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子供クリスマス会ラッシュ

12月金曜夜といえば、かつては私も街に繰り出した。

先週はそんな遠い昔に思いを馳せ、娘のいる保育園へまっしぐらに向かった。
その夜、私たち母子は近所の教会でクリスマスパーティがあった。一度家に帰って着替えようと、私は娘の手をひいて早歩きをしていた。そして同じように、わが子の手をひいて歩く母親らと何度もすれ違った。すれ違う女の子はみな揃ってディズニープリンセスのようなドレスを着ていた。

さすが代官山、パーティには事欠かない。

さて、そんな中、わが家はお地味(?)に教会へ。
うちの子は、近所の外国人向け教会のバイブルクラスが大好きで、毎回心待ちにしており、今夜も近くのお友達が数名来ていて喜んだ。

▪️英語のバイブルクラスとクリスマスパーティー

娘べべは喜々として皆の世話を焼いた。
(なんと、私の仕事仲間S子さんが新橋から去年に続き来てくれて感謝)

そして翌日は吉祥寺の子どもクリスマス会へ。

今年は賛美中心で、ホールに響く子供の声は美しかった。
私が小学生の時に歌った曲が流れていて、世代を超えて私の記憶が娘に引き継がれる瞬間に涙した。(※比喩です)

たまたま、義母も来てくれ、考えたら私の結婚式以来であった。
先生方がイエスキリストご降誕の劇をやったのを見て、「子供の会は、大人のより分かりやすくていい」と母は喜んで、「連れて来てくれてありがとう」と、何度も私にお礼を言ってくれた。

なぜか、途中の出し物でNHK大河ドラマ「真田丸」の寸劇があった。
わが家は観ていないので、いまいちよくわからなかったが、娘べべは翌日NHKのCMを見て「さなだまる~!」と叫んでいた。さすが、子供の吸収力は早い。

あと、意外にもピコ太郎の曲が流れて来たので、集会スタッフのしなやかさにも少し感動した。
こんな時代が、かつてこの吉祥寺にあっただろうか。

あれこれテンコ盛りだったが、どの会も、背後にある、「神様の愛を知ってほしい」というクリスチャンの方々(神様の存在を信じる人)の祈りを感じ、大きな安堵感を覚えた。普段の日常では俗世間にまみれている私でも、神様を信じていることは間違いない。

12月のクリスマスシーズンはこんな風にして天を想い、一日一日と、重荷を降ろしていく気がする。すべての重荷を降ろして、もう心配しなくていいよ、と言われる日の最終日が大晦日のような気さえする。
(※仕事も休みになるし・・・)

でも本当は毎日が私達の大晦日であって、
毎日の心配は不要である。

クリスマスまで、あと一週間。
しばらくこんな暮らしに浸りながら過ごしていきたい。


夏の軽井沢・日曜学校こどもキャンプ2016

去年に続き、今年も母子で参加した二泊三日のこどもキャンプ。

 
女友達2人が来てくれ、大人3人にこども1人で向かう。

私は子供の面倒と大人トークの両立が出来るので気楽だった。

行き、ランチを軽井沢駅前の良さげなお店でアフタヌーンティーをする。

4時から受付、半からクラス開始。

まずは名札作り。去年、名前を書いてもらった娘は、今年自分で名前を書いていた。  

  
DAY1。

二日目は、鳥の声に起こされて娘4時半起き。

朝食前にとうもろこしの皮剥き。

 
食後はバスで遠足。

  
 夜は日曜学校の先生によるお芝居を見た。去年よりも今年はさらに迫真の演技で面白かった。
最終日は、朝の集いで歌を歌う。

 
その後、工作。パパに作ったよ。

  
自分で書いた『パパに』の3文字。

帰りたくないと別れを惜しむ娘と共に、今年も参加できたことに感謝。


保育園の園庭

あっという間に6月も終わり、7月に入った。

保育園の園児たちが育てたナスも、大きく実った。

 
娘が、庭のナスを見て、と言うので、これみて茄子好きに変化してきた理由が分かった。

実地学習は大事である。

さて、今朝は心労気味なので、友の薦めもあり、朝から聖書のメッセージを聞いてみた。

朝からそんなヒマあるか?と思っていたが、トライしたところ、3分くらいで、オーディオ環境は設定できた。
あとは聴きながら、朝の支度をするだけ。

聞いてたら少し元気になった。

子供の教育

内容は聖書から考えた視点。リンク探したら、あったので、クリッカブルにしておく。

先日、年上のママ友から、巷に育児書はたくさんあれど内容がペラッペラ、と嘆いていた話を思い出した。

そうなんだよな〜。いい話こそ、実はどこかに埋もれていたりするんだよなあ、と思い、どなたかの参考になれば、と共有する。


わたしが死んだら~4歳のつぶやき~

今朝は夫が昨日から出張で、娘と私、ふたりだけで朝を迎えた。
吉祥寺の日曜学校がお休み、ということもあり、近所の東京バプテストチャーチの礼拝に出かけた。
午後からは、娘の初めてのバイオリン発表会もあったので、渡りに船だった。

と言う前置きはさておき、
礼拝後、昼食前に、頂いたクリスマスクッキーでおやつタイムを取っていると、
娘から思いがけない質問が飛んできた。

娘「ママ、私が死んだら誰が運ぶの?」
私「え?なに??身体なら誰かが運ぶけど・・・・何を?!」「身体?心?どっち??」
娘「心。」
私「心なら大丈夫だよ、神様がシューっと運んでくれるよ。」
--ふうん、という娘の顔。ふと私、心配になり、

私「ねえねえ、ママとべべちゃん、どっちが先に死ぬか分かる?」
娘「ママ。」
私「そうそう。(良かった、わかってる。)」

と会話しながら、普通の家だったら、子供に死のことを尋ねられたら、不吉なことを言ってと怒鳴るかも知れないなあ、と思った。
でも、人はいつか死ぬ、という、当たり前のことは例え小さな子でも知っておくことは私は大切だと思っているので、こんな話が出来て良かったと思ったし、、共に死に向き合えることはとてもいいことだと思った。

でも・・・・それと、死を受け入れられるかどうかは全く別の次元の話。
もしも娘が取られたら、私は発狂して死んでしまうだろう。


ママ大好き記念日

娘に、「好き」と初めて言われた。

夕方、畳の部屋で立ち上がって洋服を整理している私の足に娘がじゃれてきて、
「ちっち、ママのこと大好き」※チッチ=自分
「ママのこと、だーいすき!」
と、片足にハグしてきたからビックリ。

それはまるで、マリヤがイエスに香油を注いだときは、こんな感じだったかと思うような、甘く優しい感触でうっとり・・・。

大好きどころか、好きと言われたのも初めての私だ。

「それ、ホント!?」
と思わず聞き返した自分に心の中で苦笑い。

おかしなものだ。
一般的に子が親を好きなのは当たり前なのに・・・。

だが、私はまだ新米だし、娘が自分を好きかどうか等と考える余裕もなく、今日まで走り続けてきた。
だから、言われて心の中に灯がともるようにうれしかった・・・!

同時に、言われてうれしかった自分にも驚いた。

というのは、こんな私にも、娘に対しては〝見返りを求めない愛〟---つまり、無償の愛(アガペー)を注いでいたことに気づいたからである。

血も涙もない私にも、人間味あふれる所があったのか・・・と思わされ、また聖書にある通り、親が子を愛する愛によって、私たちは神様の愛を知る、ということのくだりも、なるほどと思わされたのである。