数日前に、還暦間近の同僚に、ある仕事を頼まれた。
それが、「テプラ打てる??」だ。
目が飛び出るぐらい、びっくりした。だって、彼は私の上司でなく、チームメイトだからだ。真っ先にーーなぜ、自分でやらないのだろう?--と、思いながら、私は一呼吸して次のように答えた。
「(もう10年以上、使ったことないけど……)たぶん、出来ると思います。。。」
だが、彼は私の戸惑いには気づかず、涼しい顔をして、さらに依頼をかけてきた。
「テプラを、どこかから借りてさ、打ってよ」(にっこり)
課長職の友人女性に、この話をしたら、
「それって、あなた(桜子)に頼む仕事じゃないでしょ?!」と呆れた顔をした。
確かに、私も長い社会人歴の中で、最後にテプラを打ったのは20代の新人の頃だ。
今は40過ぎて、そういう仕事は派遣やバイトの人にやってもらうのが常だ。
「テプラを打て」と言われれば、それ自体は、やっても構わない。
が、私はテプラを打つための人として、会社にいるんだろうか?
勤務時間は短くとも、“より良い仕事”をしたいから、働き続けているんじゃなかったのか??
ここで、この叫びとは全く真逆の発想として、
テプラなんて簡単な作業をしてお給料を頂けてありがたい、と思う発想もある。
でも、私はずっとそうやって、ありがたい、という気持ちだけを支えに、この会社で働く意義を見出している。
いつからか、
やりたいことをやる、というよりも、雇用されているからやる、になっている。
これって、サラリーマンとしてはもちろん「アリ」だけれど、ビジネスマンとしては「ナシ」だ。
私は、サラリーマンでよかったはずなのだけど、なぜか心が泣いている。