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photo of a happy family at christmas time

クリスマスまでのカウントダウン


求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。
(新約聖書マタイによる福音書 7:7)



 私は小学生の時に、吉祥寺にある日曜学校に通っていた。

 一軒隣にアメリカ人家族が住んでいて、その子息と弟が仲良しだった。だから、姉の私もおこぼれにあずかった。それで、なのか、だからなのかは忘れたが、気がつくと彼らの通う教会へ一緒に行くようになっていた。
 毎週日曜の朝になると、私と弟は、白いポンコツの小さな車にぎゅうぎゅう詰めになって、日曜学校へ行った。

 そんな彼らは、宣教師一家だったということを大人になってから、たまに思い出す。
そのことの意味を深く考える。

私たちの人生は、その時、その瞬間では、意味が全く分からなくても、後になって分かる「人との出会い」や「ことの意味」が、実はたくさんある。


私は、小学生の頃に、冒頭の文章に出会って、強烈なインパクトを覚えた。


求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。
(新約聖書マタイによる福音書 7:7


 
今に至るまで、そらで言える。

よく考えたらすごいことだ、と、今書きながら感謝した。
今日まで結局は私を支えている。


 

「求めなさい。そうすれば与えられる…」という言葉はすごい。

何がすごいか、というと、まず、分かりやすい。
次に、前提条件がないことが、さらに分かりやすさを増している。


・神様を信じたら
・修行をしたら
・努力をしたら

と書いていない。それどころか、こんなビックリする言葉が聖書にはある。


事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。


大人になってこの箇所を読んだ時の衝撃も凄かった。椅子からひっくり返りそうになった。
努力したら報われる、と私たちはよく言う。けれど、聖書は、違うよ、と言っている。

ホントか?
って、きっとこの文章を読む人は思うと思うのだけど、
私は書く。ホントだ、と。


辛かった日々も、苦しかった体験も、今は分からなくても、後で絶対に知るようになる。
そのヒントに、冒頭の言葉がある。

わたしがあなたのそばを通りかかったとき、
あなたが自分の血の中でもがいているのを見て、
血に染まっているあなたに、『生きよ』と言い、
血に染まっているあなたに、くり返して、『生きよ』と言った。
(旧約聖書 エゼキエル書16章6節)


のたうち回るような日々も、暗闇の何かも
すべてが、ああこのためだったのか、と探求できる日が誰にでも平等に与えられている。
私はそのように信じている。

by桜子