月別アーカイブ: 2020年4月

コロナ禍の子供ケアをプリーズ#安倍首相

今日の午後、わが家の呼び鈴が鳴った。

みると、近所の子が、娘に、遊ぼう、と言う。

よく来たね。

どうぞ、どうぞ、お上がりなさい。

普段の私なら、そう言うと思うのに、今は、それが難しい。

たぶん、私もこの子もコロナ陽性ではない。でも、何かあったら迷惑がかかる可能性がある以上、うちに上がって、とも言えない。

今日は難しそうでごめんね、と話すと、子供が今にも涙が出そうな顔をして、私に訴えてきた。

今日は外に誰もいないの。

ああ、いつもの広場に、今日は人がいないのか。皆、自宅なのかな。

ほんとになんとかしてあげたいけど、その瞬間どうしてあげることも思い浮かばなくて、来てくれてありがとう!とお礼を言うのが精一杯だった。

あとから、お菓子を分けて帰したらよかったのかな、と追いかけようとしたが、それもふと、今は自宅の物をあげてはいけないとモヤモヤした。

今日は歯科医でこんな貼り紙を見たばかり。

院長先生が、雑誌は除菌できませんからね、と言った。

私は、ステイホームも仕方ないと思ってはいるけれど、家に居るのが難しい人が老若男女問わずいることを、忘れてはならない、と思う。

こうなったら、早く一般家庭にコロナ検査をしてもらい、陰性の人が陰性の人を助けられる仕組みを確立してほしい。

いや、自分に何か出来ると思う方が不遜なのか。黙って祈ることこそが、今の自分に出来る最大限の支援であろうか。

絵本作家・五味太郎氏が語る「休校はチャンスだぞ」ガキ向けメッセージが秀逸!

朝日新聞さんのインタビュー記事が素晴らしすぎて、シェアせずにはいられない。全文無料開放中でしたのでコピペを失礼します。m(_ _)m

朝日新聞 2020.4.14

 突然の休校から学校再開と思ったら、また休校――。新型コロナウイルスを巡り二転三転する状況に、すっかり疲れている親子も多いのでは。しかし、絵本作家の五味太郎さんは、愛情を込めて「ガキ」と呼ぶ子どもたちへ、「これはチャンスだぞ」と呼びかけます。

本当は何がしたい?  問えるとき

 ――急に学校が閉められて先の見通しも立たず、大人も子どもも心が不安定になっていると感じます。

それじゃ、逆に聞くけど、コロナの前は安定してた? 居心地はよかった? 普段から感じてる不安が、コロナ問題に移行しているだけじゃないかな。こういう時、いつも「早く元に戻ればいい」って言われがちだけど、じゃあその元は本当に充実してたの?と問うてみたい。

■子どもに失礼

 おれはもともと、今の学校や社会は、子どもに失礼だと思ってる。

 ――失礼、ですか。

 子どもにとって教育は「権利」だと憲法に書いてあるのに、6歳になったら必ず小学校に行き、しかも学校も先生もほぼ選べない。おれの娘は2人とも途中で学校に行くのをやめたけど、学校に向いてる子と向いてない子、あるいはどっちでもいい子がいる。

学校に行きたくない子どもに親が行きなさいというのは、子どもが「お風呂が熱い」って言ってるのに、親が「肩までつかって100まで数えなさい」というようなもので……。

 ――耳が痛いです。

 そうでしょう。これに耐えれば卒業証書、修了証書、退職金と続いていく。で、疲れちゃって、考えるのをやめていく。それを繰り返しているうちに、自分が何がしたいかわからなくなっていく。わくわくしながら仕事に行ってる人ってどれぐらいいるのかな。

 ――子どもの邪魔をしないように、大人が気をつけることは何でしょう。

 例えば、子どもが絵を描いてるわきに行って「なに描いてるの? 上手ね」なんて言わないこと。ピカソに対してはそう言わないでしょう。それはその子個人の絵なんだから。

 そんな大人にいっぱい来られて、「お花かわいいわね」と言われたりしてると、めんどうくさくなって、ウケるものを描いてしまう。大人がやりがちなミスです。

ガキたちには、むしろこれがチャンスだぞって言いたいな。心も日常生活も、乱れるがゆえのチャンス。

■本質はっきり

 ――チャンス?

 だって、学校も仕事も、ある意味でいま枠組みが崩壊しているから、ふだんの何がつまらなかったのか、本当は何がしたいのか、ニュートラルに問いやすいときじゃない?

 働き方も国会も、色んなことの本質が露呈しちゃっている。五輪延期も、オリンピックより人の命って結構大事なんだなとやっと再確認したんだろうし、優先順位がはっきりしてくる。

感染者が何人、株価がどう、と毎日ニュースで急カーブのグラフばかり見せられて、グローバルと言っても、心でグローバルしてたんじゃなくてお金がグローバルしてただけなんだなとしみじみ思うよね。

 こうなると、世界の全体像は誰もわからない。せっかくなら、前よりよくしましょうよ。

 ――そうわかっていても毎日ギスギス、オドオドしてしまいますが……。

 いまは、子どもも大人も、本当に考える時期。『じょうぶな頭とかしこい体になるために』という本を書いたことがあるけど、戦後ずーっと「じょうぶな体」がいいと言われてきた。それはつまり、働かされちゃう体。「かしこい頭」っていうのは、うまく世の中と付き合いすぎちゃう頭で、きりがないし、いざという時に弱いからね。今こそ、自分で考える頭と、敏感で時折きちんとサボれる体が必要だと思う。

心っていう漢字って、パラパラしてていいと思わない? 先人の感性はキュートだな。心は乱れて当たり前。常に揺れ動いて変わる。不安定だからこそよく考える。もっと言えば、不安とか不安定こそが生きてるってことじゃないかな。

(聞き手・田渕紫織)

*ごみ・たろう 1945年生まれ。『きんぎょが にげた』『みんなうんち』など400冊以上の著書がある。エッセーに『大人問題』など。

減収世帯へ30万を撤回、一律10万円給付へ

昨夜、緊急事態宣言が全国に発令されたことを受けて、各都道府県知事が眉をひそめていた。
中には、「朝礼暮改、と言う言葉を思い出した・・・」と絶句していた知事もいた。

安倍首相が全国民から注目を浴びている。
今までで、最もインパクトがあったのは、私にとっては“一斉休校”であったが、
以来、国のリーダーが次に何をするか、関心が高まっている。

コロナはGW明けには収束する、ということが、今、日本の希望である。
が、信じている人はどれだけいるのか。

ワクチン完成が来年、という現実を踏まえれば、私個人の考えでは、GW後も当面、この、ソーシャルディスタンスを保っていく社会は持続していく。もはや、今までのように、子供は自由に友人宅へ往来できないし、学校はいつ感染してもおかしくない危ない場所、ということになる。オンライン教育は、子供たちにとって喫緊の課題なのに、相変わらず、文科省が何をやっているのか、よく分からない。10万円給付など一律にするより、早く子供たち一人一人に、iPadを配布してやってほしい。

 新しい社会がうまれ、いかに生きるかが、今、全国民に問われている。
私も、自分なりに何が出来るか考えているが、NHKを見ていると、たまに疲れる。もっぱら安倍政権への非難や、国民の苦難やスーパーの混雑が放映されているが、それを知って何になろう。確かに私も布マスク配布の政策はガッカリしたが、彼だけが悪いのか。昨夜は「クローズアップ現代」の番組内で、フリーランスの苦境と不満を放映していたが、彼らに責任はないのか。フリーランス、という立場を選んだのは、そこに映っている、その人である。リスクがあるのは、当然だ。補償がない分、自由を得たのだから。

 私の親しい人は、「日本は終わった」と言った。

 そもそもコロナウィルス大感染は、安倍政権のせいではない。世界的な流行だ。
だから、世界中の人が、これからどうしようか、と考えるべきなのに、日本人は皆、「安倍さんよ、何してくれるのか」と、依存している。少なくともNHKをはじめとした放映では、不満と国の方針を織り交ぜた報道ばかりだから、国のせいで私たちの社会がおかしくなってしまった、というふうに錯覚しそうになる。そして、安倍政権を叩くことが、国民のストレス解消になっている気がする。ちょっと、情けない。安倍さんだって、コロナの被害者なのに。

 安倍さんも国民に謝ってばかりいないで、いっそのこと、英ジョンソン首相のように、私はもうあなたたちを守れないかもしれない、とカメラの前でキッパリ発言し、私たち国民自らを奮い立たせてほしい。

 一律10万円配布は公平感があってよさそうに見えるが、今大事なのは公平性より、困窮世帯を救うことだ。安倍政権も、そう考えたから30万給付を一部へ、と言ったのに、金の亡者の私たちがあまりにもうるさいから、もういいや、と疲弊し、全国民にばらまく結論を定めたのではないか。

崇高な国民になることは難しい。

在宅勤務率の急増で思うこと

新型コロナウイルスの感染拡大で、在宅勤務のニーズは高まっているが、私はかなり前からやっている。
だから、一か月以上続くテレワークの日々に、さほどのストレスは感じていない。
が、仕事をしていて、幾つか、気になることも出てきている。

 まず、回線だ。社内環境へのアクセスが夕方になるとブツブツ(回線が)切れるのだ。業務が進まず、それもあって私は極力、朝働くことにしている。(※わが社はフレックス制になった)

 次に、スパムメールだ。会社はともかく、最近顕著なのは、個人用のメールに巧妙なスパムが届くようになったことで、コロナのせいで、デジタルへの攻撃が高まっているのではないか、と感じている。IPA(情報処理推進機構)によれば、すでに警告中のフィッシング詐欺の一つであったが、デジタル社会に個人情報を保護するのは、もはや不可能らしい。セキュリティがかかっている企業に会員登録しても、その企業から個人情報が流出した事件は山ほどあるし、なにより、4月12日に放送されたNHKの「さよならプライベート」は実に怖かった。携帯は、極力使わないようにしたいが、それも、このような状況下ではなおさら、使わない方が難しい。

 今はなんでもかんでもオンラインで、買い物でさえも、先日西友の会計で、おじいさんが手渡しで払おうとしたら断られていた。「え、現金なしなの?!」と思ったら、今は手渡しで受け取らない、という方針だそうで、店員はトレイにお金を置いて、と言っていたが、キャッシュレス化は、コロナのおかげでさらに進むだろう。しかし、登録するときには、個人情報にもっともっと、注意しよう!

が、注意して私たちの個人情報が守られるわけもなく、一番いいのは、私のようにブログを書かない、そして、携帯をなるべく障らない、検索しない、など、デジタルから離れることが最善策だ。

コロナ生活で迎える渋谷の朝

新しい朝が来た。

コロナウィルスのパンデミックで、世界は大混乱だが、朝焼けは日々美しい。

近頃は春の息吹がすさまじく、昨日の昼休みに娘と歩いた道は緑がまぶしく、野花は咲き乱れ、実に素晴らしかった。
おまけに、道沿いに、人工の川が流れていることに初めて2人で気がついて、見たら、鯉や鴨がいた。

「(こんなのがいるなんて)ぜんぜん、きづかなかったね!」と娘は目を大きくしていた。

今までは、ここを自転車でサーッと駆け抜けていたのに、今回は強風でたまたま歩いた。
制限のある暮らしになったから、あえて、歩く、という贅沢をした。
そのため、ばったり出会った“自然”は、娘と私を喜ばせた。
自然は恵みである、とコロナになってしみじみ、思わされている。室内にいても、晴天だと気持ちがいいのだ。
そういえば、この川沿いは、幼子を連れたお父さんや、2人姉妹を連れた両親がマクドナルドのハンバーガーを食べていた。
コロナ以降、家族連れを外でよく見かけるようになったことも、昨今の社会の特徴だ。

そして昨日17時頃、父から私へ、珍しく電話がかかってきた。

「いま、お母さんと散歩しているんだけど、そういえば『桜子は何してるんだろうなあ』という話になって、元気でやってるか?」と言う。(※父は疾患があり、日々の運動が欠かせない)

いくつになっても、親は親。生きていてくれることがまず、ありがたい。私を気にかけてくれるのも、親ぐらいなものである。制限ある生活の中で、私がどうなっているか、ふと心配になったようだ。が、今のところ、すこぶる元気である。
仕事はかねてから、在宅勤務を何度か経験しているから、ある程度心得をもっているし、そもそも、人に会わなくてよくなった分、頑張らなくてよくなったので気楽になった。

コロナになってから、ケーキやクッキーを焼き、プリンも作った。今までの自分になかったゆとりがうまれている。
最近はよく眠り、のろのろ過ごしている。

が、昨日聖書を開き、箴言第20章4節を読んだ。

「怠け者は冬に耕さない。刈り入れ時に求めても、何もない」

怠けてはいかんと、今朝は早起きした。
最近本が絶好調で売れている(ような)山口周も、「桜子、もっと本を読め!」と何十年も前、私を叱咤していた。

今日は少し本でも読もう、と、新しい一日を始める。