コロナ生活で迎える渋谷の朝

新しい朝が来た。

コロナウィルスのパンデミックで、世界は大混乱だが、朝焼けは日々美しい。

近頃は春の息吹がすさまじく、昨日の昼休みに娘と歩いた道は緑がまぶしく、野花は咲き乱れ、実に素晴らしかった。
おまけに、道沿いに、人工の川が流れていることに初めて2人で気がついて、見たら、鯉や鴨がいた。

「(こんなのがいるなんて)ぜんぜん、きづかなかったね!」と娘は目を大きくしていた。

今までは、ここを自転車でサーッと駆け抜けていたのに、今回は強風でたまたま歩いた。
制限のある暮らしになったから、あえて、歩く、という贅沢をした。
そのため、ばったり出会った“自然”は、娘と私を喜ばせた。
自然は恵みである、とコロナになってしみじみ、思わされている。室内にいても、晴天だと気持ちがいいのだ。
そういえば、この川沿いは、幼子を連れたお父さんや、2人姉妹を連れた両親がマクドナルドのハンバーガーを食べていた。
コロナ以降、家族連れを外でよく見かけるようになったことも、昨今の社会の特徴だ。

そして昨日17時頃、父から私へ、珍しく電話がかかってきた。

「いま、お母さんと散歩しているんだけど、そういえば『桜子は何してるんだろうなあ』という話になって、元気でやってるか?」と言う。(※父は疾患があり、日々の運動が欠かせない)

いくつになっても、親は親。生きていてくれることがまず、ありがたい。私を気にかけてくれるのも、親ぐらいなものである。制限ある生活の中で、私がどうなっているか、ふと心配になったようだ。が、今のところ、すこぶる元気である。
仕事はかねてから、在宅勤務を何度か経験しているから、ある程度心得をもっているし、そもそも、人に会わなくてよくなった分、頑張らなくてよくなったので気楽になった。

コロナになってから、ケーキやクッキーを焼き、プリンも作った。今までの自分になかったゆとりがうまれている。
最近はよく眠り、のろのろ過ごしている。

が、昨日聖書を開き、箴言第20章4節を読んだ。

「怠け者は冬に耕さない。刈り入れ時に求めても、何もない」

怠けてはいかんと、今朝は早起きした。
最近本が絶好調で売れている(ような)山口周も、「桜子、もっと本を読め!」と何十年も前、私を叱咤していた。

今日は少し本でも読もう、と、新しい一日を始める。