タグ別アーカイブ: クリスマス

渋谷クリスマス会、ほんとにあった話(5)

大人数が入れるような場所を借りて、クリスマス会をやろうかな、と考えた話。
渋谷クリスマス会、ほんとにあった話(1)
渋谷クリスマス会、ほんとにあった話(2)
渋谷クリスマス会、ほんとにあった話(3)
渋谷クリスマス会、ほんとにあった話(4)

の続き。

自分の力なしに、会場が抑えられ、一緒に会を進行くださるメンバーが揃った。
そして、クリスマス会の当日。
開始寸前に、必需品がなくて困ってしまい、急遽、部外者の夫を呼び出し、駆けつけてもらったところから。




夫が、会場に入った。
彼はこの場に来るのは初めてで、メンバーも知らない。
だが、入ると、誰かが大声で彼を呼んだ。

「田中さん…!!(夫の苗字)どうしたんですかーーーーーーーーーーー!!!」 





なんということだろう。
プロジェクターの設置を手伝う劇団の一人が、彼を知っていた。

お互い、ビックリ仰天!





結局、駆けつけた夫は、場の流れでクリスマス会を最後まで参加する運びとなった。
後で、参加人数をチェックしたら、総勢50人未満だった。
そのことにも驚いた。



その夜、夫が言った。
5年前のことだから、言葉の正確さは再現できないが、確かこんな内容だった。


「今日のクリスマス会さ、僕、一番のゲストは劇団さんだったと思う。すごく熱心に話を聞いていたよ。
あんな話、今まで、聞いたことなかったんじゃないかなあ…?」





その後、劇団さんはどうしたのか。
実は、連絡先を失ってしまい、私は彼らと連絡を取りようがない。

けれど、私が彼らのことを忘れていないように、彼らもまた、あの時の変な成り行きや、当日のことを、思い出して12月を迎えるのかもしれなかった。





私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。(使徒17:28)



今年はどんなクリスマス会になるだろう。

すべての人にとって、ハッピーな師走になりますように。


by桜子


person reading book

渋谷クリスマス会、ほんとにあった話(4)

大人数が入れるような場所を借りて、クリスマス会をやろうかな、と考えた話。
渋谷クリスマス会、ほんとにあった話(1)
渋谷クリスマス会、ほんとにあった話(2)
渋谷クリスマス会、ほんとにあった話(3)

の続き。

自分の力なしに、会場が抑えられ、司会者が与えられ、プロの演奏家が与えられた。
次に、メッセージをする話者が欲しい。
10代からの知人に依頼を送ったが、返事がない。


(メール、届いてないのかな…)



しかし数日後、返事が来た。



「しばらくこのことについて、祈ってました。午後に会社を休んで、会場へ伺います。」


メールにはいろいろ書かれていたが、そんな主旨だった。
私は彼の人柄に思いを馳せ、10代から変わらない清々しさや、誠実性に嬉しくなった。そして、考えた挙句、引き受けてくださったことに胸が熱くなった。確かに、頼まれる方の負担は重い。しかも子供を相手に喋すのは難しい。加えて、この年はクリスマス=ビジネスアワー(平日)だった。




かくして、司会者、演奏家、話者と、豪華メンバーが揃った。
おまけに、断ってきた、”楽器を練習中の知人”も、プロが出るならば私も出る、と連絡が来て、さらに賑やかになった。




さあ、当日。
私は未だかつてやったことのない試みに、緊張で眠れず、かなりテンパっていた。私もまた、午前中に仕事だったが、正直、その日はほとんど上の空で働いた。家から持っていく荷物の多さや、進行スケジュールと司会者の台本書きなど、家では大騒ぎだった。


見かねた主人は、「何か困ったことがあれば、いつでも、連絡してね」と言って職場に出かけて行った。



それで、話がおかしいのは、実際に困ることが起こってしまうことである・・・!

お客さんを迎える前、ボランティアの劇団さんと会場準備をしていると、司会者に「これだけは用意して」と頼まれていたプロジェクターと、司会者のPCをつなぐ、ケーブルコードがない。プロジェクターは劇団さんが持ってきてくれたが、ケーブルが抜け落ちたのであった。

どうしよう!みんながもうすぐ来てしまう!
人はどんどん、集まり始めていた。


私は仕事中の夫に申し訳ない、と汗をかきつつ、急いで電話した。
「ごめん!ケーブルがないの!!!」



渋谷で働く夫は、経営者だ。サラリーマンと比べ、勤務時間の融通が付きやすい。
とはいえ、打ち合わせや外出など呼ばれてすぐ出られるわけではない。けれども、この日は職場にいたので、すぐ飛んできてくれた。



私はその頃、すでに受付で、いらしてくださる方を前に忙しくしていた。
夫へのお礼もなしに、
「あっちへいけば、何がどう困っているかわかるから」
と顎で場所を示して、行くよう促した。


彼は、言われるまま、そこへ行った。

(つづく)



by桜子




photo of a happy family at christmas time

クリスマスまでのカウントダウン


求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。
(新約聖書マタイによる福音書 7:7)



 私は小学生の時に、吉祥寺にある日曜学校に通っていた。

 一軒隣にアメリカ人家族が住んでいて、その子息と弟が仲良しだった。だから、姉の私もおこぼれにあずかった。それで、なのか、だからなのかは忘れたが、気がつくと彼らの通う教会へ一緒に行くようになっていた。
 毎週日曜の朝になると、私と弟は、白いポンコツの小さな車にぎゅうぎゅう詰めになって、日曜学校へ行った。

 そんな彼らは、宣教師一家だったということを大人になってから、たまに思い出す。
そのことの意味を深く考える。

私たちの人生は、その時、その瞬間では、意味が全く分からなくても、後になって分かる「人との出会い」や「ことの意味」が、実はたくさんある。


私は、小学生の頃に、冒頭の文章に出会って、強烈なインパクトを覚えた。


求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。
(新約聖書マタイによる福音書 7:7


 
今に至るまで、そらで言える。

よく考えたらすごいことだ、と、今書きながら感謝した。
今日まで結局は私を支えている。


 

「求めなさい。そうすれば与えられる…」という言葉はすごい。

何がすごいか、というと、まず、分かりやすい。
次に、前提条件がないことが、さらに分かりやすさを増している。


・神様を信じたら
・修行をしたら
・努力をしたら

と書いていない。それどころか、こんなビックリする言葉が聖書にはある。


事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。


大人になってこの箇所を読んだ時の衝撃も凄かった。椅子からひっくり返りそうになった。
努力したら報われる、と私たちはよく言う。けれど、聖書は、違うよ、と言っている。

ホントか?
って、きっとこの文章を読む人は思うと思うのだけど、
私は書く。ホントだ、と。


辛かった日々も、苦しかった体験も、今は分からなくても、後で絶対に知るようになる。
そのヒントに、冒頭の言葉がある。

わたしがあなたのそばを通りかかったとき、
あなたが自分の血の中でもがいているのを見て、
血に染まっているあなたに、『生きよ』と言い、
血に染まっているあなたに、くり返して、『生きよ』と言った。
(旧約聖書 エゼキエル書16章6節)


のたうち回るような日々も、暗闇の何かも
すべてが、ああこのためだったのか、と探求できる日が誰にでも平等に与えられている。
私はそのように信じている。

by桜子


クリスマスの朝

家のポストを開けると、1通の赤い封筒が入っていた。

開くと、お隣さんからの手紙だった。

お隣は先月、上階から引っ越してこられた老夫婦で、私は奥様から話しかけられた際に、優しそうだな、と思っていた。手紙には、その彼女から、私が前日に差し上げた林檎のお礼と、プラスアルファ、がしたためられていた。


「もしや、お宅はクリスチャン?」


話は12月上旬に遡る。
私は玄関の表ドアに、娘のお手製リースを飾った。

a christmas wreath hanging on the door
Photo by Anastasia Shuraeva on Pexels.com



そして、私と同じように、ドアへ飾りをつけている家が、同じフロアに他に2件あった。その1つが隣で、ポイントは、それがサンタとトナカイだった点だ。


私は今、在宅勤務だから、家を頻繁に出入りする。そのたびに、隣のサンタとトナカイが視界に入ってくる。そして、いつも、何の気なしに思っていた。

           (・・・サンタなら、プレゼントが届くよな…)


それで、隣に何かを差し上げたいとずっと考えていた所、23日(結婚記念日!)に、家へ突然、大量のリンゴが届き、その見事な青森のリンゴに、私はこれをおすそ分けしようと決めた。

 紙袋にボンボンとリンゴを入れた。が、これではどうもハレの感じが出ない。


 そこで、透明のパラフィンでリンゴ2つを包み、上を赤いリボンで結んだ。
(おお!これで一気に、クリスマス!・・・)

そうそう、忘れちゃいけない、と慌てて、友お手製のクマ飾り付き「聖書の言葉カード」を括り付けてみた。うーん、可愛らしい。完成だ!



 さて、隣のチャイムを鳴らす。

 
 私とて、知らない人のドアを叩くのには、勇気がいる。

 変な人に思われたらどうしよう!!だが、だからこそ、リンゴは少なくした。どうかな、どうかな。ドキドキ…。だが、出てきた夫人は大変驚きながらも、とても喜んでくださり、私はホッとした。

 それで、クリスマスの朝に話は戻る。

「もしや、お宅はクリスチャン?」


この後には、続きが書いてあった。


私はクリスチャンホームで生まれ、夫は●年前に洗礼を受け、今はXX教会に通っています。
聖書の言葉を見つけてうれしくなりました。




私が、その朝どれくらい喜んだか、書くまでもない。
そもそも、このリンゴを頂いたことにも、他のストーリーが含まれていたのだが、そこを披露すると、キリがないので割愛する。

クリスマスの朝に、隣人がクリスチャンだと知ってうれしかったが、何よりも、そのことを知らずに、日常が過ぎていくこともあり得たのに、神が私の生活に手を伸ばし、施してくださった采配が、何よりうれしかった。

今日も神は生きて働く。私は神さまを心から賛美する。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、


あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。

by桜子

2020年コロナ禍クリスマス会_前編

 例年、クリスマスと言う日をこよなく愛している私。それは、イエスキリストがこの世に生まれた、ということを公に祝える日だからである。
 サンタの日じゃないYO

 昔、メディアで連載を開始する前、編集者に「聖書の言葉を紹介したい」と言ったら、「仏教の言葉だったらいいけど、聖書はダメ」ときっぱり断られた。売れないそうだ。

 それくらい、日本人にとって馴染みのない聖書だが、世界のベストセラーであり、欧米諸国では教養の一つとして、聖書は親しまれている。ハリウッド映画を鑑賞すると、時折これは聖書の箇所だ、と気づくが、聖書を知らない日本人に、このシーンの意味は分からないと、いつも思う。
  
 そんな日本にあって、クリスマスだけは、聖書を紹介しても、ちっとも嫌がられない。これまで、この日だけは特別よ、と、たくさんの人たちに、ささやかなクリスマスプレゼントを贈り続けてきた。

 時間に余裕のあった20代、12月になるとクッキーを焼くのが、独身時代の私の恒例行事だった。一日かけて、クッキーをオーブンで焼く。ドイツのミンヘン婦人のレシピは、バターの分量が多く、口に入れると、ホロッと崩れて美味しかった。市松模様の美しい黒と白のボックスクッキーは、見た目も華やかで、母が作るのが大変、上手かった。
 

 透明なセロファン袋に入れ、緑と赤のリボンを結んで、聖書の言葉と一緒にする。
 クッキーは大変美しく、いつもラッピングが楽しくて、渡す前からワクワクした。
 手作りのため、渡せるクッキーは少量ながら、私にとっては思い入れが深かった。
 
 
 
 結局のところ、なぜこのようなことをしていたか、と言えば、聖書を知ってもらいたい、この一言に尽きる。聖書に次の言葉がある。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」
 
 この使命を胸に、毎年この時期になると、私の中の聖霊が私にささやきかけてくる。
 「誰か、いないか?」
こう書くと、一気に宗教染みてくるが、聖書によると、イエスキリストを心の中で信じて、神様だと受け入れたとき、神の聖霊が、一人一人の人間に宿る、という。(儀式は必要ない)
 
 義務なのか、欲求なのか。私の中の霊が、絶えず、私に働きかける。

 私にとって、誰かが神さまを信じたとて、私にご利益があるわけでもなく、私には全く、関係ないこと。

 けれども、私がこの世で生かされているのは、このためである、と思うから、勇気を出して渡しす。
たとえ、相手に喜ばれなくても、その人にとって、渡した聖書の言葉が、いつか彼/彼女の人生の局面で、必要になるときがあるかもしれない。その人の運命は分からないから、今この瞬間、ご縁があった人へ私が出来るプレゼントを贈るのだ。

「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。ルカによる福音書 2:11」

 「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように。ルカによる福音書 2:14」

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、 ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネの福音書 3章16節 」

 
 クリスマス礼拝が、今日は世界各地で行われる日曜日だ。洗礼式もある。

 わが魂よ、主を褒めたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
 どうか、たくさんの人たちが、喜ぶ日曜日でありますように。

わたしが死んだら~4歳のつぶやき~

今朝は夫が昨日から出張で、娘と私、ふたりだけで朝を迎えた。
吉祥寺の日曜学校がお休み、ということもあり、近所の東京バプテストチャーチの礼拝に出かけた。
午後からは、娘の初めてのバイオリン発表会もあったので、渡りに船だった。

と言う前置きはさておき、
礼拝後、昼食前に、頂いたクリスマスクッキーでおやつタイムを取っていると、
娘から思いがけない質問が飛んできた。

娘「ママ、私が死んだら誰が運ぶの?」
私「え?なに??身体なら誰かが運ぶけど・・・・何を?!」「身体?心?どっち??」
娘「心。」
私「心なら大丈夫だよ、神様がシューっと運んでくれるよ。」
--ふうん、という娘の顔。ふと私、心配になり、

私「ねえねえ、ママとべべちゃん、どっちが先に死ぬか分かる?」
娘「ママ。」
私「そうそう。(良かった、わかってる。)」

と会話しながら、普通の家だったら、子供に死のことを尋ねられたら、不吉なことを言ってと怒鳴るかも知れないなあ、と思った。
でも、人はいつか死ぬ、という、当たり前のことは例え小さな子でも知っておくことは私は大切だと思っているので、こんな話が出来て良かったと思ったし、、共に死に向き合えることはとてもいいことだと思った。

でも・・・・それと、死を受け入れられるかどうかは全く別の次元の話。
もしも娘が取られたら、私は発狂して死んでしまうだろう。

着なかった服や玩具の有効活用法・クリスマス編

こどもがいるご家庭なら、どこでもある風景。

ほぼ新品の玩具や頂いたのに着れなかった子供服。どうしよう、と処分に悩む方は多いと思う。
この時期、こんな活用法が!

クリスマスシューボックス   

戦争や貧しい境遇に生きる世界中の子供達に、一生に一度になるかもしれない贈り物。

OCCという団体がシューボックスを集めている。
準備は簡単。靴箱を用意して、性別と年齢別を明記し、贈り物を詰め込む。食べ物や玩具をつめて送る。

今年うちも始めて出してみた。

 
青い箱が、うちの。

よその箱は何が入っているんだろう?

  

送料700円の振込が必要だけど、代官山では、東京バプテスマチャーチが集めているので、21日までに金額を渡せばOKらしい。

この時期、ちょっとこんな活動をするとなんだかいい人になれた気がする。