今日は聖書に記述されている未来について、文章を見つけたのでご紹介します。
聖書では〝この世は終わる〝とあります。
では、それはいつ、どんなときに終わるのか?
分厚い書物を紐解いてみます。
===
イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。
「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。
あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。
「人に惑わされないように気をつけなさい。
わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、
「私こそキリストだ。」と言って多くの人を惑わすでしょう。
また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、
気をつけて、あわてないようにしなさい。
これらは必ず起こることです。
しかし、終わりが来たのではありません。
民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。
しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。
そのとき、人々は、あなたがたを苦しい目に合わせ、殺します。
また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。
また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎みます。
また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。
不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、
それから、終わりの日が来ます。
それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの「荒らす憎むべき者」が
聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)
そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。
屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。
畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。
だが、その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。
ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。
そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、
またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。
(中略)
そのとき、「そら、キリストがここにいる。」とか、
「そこにいる。」とか言う者があっても、信じてはいけません。
にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、
大きなしるしや不思議なことをして見せます。
(中略)
いちじくの木から、たとえを学びなさい。
枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。
そのように、これらのことのすべてを見たら、
あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。
まことに、あなたがたに告げます。
これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。
この天地は滅び去ります。
・・・ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。
人の子が来るのはちょうど、ノアの日(※)のようだからです。(※=ノアの方舟)」
以上。