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sakurako について

Sakurako,a business working woman who live in Shibuya,Tokyo.

お弁当づくり

前の晩に下ごしらえして、朝からお弁当作り。目覚ましを普段より1時間早くかけて就寝するも、緊張して、よく眠れなかった。

朝、起きるのに失敗したら、炊き立ての白米が出来ない!

ということで、緊張。

寝ながら具はどうしよう、と考えては、アイデアを練り、

出来上がったお弁当。

「力、入れすぎじゃない?」と苦笑する夫。

キャラ弁など、やる人の気がしれない、と思っていた私だが、この年になって目覚めた。

お弁当箱を開けた時、

少しでも笑顔になってくれたらいい。

親心である。

「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」第1コリント13:13

by 桜子

ヤバいぞニッポン!小中高生自殺最多415人

他の人の感じ方は分からないが、一週間があっという間に過ぎていく。
ブログを更新できない時は、たいていテンパっている。
そして、頭の中で複数の考えを、ああでもない、こうでもない、とこねくり回していて、吐き出したいのに、書く暇がない。

今はポッカリ空いたので、今週の出来事をちょっと書く。

ずっと在宅勤務で家にいる、と以前書いたが、今週は、月曜と火曜にオンライン研修(終日)を受けた。
月曜と火曜でテーマが異なっており、火曜に受けたのが、教える技術、だ。
業務でチームにどうやって上手に教えるか、ということが、テーマだったと思うが、私の脳裏にあったのは、わが子だ。いかに上手に娘に勉強を教えるか、を隠れメインテーマにしていた。

そんな私の心はさておき、その中で、驚く事件があった。
その講座では、ZOOMというオンライン会議の、グループ分け(ブレイクアウト機能)を使って、互いに教え合う演習があった。そこで、どんな知識でも良い、という演習があったので、私は切り抜きしておいた、先月の日経新聞記事(文部科学省10月13日公表データ:2020年度の小中高生の自殺者が415人)を紹介した。
私はこれに関して問題意識を持っているし、伝えることで、ただの演習を、それ以上の提言の場にして、参加者に社会課題を共有したい思いがあった。


それで5分の発表をし終えた途端、聴講者の年配男性が、

「うちの高校一年の娘が今年頭に、自殺未遂しましてね・・・」

と口火を切ったから、ガツンと頭を叩かれるくらいの衝撃を受けた。他のメンバーもビビっていた。私は泣きたくなった。

「いや、もう大丈夫なんです。心療内科を受けているから…ハハハ、ハハハ」
と、男性は気を遣って笑顔で言った。

が、心療内科にいま通っているなら、もう大丈夫です、という言葉通りに取るわけにはいかない…。まさか、こんな展開になるなんて。私は謝った。

だが、男性は、「いいんです。僕も、大人や社会が問題だと、発信したい側なんで、いいんです。ぜんぜん。気にしないでください」と笑顔で言った。

夜、主人にこの話をしたら、驚いていた。
そして私と同じように、この人に神さまの話が出来たらよかっただろうね、ということを考えたようだった。
だが、私は彼と二度と会うことはないだろう。オンラインだったし、そもそも他社である。
リアルで研修を受けていたら、名刺交換ぐらいは出来たかもしれないが。

社会がもっと良くなればいいのに。
大人も、子供も、もっと大事なものに目を向けて生活できる日々だといいのに。
子どものお稽古お迎え時間が来たので、今日はここまで。

by桜子

おうちごはん

実家の窓に、ロールスクリーンを設置しに行ったら、晩ごはんどうぞ、と母が美味しそうなお寿司を用意してくれていた。

見た目にも美しい!

今週は忙しく、毎晩の食事は、買ったお惣菜という3夜連続だったため、心も胃も疲れていた。

なので、実家のごはんが実にありがたかった。

エネルギーチャージ!!

気づくと、やはり実家で何かしら癒やされている。。親には、まだまだ、元気で生きててほしい。

主の山に備えあり

神はすべてを事前に、計画している。

mountain ranges covered in snow
Photo by Denis Linine on Pexels.com


 私たちはあれこれ悩み、未来を考える。が、神は、人の考えるそれよりずっと遥か前に、あらかじめ全てを究極的に支配し、結果を決めているという。聖書にそんな文章はないけれど、聖書全体を読めば、その事実がよく分かる。

そう聞いて、私はこう思った。


 なーんだ、それなら、あれこれ考えても意味ないじゃん。


 神は、人間を“神の似姿に創った”(創世記1:26)が、すべてを支配する神が一つだけ支配権を行使しないと人間に創った場所がある。それが、人の心。

 なぜそんな厄介なことをしたのか、それが神の愛なのか、凡人には全く理解できないが、これこそ神の不思議があり、私たち人間の、神を信じる、信じない問題がある。その判断と決意は、すべての人に任せられている。

 私は何年も前から、「信じ」ている。
 だけど、信じても山あり、山あり、山ありで、苦しいことばっかりあるなあ、辛いなあ、こんなに辛いなら、早く天国に行きたいなあと、絶望ばかりだった。(※独身時代)
 
 だけどここ数年分かったことは、信じているからOK、ではなくて、「1000%疑わずに朝から晩まで一点の曇りなく絶えず信じ続け、理不尽なことがあっても神にいつもYES!と言い続けられる状態」こそ、神が私たちに問いかける、本当の「信じる」の意味であった。

 そんな奥深いものと知らずに、信じる道へ進んだ私は、なかなか波乱万丈だった。が、今思うと、私のその時の態度は、信じきっていなかったんだろなあと思い至る所があり、それで私は試練が多かったのかなとも思う。
 もし私がいつもYESと言い続けていたら、もっと早く主人に出会えていただろうか。今となっては、検証するすべもないが。


 そういうわけで、いまだに山はたくさんあるが、慰め(喜び)も沢山もらっていて、今はいつもぶっ倒れる、ギリギリの所を神に絶えず通らされて、あなたは私を信じますか?と、問われているように思う。

 

主の山に備えありーー神はすべてを事前に、計画している。

先日うちに来た、A男のお泊りも、まさにそれだった。
私は、男子をうちに積極的に泊めさせていないが、そうするように自然と導かれて、私はA男をわが家に招き入れた。結果として、彼が来たことは神が計画したものだった、ということを味わう結果となった。

詳細をかけないのが残念だが、私は感動し、神の計画に乗る、というのは、なんと自分に無理がなくて、気持ちのよいものだろうと思った。そして、自分で頑張ることや、○○はしない、と決めるのはさほど重要でないな、と知った。


若い頃、何度聞いても分からなかった、信仰を持ったら、「頑張らなくていい」というセリフは、意味がまるで分からなかった。たが、「頑張らなくていい」というのは、こういうことなのかな、とちょっと分かった境地にいる、今夜の私だ。

by桜子



コロナ禍のお引越し

私の両親が、引っ越した。
コロナ禍の昨今、郊外へ出る人が増えたというが、うちは逆だ。年老いた夫婦が、都心に戻ってきた。

新居の窓からは美しい富士山が見えた。終の棲家がもしこの家なら、悪くない。いや、かなり素晴らしい!

私の両親は、長年住み慣れた地を5年前に離れたが、今回、戻ってきた。
それも意識してそうなったわけではなく、偶然そうなったから、親の喜びはひとしおだった。
娘の私からすると、今までの両親の苦しみを、これからは幸せにして倍にして返してもらう手始めに映る。
もっとも、当人たちはどう思っていて、今後どうなるかは誰も分からないけれど、
とにかく親は、誰の目にも見て分かりやすい“幸運”を、上から一方的に与えられた。



そして、その幸せは今後、私に波及するのだろうか?
いや、すでに及んでいるんだろうか?
遠い存在の両親が、住まいが近くなったことで、身近に感じられるようになった。

これまでも親の所に行くことはあったが、その回数は多くなく、
諸般の事情により長い滞在が出来なかった。(むろん、泊まることもない)

それが今回、新居の手伝い(家財道具揃え、買い物、配送、収納、配置、棚の組み立て)で、連日親元に行くようになると、その滞在時間は数時間に及び、私は実家が別荘のように感じるほど、快適に過ごせるようになって、これからは定期的にここに来そうだ、と感じていた。

その最大のメリットは、子供の豊かな家庭体験、である。夫婦二人の生活なら実家不在でいいのだが、育ちゆく子供に関わる家族は多い方がいい。無意識に子供と対話する親の様子を見ても、私は子育ての重圧が薄らいでいく。子どもにとっても、3人のテーブルより、6人のテーブルの方が嬉しい。

だが一方、親と会う回数が増えたことで、知りたくなかった現実にも直面することとなった。
それは、両親の老い、である。

夕食の支度時に実家を訪れると、野菜を切る母の手が震えていて、私はショックを受けた。
「神経性の炎症」と聞いてはいたが、これほど悪いと知らず、もはや3度の食事を母一人にやらせるのは、ひどく酷だと感じた。だが、長年の習慣とは恐ろしいもので、一緒に居過ぎるがゆえに、家族は誰も母の肉体的変化に気づいていないようだった。
昭和の台所のまま年月が流れている実家の食卓では、母が食事の支度をするのは当たり前になっており、負担を減らす必要性も分かっていないことが、私には大きな衝撃だった。もちろん、家族はそれなりに家事をやっているのだが、それでも、手が震えている母のハンディキャップは、もっと手助けがあっていいと思うほど、見ていて忍びなかった。


その夜、私は配食サービスをたくさん検索した。母の家事負担を減らしたい一心だった。
だが、いざ頼もうとすると、おそらく文句を言って食べないであろう父や、弟の食事の問題など、難題にぶち当たった。母は、変化を受け入れる柔軟さがある。だが、肝心の父や弟が変化を嫌う人種で、そこが厄介だった。

結局、すぐ新サービス導入を提案することは難しいと判断した私は、翌日、料理を持っていった。5品ほど調理し、さらに渋谷のデパ地下コロッケもセットにして、親の住む駅まで配達を提案すると、母は素直に喜んで受け取ってくれた。



かようにして、親が近くに引っ越してきた。

私にとって親のことや、実家について考えることが前よりちょっと増えた。

たぶん、これから親を含めた家族時間は増えるだろう。


「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」(箴言17:1) 


上記は、聖書の有名な言葉で、我流の略は、「貧しくとも、平和である家がいい」と言う意味だ。
私はこれを、いいね!というほど、信仰心が厚くはなく、親の実家にはどうか、「一切れのかわいたケーキ」ぐらいが家にあって、平和であればいいな、と願っている。

聖書からみる、世の終わりの前兆

2021年の夏は、歴史に残る年になること間違いない。
東京五輪は、国民の総意なしに開催された。
「オリンピックとコロナ感染は無関係」と政府は言ったが、来日オリンピック選手団に陽性者は残念ながらおられ、感染者は多発した。そして、観光禁止の選手群と聞いていたが、私はあろうことか、2名のオリンピック関係者が、家電量販店から出てきたところに遭遇。彼らは外せばいいのに、胸にオリンピック公式のネームタグをつけており、どこの国のなんていう人か見ようか、と野次馬根性が走りそうになったが、とっさに目を外した。(見てはいけないものを見た!とドギマギした。)

 そうした外国人の来訪者数増で、感染力強の変異ウィルス・インド(デルタ)型の急拡大を招いた可能性は高く、「国民の安心安全が第一」と菅首相は仰ったが、連日報道される自宅療養者増に空しい気持ちになる。いつから日本はこんな国になったのだろう?いや、昔から日本はこんな国であって、自分が無為に過ごして気づかなかっただけかもしれない。

 世界はどうか、とドイツに住む親友に先週連絡して、近況を尋ねると、欧州では5月のワクチン接種以降、環境は一変し、夏のバカンスを堪能した、というから驚いた。だが、そんな平和はごく一部のようだ。天候をみれば、地中海沿岸で記録的熱波が猛威を奮い、山火事の多発、グリーンランドの氷床が大規模融解、と自然環境の悲報が続く。近隣の中国は、日に日に軍事力を増し、海域を侵して東南アジアの平和はもちろん、日本にとっても大きな脅威となっている。香港の自由が中国に統治されていく様は、イスラム主義組織タリバンがアフガニスタンを占拠という恐怖ほどでないにせよ、いずれも武力行使、という点ではよく似ている。そうそう、サバクトビバッタの大量発生はどうなっただろう。アフリカから中東、南西アジアまで広く分布し、食料飢饉の危機にある。

 それら(いなごの大群)は全地を面をおおったので、地は暗くなった。それらは、地の草木も、雹を免れた木の実も、ことごとく食い尽くした。エジプト全土にわたって、緑色は木にも野の草にも少しも残らなかった。(旧約聖書より)

 おそらく日本人の多くは、聖書を宗教的な書物として毛嫌いしていると思うが、世界を知る上で、聖書は読むべき書物であるはずだ。いなご、バッタが、私たちの世界を奪ったさまは、旧約聖書の出エジプト記に書かれている。(昔あったということ)
そして、世の終わりについてもまた、書かれている箇所が新約聖書にある。今朝、私はマタイ24章を読んだ。

イエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物をさし示した。

そこで、イエスは彼らに答えて言われた。

「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」

イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。
「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」

そこで、イエスは彼らに答えて言われた。
「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。

そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。
また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。
また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。
不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。


震えあがる文章の列挙である。
私は今朝、これを読んで怖くなった。すでに、多くの人達の愛が冷たくなっていることを実感している。

昨日同僚に、「聖書に【冷たい時代になっていく】と書いてあるよ」と言ったら、
ブッ(笑)と、笑われた。
私は大まじめで言ったのだが、聖書を知らないと笑い話に映るだろう。頭がイカれている、そんな揶揄さえ聞こえてきそうだが、NYの9・11で、大きなタワーに飛行機が突っ込んで自爆した映像を見た時、この世の物とは思えない!と誰もが思ったのではないか。
私は友達と携帯で話していて、映像を見た時、わが目を疑った。そう言うことが今現実に、たくさん起こっているではないか。


なお、この聖書の箇所を解説した文章を探したところ、以下が見つかった。私としてはなんとなく、合っているのではないか、と思ってリンクを貼っておく。
礼拝説教 マタイによる福音書24章 「世の終わりの前兆」 (bible-seisho.net)
(※正しい解釈かどうかの確認はご自分で聖書と照らし合わせてね:))


ああ怖い、ああ恐ろしい、と思って仕事をしようと思ったら、「今日のみことば」のメールマガジンが届いた。

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「気をつけて、静かにしていなさい。恐れてはなりません。あなたは、これら二つの木ぎれの煙る燃えさし・・に心を弱らせてはなりません」イザヤ7:4

今、困難に直面しているなら、「気をつけて、静かにしていなさい」が主の答えだ。「恐れるな、心を弱らせるな」と。まず落ち着いて、主を仰ごう。主に信頼を寄せよう。私たちは、主の御手の中に置かれている。まずは動かずに、主を覚え、主に祈ろう。

引用元:【日々のことば】  発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係り

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労苦はその日ごとにある。

昨日のことは忘れた。


明日のことは分からない。


日ごとに出来ることを考え、上を見上げ続けたい。

学童のお弁当づくり

長年、夏休みの学童用お弁当作りと無縁の私。
「うちの子は学童好きですねー!」という同僚もいるが、わが子は上級生が睨んでくる~(><)と一年から行き渋り、無理やり行かせられなかった。それが、自身も中学年となって、学童へ行くと急に言ってきたため、私は慌ててお弁当を作った。
ふだん作らないから、張り切った。いわゆるキャラ弁もどきを用意し、お昼が少しでも楽しくなればという親心で送り出した。

そうして夕方に子供が帰宅してきたところ、
「ママ、学童楽しかった!」
と言い、

「ママ、お弁当ありがとう!嬉しくって、食べるのがもったいなくて、苦手なものが入っていたけど完食した〜!!あれ、インスタ(写真)撮った?!」
とひどく喜んでいる。

「いや、作るのに忙しくて、それどころじゃなかったよ…。そんなに喜ぶなら撮っておけばよかったね…。」
(※一度きりよ、と作ったので再現できず)


以来、娘が学童へ行くというので、私はお弁当作りに精を出しては写真を撮った。

超力作!しかし写真がうまく撮れず、涙。
おそうめん弁当。つゆは別添え。

おにぎり弁当。

回を重ねることに手抜きになっていくが、ラップに、LOVEと書いただけで、子供は「うれしかったよー!」と、帰ってきたので、正直、かなり驚いた。

親が子供をLOVEなのは当たり前なのだけど…!

というのが、私の内心だったが、分かっているだろうと簡略せず、子供の眼を見て、何度も何度も愛してるよ、というのは、子供の成長にとって、とっても大切なんだろうな、と改めて思わされた。

私たちも生きている限り、愛を希求しているものね…。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。
(イザヤ43:4)

美味!エジプトのスープ、ムルキーヤ

カード雑誌の8月号に紹介されていた世界スープ、ムルキーヤを見て、美味しそう!と思った私。

材料はモロヘイヤ、鶏胸肉、スパイス、レモン、と簡単そうで、夏にピッタリな予感。

作ってみたら、とってもエスニックな味わいで、家族にも好評だった。もっとも娘は、私たち夫婦の、うーん!エジプトっぽい!!という、感嘆ぶりに、美味しいと言わされた感はあるが。

ムルキーヤは、ごはんにかけたり、パンをちぎって浸して食べるそう。朝でも、夜でも、ハレになる一品。ぜひ、お試しあれ!

私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。
13 また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。(伝道者の書3:12.13)

猛暑8月スタート!

ミーンミンミンミンミンミー・・・セミのけたたましい声が朝から響く。
マンションの住民が、階下でハーレーダビッドソンの轟音を吹かす。
だが今朝、私にとっての最大の騒音は、娘のうめき声だった。

うぅっ・・・!うー、うー!!!

かなり長いこと呻くので、夫が彼女に声をかけた。
だが、意識があるのかないのか彼女は苦しみ続け、いったん私が起き上がってお手洗いに行くと、本人も同じように起きて、唸りながらお手洗いへ来た。
時計を見るとまだ5時なので、寝るよう促すと、また眠った。

だが再び、起きる頃に長いこと、唸っていた。
いったい何に苦しんでいるのだろう。あれか、これか。


7月半ば、私は人生何度目かという試練に見舞われ、ドラマになるほど連日何かの事件が起こって、自律する訓練に襲われた。
心が痛くなると、食欲は失せ、お腹はみるみる、ぺったんこになっていった。
このままじゃ死ぬ、と思って、一生懸命食べた。


主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。・・・
彼がえにしだの木の下で横になって眠っていると、
ひとりの御使いが彼にさわって、「起きて、食べなさい。」と言った。

彼は見た。すると、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、
水のはいったつぼがあった。彼はそれを食べ、そして飲んで、また横になった。
それから、主の使いがもう一度戻って来て、彼にさわり、
「起きて、食べなさい。旅はまだ遠いのだから。」と言った。
(列王記第一19:5-7)



今日から八月になった。
暑い夏が、31日続く。私の人生もまだ続きそうだ。

生き恥をさらすブログ

「文は人なりだ。自分の書いた文章には必ず自分が出ている。(精神科医きたやまおさむ「自己分析のために書く」/日経新聞夕刊より)

 土曜の朝、私は母に子育ての悩みで連絡をした。私は珍しく弱っており、涙ながらだった。夫は仕事で出かけており、話す暇がなかった。
 母は、私の様子を察し、なんとか私に寄り添おうと、忍耐強く私の話を聞いていたが、結局、母が放った言葉で印象に残ったのは、これだけだった。

「あなたのブログ読んでいると、“自分”、“自分”、がすごく多い。それと“仕事をしているっていう話”、あと、“親とは”。」

 母が言わんとしたことは、「もっと自然に出来たらいいのに。(神さまを信じて)生まれ変わったんでしょ。肩の荷を下ろして!」というエールだったが、私は批難されている、と感じた。特に、ブログで、自分が多いという指摘は、ブログの性質上、仕方ないじゃないか、と思った。冒頭に書いた通り、文は人なり、だ。ブログで私は毎回まさに、生き恥さらして書いている。


 午後、うちに遊びに来たママ友にこの話をしたら、
「すごいね、しっかり(ブログを)読んでくれているんだね!」

と、違う所に驚いていた。いや、そこに反応するんじゃなくて、私と一緒に憤慨してほしかった・・・。


 確かにブログなんて一利なしだよな、とブログの全削除をすべきか、以前にも悩んだことを蒸し返しそうになったが、日曜夜、偶然入手した小説家・三浦綾子のメモリアル冊子を見て、それは少し先延ばしにすることにした。


 私ね、自分が思っているよりも、神さまははるかに素晴らしく、その人をつくってくださっていると思うの。そのことにいつ気がつくかなのよ。 
三浦綾子「銀色のあしあと」(いのちのことば社より)


 生き恥をさらしているが、「わたしの目にはあなたは高価で尊い」と、聖書に書いてある。
私に文才なく、学もないが、神さまの目から見たら、「でもあなたは尊い」から、書いていいよ、と言われている気がした。
 というわけで、今日も、私は“私”をつづる。
こんな駄文でも、たまには読んでいいな、という方がいたらぜひ、メルアド登録のお願いに、ご協力ください。


by桜子

新潟の姉妹からの写真