月別アーカイブ: 2018年2月

貫田おじさん、ついにタレントになる

私のおじ、天国ジジイ、が今夜日テレの特番に出るというので、録画して見た。

実は年末に、南極からの便りがいくつか届いていたので、なんだろなぁ、と思っていたが、コレだった。

いきなり机から出てきて、もはやタレントじゃん!!

レギュラーといっても、過言ではない叔父の活躍ぶりにちょっとビックリ。

でも、叔父は目立とう精神の人じゃなく、本人もテレビに出たいわけでもないので、私は、そこがいいんだよな、と思い、密かにも応援してる。

頑張れ!

渋谷区保育園結果、落選で出来ること(2)

今から四年前に書いた私の「渋谷区保育園結果、落選で出来ること」記事が、今でもアクセス数が高い。
私はその後、職場に復帰し、新たに業務の傍ら取材活動も再開し、イクメン社長と呼ばれるサイボウズの青野社長にも会い、念願の渋谷区長にも話を聞いたが、それでも、これらより、このテーマにアクセスが集中するのは、それだけ、渋谷区のワーキングマザーが目を留めてくださっている証拠だと最近気づいた。

ならば、私にできることとして、渋谷区さておき、ママが何とかやりくりして子供を預けた結果、そのあとに何が待っているか?!ということを、私なりに書いて、誰かのお役に立てればと思う。

題して、「復職することについて」
次に、「子供を保育園に入れたことについて」
    (保育園では何が待っているか?保育園児はどう成長するか?)
最後に、「保育園のママ友付き合いについて」

今日は、復職することについて。

奇しくも、昨日は某大手企業で「キャリア形成の働き方」という、育休明け社員および時短社員向けのセミナーがあった。
そこでは(1)同社で働く管理職女性の「子育てと仕事の両立」の経験談と、(2)起業して稼ぐようになった女性の、2つの話を聞いた。

お二人が共通して言ったことで、私の印象に残ったことは、「仕事をあきらめるな(だから、社内で腐るな)」ということと、「働く力、稼ぐ力は大切に」だった。

やっと子供の預け先を確保して、可愛いわが子と離れ、職場復帰するのは最初は緊張する。
子供は泣くし、噂に聞いてはいたが、これでいいのか、と自分の選択が間違っていなかったか、反芻する。
それで、フルタイムでバリバリ働く人にはこの後の記事はあまり参考にならないと思うので、読んで頂かなくていいのだが、私のように、「まずは時短で」復帰した場合、職場での心理はどのように変化するか、というと、以下になる。


①復帰直後。やる気に満ち溢れ、職場でのコーヒーが新鮮に美味しく感じる。ずっと赤ちゃんと話してきたので、大人と何気なく会話できることの幸せを噛みしめる。

②早く帰るので、(この職場で)ありがたいなと思う。

③職場で自分なりに頑張る。

④ボーナスや査定時期に、評価面談を受ける。結果が、期待通りでないとショックを受ける。
 (頑張らない人と同じ評価が出たら、ちょっとショック)

⑤次に頑張ろう、と次に期待しても、また同じことが起こる。

⑥時短では評価は悪いんだ、と気づくようになる。(←遅いって(笑)?!)
「マミートラック(*)」という言葉を知るようになる。
 ※子どもを持つ女性の働き方のひとつで、仕事と子育ての両立はできるものの、昇進・昇格とは縁遠いキャリアコースのこと(朝日新聞コトバンクからの引用)

⑨働くことについてモヤモヤする気持ちが生まれる。この先が不安になる。やる気が徐々に落ちてくる。

⑦フルタイムにシフトしようか悩む。

⑦辞めたくなる(仕事も育児も家事も中途半端。自分に自信がなくなる。)

⑧「職場にいられるだけでありがたい」と考えるようになり、自己評価は最低に。自分なんか、職場にいなくてもいい、と思うようになる。(=自己卑下)

私の場合は、評価が悪かった時、何をすればよくなるのかと役員や管理職と一対一で会う、ということまでやってのけたが、結局のところ、まあ、私がずば抜けた業績を出さない限り、時短勤務の社員と、フルタイムの社員が並んだら、残業している方を高く評価するといったようなことをいわれたり、仕方ないじゃん、というような、はっきりとはいわなくても、空気を読め、というようなことを言われてから、もう、すっかり割り切るようになった。

それでも、やっぱり波のように、「こんな風に過ごして、私の10年後は何が残るんだろう」と考えて、じゃあ、今私は何が出来るだろう、子供を犠牲にしてまでやりたいことって何だろう、などと、職場復帰してからの遅い自分探し、が始まってしまう。

とはいえ、まあ、実は、これは私の例であって、時短する同僚には、「今のままでぜんぜんオッケー」と、のびのび働いている女性も少なくないので、皆にこれがあてはまるわけではない。

思うに、私の場合は、やっぱり、(自分の能力はさておき)仕事が出来る人になりたい、という気持ちが(実力がないとしても)たぶんあって、だからといって育児をおろそかにしたくない、という気持ちと交錯しているから、上記のような流れが出来たんだと思う。

それでも最後に、私はこのライフステージの変化で得たものについて述べて、最後は終わりたい。

出産を通して得たもの。
生きる喜び、家族の大切さ、一人では生きていけないこと、助け合うことの尊さ、愛する喜び。

保育園に入れてから得たもの。
マルチタスク管理技術の向上、調整・折衝・交渉力、リスクマネジメント、割り切り力、規則正しい生活、日常における重要度の管理、アウトソーシング力、時短力、(子供という得体のしれない、その日によって変化するものに対する)受容力。

結局のところ、「正解はないんだよね・・・」と呟いた女性管理職の一言にすべてが込められている。
私は女性がもっと働け、働け、とも思っていないし、かといって、それも否定しないし、また主婦であることも素晴らしいと思っていて、一人一人が適正に応じて、納得できる人生を歩めるかどうか、である。

逆告白のバレンタイン


※写真は2018年アマゾンランキングで1位だと言うガレーのチョコレートです

昨日の夜、娘のリクエストに応えて、デニーズで夕食。

お皿洗いしないで済むのはいいなあ、と思いながら、新聞を読んでリラックスしてたら、珍しくママ友からLINE電話。時計を見たら夜7時。こんな時間に、あれ、なんだろ?

「どうしたの〜?」と私が聞いたら、「明日、バレンタインだねぇ….」と彼女。
うんうん、そうだよねーと、私が相槌を打っているとその話が止まらないので、「で、用件は?」と切り出したら、なんと、これが用件だった・・・!

どうやら、聞いていると、彼女の小学2年生の息子が、うちのべべからチョコレートが欲しい、と。

なにーっ?!うちの子、まだ年長ですけど……!!!

「でも明日だから渡せないねえ」と私が返したら、「遅れてもいいよw」と、ママ友。
けど、それって私が今から全部お膳立てせねばならず、今週は娘を連れて仕事の後に買い物へ行く余裕はまるでない。
「じゃあ、すこし(うちの子と電話で)話す?」と言って、子供同士の会話を許可した。

あっちの子は、めちゃくちゃ、照れていた。うちの子は、ウフフフという感じで笑っていた。
それでも、しばらくすると娘は私の視線に気づいたのか、「ちょっと、表で話してくる」と言って、私の携帯を手に店外へ出ようと走っていったので、慌てて私はカバンを持って、後を追いかけた。
「ちょっとちょっと、それはダメ」

結局、「今度遊ぼうね」ということで、電話を切った。

切った後で、娘が、「Nくんがもし居たら、べべ(うちの子・仮名)は、ママに甘えられないなー。」とはにかんだ。
要するに、N君の前では自分がママに甘える姿は見せられないね、という、彼女の乙女心だった。

早くも女子として歩み始めている6歳児に、私はちょっと、くらくらした。
早すぎる、バレンタインデビューではないか。いや、今どきはこうなのだろうか?

早くも、時代は私のバレンタインから、娘のバレンタインデーに移行していくのだった。

おらおらでひとりいぐも

先週、所用を済ませた帰りに、「公園に行きたい」と娘が言ったので、久しぶりに公園に寄った。

浜田山だったので、知り合いもなく、彼女は一人で、走っては、滑り台によじ登り、ブランコを漕いでは、鉄棒をするなどして、敷地内をめいっぱい、動き回り、飽きもせず、気づけばお昼もとうに過ぎていた。

楽しいんだろうなあ……と、私もまた一人、ベンチに腰かけて、娘を見守るのは久しぶりだ、と思いながら、その様子をぼんやり眺めた。

時折、べべが(遊具の陰に隠れて)消えては現れ、現れては消えた。
少し前までは、見えなくなると、慌てたが、入学を控えた今となっては、敷地内にいれば、多少見えなくても心配はいらない。

それくらい、大きくなった。

綺麗な服はあっという間に泥だらけ。

家に帰ったら、滑り台のやりすぎで、タイツのお尻が何箇所か、破けていた・・・(!)

細い足、小さな身体。

私の視線に気づいてにっこり笑う、いつもの顔が、あたりまえでなくなる日が、やがてくる。

それは、いつだろう、と思いながら、

まだまだ、この素直さで、成長してほしいと切に思う。

テプラ打てる?

数日前に、還暦間近の同僚に、ある仕事を頼まれた。

それが、「テプラ打てる??」だ。

目が飛び出るぐらい、びっくりした。だって、彼は私の上司でなく、チームメイトだからだ。真っ先にーーなぜ、自分でやらないのだろう?--と、思いながら、私は一呼吸して次のように答えた。

「(もう10年以上、使ったことないけど……)たぶん、出来ると思います。。。」

だが、彼は私の戸惑いには気づかず、涼しい顔をして、さらに依頼をかけてきた。

「テプラを、どこかから借りてさ、打ってよ」(にっこり)

課長職の友人女性に、この話をしたら、
「それって、あなた(桜子)に頼む仕事じゃないでしょ?!」と呆れた顔をした。

確かに、私も長い社会人歴の中で、最後にテプラを打ったのは20代の新人の頃だ。
今は40過ぎて、そういう仕事は派遣やバイトの人にやってもらうのが常だ。

「テプラを打て」と言われれば、それ自体は、やっても構わない。
が、私はテプラを打つための人として、会社にいるんだろうか?
勤務時間は短くとも、“より良い仕事”をしたいから、働き続けているんじゃなかったのか??

ここで、この叫びとは全く真逆の発想として、

テプラなんて簡単な作業をしてお給料を頂けてありがたい、と思う発想もある。

でも、私はずっとそうやって、ありがたい、という気持ちだけを支えに、この会社で働く意義を見出している。

いつからか、
やりたいことをやる、というよりも、雇用されているからやる、になっている。

これって、サラリーマンとしてはもちろん「アリ」だけれど、ビジネスマンとしては「ナシ」だ。
私は、サラリーマンでよかったはずなのだけど、なぜか心が泣いている。