先日、祈ってくださいと書いた。
これについて、信仰は、「自分と神の問題」であるから、他者の祈りを求める、というのはどうなのか?!
という見方がある。
信仰は、自分と神の問題だから、他者に助けを求めない。
神のみに助けを求める。
そういう信仰者もいると思う。
なぜなら、「信じる者は山を動かす力もある」と聖書に書かれている。
先日、「祈ってください」と書いたが、私は軽はずみに書いたわけではなかった。
私もまた、大いに迷った。
書くべきか、否か。
正直、誰かにお願いするのは、大変な勇気がいる。
拒否されたら、悲しい。
理解してもらえなかったら、落胆する。
でも書いたのは、私に二つのことがあった。
ひとつは、私は今大丈夫だけど、家族全員は大丈夫か、という思い。
実際、心は大丈夫と思っていても、夜になると目が覚めたりして、身体がストレスに反応し始め睡眠が危なくなってきた。(今は回復)
そして、もうひとつは、(実はこっちの方が意味合いが大きいのだけど)
私たちキリスト者がつながることは非常に価値が高いのではないか?と考えたせいだ。
皆で神がこれから何をするか一緒に味わう、その意味を考えた。
祈ってください、は扉を開く。
「何があったの?」
「そうか、そんなことがあったんだね」
1人で味わう奇跡もいい。が、奇跡はみんなで味わいたい。
そう、ニュージーランドの家のように。
7つも家を転々として、最後はあれだけ、完ぺきなハッピーエンドだった。
神が私たちの人生に設計されることは、必ずしも私たちの願う通りになるということはない。
が、「神はすべてを働かせて益としてくださる(聖書)」
祈ってくださる方に、知ってもらいたい。
神様はこんなことしてくれた、あんなことしてくれた。
聞いて、凄いんだよ。
リアルタイムで味わうと、その真実を一緒に体感できる。
私はちょうど、その奇跡を最近、味わっていた。
次回その話を書こうと思う。
どうぞ、良い週末を。
by桜子