カテゴリー別アーカイブ: LOVE(愛)

close up of christmas decorations hanging on tree

渋谷クリスマス会、ほんとにあった話(1)

娘が小さかった時、自宅で小さなクリスマス会をやった。
娘の友達や親御さんを招き、紙芝居を使ってお話をして、みんなで歌を歌って楽しむ、という、かなりベタな会を催した。が、思いのほか、温かい時間になり、子供たちは愛らしかった。


そんな体験から、私は、もともと大好きなクリスマスが、さらに大事になって、クリスマス会に思いを抱くようになった。


とはいえ、クリスマス会、の開催に際し、私の場合は、それを楽々できるタイプでもなかった。
誰かを呼ぶのはやっぱり忙しくなるし、神経を使う。
それに、自宅でやると、呼ぶ人を選別せねばならないのも、苦であった。
「私、呼ばれてない…」という話がよくイベント時には横行する。私はそれが嫌であった。


みんな、呼んで、みんな、仲良くする。
それが出来たら、どれだけ日本の社会は生きやすくなるだろう・・・!



翌年、私は前年にわが家へ来た友人に相談してみた。

「確か、借りられる広い場所があったよね?まだ迷っているけど、今年はそこでクリスマス会やるのはどうかなって思ってて…」

すると、数日後、彼女から連絡が来て、

「予約しておきました!」

と仰る。


ええ?!(まだやるかどうか…決めてない)と内心驚いた。
が、(それなら)と、後日一人で、どんな場所なのか、下見へ行った。


当日おずおずと、その扉を開くと、その場所を借りている団体が利用中であった。
それで、主旨を話すと、見学を許可されたので、私は、❝いや、実は、やるかどうか、迷っているクリスマス会❞の話をした。

すると…

なんということだろう!

「僕たちも手伝いたいです!僕ら、芝居のけいこ中なんです!」

と仰る。彼らは、俳優になるのを夢見て、夜に仕事をし、日中は演技の練習をするという劇団だったのである。
いや、マジですか?!


私は狐につままれたような気持になった。

わたしは盲人に、彼らの知らない道を歩ませ、彼らの知らない通り道を行かせる。
彼らの前でやみを光に、でこぼこの地を平らにする。
これらのことを私がして、彼らを見捨てない。
イザヤ書42:16




(つづく)




by桜子

photography of monument valley arizona

神様だけにできること


今日、伝えたいことが1つある。
それは沢山の種類の神の中、主イエス・キリスト「だけ」に出来ることは何か、という話。

前置きが長いと、ここで読まなくなる人がいる。
だから一気に結論を書く。それは、

「死の解決」

である。

人の目にはまっすぐに見える道がある。
その道の終わりは死の道である。


笑うときにも心は痛み、
終わりには喜びが悲しみとなる。(箴言14章12,13節)



聖書を信じるメリットは、死の問題からの解放だ。
聖書によれば、イエスキリストを信じると、死んでも生きる、とある。


私はよみがえりです。命です。私を信じる者は死んでも生きるのです。(聖書)


死んで生きるってどういうこと?いやいや、人間、死んだら無でしょ、と思う人も多いだろう。

聖書はさらに、続く。


次のように書いてあります。
キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、
罪の許しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。

(ルカ24:46,47)


罪は、的外れ、という意味だ。
神様を知らない人生は、的が外れているんだよ、と聖書は伝えていて、
ひとりひとり、神様と共に歩んで、的外れを悔い改めて、神と共に歩んで、と言っている。

死んで蘇るなんて、あり得ないと思うけれど、もし神なら、あり得るよね?!
だって、


神にとって不可能なことは一つもありません。(ルカ1:37)


そう書いてあるから。



目に見えない神様なんて、信じられない!
私は10代の頃、そう思って、神様がいるなら、目の前に出て来て!と何度も祈った。

その答えもまた、聖書に書いてある。


イエスは彼に言われた。
『あなたは私を見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。』
(ヨハネ20:29)


見ずに信じられない者ですよ、私は…!などと言ってた私が、信じるようになった。
これもまた、神がなした一つの奇跡。
私は今、当たり前のように、イエスキリストとブログに書いているけど、
それをここに書いて、ひいてしまう読者の気持ちもよく分かる一人である。

かつて、聖書を否んで、たぶん多くの人が否んだり、疑ったりして、信じるようになった人たちなのではないかと思う。(※子供以外)



20年続いた、私のブログと、次の聖書の御言葉、について、ちょっと考えた。

私はいつも私の前に主を置いた。
主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。(詩編16:8)



振り返ると、聖書の御言葉(みことば)を、右に載せて、20年ゆらぎっぱなし。

お手本にならない話をたくさん、赤裸々に載せてきて、正直消したくもなるけど、
色々考えた末、削除しないでいる。


立派な人じゃなくても、
ダメダメな人でも、
神様は共にいてくださる。
こんな私が今でも神様を信じていることこそ、証といえるのかもしれない。

主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。(聖書)


これからも神様を賛美し続けられるか自信はまったくないけれど、
いつ自分もイエスを裏切るユダになるか分からないけれど、
今日の最後にこの御言葉を紹介して、終わる。



イエス・キリストは、
きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
(ヘブル13:8)



わたしの目にはあなたは高価で貴い。
わたしはあなたを愛している。

(聖書)



今日、あなたが神様を信じる日となりますように!


by桜子

Season2:ニュージーランドの家探し~短期移住9

「一か月でそこまで経験しましたか…。僕はここに30年いるけど、そんな経験したことがないなあ…」

colleagues having a conversation at an office
(イメージ写真)


と、NZ在住の方に、夫が今日、言われた。


で・す・よ・ね?



私はたまに思う。
もし出発前、こんな悲劇に襲われることを知っていたら、絶対にニュージーランドに来なかった
と。



「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」
(新約聖書ヨハネ13:7)と、数日前、父が私に言った。

そうかな?
そうかな?
と思ったが、

今日思った。

私は久しぶりに10時間、眠れた。

それで今、生きている。
あんなに苦しい思いを経験したのに、私は今、生きている。
なんだ、大したことないじゃないか、生きているんだから、と、ほんの少し思えた。





さて、本日の本題、ニュージーランド短期移住のきっかけの続きを書く。

<これまでのお話> 
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1月02日: 東京からオークランドへ。主人の友人宅に滞在するも、第3週に退去。
  22日: オークランド郊外へ脱出し、Airbnbの家に9泊。
  31日: 今夜の住まいが見つからず。
    1日になるまで残り8時間の所で、ジョンとエヴァの家が与えられる。

2月02日: キッチンの台を熱い鍋で焦がしてしまう。
  08日: ジョンが、キッチンの修理費用を3社見積中と言ってくる。
10日: ジョンが、私たちの宿泊費を修理費用に返金しないと言う。
    私は疲労困憊で涙が噴き出る。
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Season2:ニュージーランドの家探し~短期移住8の続き。

ニュージーランドに来てから、ともかく朝が辛い。

なぜ辛いかと言えば、希望がないからだ。
安心して暮らせる家がないと、人は希望を失う。
生活空間に、楽しみをつくり出せないと、外出か、早く夜が来て寝るしか、希望がない。

住み心地の悪い家に住むのが、人にとってどれほどの害悪か、嫌というほど学んだ。


私は目を覚ましたくなかった。
起きたら、現実と向き合わなくてはならない。
それでも娘の制服を洗ってやりたかった。
しばらくして、のろのろと起き上がり、階下の洗濯場へ行くと、ジョンが来た。

「今日来た修理業者、見積金が思いのほか安かったよ」と喜んでいる。

私は普段なら、ジョンが話しかけると、忠犬ハチ公みたいに、すべての作業をやめて傾聴したが、この日は違った。


(知らんがな・・・)
と思った。


(いくら見積が安かろうが、私たちが払ったお金は返さないんでしょ)
と思った。

そう思うと、もう正直に言ってやれ、という思いが出て、私は言った。


「来てからずっと、あなたの奥さん、怖かった。私が機嫌を良くしてもらいたい、と思って話しかけても…」と訴えると、またもや涙腺が潤んだ。


私たち家族は、どちらかと言えば綺麗好きだ。
埃だらけの家を滞在2日目には綺麗に掃除機をかけて、テーブルを拭いた。

満額の滞在費用を払い、光熱費も、共有スペースも、利用する権利があるのに、
節水して、遠慮して、我慢ばかりして、我慢ばかりして、と、思ったら、もう悲しくて泣けてきた。

すると驚いたことにジョンは、「僕でさえ、妻に手を焼いている…」と言う。

「昔は、彼女、ああいう人じゃなかったんだ。今は、分かるだろう?彼女の年齢だから。君がこの地で頑張っているように、エヴァは今、闘っているんだよ。農場とこことを行ったり来たりして、自分と闘っているんだ。」


要するに、更年期ってこと?


と私は思った。
が、家主が更年期でイライラしている、という情報は、さすがに私、分かんない!!!!
お手上げだった。



そして、ジョンは最後に、こういった。

「今日で、この家と最後なんだから、思いっきり素敵な日にしなくちゃね」

彼なりに、私に愛を送ってくれていたと思う。
そして、私も、「そうだね、そしたら今夜ステーキでも焼こうかな」と言ったが、
私はもう二度と台所で調理するのはごめんだった。

そして、それ以来、彼の姿を、二度と見なかった。



by桜子



クリスマスの朝

家のポストを開けると、1通の赤い封筒が入っていた。

開くと、お隣さんからの手紙だった。

お隣は先月、上階から引っ越してこられた老夫婦で、私は奥様から話しかけられた際に、優しそうだな、と思っていた。手紙には、その彼女から、私が前日に差し上げた林檎のお礼と、プラスアルファ、がしたためられていた。


「もしや、お宅はクリスチャン?」


話は12月上旬に遡る。
私は玄関の表ドアに、娘のお手製リースを飾った。

a christmas wreath hanging on the door
Photo by Anastasia Shuraeva on Pexels.com



そして、私と同じように、ドアへ飾りをつけている家が、同じフロアに他に2件あった。その1つが隣で、ポイントは、それがサンタとトナカイだった点だ。


私は今、在宅勤務だから、家を頻繁に出入りする。そのたびに、隣のサンタとトナカイが視界に入ってくる。そして、いつも、何の気なしに思っていた。

           (・・・サンタなら、プレゼントが届くよな…)


それで、隣に何かを差し上げたいとずっと考えていた所、23日(結婚記念日!)に、家へ突然、大量のリンゴが届き、その見事な青森のリンゴに、私はこれをおすそ分けしようと決めた。

 紙袋にボンボンとリンゴを入れた。が、これではどうもハレの感じが出ない。


 そこで、透明のパラフィンでリンゴ2つを包み、上を赤いリボンで結んだ。
(おお!これで一気に、クリスマス!・・・)

そうそう、忘れちゃいけない、と慌てて、友お手製のクマ飾り付き「聖書の言葉カード」を括り付けてみた。うーん、可愛らしい。完成だ!



 さて、隣のチャイムを鳴らす。

 
 私とて、知らない人のドアを叩くのには、勇気がいる。

 変な人に思われたらどうしよう!!だが、だからこそ、リンゴは少なくした。どうかな、どうかな。ドキドキ…。だが、出てきた夫人は大変驚きながらも、とても喜んでくださり、私はホッとした。

 それで、クリスマスの朝に話は戻る。

「もしや、お宅はクリスチャン?」


この後には、続きが書いてあった。


私はクリスチャンホームで生まれ、夫は●年前に洗礼を受け、今はXX教会に通っています。
聖書の言葉を見つけてうれしくなりました。




私が、その朝どれくらい喜んだか、書くまでもない。
そもそも、このリンゴを頂いたことにも、他のストーリーが含まれていたのだが、そこを披露すると、キリがないので割愛する。

クリスマスの朝に、隣人がクリスチャンだと知ってうれしかったが、何よりも、そのことを知らずに、日常が過ぎていくこともあり得たのに、神が私の生活に手を伸ばし、施してくださった采配が、何よりうれしかった。

今日も神は生きて働く。私は神さまを心から賛美する。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、


あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。

by桜子

嵐・二宮結婚に激怒する子と苦しむ大人

私はミーハーである。芸能ネタも結構好きだ。だから、今日沢尻エリカが逮捕された速報も、自分とは無関係なのに、つい記事を読んでしまう。

そういうわけで、別にジャニーズファンでもない私が、「嵐の二宮結婚」という報道もキャッチしており、ファンの一部が、彼の交際報道を聞いて以来、そのことに怒っていることもよく知っていた。

だが、身近でママ友からこの話を聞くとは、夢にも思わなかった。
昨日、彼女が言った。子が家で怒り狂っている、と。「本気で、怒っているんだよね!」と、目を白黒させていた。

そういえば、私の友だちで、熱心なジャニーズファンが一人いた。成城に住んでいてお嬢様の彼女は、自分の広い部屋に、特大の光GENJIポスターを飾っていた。が、私が最も驚いたのは、高校1年生という身分で時計や服をプレゼントしていたことだった。

「これ、私があげた時計なの!」と言われて指さす雑誌のページを見ると、確かに笑っている彼の手には、彼女が買ったというスイス製スウォッチがはめられている。「この洋服も、そう!」と彼女がほかのページを開いて見せてくれた時、ファンとタレントというのは、こういうものなのか、と理解した。

が、この話と、上記の子の話は別である。

ママ友は言った。

「それって、本当にファンじゃないよね?愛って、相手のことを思うことでしょ?私、叱りたい気持ちをぐっとこらえるのが精いっぱいだった。あとは、だまってただ彼女の言うことを聞いていたよ・・・」

YouTubeにこんな動画を見つけた。

うまくまとめている。
が、怖すぎるよ・・・。

二宮が大変、気の毒だ。無名だった頃、その末路にこのような時代を迎えるとは夢にも思わなかったろう。それでも、タレントとして今日まで走っていなければ、アナウンサーだった彼女にも出会えなかったわけだから、否定もできない。

私はニノのファンでもなんでもないが、「ブラックペアン」で主役を演じる彼のTBSドラマは応援していた。
ニノのことも、ちょっと祈ろうかな、と思った。

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Indulge every moment of your proposal or gift with the creative ring case.
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夫が早く帰ってきた

昨夜、いまだかつてない早時間に夫が家に帰ってきた。
たぶん今年のベスト1ぐらい。

ちょうど部屋を真っ暗にして、ベッドの中で娘に本を読んでいた私は、
寝室のドアがぬうっと開いて、ただいま・・・と言う、
彼の娘を起こすまいとする小声に跳ね起きた。

「わっ!!!ビックリした!!!!やめてよ、怖いよ!」
と、思わず叫んだ。

だが、娘は目をぱちっと開くと、ベッドの上で3回ジャンプして、
「パパ~!!!!!」と身体全体で喜びを表現。
そして、「あっち、行く」と、リビングへの移動を要求して彼に抱きつき、
しまいには、「食べる」と言って、夕食を食べる夫の横で、ご飯まで食べ始めた。

夫は、
「べべと一緒にご飯が食べられて、パパはうれしいよ」
と言った。(※ふだん夫はひとりご飯。)

アイラブユーは、こうやって表現するんだな、と
娘の、天真爛漫な姿に深く感心した。
私だって、こうやって自分の登場を喜ばれたらうれしい。

私も、もう少し、可愛い妻にならなくては・・・・・!

と、思ったけれど、
ふだんの私は、心にあることをそのまま夫に話してばかり。

そのことを指摘するかのように、
夫は、夕食を終えてお酒を飲み始めると、

「きみさあ、もう少し、自分の過去ブログを読んだ方がいいよ」
と言い始めた。

(つづく)

昭和大学病院で出産した友人

今日の出来事をいろいろ綴ったのだけど、文章が全て飛んでしまった!

書きたかったことは、心配していた池上線のベビーカーも、問題なく利用できたということ。そして赤ちゃんが無事に3,059グラムで生まれたこと、今日もすばらしい一日だったこと。

昭和大学で、子供たちが枯れ葉を拾ったり、お散歩して笑っていた。感謝だった。
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ハッピーバースデー

ハチバースデートゥーユー♪

と、娘がいまさっき、私宛に書いてある、英語のHAPPYBIRTHDAYのカードをみて、

ハチバースデー!
ハチバースデー!

と言い、

ふぅっ!!

とロウソクを消す真似をしたから
夫、ビックリ!!

「なんで、読めんの?」
「なんで、ロウソクを消すとか、しってんの??」

「ちょっと、キモい!キモいよ、べべ!!」

と、驚愕して、本気で嫌がっていた。

娘は、初めて聞くであろう、キモい、に顔を傾けた。

…夫よ。気持ちは分かるが、
言葉使いが非常に俗っぽいわ。。。

娘には、けして学んでほしくない言い回しだ。

今日、私は40代にしっかと足を踏み入れた。

そうして、娘は来月16日で二歳になる。

現在、一歳十一カ月の彼女は驚異的な記憶力と語彙力を身につけながら、人間力が飛躍的に上昇してきた。

娘の成長と共に、私の加齢にも感謝して、また一年神様によろしくお願いしますと祈るのみである。

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