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オープンダイアローグと私⑪森川すいめい氏に会う

私はごく普通の、渋谷在住ワーママだ。夏に、フィンランド式精神医療、オープンダイアローグ(開かれた対話)①に出会って、心はオープンダイアローグにロックオン。わが師は、第一人者の精神科医、森川すいめい氏。学友は、講座で出会った多士済々な23人。このシリーズは、“すいめいとゆかいな仲間たち”に出会い、オープンダイアローグを追う、私の個人的ログである。

* * *

10月最初の土日に、また渋谷区のオープンダイアローグ講座の続きが行われ、一か月半ぶりに皆さんと再会した。

先生は、私が8月に受講した感想文(このブログ)を見つけて、当時、書いた記事すべてリツイート(=拡散)してくださった。ちょうど、すいめいさんへDMする(=ダイレクトメールを送る)方法を考えていた翌日だっただけに、私はいま神様の御手にある、と家で飛び跳ねて喜んだ。

そんな先生と再会💛内心、すこし緊張していたが、先生は私を見ると仰った。



「靴……変えました(´◡`)…………。」

!!!

往年のドリフターズギャク、
天井から金タライが脳天に落ちてくる感じ、って言えば、伝わる世代には伝わりますかね?

*靴の秘密はこちら:フィンランド式精神医療、オープンダイアローグ(開かれた対話)③


私は、毛穴から汗が一気に吹き出て、大慌てで弁明した。
まさか靴を取り換えるなんて思いもしなかった。そんなこと、全く望んでないのに!


でも先生は、

「あの靴、ベロンって……取れかかっていましたから……」
と、穏やかな、いつものすいめい節で、ゆっくり言葉を紡ぎながら、少し笑った。(そう見えた)

で、一方の私は、のべつまくなしに、心の中で独りごとを言った。
(先生、私、もしかして、傷つけましたか?!もしそうならどうしよう!私、あの靴が好きだったのに!いったい、なんて私は書いたっけ?)

家に帰って当時の日記を読み返した。

***
なんと、くたびれたスニーカーだ。(後日その理由が私にはわかったが、それは後で書く)
あの靴が好きなのかな。その足元を、私はじいっと見ながら、この人はどういう人だろうと考えた。
***

そういえば、「後で書く」って、書いてなかった。
ああ、当時の気づきをもう少し丁寧に綴ると良かったのかしら?

私は彼の人となりを知りたくて、「NHKに出ていたよ」という情報から、過去の映像を見た。そこで、若かりし頃の彼に会い、靴はもちろん、圧がない理由も、把握したのだった。


このNHKの記事はぜひ、皆さんに読んでもらいたい。
すいめい氏の活動(路上生活者への支援)で始まり、彼の歴史に迫っていく。
私はよくぞ、この取材をしたとNHK取材班へ拍手を送り、取材と映像インタビューを許可したすいめい氏の懐の深さにも震撼した。


そういうわけで、あの靴は、彼の彼である証、と私は解釈していた。
だから、好きだったのに!


東奔西走しながら、
誰とでも水平に対話するための、
先生のくたびれた、スニーカー。

一方的に医療者が偉いみたいなことじゃなくて、
同じ目線で一緒に悩み、考え、『人生に答えはないよね』と言うことにとどまる
』森川氏。

今、彼の足元は新しい靴だけど、私の目には前と同じスニーカーに映った。
対話の旅に出る彼を運んで、きっとすぐさま、くたびれるだろうから。


毎日どんなふうに過ごしておられるのだろう。
ちゃんとお子さんと会えているのかな。奥さまと話は出来ているかな。
講座の後、早く家に帰れますように、と私は願った。


先生、私、書籍へのサインをされている姿を見て、それなら私も…なんて言ったけどね、
やっぱり私は遠慮しとくわ。

1分1秒でも早く、先生をパパと慕い、夫と呼ぶ、家族のもとへ帰ってほしい。
そうして、英気を養って、独りでも多くの人と対話し、かけがえのない時間を誰かと過ごす先生が安らげますように。

これからも応援しています!



by桜子


adult attractive beautiful brunette

オープンダイアローグと私⑩トラウマを持つ人との関わり

 私はごく普通の、渋谷在住ワーママだ。トラウマ、という言葉と無縁に生きている。

そう思っていたのは半月前までで、「フィンランド式精神医療、オープンダイアローグ(開かれた対話)①」のセミナーで女医さんから、「トラウマインフォームド・ケア」の説明を教わってから、考えが少し変わった。私にも関係あるかも、と思った。

 * * *
 前回、パワハラ上司の裏にトラウマありか、という気づきを書いた。本日は野坂祐子著「トラウマインフォームドケア」(*)に記載の事例から、他者のトラウマをどう認識するか、と言う点について考察したい。以降、性的虐待の記載があるため、不安を覚える方はどうぞ読み進めないでください。

=====!注意!=====性的トラウマを書きます。危険を感じる人は読まないでください。

ある中学校に、「義父から性的虐待を受けていた」という申し送りとともに、女子生徒が転入してくることになった。受け入れにあたり、学校ではこの生徒への対応を検討した。

おそらく生徒は男性をこわがるだろうと考えた学校は、女性教員を担当にした。…(中略)…ところが、転入してきた女子生徒は、男子生徒や男性教員をこわがるどころか自分から近づいていき、警戒心がない様子。べたべたと馴れ馴れしい態度をとるのが目にあまるほどであった。

拍子抜けした教員らは「もう、すっかり気にしてないようだ」と思い、支援体制は不要と判断した。むしろ、「あんなに隙のある態度だから、義父とのあいだに間違いが起きたのでは」という見方が強まり、支援よりも指導の対象とみなされるようになった。(野坂祐子著「トラウマインフォームドケア」より抜粋)


さて、これはどういうことだろうか?私がもし、教員の1人であれば、同じように考えた。そう思いながら、本を読み進めると、意外なことが分かった。そこには、大人の想像をはるかに超えた、肉体及び精神的ダメージが描かれていて、胸が痛む。長文になるが、筆者の記事をそのまま引用する。


一口に性被害によるトラウマといっても、幼少期の出来事と思春期以降に体験したものでは、さまざまな違いがる。また、加害者が身内なのか、見知らぬ人なのかによっても、被害の状況や影響は異なる。(中略)幼少期に身近なおとなから性的虐待を受けた子どもは、男性との距離感が近く、ベタベタして、性的にあけすけな態度をとることがめずらしくない。(中略)違和感を覚えても、からだや性器を触って来る相手の行為がいけないことだとは教えられていない。そもそも、子どもというのは、おとなとの触れ合いを求めているものである。「高い、高ーい」とからだを持ち上げられたり、脇をくすぐられたりするような、少しこわくて、ちょっと不快な感覚に興奮する。自分が知っているおとなを疑うことがないし、たとえ『いやだ』と感じても、子どもには断る選択肢もなければ、逃げ場もない。そのため、性的虐待を受けた子どもは、混乱しながら、その状況に適応するしかないのである。

 『おまえのことが好きだから』『これはおかしなことじゃない』『二人だけの秘密だよ(誰にも言ってはいけない)』という加害者の言葉を聞きながらからだを触れられてきた子どもは、愛情や信頼は性的接触とともに得られるものだと思い込んでしまう。性的虐待を受けた子どもが、親しくなりたい相手に触れようとしたり、相手の関心をひくために性的なアピールをしたりするのは、それまでに学んできた『人との関わり方』ともいえる。(中略)『からだと関わりかた』として身につけてきた方法である。

やがて思春期を迎え、加害者の行為が性的虐待であったことに気づくと、『自分はほかの子と違う』『自分のからだは汚れている』という考えにさいなまれるようになる。自己否定的な気持ちから自暴自棄な性行動が増えたり、「タダでやられるくらいなら、お金をもらえるほうがいい」と売春行為をしたりすることもある。加害者に裏切られたという思いだけでなく、加害者に懐いていた無邪気さや自分自身も快感を覚えたことに対して、自分のからだにも裏切られたように感じている。(以下略)」

 …さて、ここまで読んで読者の方はどう感じただろう?
 私はこの女児の内面と、これから起こりうる未来について全く知らなかった。心理学専攻でない私には、知らない話だし、もしかしたら心理学専攻の人でも、トラウマ専門でないと、このような機微に気づかないこともあるのだろうか。
 
 私はこの性的トラウマを知ってもらいたいのではない。それよりも、私のような無理解の人が引き起こす悲劇について、これは書かねば、と感じた。

 先に書いた通り「あんなに隙のある態度だから、義父とのあいだに間違いが起きたのでは」と(中略)支援よりも指導の対象と判断してしまうことへの恐ろしさがそこにある。
 いや、だって、仕方ないよね。トラウマを深く学んでいなければ、教育的指導として誰もが指導側に転じるだろう。だがそれは、児童の立場になれば、攻撃でしかない。
 
 関わる大人が、関わる教員が、無意識に指導するその言葉や行動は、その児童の心をさらにズタズタにする。指導という名の攻撃が市民権を得たら、その子の社会的転落は自明の理である。もしそうなれば、その子の未来はどうなるか。その子は、いったい、これから続く彼女の人生で、どこで心を救ってもらえるのだろう。
 
 そう考えると、本当にトラウマを持つ人との関わりは、周りの支援が欠かせない。同時にそれは、私たち一般人(と言っていいか分からないが、トラウマという言葉に深く反応しない者たち)にとって、大きなチャレンジでもある。私たちは誰もが誰かの他人であり、それはつまり、支援者の1人、ということだ。
 そこには、非常な忍耐と寛容と苦悩と疲労が伴い、人としての品性が強く求められる。

最後に聖書の言葉を紹介する。

新約聖書コリント人への手紙I 13:4〜8

 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。


今日も良い日曜日を!


by桜子



 

shallow focus photography of white flower

オープンダイアローグと私⑨トラウマを持つ人との関わり

 私はごく普通の、渋谷在住ワーママだ。トラウマ、という言葉と無縁に生きている。

 そう思っていたのは半月前までで、「フィンランド式精神医療、オープンダイアローグ(開かれた対話)①」のセミナーで女医さんから、「トラウマインフォームド・ケア」の説明を教わってから、考えが少し変わった。私にも関係あるかも、と思った。
 
  野坂祐子著「トラウマインフォームドケア」(2019年12月25日発行)を取り寄せた。「トラウマとは、生命にかかわるような危機とそれがもたらす影響を指す」とあった。災害等の事件、家庭での虐待、ネグレクト、学校や職場の肉体的あるいは精神的暴力もトラウマになりえるそうだ。ああ、やっぱり私にはあんまり関係がないかも、と正直なところ感じた。

 だが、「生命にかかわるような危険」を、「自分の安心、安全を脅かすもの」と定義したらどうだろう?私自身にも、身近な存在として、トラウマが出てくる。そして、トラウマを抱えた人は、そこここにいるんじゃないか、という思いに至った。

 というのも、私は以前、チーム会議で発言する場になり、上司の論理に対して私自身の見解を伝えた所、彼から早口で責められたことがあった。長らく、恐怖でしかなかった彼のことを私はその日ふっと思い出した。あれは、もしかしたら、私の意見の是非よりも、彼からすれば、彼の安心と安全を脅かす行為そのものだったのでは、と。そんなことが、トラウマを聞いて、ふっと分かった。

 こんな話は、一緒に対話した参加者からも似た話が聞かれた。まるで作り話のような、パワハラ上司の実態ストーリーは耳を疑うばかりであった。そして参加者の人と二人で、元上司へ思いを馳せた。
・色々不安を抱えていたのかも ・慣れない環境になじもうと一生懸命だったのかも
・本当は孤独だったのかも   ・結果を出そうと必死になって部下からの非難を恐れていたのかも 等々。
2人でそんな話をしていると、心の中はなんだか暖かく、しんみりとする。
 
 他者を知ること、そして、その人の過去に寄り添い、配慮すること。この視点は新しい。実践は簡単ではなさそうだが、生きていく上での示唆に富んだアプローチだ。

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近年、さまざまな研究から、トラウマとなりうる体験は稀ではなく、多くの人にとって身近なものであることが明らかにされておいる。そして、暴力や対人トラブル、薬物やアルコールへの依存など、“問題行動”とみなされる言動の背景には、トラウマが影響している可能性があることもしられてきた。
 野坂祐子著「トラウマインフォームドケア」より

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#しばらくこのトラウマシリーズ続けます。

by桜子

word sorry beside flowers on white surface

オープンダイアローグと私⑧

 神がゆるされるなら、先に進みましょう。(へブル人への手紙6章3節)


昨日は毒を吐いてしまい、すみません。
なるべく有益で、前向きな発信を心掛けているブログですが、久しぶりに、日と月曜は非常に、落ち込んでしまいました。でも、今朝読んだ聖書の言葉に、こんな言葉を見つけたのでした。

神がゆるされるなら、先に進みましょう。

昨日まででもう十分苦しんだわ、と割り切り、次、行きます。リクエストに応えて(桃ちゃん、LINEありがとう)続き。一般人のワーママが学んだオープンダイアローグの気づきを書く。


 私は8月中旬、渋谷区で2日間オープンダイアローグのセミナー(フィンランド式精神医療、オープンダイアローグ(開かれた対話)①)を受けて、雷に打たれた気持ちになった。それは、オープンダイアローグの創る社会ーーあえて、創る、と書きますーーが、即座に分かったからだ。
 正しくは、今度、森川すいめい医師に解答用紙をもらいたいが、オープンダイアローグの実践は暖かい社会をつくるため
 
 インターネットを検索すると、オープンダイアローグの解説に、「統合失調症、鬱、引きこもり、発達障害、認知症」とごく一部の人たちのため、のように思われる解説が並んでいるが、私が感じたことは、これ、今の日本に必要な、みんなのためのコミュニケーションの形じゃん、であった。

 だから、オープンダイアローグは、何も精神医療の世界だけでなく、一部の専門家間で取り上げる話題でも、手法でもなくて、社会全体で取り入れたら、私たちの暮らしはずっと良くなる。ああ素晴らしいね、って私は終わった瞬間、目の前に薔薇の花がひらひらと舞うように、心底、感動したよ。
 
 だけど、瞬時にこうも思った。身体は正直だ。分かった瞬間、心臓の鼓動が速くなり、いやいや、まさか、この日本で無理でしょ?ありえないでしょまさか、すいめい先生、これを広めたいの?いやいやいや、これを会社でやるとか無理だし。だいたい、今の社会で、ビジネスの現場で、こんなにゆっくり、他人と会話する時間なんてないんだから!!と。もう、手を上げたい衝動を抑えるのが大変でしたよ。だって、そんなことしたら、セミナーを邪魔しちゃうからね。

とまあ、正直な感想はこういうものでした。
けど、あれから今日まで約2週間余り経つけど、走りながら私は考えている。どうしたら、これをもっと広められるかっていうことを。そして、どうやったらビジネスの現場で、取り入れてもらえるかっていうことを。(アイデア募集中)

ああ、今日はもう寝よう。

今日も、もしこれを読んでくださった方がいらっしゃったら、本当に貴重な時間をすみません。
ありがとうございます。m(__)m

by 桜子

本日のおまけ ↓ 前半がちょっと前置き長いですが、後半ストーリーは感動!

3分52秒で流れる東大小国教授コメント必見 
学校の中が排他的な空気が非常に強くなってきている・・」←いや、そうだよね、わかるわ~。

blue skies

フィンランド式精神医療、オープンダイアローグ(開かれた対話)⑥

 ■ここまでのストーリー■
精神科医の森川すいめい氏から、オープンダイアローグを教わったワーママの私。実践演習をやると、思いがけない他者からの告白に汗びっしょり。(詳細:フィンランド式精神医療、オープンダイアローグ(開かれた対話)⑤

 1980年代にフィンランド西ラップランドにある精神病院、ケロプダス病院で開発された「オープンダイアローグ」(開かれた対話)は、社会的な革命を起こした。
 当時、欧州では共産主義政権が次々と倒され、一連の民主化革命が起こっていたが、その波が、精神的な病を持つ人にも民主主義を与えた。
 なにしろ、「頭がおかしい人の話は聞いても無駄」の常識を覆し、彼らの一生を、入院暮らしから、解放させたのだから(約8割が回復)。

さて、この魔法のようなオープンダイアローグと日本の精神医療の現場での親和性は今日どうか、というと、森川すいめい著「感じるオープンダイアローグ」によれば、「今のところ変わる気配はない
 皆さん、知っていましたか?日本は、世界の精神科病床数の1/5世界最多の精神科病院を持ち、長期入院者が世界一多い、ということを。私は全く知りませんでしたよ。なんだかこれって、日本の司法制度が北朝鮮並み(元エリート裁判官が日本の裁判所の実態を暴露!)と同じ。異物、と認定したものは徹底的に排除する国=日本だったんですね…。


 さて、前段長くなったが、(フィンランド式精神医療、オープンダイアローグ(開かれた対話)⑤))の続き。参加者から、セミナーで内密な告白を聞いて私は自分なりの感じた想いを吐露して、汗びっしょり…。

その話を、わが家に来た高校の同級生に私は、熱心に話していた。
 「辛い過去の話を聞けば、そりゃあ、聞く方は疲れるよね。分かる。で、桜子はどうなの?もう二度と、その人の話を聞きたくないって思ったの?」

 この問いは、私にとって大きかった。すぐさま、「いや、機会があれば、うちにその人を呼んで一緒に食事したいなと思っているけども…」と頭をポリポリ搔きながら、私は考えていた。
 聞きたくない、とは思っていない。それはそのあとに、その人が喜ぶ姿を見たから、つまり好転に向かったからそう思えたのかもしれないが、その人が、対話を重ねることでもし、もっと笑えるなら関わりたいな、と思っていた。

 実際、私がその人を自宅に招くかは疑問だ。だが、そういう心境になったのは確かだ。演習前日までの他人を、そこまで身近に思える不思議な力がオープンダイアローグにあり、“実践してみなければその境地はわかるまい”と最初の段階で書いたのは、そういう理由だ。

 お互いを知り合い、痛みを分かち合っていく。
昨今の、コロナだから、他者とソーシャルディスタンス必要だから、同居する家族以外のつながり薄こそ善であり、安心・安全と錯覚させる日本社会。その中で、オープンダイアローグを体得する、ということは、他者とのつながりを濃くさせることで、日本社会に真っ向から勝負を挑むような感じがする。

 
 筑波大学医学医療系保健医療学域社会精神保健学の、斎藤環教授は、これを、「日本の精神医療のパラダイムシフトとなるケア手法」と評している。
 2021年5月、WHO(世界保健機関)の地域精神保健サービスに関するガイダンス『人間中心の、権利に基づくアプローチの促進』において、グッドプラクティスの1つとして、国際的に認められた。


 是非、これを読んだ人には関心を持ち、開かれた対話を、大事な人や、そうでない他者ともやってもらえたらいいな、と思う。

※次回「トラウマインフォームドケアとオープンダイアローグ」へ続く。

gray scale photo of man lifted by people holding stratocaster guitar

フィンランド式精神医療、オープンダイアローグ(開かれた対話)⑤


永遠なのか本当か
時の流れは続くのか

いつまで経っても変わらない
そんな物あるだろうか

見てきた物や、聞いた事。
今まで覚えた全部、
でたらめだったら面白い。

そんな気持ち わかるでしょう

答えはきっと奥の方
心のずっと奥の方

涙はそこからやってくる
心のずっと奥の方♪

♪ザ・ブルーハーツ「情熱の薔薇」より♪



ここまで、長々と、講師の精神科医、森川すいめい氏と、オープンダイアローグの型を書いた。まだ序盤だ。

真骨頂は、この型を基本に実践する、リフレクティングにある。
この単語の意味は後述するが、私はこれを体験し、言葉に尽くせない感動を覚えた。

「開かれた対話、というのは、これか!」
と、目から鱗が何枚もはがれた。
目の前に光の粉がキラキラと輝き、舞っていくかのようだ。これは実践した者にしか分からない境地と思う。


そして、体感すると、冒頭のブルーハーツを歌いたくなるね。


永遠なのか本当か
時の流れは続くのか

いつまで経っても変わらない
そんな物あるだろうか

見てきた物や、聞いた事。
今まで覚えた全部、
でたらめだったら面白い。

そんな気持ち わかるでしょう

答えはきっと奥の方
心のずっと奥の方

涙はそこからやってくる
心のずっと奥の方




 
 誰もが、人生に何らかの傷を負って生きている。傷の大小あれど、人によって異なる傷は、どんなに他者に話しても、その人自身にしか分からない痛みだ。リフレクション、は、私流に訳すと、波紋だ。森川先生の著書(*)によると、リフレクションとは「話すことと聞くことを分けて、それらを丁寧に重ねるための工夫」だそう。

 例えば、ある女性が心をモヤモヤさせていたとする。悩みの元がわからないままでいい。何か感じるモヤモヤを、他者らに始める。その時、その人はただ、じっくりと聞く。質問や遮りは不要だ。
 聞き終わったら、彼女の前で(ここ大事)、彼/彼女は一切見ないで(ここも大事)、今の話を聞いてどう思うか、ということを他者らがまた話し、話した女性もまた静かに聞く(ここ大事)。これがその工程だ。
 

 「誰かが話しているとき、聞いている人は聞くことに徹する。何と答えようかとか、次に何を話そうかとか、考えながら聞くのではなく、ただ聞く。話す人も、自分が話しているときに誰かに遮られたりしないことを知り、安心して話したいことを話す。そのように話すことと聞くことを分けると、自然な会話が生まれてくる。そして、その分け方は無数にある。…(中略)…ただ、これだけのことだったのだが、この体験は、私の中でオープンダイアローグの可能性を大きく広げてくれた。話すことと聞くことをわけるだけで、対話が促進される。このシンプルな仕掛けは、無限に応用可能だ
 *森川すいめい著「感じるオープンダイアローグ」より



 私はやっただけで、ゾクゾクした。そして、演習では、先生が私たちに、「自分に負荷がかかった話を他者にしてください。ただし、この場は見知らぬ人同士ですから、話してもいいという程度の話でいいですよ」と仰ったので、私は、職場でのストレスを吐露した。

 4人チームになってやるとき、1回が話し手になり、残り3回は聞き手の役になる。

で、対話を始めてみるとまたもや不思議な信頼感が生まれる。先生は私たちを「チーム」と呼んだが、まさにチームワークであった。だんだんと、対話をミルフィーユのように重ねるたびに、みんなでやってやろう、という気になる。
 そして、その通りになったのか、2回目の演習になると、ある参加者は、非常に内密な告白をされた。演習だが、その人は話したかったのだろう。私は稲妻に打たれたように、固まってしまった。何たる事実。何たる衝撃。だって、その人の過去にそんなことがあったなんて、全然見えないんだもの!!!人は見かけによらず、涙腺が緩んだ。

 10分後、聞いた私たちが対話する番になった。全身全霊で、感じていることを話す。その人の顔は見ない。それはまるで、映画の感想をお互いに一所懸命述べあうに近い。しかし、映画は他人事、これは私事。1000%の心を込めて、その人について意見を述べた。きっと他の参加者も同じだったと思う。誰もが誠実に尽くしたはずだ。

 そして5分後、話者の番になった。その人は、「泣きそうになった」と、喜んでいた。皆が受け止めてくれたことをうれしいと言った。そして、のちにこの時の体験を、「浄化されたかのようだった」と評されていた。


何だこれは…。私は汗びっしょりだ。思いが言葉にならない。

⑥へ続く

alarm alarm clock antique bell

フィンランド式精神医療、オープンダイアローグ(開かれた対話)④

 ■ここまでのストーリー■
精神科医の森川すいめい氏から、オープンダイアローグの型を教わったワーママの私。先生の講座は、他のビジネスセミナーと全く違う。違いは、フィンランド式精神医療、オープンダイアローグ(開かれた対話)③へ。



さて、実践の様子を、より具体的に書いていく。

外見や、喋り方に、まったく圧がない、森川すいめい氏。
ホワイトボードに、「ダイアローグ」と、先生が書いたら、何人かの女性がくすりと笑った。
休憩時間には、写メを撮る人が何人もいた。
なぜか。

彼女らへ質問すると、「なんか、撮りたくなって」と笑う。
みんなは、先生を知っているのか?それとも、その文字が先生にしては、あまりにも大胆な書きっぷりだったからか?今となれば、私も写真を撮っておけばよかったと思うが、その文字はなんと、あんなに大きなホワイトボードだったのに、先生は文字を大きく書きすぎたために、横一文字にならず、「グ」だけ、下になってしまったのだ。

この面白い先生の話をしていては、先に進まぬ。
さて、次へ行こう。
実践へと場が移った時、先生は、ペアになった私たちに注意を与えた。Aが話し、Bへ交代するけれど、その合図はしないので、自分でやってみて、と言う。

 合図なしの姿勢は、その後も終始貫かれ、何を練習しても、終わりの号令がかかることはなかった。セミナーたるもの、時間通りの進行は必須だが、休憩時間のときさえ、先生は終わりの声を発しなかった。

では、どうやって終了を周知するか?

答えは、サイレントベル、だ。

先生が挙手をする。それに気づいた参加者は、手を挙げる。一人、一人と、それが増えると場が鎮まる。ザ・サイレントベル、音が鳴らないベルだ。


さて、この合図なしは、私を不安にさせた。
時間通りにできないと、周囲に迷惑をかける。今まで何度も時間には追われてきたよ。
そもそも、先生だって、進行上、困るでしょう??
仕切ってくれれば楽なのに、と思った。

「えっと…皆さんで…やってみたいと思うのですが…ここまでで…何か…言いたい……っていう方は…います…か…?」


私は思い切って手を挙げた。

「これって、傾聴力の訓練だと思うのですけど、合図がないと、私は時間内に終わるか不安です。ドキドキします」
と、私は言った。

自分の不安を伝えたのは、先生は結局のところ、ファッションも、トークの仕方も、態度も、全部、相手への配慮で、威圧感を与えず、安心感を与えるためだ、とだんだん気づいたからだった。
そのため、もし、私に不安があると伝えたら、そうしない理由を解説してくれると期待した。が、またもや、私の予想を超える反応をした。一言一句は忘れたが、反応はだいたいこんな感じ。

「ほう……傾聴力…。そう…ですか…。意見を…どうも……ありがとうございます…」と、なにやらうれしそう。(マスクなので分からず)

「そうですか…。ええっと……、それは…」

と、周囲を見渡し、隣の違う先生(※明日詳細を書く)に話しかける。

お礼を丁寧に述べる先生にやや面食らいつつ、私はどう判断されるかとドキドキした。
だが、傾聴力には触れず、なんだか嬉しそうに反応して、ゆっくり、ゆっくり、口を開いて、いろいろと脱線しているような感じを見せながらも(たぶん、脱線してなかったが、私は即答を期待していた)、最終的には、こんなことを言った。

「余裕をもって……いるので…(たとえ時間が長引いたとしても)大丈夫…ですよ…」


ああ、そうなんだ、そういうことなんだ。私が不安を覚えても、このサイレントベルはどうやら非常に大事らしい。

⑤へ続く

man in beige blazer holding tablet computer

フィンランド式精神医療、オープンダイアローグ(開かれた対話)③

オープンダイアローグ、訳すと「開かれた対話」は、基本の型がある。
初日に教わった詳細は、フィンランド式精神医療、オープンダイアローグ(開かれた対話)② に書いた。相手の話を聞き、自分が話す、それだけ。

 講師の森川すいめい精神科医は、著書でハウツーを披露することを控えていたため、私もそれに倣う。その理由は、この実践は、自転車に乗る感覚に似ている。口でいくら伝えても乗れないように、まず実践に意味がある。

そこで、初日に感じた、私の違和感を書く。
ビジネスの現場で私は多くの研修を受けてきたように思う。それとの違いが山ほどあった。

1.講師のファッション

メリルリンチの証券マンが、平日はユニクロを着ていると胸を張って自己紹介してくれたことがあった。が、足元をみたら、ピカピカの革靴だった。同様にして、カジュアル服といっても、特に人前に出る場合、多くの講師はスーツのような、きちんとした身なりをする。
むろん、森川先生は、白い長袖シャツを着ておられて、かっこよかったが、私の視線が止まったのは、足元だ。なんと、くたびれたスニーカーだ。(後日その理由が私にはわかったが、それは後で書く)
あの靴が好きなのかな。その足元を、私はじいっと見ながら、この人はどういう人だろうと考えた。


2.講師のトーク

「のんびりしすぎてるんだよ。はっきりいえば、のろまだ!ぐずだ!」(*てんとう虫コミックス『ドラえもん』第5巻「のろのろ、じたばた」より。

ドラえもんのひみつ道具に、クイックとスローと言う錠剤がある。飲むと、体と思考の速度が早くなり(クイック)遅く(スロー)することもできる、魔法の薬だ。私がクイックなら、森川先生はスロー。ドラえもんのように、のろまだ、なんてことは言わないが、先生のトークは、ものすごく、ものすごく、ゆっくりだった。それは、まるでドラえもんのスローを飲んだかのよう。
だが、彼のトークは、言葉を紡ぐかのように、口から出るその日本語を、羽に乗せて、ふわりと私たちに届けていた。一つ一つ、その意味をかみしめながら、とでもいうべきか。そんな講師はいるだろうか。たいてい、講師は早口で、サクサク講演内容を時間内に終えようとする。


3.講師の態度

 トークをし始めた彼は、最初にマイクを主催者から渡される。が、マイクに戸惑ったかのように、おさまりが悪いといった態度を取り始めた。なんと、ファシリテーターなのに、喋りながら、隅っこに行ってしまった。

「マイクの音が…。私の…声…、聞こえますかね…?」とかなんとかいいながら、どんどん、脱センター。

私はコントのように、壇上から降りて横に移動する先生に驚いた。ついには主催者から、

「先生、それではマイクで音が拾えません」

と言われて、全員の前の中央に戻る、というありさま(に私には見えた)。先生は、なんとも、講師らしくなかった。もっと威張っていいはず。なぜ、そんなに控えめ?なぜそんなに圧がない??


とまあ、書くときりがない。ほかにも書きたいことがあるが、ああ、明日書こうかな。
ともかく私は思ったのだ。なんだろう、この緩さは。今まで見たことがない・・・!と。

(④へ続く)

positive black woman talking to radio host

フィンランド式精神医療、オープンダイアローグ(開かれた対話)②

 私は渋谷区のオープンダイアローグ講座に来るまで、この言葉になじみがなく、直感的にピンと来て足を運んだ、会社員ママだ。スーダラ節の植木等よろしく、会社員たるもの「柳のごとく生きよ」と肝に銘じて、社内で目立たないようにしてひっそり働くワーママ(*)だ。                 *ワーキングマザーの略 
     
 そんな私が、月2回の週末(土日)をまるまるつぶし、12月まで続く全6回講座に興味を持った。日課である日曜の礼拝に出られなくなる。が、なぜか惹かれた。
 
 夫に、私の多忙を心配された(フィンランド式精神医療、オープンダイアローグ(開かれた対話)①)ので、初回に参加して、意味がないと思ったら2回目からは出ない約束をして、土曜に出かけていった。
 が、それは非常に良かった。私はいま、何かが身の上に起きている感覚を強く覚える。

オープンダイアローグとは、開かれた対話、と訳す。

 1980年代にフィンランドで生まれ、世界各国に現在広まっている考え方は、日本にいま上陸して大きなうねりを起こしている。私の講師は、森川すいめいさん、と言う精神科医だ。すいめい、という名は、本名か芸名か。最初なんだか怪しいと思ったが(すんません)、今、私は彼を好いている。彼はすごい人なのだ。私は彼を全く知らなかったが、参加者からNHKの番組を見た、と言う方がいて、有名人かもしれない。

 後で私が調べて分かったことは、彼の著書「感じるオープンダイアローグ」に略歴があり、2020年に国内の医師として初めて、オープンダイアローグのトレーナー資格をフィンランド本国で有した人とあったまだ2年前だよ!

 講座で聞いた話は、ヨーロッパの精神医療の現場から始まった。1980年以前、欧州の精神科病院では、患者は人として扱われず、医師から質問で病名が決まり、その後の患者の人生は医療制度に乗っかっていく、と言う。--ーこれは現代の精神医療でも同じではないか、と感じたが、私は精神医療に詳しくないので、ここでは割愛する。

 それで、フィンランド北部の精神科病院ケロプダスでは、医師が患者を人として扱い、対話(=オープンダイアローグ)を始めた。それまで、精神を病んだ人との会話を、医師は聞かなくてよい、聞いても(精神を病んでいるので)意味がないもの、とされていた。が、それらに耳を傾けて寄り添っていくと、症状が改善していったという。本によれば、この手法で精神を病んだ人たちの8割が回復とある。

病んだ人の8割が回復、と言うのは、本を読んで知ったが、それを知らず、私は歴史的背景を聞いた初日に、さっそくオープンダイアローグを実践した。

まず教わったのは、これだ。

 「二人ペアになる。まず、片方が5分話す。次に、もう片方が5分話す。おしまい。」

箇条書きにして書いてみよう。
 
1.相手にただ喋らせる。
2.自分は聞くだけ。質問NG。
3.次に自分が話す。相手にも同じようにただ黙ってきいていてもらう。

以上。


まずここまでの話だ。

が、先生の話を聞き、対話の練習をつみかさねていくと、次第に、頭の中がモヤモヤしてきた。
同時に、幾つもの疑問符が、生まれてきた。
…なんだ、このセミナーは?!なんだ、このゆるさは?私が普段受けている、ビジネスセミナーとまるで違うじゃないか!!!

(③へ続く)