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苦しいニュージーランド生活2

「ごめん、ママ、もう祈れない。代わりに祈ってくれる?」

娘はいつのまに成長したのか、私のために、心を込めた長い祈りをしてくれた。
この子が生まれたのは、私を助けるため。
そうとしか思えない瞬間だった。
どっちが親か分からない関係だが、私がどうしても苦しくて立てなくなった夜、それが自分を救う方法だった。



いつもの試練のレベルを超えている。
日ごとに、連続して、新しい苦しみが生まれる。
今まで味わったことのない試練の種類。
ここまでくると、どうやら、神様は私たちに何か言いたいのではないか?と考えざるを得ない。
嫌なことが終わらない、止まらない。
夫は「呪われている」と言った。

ああ、そうだよな、聖書を知らない人はこういうとき、お払いに行くんだよな、と私はぼんやり思った。


私は痩せたが、夫も痩せた。
彼もまた、胸を痛めて辛そうだった。
気が付けば、私たち家族は、家族だけの空間になると、いつも祈るのが常になっていった。



先週、パスポートの入ったバッグを失ったときは、さすがに思った。
これはもう、絶対に私のせいじゃない…!
「確実に」神が私たちをそのような環境に置かれた、と思った。

何のため?
主は私に何を語ろうとしている?

その翌日、アイススケート場で娘の指が、他人のアイススケートシューズにひかれた。
どちらかといえば運動神経が良い娘が、たまたま転倒して氷上に指を置いた途端、指をひかれる、なんて、こんな偶然あるだろうか?

病院を2か所廻って、緊急外科手術。
幸いなことは、指がちぎれたわけではなかったこと。
爪を完全にはがした。そうしなければ、と言う。
でも、爪なら髪の毛と同じように生えてくる、ということだった。


手術中に泣く娘を見るのは辛かったが、
娘はその前、病院から病院へと移動する時に、外の景色を眺めながら、
「主我を愛す」を歌い始める私に、
「・・・それ、英語の歌詞でなら知っている」とぽつり言い、Jesus loves me yes I know…を彼女が歌い始めた。

そうだね、ここニュージーランドだから、英語が良いね、と私は言って、
娘を抱き、車中で2人、慣れないこの曲を歌ったことを、私は生涯忘れないだろう。


私たち夫婦はけして英語が得意ではない。
それでも連日の苦難に、喋らなければ、伝えなければ、パスポートの話を警察と出来ないし、
娘の手術も2通りあることを判断できないし、決められなければ、次の病院にもいけない。

毎日、毎日、必死で生きてく。
そんな生活は、日本じゃ味わえなかったね、と、言って、
今回ずっとこんな暮らしをここでしている。


私は今週になってふと思った。
これは、私たち家族一人一人が、神様との関係を問われる、信仰の旅なんだ、ということを。

by桜子