カテゴリー別アーカイブ: Bible

woman with umbrella on beach

人生で一番話をする相手

早く目が覚めて、珍しく凝った朝食を作ると、心はニュージーランドに飛んだ。
以前、知り合ったニュージーランドに住む日本人パパが、赤ちゃんを授かったとFBに書いていた。その知らせは今朝の私を現地に運び、気づくと、空想の中の私は、現地の群れの輪に入り、一緒にその幸せなニュースを喜んでいた。

ニュージーランドに住むAさん、Bさん、Cさんを東京で思い出す。
元気かな?最近はすっかり連絡をとってないな。
私が今朝、思い出して心を寄せているなんて、きっと想像すらしないよね?

そんなことを考えてお味噌汁を作っていると、
目の前の具材がご馳走の数々に見えてきた。
そうだ、これらは、かの地では貴重な食材だった。
皆にこれを分けたら、どんなに喜んでくれるだろう。今度は「美味しい、美味しい」と言いながら食べる姿が浮かんで、ニンマリした。


この間、30分だろうか?
そう、人生で一番話をする相手とは、自分である。

だから、聖書にこんな言葉がある。

「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」(箴言4:23)

心の中で感じる思いや考えが、今日の私たちをつくる。

仕事が大変 →やりがいがある。
あの人は理屈っぽい →あの人は論理的思考
問題が起こった →改善のチャンス!


自分で、自分に、大切な己の魂を萎えさせないようにしよう。
魂をゆさぶって、元気がでるようにしていこう。

この歳になって自分の数々の思考癖に気づくようになった。
今まで何やってたんだろう・・・・×
今が一番いいときだ!・・・・・・〇


というわけで、今日も皆さんに良い日が訪れますように!

by桜子

mountain ranges covered in snow

K2滑落、日本人登山家2名の捜索打ち切り

中島建郎さんのニュースはショックだった。お目にかかったことがあったように記憶していた。
K2滑落の日本人2人 救助活動を打ち切り 所属会社が発表 | NHK | パキスタン


瞬間的に、叔父がエベレストに旅立った日を思い出した。
あの日、自宅には私と母とおばあちゃんがいて、祖母の黒電話から、成田空港にいるという叔父が、「これから山に行ってくる」と言った。ギリギリまで言えなかったのだ。
あのときの祖母の背中や、母の顔、祖母の室内の感じを今でも覚えている。
何があってもおかしくない。母は叔父のことを毎日一生懸命に祈っていた。


最近、テレビで登山番組が身近に流れて、登山がエンターテインメントの一つに写ることがある。
技術は進化し、大昔のそれより楽になった部分もあるのかもしれないが、山は山。行けば、大自然の中で頼れるのは自分だけ。

捜索は打ち切られたけど、もしかしたら、どこかで生き延びている可能性もあるのか。

私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。(詩編121:1)

この聖書の言葉の続きには、私の助けは神から来る、と書かれている。

by桜子

woman standing beside woman on white wooden chair facing body of water

老年期の過ごし方、真価が問われるとき

先日読んだフライデーの記事によれば、武蔵野市「吉祥寺駅」で救急医療病院がなくなりつつあるという。渋谷区でも、救急医療ではないが、東京女子医科大学附属成人医学センターが来年閉院だ。他人ごとと思えない。

娘を産んだとたん、街中でベビーカーや親子連れが目に入るようになった。

それと同じく、母の介護に携わると、ヘルパーさん連れの高齢者や、介護事業社のミニバンが、朝に夕に目に飛び込む。わが街でも高齢化がじりじりと進み、すれ違う人みなに老いを感じる。


教会でも同じだ。
以前はぎゅうぎゅう詰めだった「礼拝」場が空いている。
来なくなった人もいるが、気になるのは来れなくなった高齢者だ。知り合いがいなければ、祈りのリストや支援の輪からこぼれ落ちる。
それは社会の縮図を色濃く現わすようだ。



「日本人の5.5人に1人が75歳以上になる」と言われる2025年問題。高齢化は2040年まで進む一方、既に減少に転じている生産年齢人口(15~64歳)は、さらに減少が加速。(厚生労働省園https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000060713.html)報道では、ヤングケアラー(若くして介護する人)、ダブルケアラー(育児と介護をやる人)という単語も珍しくなく、日本は厳しい局面にある。


こうなると、大勢に見送られて、天へ旅立ったAさんやBさんが羨ましい。
人生の正念場は、まさに老年期であると思う。

そんな教会で、先日私たち一人一人は、神の手紙なのだ、というメッセージを聞いた。
「私達の人生は、読まれている。」皆から見られているのだ、という内容だったように思う。


私の顔は泣いて赤くなり、
私のまぶたには死の陰がある。
しかし、私の手には暴虐がなく、私の祈りはきよい。
(中略)
私の友は私をあざけります。
しかし、私の目は神に向かって涙を流します。
(中略)
数年もたてば、私は帰らぬ旅路につく・・・(旧約聖書ヨブ記16:16~22)


今朝、聖書を開いてここを読んだら、思わず、父を想起した。親の姿が脳裏に浮かぶ。

日曜の礼拝メッセージでは、井上兄弟が「私たちの足りないところを、主が補ってくださる」と述べておられた。ありえないことが、聖書には至るところに書かれている。聖書を引っ張り出すと、次のような悲しいことも書かれている。


あなたがたは、世にあっては患難があります。
しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。
(ヨハネ16:33)


同時にこんな嘘みたいなことも書かれている。

…わたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。
(ヨハネ14:13)

私は、人にとって最もつらい時期とは、社会から必要とされなくなり、友もいなくなり、存在すらも忘れられ、歩けなくなる、そんな老年期を迎える人々だと心底思う。

先の事どもを思い出すな、昔の事どもを考えるな。見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。
(イザヤ書43章18節ー19節)


こんな時代に、希望を持って生きるなんてとんでもないことだ。
だが、人には出来ないことが、神には出来る。そして、私たちは神に祈ることで、神を通して出来るようになると、書かれている。
信じるか、信じないか。

絶えず、“常識”で、世の中を眺めてしまうが、私たちは神を信じたい。
そして神が言う通り、荒野に「道」を、荒地に「川」を、用意される神に期待し、常に前向きでいたいものである。


スティーブジョブズの、
Stay foolish, stay hungryは、こんな時に使ってもいい気がする。

by桜子

silhouette of boy running in body of water during sunset

光よあれ

「みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます」詩篇119:130

moon in wonderful blue sky in evening

Nothing is impossible(2)

「人にはできないことも、神にはできる。(ルカ18:27)」

ブログ更新が滞っている間に、新規プロジェクトが2つ取り去られた。
一つは、賑やかなニュージーランド一家が、日本を満喫して、無事に帰国した、ということ。
そしてもう一つは、中1の娘が渋谷の家を出て、私の父のもとへ行き、そこで暮らしはじめたこと。

私はニュージーランドの家族をもてなす気力はゼロだったが、
全部できたし、箱根にもいけた。
それは、めちゃくちゃ楽しかった。
そして、わが子が早くも独立した。

どちらも全く予想外だった。



娘がいない家は静かだ。
私は、意気揚々と家を出る娘を見て、苦々しく思う(娘は私をうざったいと感じている)と同時に、妻を手放さざるを得なかった父のもとへ、”太陽”を送り込んだ気がした。


かようにして、神の計画と言うのは人には計り知れぬものである。

by桜子

渋谷クリスマス会、ほんとにあった話(5)

大人数が入れるような場所を借りて、クリスマス会をやろうかな、と考えた話。
渋谷クリスマス会、ほんとにあった話(1)
渋谷クリスマス会、ほんとにあった話(2)
渋谷クリスマス会、ほんとにあった話(3)
渋谷クリスマス会、ほんとにあった話(4)

の続き。

自分の力なしに、会場が抑えられ、一緒に会を進行くださるメンバーが揃った。
そして、クリスマス会の当日。
開始寸前に、必需品がなくて困ってしまい、急遽、部外者の夫を呼び出し、駆けつけてもらったところから。




夫が、会場に入った。
彼はこの場に来るのは初めてで、メンバーも知らない。
だが、入ると、誰かが大声で彼を呼んだ。

「田中さん…!!(夫の苗字)どうしたんですかーーーーーーーーーーー!!!」 





なんということだろう。
プロジェクターの設置を手伝う劇団の一人が、彼を知っていた。

お互い、ビックリ仰天!





結局、駆けつけた夫は、場の流れでクリスマス会を最後まで参加する運びとなった。
後で、参加人数をチェックしたら、総勢50人未満だった。
そのことにも驚いた。



その夜、夫が言った。
5年前のことだから、言葉の正確さは再現できないが、確かこんな内容だった。


「今日のクリスマス会さ、僕、一番のゲストは劇団さんだったと思う。すごく熱心に話を聞いていたよ。
あんな話、今まで、聞いたことなかったんじゃないかなあ…?」





その後、劇団さんはどうしたのか。
実は、連絡先を失ってしまい、私は彼らと連絡を取りようがない。

けれど、私が彼らのことを忘れていないように、彼らもまた、あの時の変な成り行きや、当日のことを、思い出して12月を迎えるのかもしれなかった。





私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。(使徒17:28)



今年はどんなクリスマス会になるだろう。

すべての人にとって、ハッピーな師走になりますように。


by桜子


person reading book

渋谷クリスマス会、ほんとにあった話(4)

大人数が入れるような場所を借りて、クリスマス会をやろうかな、と考えた話。
渋谷クリスマス会、ほんとにあった話(1)
渋谷クリスマス会、ほんとにあった話(2)
渋谷クリスマス会、ほんとにあった話(3)

の続き。

自分の力なしに、会場が抑えられ、司会者が与えられ、プロの演奏家が与えられた。
次に、メッセージをする話者が欲しい。
10代からの知人に依頼を送ったが、返事がない。


(メール、届いてないのかな…)



しかし数日後、返事が来た。



「しばらくこのことについて、祈ってました。午後に会社を休んで、会場へ伺います。」


メールにはいろいろ書かれていたが、そんな主旨だった。
私は彼の人柄に思いを馳せ、10代から変わらない清々しさや、誠実性に嬉しくなった。そして、考えた挙句、引き受けてくださったことに胸が熱くなった。確かに、頼まれる方の負担は重い。しかも子供を相手に喋すのは難しい。加えて、この年はクリスマス=ビジネスアワー(平日)だった。




かくして、司会者、演奏家、話者と、豪華メンバーが揃った。
おまけに、断ってきた、”楽器を練習中の知人”も、プロが出るならば私も出る、と連絡が来て、さらに賑やかになった。




さあ、当日。
私は未だかつてやったことのない試みに、緊張で眠れず、かなりテンパっていた。私もまた、午前中に仕事だったが、正直、その日はほとんど上の空で働いた。家から持っていく荷物の多さや、進行スケジュールと司会者の台本書きなど、家では大騒ぎだった。


見かねた主人は、「何か困ったことがあれば、いつでも、連絡してね」と言って職場に出かけて行った。



それで、話がおかしいのは、実際に困ることが起こってしまうことである・・・!

お客さんを迎える前、ボランティアの劇団さんと会場準備をしていると、司会者に「これだけは用意して」と頼まれていたプロジェクターと、司会者のPCをつなぐ、ケーブルコードがない。プロジェクターは劇団さんが持ってきてくれたが、ケーブルが抜け落ちたのであった。

どうしよう!みんながもうすぐ来てしまう!
人はどんどん、集まり始めていた。


私は仕事中の夫に申し訳ない、と汗をかきつつ、急いで電話した。
「ごめん!ケーブルがないの!!!」



渋谷で働く夫は、経営者だ。サラリーマンと比べ、勤務時間の融通が付きやすい。
とはいえ、打ち合わせや外出など呼ばれてすぐ出られるわけではない。けれども、この日は職場にいたので、すぐ飛んできてくれた。



私はその頃、すでに受付で、いらしてくださる方を前に忙しくしていた。
夫へのお礼もなしに、
「あっちへいけば、何がどう困っているかわかるから」
と顎で場所を示して、行くよう促した。


彼は、言われるまま、そこへ行った。

(つづく)



by桜子




forest

祈ってください(2)

先日、祈ってくださいと書いた。
これについて、信仰は、「自分と神の問題」であるから、他者の祈りを求める、というのはどうなのか?!
という見方がある。


信仰は、自分と神の問題だから、他者に助けを求めない。
神のみに助けを求める。
そういう信仰者もいると思う。
なぜなら、「信じる者は山を動かす力もある」と聖書に書かれている。



先日、「祈ってください」と書いたが、私は軽はずみに書いたわけではなかった。
私もまた、大いに迷った。
書くべきか、否か。
正直、誰かにお願いするのは、大変な勇気がいる。
拒否されたら、悲しい。
理解してもらえなかったら、落胆する。



でも書いたのは、私に二つのことがあった。

ひとつは、私は今大丈夫だけど、家族全員は大丈夫か、という思い。
実際、心は大丈夫と思っていても、夜になると目が覚めたりして、身体がストレスに反応し始め睡眠が危なくなってきた。(今は回復)

そして、もうひとつは、(実はこっちの方が意味合いが大きいのだけど)
私たちキリスト者がつながることは非常に価値が高いのではないか?と考えたせいだ。
皆で神がこれから何をするか一緒に味わう、その意味を考えた。


祈ってください、は扉を開く。
「何があったの?」
「そうか、そんなことがあったんだね」


1人で味わう奇跡もいい。が、奇跡はみんなで味わいたい。
そう、ニュージーランドの家のように。
7つも家を転々として、最後はあれだけ、完ぺきなハッピーエンドだった。

神が私たちの人生に設計されることは、必ずしも私たちの願う通りになるということはない。
が、「神はすべてを働かせて益としてくださる(聖書)」


祈ってくださる方に、知ってもらいたい。
神様はこんなことしてくれた、あんなことしてくれた。

聞いて、凄いんだよ。
リアルタイムで味わうと、その真実を一緒に体感できる。


私はちょうど、その奇跡を最近、味わっていた。
次回その話を書こうと思う。


どうぞ、良い週末を。


by桜子

photography of monument valley arizona

神様だけにできること


今日、伝えたいことが1つある。
それは沢山の種類の神の中、主イエス・キリスト「だけ」に出来ることは何か、という話。

前置きが長いと、ここで読まなくなる人がいる。
だから一気に結論を書く。それは、

「死の解決」

である。

人の目にはまっすぐに見える道がある。
その道の終わりは死の道である。


笑うときにも心は痛み、
終わりには喜びが悲しみとなる。(箴言14章12,13節)



聖書を信じるメリットは、死の問題からの解放だ。
聖書によれば、イエスキリストを信じると、死んでも生きる、とある。


私はよみがえりです。命です。私を信じる者は死んでも生きるのです。(聖書)


死んで生きるってどういうこと?いやいや、人間、死んだら無でしょ、と思う人も多いだろう。

聖書はさらに、続く。


次のように書いてあります。
キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、
罪の許しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。

(ルカ24:46,47)


罪は、的外れ、という意味だ。
神様を知らない人生は、的が外れているんだよ、と聖書は伝えていて、
ひとりひとり、神様と共に歩んで、的外れを悔い改めて、神と共に歩んで、と言っている。

死んで蘇るなんて、あり得ないと思うけれど、もし神なら、あり得るよね?!
だって、


神にとって不可能なことは一つもありません。(ルカ1:37)


そう書いてあるから。



目に見えない神様なんて、信じられない!
私は10代の頃、そう思って、神様がいるなら、目の前に出て来て!と何度も祈った。

その答えもまた、聖書に書いてある。


イエスは彼に言われた。
『あなたは私を見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。』
(ヨハネ20:29)


見ずに信じられない者ですよ、私は…!などと言ってた私が、信じるようになった。
これもまた、神がなした一つの奇跡。
私は今、当たり前のように、イエスキリストとブログに書いているけど、
それをここに書いて、ひいてしまう読者の気持ちもよく分かる一人である。

かつて、聖書を否んで、たぶん多くの人が否んだり、疑ったりして、信じるようになった人たちなのではないかと思う。(※子供以外)



20年続いた、私のブログと、次の聖書の御言葉、について、ちょっと考えた。

私はいつも私の前に主を置いた。
主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。(詩編16:8)



振り返ると、聖書の御言葉(みことば)を、右に載せて、20年ゆらぎっぱなし。

お手本にならない話をたくさん、赤裸々に載せてきて、正直消したくもなるけど、
色々考えた末、削除しないでいる。


立派な人じゃなくても、
ダメダメな人でも、
神様は共にいてくださる。
こんな私が今でも神様を信じていることこそ、証といえるのかもしれない。

主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。(聖書)


これからも神様を賛美し続けられるか自信はまったくないけれど、
いつ自分もイエスを裏切るユダになるか分からないけれど、
今日の最後にこの御言葉を紹介して、終わる。



イエス・キリストは、
きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
(ヘブル13:8)



わたしの目にはあなたは高価で貴い。
わたしはあなたを愛している。

(聖書)



今日、あなたが神様を信じる日となりますように!


by桜子

VacationBibleStudy

お盆ウィークのそれぞれ

今年の夏は、暑い。
ニュージーランドより、ずっと暑くて蒸し蒸しする。

お盆の今週、東京は台風襲来予報で、すわ天気はどうなる?!と大騒ぎだった。
が、進路が逸れた。

帰省や家族旅行に出かける人がいる中、ここ代官山では、東京バプテストチャーチという英語と日本語を使う教会で「バケーションバイブルスクール(略して、VBS)」が、未就学児から小学6年までの子供達に開かれている。

今年は、コロナ後初の本格始動だ。
100人超の子供と、100人超のボランティアが集まり、いろんな国の人がいて、インターナショナルである。
朝9時から午後1時まで、子供達が聖書に親しみ、歌やダンスを習い、スナックタイム(おやつ)を楽しむ5日間。私はコロナ前はこの週をクリスチャンウィークと呼んで、リラックスするのが常だった。

今年のテーマソングは、SPARKS(弾ける)!まさに、コロナ後にピッタリ。

秀逸な音楽はアメリカ発。過去の思い出はこちら:VBS at Daikanyama


4歳から参加していた娘も、今年は最終学年。
迷いに迷った末、私は恐れ多くもスタッフTシャツを頂き、参加中。


何気なく誰かと話すだけでも、その人の背後にあるものを知ると、神様がこの人を今日は会わせてくださったと知り、導きを覚える。そういうわけで、今週はよく祈っている。祈り漬けである。


なんだっけ、この、いっつも祈ってる感じ…
と思ったら、何のことはない。ニュージーランドで家を探していた時(ニュージーランドの家探し~短期移住)が、そうだった。



あなたを、わたしを創った神は、生きている。
主は生きておられる。

あなたの夏が、守られますように。
あなたの夏が、神様と共にあり、たくさんのSPARKSがありますように!


by桜子


追伸:義母(84歳)が先週水曜に事故に遭い、月曜に骨折の手術を終え、リハビリ頑張ってます!今のところ「早く退院したい」と歩けるように努力する気持ちが与えられています!感謝。