一番大切なもの

昨夜、小学一年生の娘に大問題が起こっていることが発覚した。

もともと、娘のクラスは騒がしい。目黒区のママから、「大丈夫??!」と言われるほどである。

だが、ふだんの私は働いていて、学校には行ってない。何が起こっているのか、分からない。そして、その環境のせいか分からないが、少なくとも想定外のことがわが子に起こっていた。

主人にはメッセンジャーで報告し、彼が帰宅すると、対処法について話し合った。
そして、娘の学校へ様子を見に行くことになった。
私は仕事を休むつもりはなかったが、主人はぎっしり詰まっていた全スケジュールをキャンセルし、娘に付き添うという。そこで、私もその態度に倣った。まさに、夫婦はチームである。どちらか一方が真剣なら、私も真剣になる。すべてをかなぐり捨てて、娘のために学校へ行く。親でなければ出来ない行為に、主人の態度が心強かった。

彼は仕事がたくさんあって、私はその進捗を心配したが、

「一番大切なのは家族だよ。当たり前だよ」

と言った。本当に良い人を夫にもらった。私が悪妻だからこそ、彼が与えられたのだろうか(ボソ)。

閑話休題。

ともかく、今日一日学校に居て、私は昼間だけ、友人との食事で抜けたけれど、主人は給食の時間も共にいて、クラスの様子をじっと見守った。そして私は娘を迎えにいき(今日は四時間授業で給食の途中に主人は抜けた)、彼女と帰宅した。初めて見るクラスの様子と、娘の学校での様子に知らなかったことがたくさんあって、“これは仕事している場合じゃない”、とぐったり疲れた。
けれどもそのあとで、学校から連絡があり、少なくとも解決に向けて全力で取り組むことを誓ってくれた。すべての背後に、神様の計画がある。どうなるか様子を見ることにした。

どうする?子供と過ごす夏休み

先日、私の外国人ママ友が、「ああ、もうすぐ夏休みだよ。誰か、お金がかからなくて楽しい遊びを教えてー!」と叫んだ。インターナショナルスクールに通う、三人の子を持つママは、今夏の過ごし方に頭を抱えていた。

「あ、それなら、ここはどうかな?ただ、日本語なんだけど…(でも英語が喋れるスタッフも数人いるし)」
と、私は毎夏、自分が訪れている北軽井沢・御代田町の子供キャンプ(2泊3日)を紹介した。

私のブログに書いたけどね、みんなボランティアでやっていて、派手さはないけど、自然の中で、素朴でいいよ」

このブログ読者のためにも、特徴を以下に記しておく。

・日曜学校(吉祥寺キリスト集会)で運営されている
⇒だから、教会や聖書はNGという親には適さない。けれども、そこに抵抗がなかったら、めちゃおススメです。

理由
(1)商業主義ではない。参加費2泊3日で、大人5000円程度。
(2)小学6年生から幼児まで参加するため、学年問わず子供同志が触れ合える
(3)一人っ子でも、割とすぐ友達ができやすい
(4)知らないママと育児話ができる。だからといって、無理して仲良くしなくても平気。
(5)自然がある。
(6)スタッフが、一人ひとり楽しく過ごせるように気を配っている。(=愛がある)

ちなみに、教会、と聞いて、信じていない人がちょっと不安になるのは、キャンプ後に何か信仰の勧誘がないか、ということだろう。私の知る限り、一切ない。(だからキャンプだけ楽しもう、という参加もアリ)

宿泊施設は、第1から第3まで成る建物“ゲストハウス(西洋式)”に泊まれる。ここが嫌なら近隣ホテルに泊まってもいい。(ただし、自己手配で、宿泊費も要確認のこと)

基本的に、ゲストハウスに泊まる場合は、シーツの持参が必要で、なくても現地で有償レンタル可である。(数百円程度)

室内は、2人部屋の個室(ベッド)から出来ていて、毎年満室になるので、部屋の配置は運次第。けれど、初参加者の要望はだいたい叶うことが多いので、ぜひやってみてほしい。
(参考までに第一ゲストハウスの部屋写真を参照ください)

この集いは、ひと夏に神様の存在を知ってもらい、豊かな時間や楽しい思い出を作ってもらいたい、という想いから、運営されている。

良かったら私の友達も、そうでない人も、ぜひ参加してほしい。

今年は8月3日(金)から5日(日)

アナウンスするには、ちょっと早いが、リンク先(御代田Cはこちら

申込受付は7月8日~22日。ぜひチェックを♪

その子らしさを大切に

小学生になり、娘は自分で身支度を整え、行動する学年になった。

とはいえ、まだ6歳児。モノの出し入れは特訓中で、月曜に持っていった体操着をなぜか家に持って帰ってくる、という効率の悪さである。
「明日も体育なのに、ナゼ持って帰るの?」と聞いたら、「先生に持って帰るように言われた」という。「いや、そんなはずないでしょ?」と突っこんだら、「そうだ」と言う。そうなのか??

私は首を傾げ、洗っていない体操着を翌朝に持たせる。

親の仕事は、朝、登校に間に合うよう送り出し、帰宅後は、就寝時間をゴールに生活を整え、気持ちよく眠らせることだ。

たかが、それだけのことが、近頃難しい。娘の頭が良くなり、親の言うことをきかないことが増えたのだ。

私なりには、寄り添って(努力して)いるつもりが、娘に言わせると、常に怒っているらしい。

実際、最後には彼女を泣かせてしまう。親の私も不甲斐なさで泣けてくる。いったい、どうしたらいいのだろう。

“うちの子は、けっこうデキる子だと思っていたのだが、実はそうでもなさそうだ”

と言うのが夫の見解である。

「だから桜子も、べべはちゃんとした子だと思わない方がいいよ。案外出来ないのかもしれない。出来ないんだから、仕方ない。あの子らしさを慈しもうよ」

と、まあ、こんなことを言われた。

オーマイガッ!!

ちゃんとした子って、どういう子よ!?と、私が言ったら、

「桜子が望むような、“親の言うことをきちんと聞く子供」

と言われた。

ダブルオーマイガッ

である。。。

「一番大切なことは、幸せだよ。あの子らしさを大切に、幸せに暮らせれば、多少の不備はあっても、それで良い」

と、いうようなことを彼に言われた。

ケーッ!いいこと言う。しかし、そこで私はまた悩むのだ。

その子らしさって??

ポルシェのパパ友、さよならは突然に

娘が3歳の頃、南平台のデニーズで娘と夕食中に、ある父子とあった。
それが娘の同級生と分かるのに5分とかからず、私が挨拶をすると、彼はこう言った。

「僕、離婚したんですよ」

初対面にもかかわらず、サラリと妻が出て行ったことを打ち明けてくれた彼に、私は心底驚いた。が、動揺する姿を見せまいとしたら、彼がその雰囲気を払拭した。

「でも、片親だと医療費が安くなるんですよ。だから歯医者に行こうかなって」

そう言って、彼は笑った。私は経済的に困っているのかと考えた。が、ふとテーブルを見ると、ポルシェのごつい、大きな鍵が無造作に置かれていた。歯医者の話とポルシェの鍵が対照的過ぎて、当時の出会いは今でも忘れない。

やがて、暮れにわが家で真面目なクリスマス会があり、奇しくも彼らが来ることになった。

一人一人、短いスピーチをする中で、彼は正直に今の境遇を語った。居合わせた私の両親や姉妹はそれを聞き、祈らずにはいられなかったろう。彼は初めて集まるそこで、聖書の意味はおそらく分からなかっただろうが、アーメンと言った。

その父子が、3年余の月日を経て、親しい友人となった。

さらに、再婚し、今夏、第二子を授かる予定になった。私たちは、彼の新しい奥さんとも親しくなり、春には代官山ヒルサイドでランチをしたあと、さらに彼の引っ越ししたばかりの雑然とした家で、ワインを飲み直すという仲にまでなっていた。

だが、それが最後の会食になってしまった。
別れはある日突然、やってきた。
晴れた日の朝、彼の妻から、一通のLine(ライン)がきた。

「急なことですが、切迫流産になり、安静のため、明日より新潟県へ引っ越すことになりました。また会える日を楽しみにしています」

急すぎる別れの宣告に、わが目を疑った。こんなことって、あるのだろうか?
私は出勤する道すがら、電話をかけた。「あんまりじゃないの?!」

けれども、本人たちも医師の診断で決意したのが前日で、やむを得ない選択だった。
私はせめてもの慰めにと、放課後、彼の子を家で預かることにして、最後の晩餐を娘と三人で行った。(時短していてよかった、と心底思った)

夜になって、ポルシェで彼が妻をリクライニングシートに座らせ、娘を迎えにやってきた。不思議なことだが、その夜に限って夫がいた。私たち家族三人で、走りゆくポルシェに手を振った。別れは本当に突然だ。昨日とおなじ日常が、また明日もやってくるとは限らない。しみじみと、そう感じた。

彼らが引っ越す早朝に、私は胸が締め付けられる苦しさを覚えた。まるで、誰かが急に召されたような感覚に襲われた。過ごした日々はもう二度と戻らないと思うと、泣きたくもなった。よもや、私がこれほどまでに、この家族に愛情を感じているとは夢にも思わなかった。きっと、私がこんなに苦しんだことは誰も気づかない。

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。
くずすのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。
嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。
抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
捜すのに時があり、失うのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。
黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。
戦うのに時があり、和睦するのに時がある。    (聖書からの引用)

すべての背後に神様の計画がある。

出会うのに時があり、別れるのに時があるのだ。

代官山の、代官山らしいお店で、珈琲を飲む

時短勤務の私は、その日によって「今日は娘が帰るまで何をしよう?」と日々考える。
4時間勤務は、働く時間が短い(=仕事について考える時間が少ない)分、ストレスはない。
だから、今の私は、けっこう幸せに暮らしている。

にもかかわらず、勤務時間更新の時期を迎えると(3か月毎に見直しが出来る)、「こんなに怠けた生活でいいのか」と思っては、もっと会社で働こうか、と悩んでしまう。

育児や家事はけっして堕落ではない。なのに、自分が怠けていると感じるのは、労働対価を貰える“会社”と貰えない“家庭”を比べて、お金を貰える仕事の方が立派である、と錯覚してしまっているからだろう。

「死の間際に、価値あるものが人生の中で一番大事」と仰ったのは、確か故ゴッドホルドベック宣教師だった気がするが、これを鑑みると、私の人生で一番大事なのは、家庭、である。
こんなに頭の中が整理できているのに、なぜ私は自分の働き方にときどき不安になるのだろう。安倍政権の一億総活躍社会スローガンのせいだろうか。

閑話休題

今日は、娘のお迎えがあり、退出後は代官山のカフェに入った。
これは、前から気になっていた店で、“なぜここにカフェが?”という立地にある。

入るとシンプルモダンな造りで、Aesopのハンドソープがあり、いかにも代官山らしい店構えだ。

マスターと話をしたり、併設されている現代美術のギャラリーを見、そこに居合わせた客と歓談し、たわいもない時間を過ごす。

こうやってブログを書く時間も、私にとっては結果の出ない作業かもしれないが、自分を振り返る時間になっている。

まずは、今日に感謝して、今夜は眠ろうと思う。