タグ別アーカイブ: 聖書

white flush door

誰にでも与えられている扉

いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。(ルカの福音書18:1)


夏休み、私は経営者の友人と、渋谷のVIRONで再会を果たした。
彼女は好調だった事業がコロナで危うくなった経験から、第2の経営の柱のために、医療の猛勉強中だった。看護や医療に疎い私は、話に満足して帰宅した。



その夜、珍しく独り暮らしの義母(84歳)から夫に電話がかかって来た。


「もしもし、今、私、病院にいるの。転んじゃって。
 でも、なんともないから。
 だけどもう夜遅いし、足も痛いから、病院に泊まらせてって頼んだとこなの。」



結局、のちにこれが、大腿骨頸部(だいたいこつけいぶ)骨折、であって、
当直医師は「何ともない」とレントゲン診断をしたが、実際は翌日に念のためとCT撮影をしたら大事であった。
義母の「頼むから、ちょっと泊まらせてよ」というお願いは、功を成していた。

だがしかし、そもそも、なぜ転んだのか。
聞くと、たまげる話が満載だった。


友人のお見舞いと病院へ出かけた義母が、帰りのバスで、運転手さんに呼び止められた。
高齢者乗車券の不正を疑われ、そのアナウンスに驚いた母は、ちょうど下車途中だった。
振り返った瞬間、階段でバランスを崩した。
ゴロンゴロンと、地面に落ちて、動けなくなったと言う。

しかし、ここからが凄い。
横たわった母を、運転手さんらはバスに乗せた。そして全乗客を降ろすと、病院まで救急搬送。
大型バスが、病院まで一直線。嘘みたいだが、ホントのようだ。


で、義母の話に戻る。骨折後、すぐに手術が必要ということで、私は聞きなれない医療情報に混乱した。そこで、VIRONの女友達を思い出し、連絡すると、手術の詳細や、注意すべきポイントを一切合切、教えてもらった。彼女とのお喋りさえ、「主の山に備えあり(創世記22:14)」であった。

84歳の彼女は、

・寝たきり
・合併症

の可能性があると宣言され、私は途方に暮れた。
今後の生活はもちろんだが、
それ以前に、入院中、遠方にいる義母が、誰からもケアされず呆けてしまわないか。
寂しさに潰されないか。

祈るしかない、と思った。
その上で、出来ると思うことは試みた。
義母の住む地域に、クリスチャンの姉妹方が数名いたため、思い切って祈った後に連絡をした。
が、残念ながら、誰も繋がることはなかった。
そのため、私はご縁があった人には祈りをお願いした。
幸い、
母は祈られることに全く抵抗がなく、後にそれを伝えると、「祈ってくれるの?うれしい!」と素直に喜んだ。


そもそも義母は、身寄りが私たち家族しかいない。
クリスチャンの友達もいない。
難病だった義父が召されてから、引っ越しをしたため、周囲に友達が少し居る程度である。





だがしかし、主の御名は、ほむべきかな。





一か月半が経ち、義母は無事に、退院したのである。
健康的な食生活のお陰で、少しスリムになって健康的にすら私には見えた。


私は今回、義母の入院で、彼女の人柄を改めて知り、どういう余生を望んでいるかを知った。
今の所、うちに来たい気持ちはないという。
退院した夜、義母に電話すると、声が弾んでいた。


「家はやっぱりいいねえー。今日は、夜更かししようと思って(笑)。
9時半消灯だったから、テレビがいつも、いいところで消されちゃうの。
今日はね、11時まで夜更かしするから…(はあと)」



いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。
(ルカの福音書18:1)




「いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために」のくだりを読んで、
私はたとえ話でなく、実際に起こった、わが家の出来事を本日はシェアしてみました。



ですから、皆さん。元気を出しなさい。(使徒27:25)


誰もが明日に不安を抱える今日です。
でも、誰も明日のことは分からない。

どうぞ、今日もお1人、お1人が、希望の扉を開けられますように!


by桜子

forest

祈ってください(2)

先日、祈ってくださいと書いた。
これについて、信仰は、「自分と神の問題」であるから、他者の祈りを求める、というのはどうなのか?!
という見方がある。


信仰は、自分と神の問題だから、他者に助けを求めない。
神のみに助けを求める。
そういう信仰者もいると思う。
なぜなら、「信じる者は山を動かす力もある」と聖書に書かれている。



先日、「祈ってください」と書いたが、私は軽はずみに書いたわけではなかった。
私もまた、大いに迷った。
書くべきか、否か。
正直、誰かにお願いするのは、大変な勇気がいる。
拒否されたら、悲しい。
理解してもらえなかったら、落胆する。



でも書いたのは、私に二つのことがあった。

ひとつは、私は今大丈夫だけど、家族全員は大丈夫か、という思い。
実際、心は大丈夫と思っていても、夜になると目が覚めたりして、身体がストレスに反応し始め睡眠が危なくなってきた。(今は回復)

そして、もうひとつは、(実はこっちの方が意味合いが大きいのだけど)
私たちキリスト者がつながることは非常に価値が高いのではないか?と考えたせいだ。
皆で神がこれから何をするか一緒に味わう、その意味を考えた。


祈ってください、は扉を開く。
「何があったの?」
「そうか、そんなことがあったんだね」


1人で味わう奇跡もいい。が、奇跡はみんなで味わいたい。
そう、ニュージーランドの家のように。
7つも家を転々として、最後はあれだけ、完ぺきなハッピーエンドだった。

神が私たちの人生に設計されることは、必ずしも私たちの願う通りになるということはない。
が、「神はすべてを働かせて益としてくださる(聖書)」


祈ってくださる方に、知ってもらいたい。
神様はこんなことしてくれた、あんなことしてくれた。

聞いて、凄いんだよ。
リアルタイムで味わうと、その真実を一緒に体感できる。


私はちょうど、その奇跡を最近、味わっていた。
次回その話を書こうと思う。


どうぞ、良い週末を。


by桜子

a person holding a black letters

祈ってください

祈りには力がある。
私は、昨晩3時にふと目が開いて、色んな事を考えていた。その中の一つ、「祈ってください」。

ブログに書こうか?
「祈ってください」と書こうか?
神様が「書け」と言って、私の目を覚まさせたのかもしれなかった。

誰かがこの記事を読んで、祈ってくれるかもしれない。


細かいことは書けないけれど、どうか、家族の安全を祈ってください。
入院中の義母と、私の両親、弟、主人、娘のために祈ってください。
神様が最善を成す方だと、知っている。
でも今は、祈ってもらう時を迎えている。

誰に頼んだらいいのかも分からないから、神様に委ねてみる。
ググって見つけた、この記事にも励まされた。



今朝読んだ、「日々の光」9月4日のページ

娘よ。待っていなさい。(ルツ3:18)

その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心はゆるがない。
その心は堅固で、恐れることなく、自分の敵をものともしないまでになる。(詩編112:7.8)




今日にピッタリな御言葉!
今週一週間も、あなたも、あなたの家族も守られて過ごせますように。

by桜子

photography of monument valley arizona

神様だけにできること


今日、伝えたいことが1つある。
それは沢山の種類の神の中、主イエス・キリスト「だけ」に出来ることは何か、という話。

前置きが長いと、ここで読まなくなる人がいる。
だから一気に結論を書く。それは、

「死の解決」

である。

人の目にはまっすぐに見える道がある。
その道の終わりは死の道である。


笑うときにも心は痛み、
終わりには喜びが悲しみとなる。(箴言14章12,13節)



聖書を信じるメリットは、死の問題からの解放だ。
聖書によれば、イエスキリストを信じると、死んでも生きる、とある。


私はよみがえりです。命です。私を信じる者は死んでも生きるのです。(聖書)


死んで生きるってどういうこと?いやいや、人間、死んだら無でしょ、と思う人も多いだろう。

聖書はさらに、続く。


次のように書いてあります。
キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、
罪の許しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。

(ルカ24:46,47)


罪は、的外れ、という意味だ。
神様を知らない人生は、的が外れているんだよ、と聖書は伝えていて、
ひとりひとり、神様と共に歩んで、的外れを悔い改めて、神と共に歩んで、と言っている。

死んで蘇るなんて、あり得ないと思うけれど、もし神なら、あり得るよね?!
だって、


神にとって不可能なことは一つもありません。(ルカ1:37)


そう書いてあるから。



目に見えない神様なんて、信じられない!
私は10代の頃、そう思って、神様がいるなら、目の前に出て来て!と何度も祈った。

その答えもまた、聖書に書いてある。


イエスは彼に言われた。
『あなたは私を見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。』
(ヨハネ20:29)


見ずに信じられない者ですよ、私は…!などと言ってた私が、信じるようになった。
これもまた、神がなした一つの奇跡。
私は今、当たり前のように、イエスキリストとブログに書いているけど、
それをここに書いて、ひいてしまう読者の気持ちもよく分かる一人である。

かつて、聖書を否んで、たぶん多くの人が否んだり、疑ったりして、信じるようになった人たちなのではないかと思う。(※子供以外)



20年続いた、私のブログと、次の聖書の御言葉、について、ちょっと考えた。

私はいつも私の前に主を置いた。
主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。(詩編16:8)



振り返ると、聖書の御言葉(みことば)を、右に載せて、20年ゆらぎっぱなし。

お手本にならない話をたくさん、赤裸々に載せてきて、正直消したくもなるけど、
色々考えた末、削除しないでいる。


立派な人じゃなくても、
ダメダメな人でも、
神様は共にいてくださる。
こんな私が今でも神様を信じていることこそ、証といえるのかもしれない。

主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。(聖書)


これからも神様を賛美し続けられるか自信はまったくないけれど、
いつ自分もイエスを裏切るユダになるか分からないけれど、
今日の最後にこの御言葉を紹介して、終わる。



イエス・キリストは、
きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
(ヘブル13:8)



わたしの目にはあなたは高価で貴い。
わたしはあなたを愛している。

(聖書)



今日、あなたが神様を信じる日となりますように!


by桜子

silhouette of cross

ニュージーランドのローカルチャーチ

 オークランドで過ごす最後の日曜になった。天気予報ではイースター休暇は曇とあったが、朝日が美しく登り始めている。
 ここで日本との違いをいつも考えるが、カーテンを開くと一面に広がる空がなんといっても圧巻だ。視界を遮るものがない。自然の恵みを全身に浴びて、清々しくなる。私はこの景色を、鬱っぽくなった全ての日本人に見せてあげたい。もしその人が、自然や歩くことが好きなら、海岸を眺め、森林を散歩して、ストレスが飛んでいく。きっと回復できると、心から思う。

 今朝も私たちは朝9時半からローカルチャーチに行く。そこで、今日はニュージーランドの教会について紹介したい。
 
 そもそも、ニュージーランドであろうが、日本であろうが、日本人にとって「教会に行く」というのは、非常にハードルが高い。私の場合は、近所のアメリカ人家族に連れられて小学生で聖書を知った。が、そういう自然な何かがなければ、自発的に教会へ行くのは難儀だ。何か教会には、悩みがある人や弱い人が行く、というイメージがある。でもそうじゃないよ、ということを伝えたい。

thank you signage

なぜクリスチャンが教会へ行くのかと言えば「神様へ一週間の感謝と賛美」をしに行くのだ。

懺悔しに行くわけでも、願い事を叶えにいくのでもない。この点は強調したい。
そして、ニュージーランドに来たなら、ぜひ教会へ行くことをお勧めしたい。(日本でもいいけど…)


 教会へ行ったからと言って、その場所はあなたを包みこむような場所じゃないかもしれない。良い体験ができると保証できない。うちのメンバーであるイギリス人によれば、「どの教会も、うちみたいなところじゃない」と人差し指を立てて、教えてもらった。


 そう、どの教会に行くかで、雰囲気はかなり違う。だから、行く前に、あなたが神を信じる人でなかったとしても、心の中で「神様、どこに行けばいいですか?」と1回でも祈ってから、あなたが足を運ぶ教会を探して見つけ、体験してほしいと思う。


 そこが、あなたの人生を変える可能性は大いにある。だから勇気を出して、行ってみよう!

by桜子

Season2:ニュージーランドの家探し~短期移住6

2月1日。
1月に同居生活で経験したトラウマか、エヴァの家に暮らし始めても、私の心は落ち着かなかった。

ジョジョの奇妙な冒険ならぬ、わが家の奇妙な冒険fromニュージーランド



娘が、「ママが自殺する夢を見た」と言った。

私は、そんな夢を見させてごめんね、と謝った。
まだ、死なない。まだ死ねないし。

でも、頭の中では何度か、そういう思考が頭を遮った。
私さえ死ねば、万事うまくいくのかな、と考えた。
愚かだと十分わかっている。
でも、そうすることが幸せにつながるような気がした。


いつも怒っている主人の友達や、
イライラするエヴァは、
私が死んだら何かがスッキリするのかな。
それで、死んだら、怒らなくなるのかな、と考えては消え、考えては消えてった。


そういうわけで、エヴァの家でも、私は大変慎重にして暮らすのだが、私はまたもや、失敗を一つする。

この家は、エヴァとジョンがお互いに農場の家を行き来し、交互に管理していた。
エヴァの日が2日続くと、次にジョンがやって来た。

ジョンは口笛を吹いて家の中を歩くような人で、私は、この人がホストを担当したんだろう、と考えた。
エヴァはハーブの畑でタバコを吸う女性だったが、ジョンは掃除機をかける人だった。
それで、ジョンの滞在中、わが娘の入学式に備え、日本米を慣れないキッチンで調理した。

その際、こちらの強い火力で鍋を焦がし、うっかり鍋を台に置いたら、その台が少し焦げてしまった。
主人はこれくらい大丈夫、と言ったが、ジョンは一生懸命こすって綺麗にし、実際の所、傷が3か所できてしまった。

その日の夜も、結局のところ、私はひどく落ち込んで眠った。

ああ、神様ってちっとも私を楽にさせてくれない。
と私はなんで自分がこのニュージーランドでこんなに苦労を強いられるのか、分からなかった。

あれもこれも、神のなさること、
と聖書にあるが、あまりにも、安らげる時間が少ない。



ああ、神様、どうしましょう、どうしましょう。
ああ、神様、助けてください、助けてください、

そうやって過ごす日々は、2月になっても続いた。
そして、夜、お布団に入るときだけが、私にとってすべてを忘れられる瞬間であった。


by桜子



追伸:こぼれ話

日本にいる人が、「よく神様に文句を言わないですね」と、私を想ってくださって、「無理しないよう、正直であれ」と助言を下さった。けれども、私はこのブログをかなり赤裸々に書いていて、不思議と神様を恨んでいない。
※今のところ

たぶんこれは、私は若い時に、たくさん天に唾を吐いて過ごしたため、神を憎むことは人にとって最大の間違い、と知っているせいだと思う。
とか言って、この先もしも、神様を憎むことや悲しませることを書いたらごめんなさい。


woman carrying girl while showing smile

苦しいニュージーランド生活2

「ごめん、ママ、もう祈れない。代わりに祈ってくれる?」

娘はいつのまに成長したのか、私のために、心を込めた長い祈りをしてくれた。
この子が生まれたのは、私を助けるため。
そうとしか思えない瞬間だった。
どっちが親か分からない関係だが、私がどうしても苦しくて立てなくなった夜、それが自分を救う方法だった。



いつもの試練のレベルを超えている。
日ごとに、連続して、新しい苦しみが生まれる。
今まで味わったことのない試練の種類。
ここまでくると、どうやら、神様は私たちに何か言いたいのではないか?と考えざるを得ない。
嫌なことが終わらない、止まらない。
夫は「呪われている」と言った。

ああ、そうだよな、聖書を知らない人はこういうとき、お払いに行くんだよな、と私はぼんやり思った。


私は痩せたが、夫も痩せた。
彼もまた、胸を痛めて辛そうだった。
気が付けば、私たち家族は、家族だけの空間になると、いつも祈るのが常になっていった。



先週、パスポートの入ったバッグを失ったときは、さすがに思った。
これはもう、絶対に私のせいじゃない…!
「確実に」神が私たちをそのような環境に置かれた、と思った。

何のため?
主は私に何を語ろうとしている?

その翌日、アイススケート場で娘の指が、他人のアイススケートシューズにひかれた。
どちらかといえば運動神経が良い娘が、たまたま転倒して氷上に指を置いた途端、指をひかれる、なんて、こんな偶然あるだろうか?

病院を2か所廻って、緊急外科手術。
幸いなことは、指がちぎれたわけではなかったこと。
爪を完全にはがした。そうしなければ、と言う。
でも、爪なら髪の毛と同じように生えてくる、ということだった。


手術中に泣く娘を見るのは辛かったが、
娘はその前、病院から病院へと移動する時に、外の景色を眺めながら、
「主我を愛す」を歌い始める私に、
「・・・それ、英語の歌詞でなら知っている」とぽつり言い、Jesus loves me yes I know…を彼女が歌い始めた。

そうだね、ここニュージーランドだから、英語が良いね、と私は言って、
娘を抱き、車中で2人、慣れないこの曲を歌ったことを、私は生涯忘れないだろう。


私たち夫婦はけして英語が得意ではない。
それでも連日の苦難に、喋らなければ、伝えなければ、パスポートの話を警察と出来ないし、
娘の手術も2通りあることを判断できないし、決められなければ、次の病院にもいけない。

毎日、毎日、必死で生きてく。
そんな生活は、日本じゃ味わえなかったね、と、言って、
今回ずっとこんな暮らしをここでしている。


私は今週になってふと思った。
これは、私たち家族一人一人が、神様との関係を問われる、信仰の旅なんだ、ということを。

by桜子





faceless unhappy woman covering face

苦しいニュージーランド生活

人生はいつも、私たちに色んなことを教えてくれる。

私はNZに来て以来、キラキラのイメージと真逆の生活を、けして誇張でなく、送っている。
辛い日々は私にウクライナとロシアの戦争を思い起こさせる。
それより、はるかにましな環境にいることは間違いない。
だがしかし、これはいったい、何なんだ?

日ごとに胃が雑巾のようにしぼられる。
私はすこし痩せた。

人は苦しい時どうやって耐え忍んで乗り越えるんだっけ?




NZで同居生活をスタートさせてから、部屋にいても、会話が聞こえる。
そのため新年があけたのに、私は日本に電話をしていない。
しかし、皆がいなくなった時、私は父に電話し、辛い胸の内を告白した。

すると、


「ばかみたい!…ばっかみたい!!!」



「こういう(苦しい)時こそ、楽しまなくっちゃ!


もっと上から物ごとを捉えるんだよ。
 さて神様、これから私をいったい、どうされるのでしょうか?、と(聞きなさい)」


私は弱っていたから、ただひたすら父の声を耳にして、ああ、この人めちゃくちゃメンタル強いな、と思った。


しばらくして、ほかの日やっぱり心臓が苦しくて、今度は母に電話した。
私は言った。

「苦しい…」


すると、母は言った。

「厳しい言葉を言うようだけど、あなたが成長するチャンス。素晴らしい機会を頂いています。」

「良かったじゃない。あなた、いつもなんだか、”私は仕事してます”って感じで、威張ってるもの。自分が小さくされるために、素晴らしい恵みを頂いています」


私は絶句した。
辛い時だから、ふだんなら反論する私も、なめくじに塩。
偉ぶってるつもりはないけど、そう見えるなら、確かにそうなんだろう。


でもどうしたら変えられる?って思ったら、自分の努力じゃ、やっぱり変えられない。
謙遜になるように、砕かれなければ…と、いくら唱えてもなれるもんじゃなし。
やっぱり必要な痛みなんだろうなあと素直に納得した。
それでも、

やっぱり苦しい。
何が苦しいって、書きたいけど書かぬ。
結局は、私たちクリスチャンは口を閉ざさなければならない。
ごくごく親しい人にはその心を吐露してもいいだろう。
でもできれば、それさえなくした方がいい。

悪い言葉を一切口から出さないこと。
それが神が私たちに求めていることだ、と私は分かった。


1月21日日々の光「朝」より===

患難さえも喜んでいます。
それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、
練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。



訓練と思って耐え忍びなさい。
神はあなたがたを子として扱っておられるのです。

父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。
もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生児であって、
ほんとうの子ではないのです。


すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが
後になると、これによって訓練された人々に平安な義のみを結ばせます。
ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。


by桜子



news inscription on neon signboard hanging on street

私の重大ニュース2022年

オープンダイアローグとは何か?
オープンダイアローグは、どのようにして人のこころを助けるのか?
対話の実践者になるとは、どういうことなのか?(中略)

2015年の秋、私はフィンランドへ行ってケロプダス病院を見学した。
そして、この病院がオープンダイアローグを一日で誕生させたように、私もすぐに自分たちのクリニックに取り入れようと、帰国した翌日…から、これを始めた。(「感じるオープンダイアローグ」森川すいめい著)

clouds



 今朝、障子を開けたら、窓の向こうに見える朝日と雲のミルフィーユがひどく美しかった。
都会に住んでいると、自然と無縁に思うが、高い所にある空だけは、いつも居住地を忘れさせてくれる。

(ああ、渋谷からも空は美しいんだよな…)


 私は海外旅行が好きだ。3日後、飛行機に乗って、4日後には違う国の空を見る。
だから、これから出会う景色にたくさん感動するだろうが、この渋谷の空の美しさもしっかり覚えておこう、と思った。


 毎年いつも、クリスマスを過ぎると、慌ただしい。この5年間、いろんな形でクリスマス会が与えられた。どの年も、その時々の感動と喜びがあるのは、神ご自身が、自分の会として、すべてをデザインされることに拠るだろう。
 

 そうして、2022年を振り返るとき、私の重大ニュースは、”「与えられた人生をしっかり生きよう」と思えたこと”だ。

1.オープンダイアローグに出会った
2.自分が生きている意味がわかった
3.生活が変わった

自分革命なので、このことは忘備録として書いておく。

先々続いていくのか、正直分からない。が、もう二度と、立ち止まりたくない、と思っている。とはいえ、愛する人を失ったときに、同じ思いで走れるかと聞かれたら、全く自信はない。

人は複雑だ。
でも、私は今の思いを大切にして、どこまでいけるか試してみたい。 

神のなさることは、すべて時にかなって美しい (伝道者の書3:11)



今年も一年、ありがとうございました。
また、ブログを読んでくださる希少な方に、本当にお礼を一軒づつ回って言いたいのですけど、
訪問先を間違えたら恥ずかしいので、やめときます。
でも、とっても感謝してます。


神様のお守りがお1人、お1人の上に豊かにありますように。
そして辛い時、苦しい時、独りぼっちに思えても、神がいるのかもしれない、と考えてみてください。
文末に、聖書の言葉をご紹介します。

by桜子



わたしを呼べ。
そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう
(エレミヤ33:3)






 

stress handwritten text on white printer paper

わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう

今朝は、冒頭から聖書のことばを送る。

先週金曜から昨日までの四日、日本は激動で、私はちょっと疲れた。
安倍元総理の銃撃は自分だけが悲しいのかと思ったら、日本全体が悼んでいて、影響の大きさと、愛され具合を、失って初めて知った感がある。そして7/11参議院選挙の自民圧勝。その裏で、元タレント今井絵理子再選や、生稲晃子当選の是非↓


さらには、暴露系YouTuberのガーシーが、ドバイにいながら当選、という報に、私は目を白黒するばかりだ。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」マタイ11:28

 聖書の有名な箇所について、あるメルマガのコラムを今日はご紹介。
=====================================

現代はストレスの時代と言われているが、私たちも無意識にもストレスを受けているものだ。学生は勉強が、会社員は仕事が、職場での対人関係が、主婦は家事がストレスだろうか。又、悩みや困難を抱えると大きなストレスとなる。どうする事も出来ない悩みを抱える時、身体まで壊してしまう。

重荷に苦しむのは、重くて担いきれないからだ。対処できる荷なら、重荷とならない。人生で時にこの重荷を経験する。そのような中、主が、「すべて」「重荷を負っている人は」「わたしのところに来なさい」と言って下さるのは、何と良い知らせだろう。

「わたしがあなたを休ませてあげます」と。数え切れない人々が主のもとへ行き、その通りに休ませて頂いた。ある人が、突如の重い病の発覚。ショックで途方に暮れた。茫然自失で、どうして良いかわからない、なすすべの無い中、「わたしのところへ来なさい」との主の言葉に、祈りに持って行こうと、主のもとへ行った。

ポツリポツリと、暗い心の内を告げ、大きな不安や恐れを、あるがまま告げて行った。心を打ち明け、注ぎ出し、主に助けを求めて祈っていると、不思議に、あんなに押しつぶされそうだった心が、落ちついて来て、自分でも驚いた。そしてこの事を、主に明け渡して、すべてお委ねした。

主にすべて知って頂き、受け止めて頂いた事で、心が落ち着いた。
そうしていると、色々な情報があちこちから寄せられ、良い医師と出会いがあり、治療の道筋が導かれて行った。共に負って下さる主と共に、治療に向き合える幸いに心から感謝した。
————
主に委ねたつもりでも次々と新しい不安が来る。不安に心が安まらないと主は遠くに思えてしまうが、実は今こそ主と最も近い。傍にいて聞いてくださる主に、何度も訴え少しずつ重荷を渡していこう。
=====================================
引用元:【日々のことば】  発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係り(※私とこの団体は何の関係もありません)

今日も疲れすぎない一日を

by桜子