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わたしが死んだら~4歳のつぶやき~

今朝は夫が昨日から出張で、娘と私、ふたりだけで朝を迎えた。
吉祥寺の日曜学校がお休み、ということもあり、近所の東京バプテストチャーチの礼拝に出かけた。
午後からは、娘の初めてのバイオリン発表会もあったので、渡りに船だった。

と言う前置きはさておき、
礼拝後、昼食前に、頂いたクリスマスクッキーでおやつタイムを取っていると、
娘から思いがけない質問が飛んできた。

娘「ママ、私が死んだら誰が運ぶの?」
私「え?なに??身体なら誰かが運ぶけど・・・・何を?!」「身体?心?どっち??」
娘「心。」
私「心なら大丈夫だよ、神様がシューっと運んでくれるよ。」
--ふうん、という娘の顔。ふと私、心配になり、

私「ねえねえ、ママとべべちゃん、どっちが先に死ぬか分かる?」
娘「ママ。」
私「そうそう。(良かった、わかってる。)」

と会話しながら、普通の家だったら、子供に死のことを尋ねられたら、不吉なことを言ってと怒鳴るかも知れないなあ、と思った。
でも、人はいつか死ぬ、という、当たり前のことは例え小さな子でも知っておくことは私は大切だと思っているので、こんな話が出来て良かったと思ったし、、共に死に向き合えることはとてもいいことだと思った。

でも・・・・それと、死を受け入れられるかどうかは全く別の次元の話。
もしも娘が取られたら、私は発狂して死んでしまうだろう。


聖書が教える育児

昨年、聖書の観点から書かれた育児本を頂いた。
ずっとこのような本を探していた私は飛びあがりたいくらい嬉しかった。
というのは、聖書に基づいた育児の価値観が知りたかったからである。

一気に読み進めるのがもったいなくて、今☻んくも少しづつ読み進めている。
ちょうど、先日の夜は、こんな箇所を読んだ。

【親の言うことを聞かない子をどうやって聞かせるか?】
この問題で悩まない親は1人もいない。すべての親は、子と日々格闘している。
この育児本では、上記の問題に対して、以下の対処は間違っていると書いてあった。

1)賄賂を使う方法(お菓子をあげるから、買ってあげるから、○○しなさい)
2)感情に訴える方法(あなたが○○しないとお母さんは悲しい)
3)罰を与える方法(○○しないと、テレビは1週間禁止よ)
4)行動を修正する方法(○○をしたら、シールを一枚づつ貼るわ)
5)私もちゃんと育ちましたから的方法(ママもおばあちゃんに○○するよう言われた)

夫にこの話をすると、
「たいていの親は、今言った方法で対処しているよね?それがダメなら、どうやって対処すればいいの?!」
と言った。

私も、
「だよね。その答えが次の章に書かれているみたいなんだけど、まだ読んでないの。」
と言って、夕食を終えた。

その夜。
娘をベットで寝つかせていると、夫が傍らにいたせいか、突然泣き出して
「あっち(リビング)のお部屋行きたいの~!」と大声で遊びたいと喚きだした。

今まで、わが家ではたいてい、このような状態になると、
体力のある夫が娘を抱きかかえ、リビングで娘の願うとおりに遊ぶのだが、
この日は明らかに就寝時間であって、娘が本心から遊びを希望しているというより、
ワガママだと(私には)見えた。

それで、私は絶対にダメだ、と言った。
夫は娘の言うことを聞いてあげたい風だったが、私が先に宣戦布告を訴えたので、
私に加担せざるを得なくなった様で弱ったなという態度だった。

そして、彼は娘を指導し、懸命になだめるも、べべは泣きやまなかった。
私は私で夫が対処してくれている間に、次の一手はどうすべきか頭をフル回転させて考えていた。
「そんなに泣くなら、一緒に寝ません。パパとママは(寝室を)出ていきます!」

しかし、ハッとした。罰を与えてはいけないと夕食時に話したばかりだった。
でも、どうしたらいいの!?

娘の泣き声がこだまする中、頭の中がぐるぐる回って、
ああもう!と思い切って私は夫に寝室を出ていってくれるようお願いした。

娘と私、ふたりきり。
そして私は、ママの話を聞いてと言った。

娘は泣きながら、「パパ、どこ行ったの?」と聞き、話を中断しようとしたが、
私は根気よく、「パパには出てってもらいました。あなたと二人きりでお話をしたかったからです。」と何度も答えた。

そして、私が娘に話したことは、
・パパとママが結婚してべべが産まれたこと。
・パパとママは神様からべべを授かったこと。
・パパとママは神様から授かったから、べべを育てる義務があること
・パパとママは神様から預かったから、べべを監督する義務があること
・パパとママの言うことを聞きなさい
・大きくなったら好きなことをしなさい

これらの話を娘にこんこんと説明したら、娘はすーっと寝てしまった。

このひと騒動後、戦いを終えた兵士のように隊長(夫)のもとへ戻って行き
「寝た・・・」と報告した。
そして、夫に「さっきの本の続き、読まなくても答えが分かった」と言った。

あとで、次章を開いたら、次のように書かれていた。

エペソ6:1
子供たちよ。主にあって両親に従いなさい。

夫は理解したかどうかはともかく、べべがその話を(泣きやんで)黙って聞いていた、っていうのがすごいよね。と言った。

私は、子育ての大変さと神の奥義に改めて深呼吸をした。
そして、聖書に認められている通り、子供というのは親が意識していようがいまいが、もっとも神様に近い存在として誕生している神秘を思わされた。

育児は、娘だけでなく、私にとっても非常な学びの連続である。


一年前の1歳バースデー

2012年10月16日火曜日、べべは一歳になった。

 私の作ったお誕生日ケーキ☆

このケーキをみると思いだす。
誕生日の前日に急遽、実母がスポンジケーキを焼いてもってきてくれたこと。

ならば、と誕生日を迎えた当日の朝6時半、娘と夫が寝ている間にカーディガンを羽織って、近所のマルエツプチ(スーパーマーケット)に生クリームを買いに走ったこと。朝の忙しい時間だというのに、娘をあやしながら、生クリームを泡だて、果物を切って、デコレーションを頑張ったこと。そして、慌てて近所のママ友らに「ケーキを焼いたんだけど、食べにこない?」と誘ったこと。
(※娘が誕生日というのは内緒にした。気遣いさせると思ったので)

それで、結局、その日は10~12人(子を含む)がわが家にいらしてくださった。
すごくありがたくて嬉しかったが、私は会が終わった後、片づけなどをしていたら、ちょっと・・・な気持ちになった。

一年たった今だから書ける話だけど、

私はこの日、家は賑やかだったけれど、心は小雨だった。
というのも、自分がホステスとして忙しく、肝心の娘と向き合う時間が殆どなく、いったい誰の誕生日だったんだろう、と思ったからである。それで、自分はいったい何を見て過ごしているのかなあ、と思った。

だけど、

すごいなあ、と思ったのはその後の3日間だった。

私を落ち込ませたそのケーキが、余ったことによって、(ケーキを巡って)1日一人、来訪があり、娘の幸せを祈る機会が3度も与えられたからである。
そして、私はすごく満たされて、そのことにも驚いた。

というのは、
改めて自分が本当に神様の存在を信じているんだなあ、と思わされたことと、神様はやっぱり一人一人に良くしてくださるんだなということを実感したからである。

      *        *        *        *

明後日はべべの幼なじみパリちゃんの2歳のバースデー。
フランシス一家もまた、神様に祝福された一日を過ごせるようにと祈っている。


初めての高熱

 午前中、近所の教会へ行って、家に帰ってブランチを食べ終わった時のこと。

べべを抱っこしたら、湯たんぽのように熱く、計ったら38度あった。あれれ、もう一回、と計ってみたら、今度は39度あった。夫にそれを言ったら、昨日から熱はあったのではないか、昨夕(私がいないときに)べべは吐いた、と言う。

「ええ!?そういうことは早く言ってよ!」
と、私が声を荒げたら、

「その時は熱があると思わなかったし、吐いたのは別の理由で吐いたと思ったから」
と、言う。

 眉間に皺を寄せつつも、「突発性発疹じゃないかな?」と静かに言い、育児専門書を紐解いて説明書きを読んだ。

「生後6カ月ごろから1歳ごろまでの赤ちゃんにかかる病気で、赤ちゃんの関所みたいなもの。1度かかれば2度目はないが、まれに2回以上かかる赤ちゃんもいる。いきなり38度以上の急な発熱から始まるのが特徴で、生まれて初めての発熱をこの病気で経験する赤ちゃんも多いようです。云々」

 
 「まあ、元気な様子だし、病院へ行かなくてもいいと思うんだけど・・・」と私が落ち着きはらって言ったら、夫が尊敬のまなざしで私を見つめた。「学習しているねえ」の言葉に、私の鼻は1センチ高くなった。内心ちょっと嬉しかった。日頃の育児に合格点を貰った感じ!

 だが、いま振り返ってみると、これは偶然の産物だった。ちょうど二日前、友人の赤ちゃんが同様の症状に見舞われた時、友人が「このくらいの月齢には多い発熱」と教えてくれて、たまたま知っていただけだった。

 さらに考えると、今朝の礼拝では、「褒め称えられるべき方は自分ではなく、神様」という話をメッセージで伺ったばかりだった。礼拝ではマラソンのたとえ話があった。

「もし、マラソンであなたが1位をとったら、最も栄誉を受けるべき人は誰でしょう?」
この答えは、神様だった。「なぜなら、神様があなたをそのように創造されたのだから」というのに、なるほどと合点したばかりだった。

 それなのに、私はすぐ自らを誇り、聞いた傍から情けない。(だが、いまそれに気づいて良かった)

 話を元に戻す。

 で、結局、緊急病院が近所だったので、問題ないだろうと思いつつも、特に予定もなかったので、念のためにとべべを少し昼寝させたあと、病院へ出かけた。診断結果は扁桃腺が腫れている、ということだった。


---ここまで書いていたら、眠っていたべべが大声で泣いたため、私はベッドイン。明けて7月9日月曜の朝--

 昨夜も高かった体温は朝、夫が測ると平熱になっていた。
良かった、やっぱり熱は下がったみたい。

 夫は「べべは今日、初めての病み上がりだね~」とほほ笑み、にこにこして会社へ出かけた。が、なんのなんの、彼女が病にかかったのは、これが二度目だ。(1度目はこちら:ハスキーボイス

 そして、結局これは突発性発疹ではなかったようだ。湿疹と言えば目の周りにほんの少しあっただけだったし、すぐ直ったから、おそらく風邪であっただろう。そして、ウィルスの元は、おそらく先週金曜に出かけた代官山保育園の縁日ではあるまいか。

 それにしてもこれは、事初め。「これから先、たくさんの病気や怪我を経験していくんだろうねえ」と昨夜は2人でしんみりとし、私はこの先に思いを馳せた。

 今日は軽い症状だったから良かったけれど、この子はどういう健康状態の子なのか。この先、大病を患うことはあるだろうか?そのたびに心配したり、祈らされるだろうが、娘は無事に成人できる運命にあるだろうか。

 夫は夫で、突発性発疹が生後6カ月ごろから発症する、ということを、「母親の母乳の免疫効果が切れるからだろうね」と言って、「人間の身体って良く出来ているよね。そうやって赤ちゃんもこれから先は病気の危険があるよって教えているんだろうね」と、生命の神秘を褒め称えた。

 
 そして、お互いに「今日という日に発熱してくれて良かった」と一致した意見を述べた。

 一週間前なら、倉敷へ旅行中だった。来週末だったら来客があるから困っただろう。
 そして今日は何となく近所の礼拝場に出かけただけだったのに、結果としてべべに熱があったのだから、家のすぐそばで実に助かった。私たち三人、体力温存ができたし、私個人としては、週末で非常に助かった。(一人で看病は心細い)

 神様はパーフェクトだなあ、

と改めて、感謝と喜びの気持ちが湧いて、神様を知っていること、そして祈れることは本当にありがたいと感じた。


よく結婚したねえ・・・

昨日吉祥寺に行ったとき、教会の人に言われたこと。

「桜子さん、奇跡だよねえ。
 赤ちゃん出来たなんて信じられない!」
「よく良い人と結婚したねえ・・・」

これは、翻訳すると

*その年で
・よく出産したね
・よく結婚出来たね
・よく良い人をみつけたね

という一般的にはおそらく失礼だと気分を害する言葉の羅列だが、
何を隠そう、私もこれらの言葉を言われるたびに、本当にそうだとしみじみ思うので、否定のしようがないのである。

その人は、こうも言った。

「私ねえ、桜子さんの言ってくれたことで一番印象に残っているのは、『神様はたくさん祈ったから、たくさん良い行いをしたから報いてくださるのではなく、ただ憐れんで下さって恵みを与えてくださる』っていう話。あれ、ホント、実物(=私のこと)見ていて、そう思うもん」

と、これまた良く考えると普通なら怒りかねない言葉だが、これまた、本当にそうだよね、と頷くしかないので、それ、その通りなのである。

私は結婚した時、公の場で証する機会はなかったが、神様を信じている人たちに一つだけ言うことがあるとすれば、『事は人間の努力や願いによるのではなく、憐れんで下さる神様による」は本当だったよ!といいたいなと思った。

ある日突然、神様は自分の行いに関係なく恵んでくださるお方である。

今日もし元気がない人がいたら、そのことを思い出し、また信じて、元気になってもらいたい。