渋谷の串カツ田中も、営業再開で、店内には少なくない、お客さん。
ちょっと買ってこうか?
明日から緊急事態制限も解除らしく、今夜は家前祝いしよう。
渋谷の串カツ田中も、営業再開で、店内には少なくない、お客さん。
ちょっと買ってこうか?
明日から緊急事態制限も解除らしく、今夜は家前祝いしよう。
コロナで自粛が始まって種植えしたのに、立派に実ったよ。
ひきこもり生活になって、ドイツの友人が野菜を育てているというのに触発され、家庭菜園をほんの少しだけ、している。
種を植えた、二十日大根が芽を出してきた。
小さな苗だった、さやえんどうも、ついに実がなりはじめた。
ピーマンも花が咲きはじめた。
バジルは購入。えんどう豆は種をもらって育てたら葉っぱが出てきた。けど、このまま放置してていいのかな。移し替えるべき?
コンビニで主人が買ってきた、ミニトマト栽培セット。簡単、というふれこみなのに、なかなか芽が出ず。
昨日、新しく買ってきた、きゅうりの苗。無事育ちますように。
去年のGW、私は米国アリゾナにいた。首都フェニックスは、ちょうどその頃、気温がぐんぐん上昇していくシーズンで、私たちの滞在中は、空が底抜けに青く広い日々だった。野鳥のけたたましい鳴き声が、目覚ましのように、私たちを毎朝起こす。帰国後、住んでみたいな、と不動産を少し見てみたが、空想で終わった。それで、良かった。まさか、一年後に世界が激変するとは。
今朝はそんなことを思い出し、空を眺めていると、どこからか鳥の声がした。雀だけでない。何種類か鳥の音がハミングして、それが、いつまでも続く。不思議なことだが、都心の渋谷にも自然はある。アリゾナから帰国したとき、そんな渋谷の朝に気づき、生物の息吹があると知って感動したが、今朝また、そのことも思い出し、心が豊かになった。心を向ければ、聞こえなかった鳥の音が聞こえる。私たちのコロナ禍な生活も、心をどこに向けるかが、本当に大切だと日々感じている。
先月、わが家には訃報の知らせが毎週一回、入ってきた。
うち2つは、昨日まで元気にしていた人が、突然召された連絡だ。
その1つが、小学六年生の死である。
お母さまから「一昨日召されました」と頂き、「こういう状況下なので」と、Zoomによるライブ配信葬儀の案内を受けた。
「べべ(仮称:うちの娘)ちゃんの誕生日に、うちの息子と遊んでくださったお子さんへ、良かったら連絡してほしい」と言われ、私が連絡したところ、一度しか遊んでいないのに、「参列します」と返答くださった方々がいた。皆、母親だから、その辛さが痛いほど分かる。
彼女の息子は、ある日具合が悪くなって、何度か吐き、母親は病院へ行こうかと考えたものの、息子に熱はなく、今はコロナだから、病院へ行く方が危険と考え、様子を見ようとなった。
彼は、「吐いたら楽になった」と言って眠ったので、母親もその傍らで休んだ。
翌朝、なかなか起きてこず、よく眠っているな、と母親が思っていたら、子どもの身体が冷たくなっていた、ということだ。
(※結局、検査の結果コロナ陰性であり、死因は不明であった)
これを、悲劇と言わずして、何と言おう。葬儀で、自分をひどく責めた、と母親が言っていたが、誰が責められよう?寝たら子供をそのまま休ませるのは、おそらく、すべての母親が考える判断だ。
私は、どう動けばいいかわからず、近しい数人へ連絡をすると、皆で、ただ、彼女と家族のことを祈るほかなかった。
葬儀後、東京の空には虹が見えた、と彼女が写真を送ってきてくれた。
そして、北海道で葬儀に参列した人からも、北海道に虹がかかっている、と送ってきてくれた写真を転送してくれた。
葬儀後、彼女に、日常が戻ってくる。
息子の不在を、毎日の生活で受け入れていかねばならない。
これからが、正念場だ。
彼女は、そして、子供たちや、ご主人はどうしているだろうか。
心配でならなかった。
それが、葬儀後数日して、Zoomのオンライン祈り会の場に、彼女が参加してきれくれた。
まさか画面に出てくるとは思わなかった。
息子は天国でいま、安らいでいる。また必ず再会できる
そのように希望に満ちている彼女の顔に、やつれきった様子はなく、むしろ、綺麗で輝いているようにすら、見えた。
奇跡だ・・・。
むしろ私の方が、その顔を見て、泣けた。
「死ぬのが怖い、という大人や子どもたちに、メッセージがすごくいいので、ぜひ見てほしい」と、彼女が葬儀の模様を配信したものをYouTubeに上げた。現在、限定公開中だ。
死はけして、終わりではない。
ドイツ人の宣教師、故ベックさんのメッセージも、麗澤大学社会人講座(2014/01/24)で、このテーマについて語っている。動画を読む時間がない方は、ぜひご一読あれ。