところです」と、講師に言うと、「面白い」と言う。
 
「僕も、ちょうど昨夜、イギリスの妹から連絡があって、自宅にある大量の本をどうするか、と聞かれてね…」

 ちょっと話がずれていたと思うが、ともかく、私の行った教会名を彼は、ネットで検索し、まんざらでもない風だった。「僕は無宗教だけど、こういう話は好きだよ。どうもありがとう」と言われた。


 私はレッスン終了後、その日がおかしかった。
一日中、聖書がメインテーマとして流れていて、前日に聞いた女友達も、89歳の紳士も、イギリス人も、私にとって、すべてがシンクロニティ(意味のあるつながり)であった。

by桜子

心、この不思議なるもの

今日はもうダメだ、と思った。

似た境遇の人に、自分の境遇を訴えたら、気持ちをわかってもらえるかもしれないと期待した。
もしかしたら、慰めや、示唆に富んだ言葉が返って来るかもしれない。

だが、瞬時に飛んできたリプライは見るまでもなかった。人に、多くの愛を求めるのは酷というものである。

時折、私の周りにいる、すべての人が自分の敵のように感じるときがある。が、落ち着いて考えれば味方は多い。仮に、たとえ、一人だったとしても、私には神がいる。
それが、信仰だ。


神はいる。
全てのことに意味はある。
必ず、すべては益に変えられる。


聖書をふだん信じていて、私は毎日、祈っている。心から信じているつもりなのに、本当に信じてはいないのではないか、と揺さぶられる時がある。
私は、朝、近頃はきちんと祈っているから、きっと穏やかな顔をしているに違いない、と思っていたが、私の見ている鏡と、家族が見る私は、違うものが映っているらしい。
私はいつも怒っている、と家族は言う。

いや、神様、もうダメです。私は、いっぱいいっぱいです。誰も助けてくれません。

夜明け前は最も暗いーーと言う言葉を思い出しながら、私は嘆きや呟きを抑えようとしながらも、こぼれていく心を抑えられなかった。

けれど、しばらくして、もう一度その言葉を思い出してみる時、空が最も暗いなら、まもなく陽は昇る。東から朝日がやってくるのではないか。だとしたら、今が堪えどきである。




明日もやっぱり、祈ろう。
この道を信じて、ついていくしかない。

泣いたカラスはもう笑っていた。