カテゴリー別アーカイブ: 身の周りのニュース

mountain ranges covered in snow

まさか叔父がイッテQに!74歳の挑戦に思うこと

久しぶりにつけたテレビに、まさかの天国じじい。

最近、ずっと机に向かっていた。
勉強しなきゃいけないことがあり、社交、仕事、家事を控えて過ごしていた。

一区切りついた日曜の夜、食卓で娘が何気なくつけたテレビをぼんやりと見ていた。
久しぶりに画面越しの世界に触れた気がする。

その時——。
「えっ?……ちょ、待って!」

画面に映ったのは、まさかの叔父だった。

74歳の挑戦、登山家の叔父

叔父は74歳。イモトさんとの登山は7年ぶり。
この間、イモトさんは「ママ」となり、叔父は日テレにもう出ないものだと思っていた。

驚きすぎて二度見、いや三度見した。
第一、叔父から番宣は来てなかったし…!
興奮しすぎて、この日は思わずLINEでたまたまピンとくる人に連絡してしまった。

「いま、叔父がテレビに出てるんだけど!」

ああ、すごい。

叔父は、私の母の弟だ。
母は今、家に引きこもっている。私が電話しても、電話に出ない。
父に連絡したけど、このテレビを見られるだろうか?

私はテレビ画面に釘付けになった。

「ここから先は登れない…」

イモトさんと叔父が山に登る姿を見て、胸がじんとした。

滑落した中島建郎さんの話も、私は確かに昔、叔父の会社で建郎さんと会っていたと思い出し、「叔父の秘蔵っ子」という死の悲しみやいかばかり、と二人の目に光る涙に心苦しくなった。

ああ、やっぱり山は怖い。
命がけなんだよ。

そんな叔父は、以前、私の連載に無償協力してくれ、
その時に登山をするときの注意を話してくれた。
(※残念ながら、その記事はサイト閉鎖にて閲覧できず)
それで、山がいかに危険であり、リスク管理が大切かという話を聞いたのだけど、
この日はなんと、叔父がリタイヤするという、私の視聴市場初のシーンが出て、非常に心打たれた。

老いの現実を伝えつつ、その諦める選択をした姿は、悲しみとともに、美しく見えた。

夫は、「叔父さんは自ら退くことを決断できる人なんだね。それってなかなかできないよね。」と尊敬の念を込めていった。

ああ、そうだ、以前も、こんなシーンがあった。


何十年も前のこと。
新聞でも報道されたけど、
エベレストにあと少しで目標達成というとき、諦める決断をしたことを聞いた気がする。
私はそれを思い出すと、私はつい、母の言葉を思い出してしまう。

「神様は傲慢を嫌うから気をつけてね」と、ネパール出発前に、母は叔父に伝えていた。
彼がそれを思い出したかさておき、それがあって、今生きている叔父がいる。
もしかしたら、命を落としていたかもしれなかった。

その目立たない「ものすごい勇気」に、私はまた胸が熱くなる。
命あってこその人生。
生きていることは、それだけで素晴らしい。
私、あの人の血が、流れているんだよね…とぼんやり思った。

挑戦し続けるって、すごい

私の叔父は、74歳になっても挑戦を続けている。
私もまた、精一杯、人生を歩みたい。

久しぶりのブログ更新ですが、仕事の時間休をとってまで、書きたくなった今日の想い。
みなさんは最近、どんなふうに生きていますか?

色々あるけれど、一緒に前に向かって、天を仰ぎ、生きていきましょうね!

by 桜子

新年

「私なら神に尋ね、私のことを神に訴えよう」(ヨブ5:8)

新しい年が明けた。
わが家は昨年末に引っ越しをした。

思えば人生で、引っ越しとほぼ無縁で生きてきた。結婚の時も、夫の家に転がり込んだ。だから、荷造りから当日の心得まで、大変であった。


引っ越してすぐ過労で寝込んだ私は、一週間ほど経ってから、夫とご近所へ挨拶巡りをした。
すると、隣は、私の同級生のお母さまが単身住まいであり、
わが家の上は、知り合いのクリスチャンの妹さんがこれまた単身住まいと分かった。


「まるでこの家に住みなさい、と用意されたかのようだね」と、夫は驚いていた。私もたまげた。
いつも不思議なことが起こるわが家だが、そもそも、近所の挨拶だけで、どうやってお互いの素性が分かったのか、という話である。が、これは、割愛する。

兎にも角にも、
私たちはごく自然な流れで、ご近所さんらと知り合い、この新居は神様が用意された、という確信を強めた。

で、あるならば、この地で暮らす私たちの生活を、神が祝福しないはずがない。
磁石のマグネットのように、わが家が用いられたらいい。
何しろ、駅から近いから、うちは便利だ。

今年も神と共に歩む暮らしを胸に、人が生きる意味や日々の仕事や生活について思い巡らす。
皆さんの新しい一年に、神の恵みと平安がともにありますように。

by桜子





Chip Tanaka

世界の作曲家、Motherの田中宏和氏と会う

最近思ってること。

「思ったことはやりましょう!

我々にはもう、ためらってる時間はあまりない!」

大泉 洋

ほんとそうだよね。誰が見てても、見なくてもいいじゃん。
面白かったことや、うれしかったこと、気づいたこととか、書いちゃおう。

ってことで、先日は作曲家のたなかひろかずさんに、バッタリ会った。
昼休み、めったにいかない夫の会社に寄ったら、得した~。
ポケモンのテーマソングを作曲し、ゲームミュージック界のマエストロとして世界的にも知られる有名人であり、「田中宏和という同姓同名運動」で3番目の人。(私の夫は2番目)

「同姓同名運動でも見かけないレアキャラだー!」と私は、彼に会って年甲斐もなくはしゃいだ。
初対面だったので。そして、なぜか、この日はいっぱい話せ、フランクな方だったことも、とてもうれしかった。

奇しくもCDを発売したばかり!糸井重里さんともイベントされたばかり!
MOTHERのおんがく。 – ほぼ日刊イトイ新聞 (1101.com)

More Lost Tapes byたなかひろかず

宣伝しときますね!ってブログ掲載許可もらった!記事はこちら→たなかひろかずは「MOTHER」の音楽や“めざせポケモンマスター”をどう作った? 佐藤優介が聞く世界的作曲家の秘話 | Mikiki by TOWER RECORDS

一緒に写真で、ありがとうございます!

私、超うれしそう。
この日は仕事でストレス過多だったから、ものすごい気分転換になった。

ミーハー魂、炸裂。
恥ずかしいけど、今日も、神様のキセキに感謝。

by 桜子

パプアニューギニア国旗

パプア大使とイッテQの妙

神様はいつも人生にちょっとしたスパイスを落としてくれる。


去年わが家は、ちょっとした小さな縁で、パプアニューギニア大使一家と親しくなった。
私はたいして英語が出来るわけでもないのに、ニュージーランドから帰国したばかりだったから、次なる地はパプアニューギニアか?!と神の導きを感じて、パワーで英会話に励んだところ、彼らが食べたいというラーメン屋さんへお連れするという光栄に預かった。


そんなわけで、それまでパプアニューギニアの場所すら心もとなかった私が、地理や民族を知るにつれ、興奮したのは、日テレで「イモトのパプアニューギニア特集」があると知った夜だった。

すぐさま大使夫人にSNSを送った。
「今夜あるよ」

さほど気合もいれず連絡したそれが、やがてわが家での録画鑑賞会に発展していった。
見逃した夫人が、データを求めたので、困った私が、「うち、録画してるから見に来れば?良かったら夕飯も一緒に」と言ってしまったせいだった。

メニューは、悩んだ末、B級グルメにした。以前彼らが恵比寿のラーメン屋さんに舌鼓を打ったため、たこ焼きを前菜にした。これは、日本のストリートフードだよ、と紹介したら、美味しい!と喜んでくださった。

で、メインディッシュが日テレの録画データ。
珍獣ハンターイモトワールドツアー in パプアニューギニア|世界の果てまでイッテQ!|日本テレビ (ntv.co.jp)


放送では、「パプアニューギニア人は笑いやすいので、こんな小話でも笑うか?という街頭実験が行われていた。映像では、現地の人たちが大笑いしていた。
これは、日本人だったら絶対に笑わないような話で、私は映像の意味を解説しようと彼らの方を向いた。

そしたら、
な、な、なんと、すでに一家が隣で笑い始めていた…(!)


オーマイガッ!
実験が本当に正しかったと、私は日テレさんに連絡したくなった。
番組で説明していた通り、パプアニューギニアの人たちの笑いの沸点は低かった。
意味が分かる私と主人と娘だけが顔を見合わせクスリと笑った。



富む者と貧しい者とは互いに出会う。
これらすべてを造られたのは主である。(箴言22:2)



by桜子



mountain ranges covered in snow

K2滑落、日本人登山家2名の捜索打ち切り

中島建郎さんのニュースはショックだった。お目にかかったことがあったように記憶していた。
K2滑落の日本人2人 救助活動を打ち切り 所属会社が発表 | NHK | パキスタン


瞬間的に、叔父がエベレストに旅立った日を思い出した。
あの日、自宅には私と母とおばあちゃんがいて、祖母の黒電話から、成田空港にいるという叔父が、「これから山に行ってくる」と言った。ギリギリまで言えなかったのだ。
あのときの祖母の背中や、母の顔、祖母の室内の感じを今でも覚えている。
何があってもおかしくない。母は叔父のことを毎日一生懸命に祈っていた。


最近、テレビで登山番組が身近に流れて、登山がエンターテインメントの一つに写ることがある。
技術は進化し、大昔のそれより楽になった部分もあるのかもしれないが、山は山。行けば、大自然の中で頼れるのは自分だけ。

捜索は打ち切られたけど、もしかしたら、どこかで生き延びている可能性もあるのか。

私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。(詩編121:1)

この聖書の言葉の続きには、私の助けは神から来る、と書かれている。

by桜子

moon in wonderful blue sky in evening

Nothing is impossible(2)

「人にはできないことも、神にはできる。(ルカ18:27)」

ブログ更新が滞っている間に、新規プロジェクトが2つ取り去られた。
一つは、賑やかなニュージーランド一家が、日本を満喫して、無事に帰国した、ということ。
そしてもう一つは、中1の娘が渋谷の家を出て、私の父のもとへ行き、そこで暮らしはじめたこと。

私はニュージーランドの家族をもてなす気力はゼロだったが、
全部できたし、箱根にもいけた。
それは、めちゃくちゃ楽しかった。
そして、わが子が早くも独立した。

どちらも全く予想外だった。



娘がいない家は静かだ。
私は、意気揚々と家を出る娘を見て、苦々しく思う(娘は私をうざったいと感じている)と同時に、妻を手放さざるを得なかった父のもとへ、”太陽”を送り込んだ気がした。


かようにして、神の計画と言うのは人には計り知れぬものである。

by桜子

Nothing is impossible

3月、私は怒涛の介護生活は突然に!をブログに書いた。
私は、助けを求めていた。


その結果は、神のみぞ知る。
が、一つ伝えたいことがある。
それは、自分が、やっぱり神に選ばれし者だなって感じているってこと。



実際のところ、私は先月こんなふうに思っていた。


ああ、なんでこんなに疲れるんだろう?!
そうだ、新規の案件がたくさん走っているからだ!
仕事も新規プロジェクトだし、プライベートも新規プロジェクトが2本、走っている!
中1の親になるのも初めてなら、介護も初めて!
3つの案件が同時進行で走っているからパンクしそうなはずだよ、オイオイ!!!

って感じ。

こうなると、脳が疲弊して、誰に連絡するかを考えるだけで、頭がシューシューと沸騰したヤカンのように音をたててくるので、何も考えずに済む外部のメンタルヘルス機関に電話した。



と、

こんな私に、神はさらに新規案件を投下してきた。
それは、ニュージーランド一家の来日(17日間)である!


昨年、私たちはニュージーランドにいて、家を失い大騒ぎであった。
この変な日本人家族(私たちのこと)が帰国後、なんと、私達ロス(=あんたがいなくなって寂しい)になってくださったニュージーランド人のご家族がおられて、時折私たちはビデオ会議などをしていたのだが、半年以上前に「会いに行くよ!」と計画くださっていた。



私にとって、大好きな彼らであるが、今の私は彼らをもてなすのも、一緒に観光へ出かけることも厳しかった。



だが、夫は彼らの提示してきたスケジュール表を見て、

「え?!毎日うちに来ないの?毎晩、うちで食事かと思っていた!」
と、呑気であった。

「いや、それ、私が困るし…。私、まったく余裕がない」と低い唸り声をあげる私に、

「僕、あるよ」と、夫。


夫も私と同じように疲れているのに、この差は何なんだ!と信じられない思いがした。
同時に、そんな彼が誇らしく、尊敬の念もあり、どうしたら私も彼のように振舞える大人になれるのか、と考えた。


by桜子


つづく。


close up photography of a girl eating bread

地域で愛される子ども食堂

「子ども食堂」という言葉がある。
知っている人はそれが何かすぐわかるし、わからない場合、私はその説明からする。

簡単に言うと、子供を集めて食事する場、ということになる。
が、今日までおそらく多くが想起するのは「貧困世帯に食を提供する場」=困り事を抱える人の場、ではないか?


私はこの、「子ども食堂」というネーミングが、非常に良くないな、とずっと感じている。
2021年、東京大学先端科学技術研究センター特任教授の湯浅誠氏が「つながり続ける こども食堂」という書籍を出版した。それによれば、子ども食堂の定義は次の通りだ。

「こども食堂・地域食堂・みんあ食堂などの名称にかかわらず、子どもがひとりでも安心して行ける無料または低額の食堂


読んで、唸った。こう書かれていると、連想するのはこんな感じか?
==================================
 子どもがわざわざ自宅以外の場に出かけ、食事をする。
 →何か特殊な事情があるに違いない!
 →両親がいない?(かわいそう!) →食べ物がない?(かわいそう!
==================================

 書籍には「福祉っぽい、イメージ?」とあった。人が誤解するのは仕方ないと言えよう。が、実際に、子ども食堂が目指すのは、「子ども」は単なるパワーワードで、焦点をあてているのは、老若男女問わず、地域の全住民が集まれる場づくり、だ。


 ・人をタテにもヨコにも割らない場所
 ・地域へ「つながりの提供」

 

誰かが「場」を提供する。
そこに、年齢も属性も多様な人が行く。

会が持続していくごとに、集まる人たちの相互理解が進む。
そうしたら、同じ地域に住む人たちが、なんとなく誰かを気にして、緩くつながる。そして、一つの居場所に(気がつけば)なっている。それが子ども食堂の目指すところだろう。

だが、残念なことに、人が集まれば当然、トラブルもあろう。意図せずとも、誰かが傷ついたり、傷つけられる。それは「子ども食堂」に限らず、コミュニティーすべてに起こりうる。けれど、それらすべてをまるっと受け容れて、明日を信じ、実行する。

さて、このような事業体は、「金銭」の対価なしに、どこまで存続しうるだろう。
真のチームは衝突を乗り越えてこそ、成長するチームになるが、私はそんな団体を知らず、もし読者の方に、知っている人がいたら、教えてほしい。



子ども食堂を運営するには、少なからず勇気が必要だ。
そして、運営するには仲間がいる。
どんな形であろうと、その思いに共感して参加する、参加者も必要だ。
そして、運営者たちの生活や活動を支援する枠組みも必要で、現在その活動が広がっている。

核家族化、少子高齢化が進む社会は、孤独を感じる人が多く、生きる希望を失いがちだ。

「私がしっかりしなければ」という精神で、今なんとか機能する社会は、男であれ、女であれ、大変な時代だ。


私は、地域が良くなることを願っている。
東京がもっと暮らしやすい街になってほしい。
日本が、もっと、もっと、住みやすくて生きやすい国になればいいと願っている。


by桜子