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子供への躾~いかに育てるか?

今日べべを連れて実家に預けたら、べべがぐずった。
今まで飲んでいた粉ミルクを一切飲まず、眠りもしないで激しく泣いているそうで、
初めて実母からSOSの連絡が来た。

電話口からはべべの泣く声がする。
母乳でないとダメなのでは?と母がいうので、
私は予定をキャンセルし、慌てて家に戻った。

母は言った。
「こんなんじゃ、この子、預かれないわ」

その数時間前には、こんなようなことを言われた。
「泣いたらすぐおっぱいなんてあげていたら、この子ワガママになるわよ」

その是非はともかくとして、これらの言葉は私に、
「子育て」を考えるきっかけを与えた。


うちの子、
どうやって育てればいいだろう?

どんな風に育てれば、
真っ当で、健全な、
皆に愛される子に育つのだろう?


いや、子は親の鑑、というから、
所詮母親が私では将来が知れている。

そもそも私は妊娠するまで母親になる心構えも知識も皆無だったから、
赤子とどう接したらいいか、毎日手探りで歩んでいる。

だったら、保育園に預けようか?

わが家は手元で育てる方針だったが、私は日中一人である。
0歳保育にいれれば、彼女は規則正しい生活を送り、マナーも学ぶ。
そこである程度の教育を施して頂き、専門家の力を借りるほうが、
未熟な私も保育士さんとのネットワークができるし、
彼女も私といるより、ずっと利口になる可能性が高いだろう。

しかし、聖書はなんといっているのだろう?
「子育て 聖書」でググったら、
なんと知り合いが喋っている内容が一番上に出てきてビックリした。

「聖書に学ぶ子育て」

結局、授乳だとか、2ヵ月児への躾や保育園について、
という細かいことは書かれていなかった。

そこらへんは夫とよくよく相談して、
祈って決めるしかないのだろう。

なるほど、今どき保育園に入れるお母さんが多いのは、
必ずしも自身のキャリア事情だけではないのだろうな、と推察する。

聖書に世の終わりは何と書いてあるか?

今日は聖書に記述されている未来について、文章を見つけたのでご紹介します。
聖書では〝この世は終わる〝とあります。

では、それはいつ、どんなときに終わるのか?
分厚い書物を紐解いてみます。

===
イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。

「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。
 あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」

そこで、イエスは彼らに答えて言われた。

「人に惑わされないように気をつけなさい。
 わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、
 「私こそキリストだ。」と言って多くの人を惑わすでしょう。
 
 また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、
 気をつけて、あわてないようにしなさい。
 これらは必ず起こることです。

 しかし、終わりが来たのではありません。
 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。

 しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。

 そのとき、人々は、あなたがたを苦しい目に合わせ、殺します。
 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。
 また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎みます。
 また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。
 
 不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。
 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。

 この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、
 それから、終わりの日が来ます。

 それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの「荒らす憎むべき者」が
 聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)
 
 そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。
 屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。
 畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。
 だが、その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。
 
 ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。
 
 そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、
 またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。

 (中略)
 
 そのとき、「そら、キリストがここにいる。」とか、
 「そこにいる。」とか言う者があっても、信じてはいけません。
 にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、
 大きなしるしや不思議なことをして見せます。

 (中略)

 いちじくの木から、たとえを学びなさい。
 枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。

 そのように、これらのことのすべてを見たら、
 あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。
 まことに、あなたがたに告げます。
 これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。
 
 この天地は滅び去ります。
 ・・・ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。

 人の子が来るのはちょうど、ノアの日(※)のようだからです。(※=ノアの方舟)」

以上。

金曜ボロボロだった私の日記

過日の金曜夜、私はクタクタに疲れていた。
背中を押されたら、そのまま前に倒れるか、目から水が出るかのどっちかというくらい、仕事に疲れていた。

早く(家に)帰りたい。

頭の中はそれでいっぱいだった。
ところが、帰り道で一緒になった仕事仲間のHanaさんが、急に誘ってきた。
「ちょっと、時間ある?俺、人と待合せしてるんだけど
時間余っちゃって、ワイン一杯、そいつが来るまで付き合ってよ」

こんな、誘いは初めてである。
要はつなぎ、ってことよ!?私は暇つぶし要員ってわけね??

ある意味、失礼な気もするこのお誘い。だが、誘うってことは一応私を好きで、一人で暇つぶしできる選択肢を捨て、時間を共有する、と決めてくれたのである。Hanaさんのトークは面白いし、赤ワインwhitey_s6.gifも結構いい、と思ったので、即OKした。

「さあ、食べて、食べて」

街の隅のイタリアンバールに入ると、Hanaさんは私を急かした。
友達が来る前にお腹一杯にさせて帰らせないと私に悪い、というのである。

ははーん。そういうことね。

だけど、この日。私は本当にクタクタで食欲がなかった。
人間て、ホントに疲れていると食べたい気持ちがなくなるんだよね(笑)。

「じゃあ、いいや、俺は俺の好きなものを食べるからさ」
といって、Hanaさんは一通り私をケアしたあとは、マイペースで誰かと電話(仕事?)したり、ワイン飲んだり、楽しそうに寛ぎ始めた。

そうこうしているうちに、Hanaさんの親友、ユキさんが来た。
ユキさんは知らない人だ。名刺交換したら、某社の常務だ。
エライ人じゃん!だけど、非常に気さくな方だった。

Hanaさんは言った。
「ユキちゃんってね、すごいんだよ。元プロのスポーツ選手。何の競技か当ててみ!」

「うーん。。。ボクシング!?」

私がそう言ったら、ユキさんがキレた。

「マジ!?俺の顔、そんなにぼこぼこかよ!!」

「ねえ、桜子さん、俺の顔見てボクシング、って言ったよな!な!?」

私は彼の過剰なまでのスゴいリアクションに激しく動揺した。
ボクシングって、硬派なイメージで格好いいと思ったんだけど、NGワードだったんだね。
(女子必読:合コンで〝貴方ってボクサーみたいね〝は禁句)

だけど、私は酔っていたし、他社の常務だから、遠慮しないで好きなことを言った。

「常務、そんなんじゃさ、ダメだよ。常務でしょ?
それぐらいで怒っちゃ経営は出来ないよ。ダメダメ!」

「初対面で、それ言うか~!?」

さらにヒートアップしたユキちゃんを、ちょうど止めるようにして
Hanaさんが〆てくれた(=精算)。

そして、「俺ら、これからもっと飲んでくから、帰れ。」と、
私は追い出された。

別れ際、Hanaさんはそっと私に耳打ちした。

「どう?たまには仕事以外も息抜きが出来ていいでしょ?
 疲れてるんだろ。タクシーで帰れよ」

そしてユキちゃんと二人で1000円づつ出してくれ、タクシー代をカンパしてくれた。

・・・ニブかった桜子。。。さすがに泣けた。Hanaさんは、元気づけようと誘ってくれたらしい。
この日、ボロボロだったけど、自分はすごい幸せ者だ、と思った。

【本日の聖書の言葉】
近くにいる隣人は、遠くにいる兄弟にまさる。(箴言27:10)
友の慰めはたましいを力づける。(箴言27:9)

神様、いつも折に叶った友をありがとうございます。m(__)m

できるプロジェクトマネージャーの基本行動(2)

研修二日目。
今日もリーダーの資質を学んでいる。

それで午前中は「相手を褒める」というロールプレイテストがあり、
私はリーダーとしてチームメイト(全員男子)から1分間褒められる、
という状況になった。

で、その結果。

ありえないんですけど。

・・・みんな、無言。

・・・私、そんなに褒めるとこ、ナイですか・・・?

リーダなので「褒めてください」と指示を出した。

それでやっと、みんな苦しそうにボソボソと褒め始めてくれた。

1分後、各チームのリーダーが、ロールプレイの感想を述べた。
「直接、褒められるのは恥ずかしいです」とかなんとか、全員が照れていた。

唯一私だけが、うちのチームは誰も褒めてくれなかったです、と泣いた。

それで午前中を終えて、気分はブルーになった。


・・・褒められる要素がない私ってどうよ?

そこで、ランチタイムは元気をチャージするために、
大好きなコーヒーを提供してくれる場所で寛ぐことにした。

ついでに、バックの中にしまってある、
友達からの手紙を私は取り出した。

そこには、こんなことが書いてある。

「私たちってさ、『自分が何者なのか』と考えるときに、
 自分が、何をしてきたか、人にどう思われているか、
 何を持っているか、とすぐ考えてしまうけど、
 本当はそれはぜんぜん大切ではないよね。(といっても現実はすぐ左右されちゃうけど)

 私は最近、そんなことよりも、自分が無条件で神様に愛されている神の子、
 ということがすごく大事だなあ、と感じるよ」

聖書では、神様が私がどんな者であっても愛する、と述べて、
一人一人、何も出来なくても神様から見たら価値があるし、尊いよ、と教えている。

イザヤ書43:4
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

人の評価よりも、神様からの評価が大事!!

本日の言葉として、皆様の心にもぜひお蓄えください。