ロンドンからノーウィッチへと移動して3泊した後、朝早くノーウィッチ駅から4時間かけてニューキャッスル駅に到着した。キティ宅はそこからバスを使ってすぐそばの家だった。時計の針は13時を過ぎていて、私たちはランチも取っておらず、お腹がすいていた。
それが、家に着くなり、キティは言った。
「さて、今晩の夕食どうしようか?日本食は何を作るの?」
って、え!? 私がお料理当番なの!?
出発前、メールでは私に〝旅行で疲れているだろうし、休暇で来るんだから作らなくていい〝と言っていた。
しかし、せめて一品ぐらいは彼女の好物の餃子などを作ってあげたい、と考えていた。
それが夕食の献立を尋ねてきた、ってことは、日本食なんだから、私が料理担当なんだよね!?
来て間もない家に、他人の慣れない台所で、調味料や材料は何があるのかと戸惑ったが、これまでキティと過ごしてきた日々の体験から、私が作るしかないんだ、と確信した。
さて何を作ろう、材料はどうすれば!?
頭がズキズキした。
私はイギリスにいて、どうしてこんなに家の主みたいな仕事ばかりしているのだろう、と思った。
だけど、要は考え方である。
イギリス人みたいで、こんな体験はめったにない。楽しもう、楽しもう、と思った。
しかし
長旅の疲労とストレスに、予期してなかった料理負担が、私に重くのしかかったようで、頭痛は激痛へと変化した。
我慢して作ろう、と思ったが、耐えられそうになかった。
私は泣きそうだった。
「ごめんなさい、作ってあげたいけど頭が痛くて、今晩は作れないかもしれない。
少し、横にならせてくれる?もし今晩作れなかったら、どうか、許して」
forgive me等という、へりくだる言葉を使う必要はないはずと思いつつも、もう堪忍してくれ、という心境だった。既に限界に近く、私は疲れていた。神様がなさることにはすべて意味がある、と思ってはいても、彼女と行動を共にすることは、非常な忍耐を要した。
彼女はかなり変わっている。夜はちょっと寝るといって毎晩7時に自室へ入るが、9割方朝まで起きてこなかったし、私の意見を聞いても結局自分が行きたい場所へ連れて行く。
私の脳裏に何度、自分は旅行者なのに、という思いが走ったことだろう。
だが、彼女は友達だ、と思うと、愛さなくては、という思いにも駆られた。
そしてその夜、私はベッドに入ったまま朝まで眠った。
翌日--
まだ頭痛がしたが、前日より遥かにマシだったので、作るなら今だ!と、
お寿司かカレーかと迷い、体力的にカレーライスを選んだ。
とても日本的な美味しいカレーライスを作ろう。
ロンドンのJapan Center でキティが作ろうといって買った白玉だんごのもとや、私が日本から持参したもの
いつまた頭痛が襲ってくるかわからないから、私は朝食(左隅のミューズリーとバナナが私の朝ごはん)を立って頂きながら、調理した。
玉ねぎは1時間ぐらい飴色にするのが、甘味を出すポイントである。
一緒に作るといってたキティは宿題のタイピング(求職中でオフィス事務の講座を受講中)をしていた。
ボウルがル・クルーゼなのが(洒落もの好きな私には)せめてもの救いだった。
デザートもやっぱり作ろうと思った。中学生以来、粉から白玉だんごを作った。
(※キティの好物はモチ類だった)shiratama dango
勉強している彼女に、一口どうぞとお茶を用意したら、喜ばれた。
神様、この先どうなるかわからないけど、まあ、宜しくお願いしますと、
私はただただ、神様に(成り行きを)任せていた。
(つづく)