志村けんが亡くなって、日本人のコロナ意識は、3月頭と比べ随分と変わったように思う。私もまた、然り。
だが、きっかけは彼でなく、それより少し前に届いた、ドイツからの情報だ。
SNSで知ったメルケル首相のスピーチと、Messengerから届いたドイツの友人の声から、欧州の緊迫した状況を知り、彼らにとって日本がいかに異様か、分かるようになった。
日本のテレビ放送を見ていると、国内のコロナ感染情報を終日こねくり回して推測や分析を流している気がして、入ってくる事実の量が少ない。そのため、最近は海外の報道を朝見るようになった。NHKBSはお勧めだ。各国の報道が入ってくる。CNNの動画もネットで見られる。海外の情報を知るのと知らないのでは、意識に差が出るのはある意味、当然だ。
だがそんな私でも、都内で混雑するスタバを見、継続されている塾や学童を見ると、日本だけは大丈夫な気がする。国内の雰囲気に流されない方が、難しいといえる。なるべく人を避けて暮らしてはいるものの、欧州並みに人と2m離れて話せるか、といえば、実際のところ、しづらい。
小池百合子都知事の最初に放ったコロナ会見以来、わが社は全面的に在宅勤務となった。そのため、娘は自宅で過ごし、午前中は勉強、午後は散歩を日課にし、私は彼女の健康維持のため、仕事を極力14時で終わらせるようにしている。(※時短勤務のため出来るワザ)
渋谷区の小学校は6日に一斉登校で(時差登校なし)、そのあとはGW明けまで休校だ。が、一斉登校させていいのか、親として判断が難しい。下駄箱や、教室で、久しぶりに再会する子供たちが、密にならないはずがない。そしてGW後、本当に学校へ行かせていいのか。本来的にはワクチンができるまで、ホームスクールが望ましいのではなかろうか。
そんな私のコロナ生活だが、心温まる出来事もちょいちょい、ある。
先日、トイレットペーパーを探しに池尻大橋まで自転車を走らせていたら、遠くから私を見つけて大声で、私を呼んだ人がいた。目をやると、同じマンションの住民だった。私は眼鏡をかけ、マスクもしていた。「よく(私が)分かったね!」と買い物の事情を話したら、こう言われた。
「今、トイレットペーパーはどこも売ってないよ。うちのを分けてあげる!」
2週間余ほど前にも、大学時代の友人宅に行った際、そこの旦那さんが、別れ際、トイレットペーパーを3ロール持たせてくれたが、今回も人の親切に預かることになった。苦境の時の親切は骨身に染みる。この恩は忘れまい、と思う。
それで、今日は、わが家に、友人が作った子供用マスクが届くらしい。昨日知ったのだが、未読80ほどのグループライン内を開いたところ、私の知らぬ間にやり取りがなされていて、発送完了しているようだ。届いたらお礼を出そう。びっくりしたが、仲間の気遣いと親切に、感動した。
ほかにも、数日前にブログにあげた、「暗闇の訓練」は、友達からシェアされた記事で、私は元気をもらった。
まだある。娘が「お友だちと遊びたい」と言うのをなだめ諭し、2人で散歩に出ると、ばったり仲良しの親子に会った。こういう慰めは最近しばしばあり、一緒にしばらく西郷山公園で互いの近況を語り合って、笑い合った。うれしい、偶然である。
不自由がありながら、日常の中にはしばしば、優しい時間もしっかり流れている。その恵みの面をみつめ、大都会渋谷でのコロナ生活を乗り切っていきたい。