アンジャッシュ渡部の復帰賛否両論とイエスキリスト

 「ねえねえ、渡部建の復帰、あなたは応援派それとも、否定派?!」

 私は、お笑いに疎く、アンジャッシュのコンビ名も、児島と言う相方も、知らなかった。が、一連の不倫騒動で、「渡部建」をよく学習し、すっかり関心を持つようになった。そして2月15日に、彼が千葉テレビで芸能界復帰を果たす報道を聞き、私は先週、夫に聞いた。が、どうでもいい、の一言で終わった。ごもっとも…。

 スナック菓子は身体に悪いと分かっていても、つい食べてしまうように、私はこのニュースが流れるたびハマって読み、日本中が彼を嫌っているように感じさせるネットの破壊力に恐怖を覚えた。私は彼の友達でもないが、同情した。この手の、誰かを批判するネットニュースを読むたびに、思い出す新約聖書の言葉がある。

 「あなた方の中で罪を犯したことのない者が最初の石を投げなさい。」

 これは姦淫の罪を犯した女性を「石打ちにすべきか?」とイエスに周囲が尋ねた時、イエスが返したセリフだ。「あなた方のうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」

 結局、年長者から始まって一人また一人とその場を立ち去っていき、誰も女に石を投げなかった。ひとり残された女はイエスにこう聞かれる。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」

 「だれもいません。」

 イエスは言った。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」


 今から決して罪を犯すな、という神の言葉は厳しい。
が、神の子のイエスは当然、人がその後に罪を犯すことは熟知していた。

 聖書では「罪」というのは心の中で感じた悪いこと、たとえば妬み、嫉み、憎しみも、罪であり、姦淫の罪と、心で感じた悪い思いを比べると、神の目から見たら同じ、ということだ。
 だから、聖書では、罪の贖い主である神の子イエスキリストを心に受け入れて人よ生きよ、と言っている。

 そんなことはおそらく知らないであろうお笑いの松本人志が、フジテレビの番組ワイドナショーで渡部建の復帰について語った記事が面白かった。

「もう二度とやりませんなんて、ここでうそついたら駄目やで」by松本

中スポ2月13日記事を抜粋する。

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復帰作となる千葉テレビのバラエティー番組「白黒アンジャッシュ」の収録に、相方の児嶋一哉(49)とともにスーツ姿で臨んだことなどが紹介されると、松本は
「ちょっとなんかもう堅すぎるから、もう少し柔らかく。絶対またやるし。絶対やるんですよ。絶対やる。本人が反省とか、二度とこんなこととか、言えへん方がええねん。またやってしまうと思うんですが、こんな僕を見続けてくださいってね。
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私は人間の本質を良く表したコメントだな、と目を留めた。


 私を含め、あの人はひどい、この人はおかしい、とつい言ってしまう、人の性(サガ)。
人を裁く権利や資格をもつ者は、誰も本当はいないことは明らかだが、どうして私たちは批判したり、裁いたり、叱ったりして、誰かを攻撃してしまうのだろう?

 一人の人が罪を犯すことになった背景にある社会的責任は、社会のすべての人にあることをも意味しています。
と何処かの記事に書いてあった。

 そういうわけで、私はどちらかといえば応援派。辛いことを経験したからこそ学んだ糧をバネに、渡部建には何か良いことを発信する、苦難を知り、神様を賛美する人になってもらいたいと思っている。


by桜子



 
  

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