カテゴリー別アーカイブ: Bible

silhouette of cross

ニュージーランドのローカルチャーチ

 オークランドで過ごす最後の日曜になった。天気予報ではイースター休暇は曇とあったが、朝日が美しく登り始めている。
 ここで日本との違いをいつも考えるが、カーテンを開くと一面に広がる空がなんといっても圧巻だ。視界を遮るものがない。自然の恵みを全身に浴びて、清々しくなる。私はこの景色を、鬱っぽくなった全ての日本人に見せてあげたい。もしその人が、自然や歩くことが好きなら、海岸を眺め、森林を散歩して、ストレスが飛んでいく。きっと回復できると、心から思う。

 今朝も私たちは朝9時半からローカルチャーチに行く。そこで、今日はニュージーランドの教会について紹介したい。
 
 そもそも、ニュージーランドであろうが、日本であろうが、日本人にとって「教会に行く」というのは、非常にハードルが高い。私の場合は、近所のアメリカ人家族に連れられて小学生で聖書を知った。が、そういう自然な何かがなければ、自発的に教会へ行くのは難儀だ。何か教会には、悩みがある人や弱い人が行く、というイメージがある。でもそうじゃないよ、ということを伝えたい。

thank you signage

なぜクリスチャンが教会へ行くのかと言えば「神様へ一週間の感謝と賛美」をしに行くのだ。

懺悔しに行くわけでも、願い事を叶えにいくのでもない。この点は強調したい。
そして、ニュージーランドに来たなら、ぜひ教会へ行くことをお勧めしたい。(日本でもいいけど…)


 教会へ行ったからと言って、その場所はあなたを包みこむような場所じゃないかもしれない。良い体験ができると保証できない。うちのメンバーであるイギリス人によれば、「どの教会も、うちみたいなところじゃない」と人差し指を立てて、教えてもらった。


 そう、どの教会に行くかで、雰囲気はかなり違う。だから、行く前に、あなたが神を信じる人でなかったとしても、心の中で「神様、どこに行けばいいですか?」と1回でも祈ってから、あなたが足を運ぶ教会を探して見つけ、体験してほしいと思う。


 そこが、あなたの人生を変える可能性は大いにある。だから勇気を出して、行ってみよう!

by桜子

aerial view of city buildings

ハロー、ニュージーランド!海外移住

NZに来て10日間が過ぎた。
元旦に成田から飛行機に乗った。
2日、オークランド空港についたら、迎えに来る、という人がいなかった。

初日から今日まで、怒涛の日々だった。

どこから書こう?何を書こう?

そもそも、私はなぜ、異国にいるのか。
いや、よく来たよ。涙が出ちゃう。

↑うちから、徒歩5分のところから見える景色。夫と散歩して、撮ってもらった。



思い切って、来てよかった。
今なら人生まだ残り時間がありそう。
これから、私たち、どこでどう生きるんだろう?



ニュージーランドに来た、と書くと、すごくキラキラしたイメージがあって、華やかに聞こえる。
実際、私もそう思って来た。けど、書けないぐらいビックリすることが「山ほど」あった。
それで、5日目ぐらいに(今から帰国しようか?)という考えが真剣に過った。辛すぎて…。


でも、その嵐は徐々に収まっていき、
今朝は、「来れた」という事実にまず、感謝したい、と悔い改めの気持ちが起こされた


悔い改めは気持ちがいい。
私はこういう時、この聖書の言葉がすぐ頭に浮かぶ。


===============
神へのいけにえは、砕かれた心。
悔いた魂。
主はけして、それをさげすまれません。

===============


そして、「不平不満の眼鏡」でなく、「感謝の眼鏡」をかけてみる。
そうしたら、こんどは、この聖句を思い出した。

===============
わが魂よ。主をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
わが魂よ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
===============

きっと、今日からは大丈夫。
いや、永遠に、と思わず、まずは1日1日を、大丈夫、と思って過ごすことにする。

私がどうしてここにきて、どうやって生活しているのか、
これから少しづつ、書いていきたいと思う。

良かったらぜひ、読んでください。

日本のみんな、オープンダイアローグのみんなも、会社の人も
今日が良い日でありますように。

by桜子

news inscription on neon signboard hanging on street

私の重大ニュース2022年

オープンダイアローグとは何か?
オープンダイアローグは、どのようにして人のこころを助けるのか?
対話の実践者になるとは、どういうことなのか?(中略)

2015年の秋、私はフィンランドへ行ってケロプダス病院を見学した。
そして、この病院がオープンダイアローグを一日で誕生させたように、私もすぐに自分たちのクリニックに取り入れようと、帰国した翌日…から、これを始めた。(「感じるオープンダイアローグ」森川すいめい著)

clouds



 今朝、障子を開けたら、窓の向こうに見える朝日と雲のミルフィーユがひどく美しかった。
都会に住んでいると、自然と無縁に思うが、高い所にある空だけは、いつも居住地を忘れさせてくれる。

(ああ、渋谷からも空は美しいんだよな…)


 私は海外旅行が好きだ。3日後、飛行機に乗って、4日後には違う国の空を見る。
だから、これから出会う景色にたくさん感動するだろうが、この渋谷の空の美しさもしっかり覚えておこう、と思った。


 毎年いつも、クリスマスを過ぎると、慌ただしい。この5年間、いろんな形でクリスマス会が与えられた。どの年も、その時々の感動と喜びがあるのは、神ご自身が、自分の会として、すべてをデザインされることに拠るだろう。
 

 そうして、2022年を振り返るとき、私の重大ニュースは、”「与えられた人生をしっかり生きよう」と思えたこと”だ。

1.オープンダイアローグに出会った
2.自分が生きている意味がわかった
3.生活が変わった

自分革命なので、このことは忘備録として書いておく。

先々続いていくのか、正直分からない。が、もう二度と、立ち止まりたくない、と思っている。とはいえ、愛する人を失ったときに、同じ思いで走れるかと聞かれたら、全く自信はない。

人は複雑だ。
でも、私は今の思いを大切にして、どこまでいけるか試してみたい。 

神のなさることは、すべて時にかなって美しい (伝道者の書3:11)



今年も一年、ありがとうございました。
また、ブログを読んでくださる希少な方に、本当にお礼を一軒づつ回って言いたいのですけど、
訪問先を間違えたら恥ずかしいので、やめときます。
でも、とっても感謝してます。


神様のお守りがお1人、お1人の上に豊かにありますように。
そして辛い時、苦しい時、独りぼっちに思えても、神がいるのかもしれない、と考えてみてください。
文末に、聖書の言葉をご紹介します。

by桜子



わたしを呼べ。
そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう
(エレミヤ33:3)






 

woman with umbrella on beach

山口周に18時間寝てる?と聞かれた女

 最近会う人、会う人に、「山口周って知ってる?」と宣伝部長になっている私。
飛ぶ鳥落とす勢いで、出すビジネス書が売れに売れまくっていると思しき文筆家、それが山口周だ。

ダイアモンド社のアマゾンに貼ってあった広告見つけた↓コピーライト:アマゾン&ダイアモンド社

宣伝部長すぎますか?

ググったら、NHKにも出てて、たまげた。



本を読むと、キレッキレの文章を書くので、今さらながら、この人めちゃくちゃ頭がいいんだ!と感嘆し、よく友達でいてくれたよな~と思った。なんで未だにつながっているか、というと、神の技、と言うしかないが、なんといっても、インタビューしたことでつながり続けられたのではないか?と思う。

それで、昔のインタビューを久々に見たら、吹き出したので、紹介したい。
当時の日記から抜粋する。

===
■山口周の読書法について聞く

山口「もうビジネス書ほとんど読まなくなっちゃった。寝ちゃうよねえ、やっぱ。
あのね、本は食べ物と同じで自然に読みたくなるものを心が求めているんだよ。この間、西森栄三郎さんの本を読んだら、『アムンセンとスコットの冒険』を読んでさ、『ゴンドラの都』がメタファー、『アドリア海の女王』をメトノミーというんだけど、同じ「ベネチア」のことを指してもゴンドラの都だと分かるけど、アドリア海の女王っていったら、何かわからないだろ。掘り下げていくことをメタファーっていってさ・・・」

桜子「え?なんて本?」

山口「アムンセンとスコットの冒険」

桜子「ヤムウンセン?」

山口「それくらい知ってろよ!アムンセンだよ」

桜子「タイ料理にヤムウンセンってあるんだよ~(汗)」

山口「あ、マジで?」

桜子「ほら、知らないじゃん!」

■星野道夫をあなたは知っていましたか?by桜子
山口「なんでさあ、おんなじ時間を生きているのに、桜子そんなに何もしらないわけ?もしかして18時間しかないわけ?」

桜子「え?18時間しかない?失礼だよ」

編集部「桜子さん、違いますよ。岡本さん、『18時間寝てるわけ?』って言ったんですよ」

桜子 「え!?もっとひどいじゃない!18時間寝てる?そんなわけないじゃない!」

山口「まあ、俺もすごい寝てるけどさあ・・・」

桜子「・・・私はね、きっとね、(岡本さんが何かを得ている)その裏で何か他のことを得てるんですよ」

山口「いや、それ、ないでしょ」

桜子「うん、そだね。・・・(しばし無言)あー、もうインタビューする気、失せたっ!」

山口「いやでもねえ、パロアルト(FXPALはパソコン発祥の地(詳しくはココをクリック))知らなくても、星野道夫はフツー知ってるぞ」

桜子、無言

山口「でね、俺ね、攻めていると発展しないから、桜子にソリューションを提供する。桜子ねえ・・・(しばし間)・・・・18時間寝てる・・・・わけじゃない、そうだよね?寝すぎじゃないんだよね??」

ムッとする桜子に少し考える岡本氏。

山口 「・・・本屋、行ってる?」

桜子 「ネイルサロンには行ってる」(ふんぞり)

山口 「ネイルサロン、それ、バシバシ行っていいんだけど。ただねえ、俺、自分のことを考えると本屋な気がします。ぷらぷら歩くんだよ。そういうことしたことない?」

桜子無言に、編集部、思わず吹き出す。

編集部「桜子さん、(^w^) ・・・ふふふ。珍しく止まってる~(大笑)」

桜子 「いや、もうさあ、本当にインタビューやる気力が失せちゃって、なんで場所を変えてやり始めちゃったんだろう。もうさっきのでおしまいにすれば良かった」

山口 「星野道夫はさあ・・・」

桜子 「もういいよ」

編集部「桜子さんはね、感受性がね、感受性が高いんですよね(笑)」
↑フォローしてくれてる

桜子「私、思ったんだけど、私が桜子じゃなくて、Tさん(編集部)が桜子やれば良かったのに」

編集部「なに言ってるんですか、ハハ」
↑この方は優しい

山口 「いや、でもさあ、感性がないから本屋に行かないんだろ?俺、むしろ、そっちだと思うぞ」

桜子 「アー?」
↑不良の真似。※生まれて初めてインタビュイーの肩元を掴んだ。。

山口 「桜子こうなってるんだよ(没頭ポーズ)こうなって一点集中で本を見ているからだよ」
=テープの書き起こし作業が実に空しい。もうこのトークはカット=

===

「ね、おかしくない、笑っちゃうよね~」と私は言いながら、この文章を読ませたら、夫がいつになく怪訝な顔をして、こんなことを言った。

 「そんなの載せていいの?プライドないの?」

by夫


私、うれしかったねえ…。

今日も読んでくれる誰かが笑ってくれればいいじゃん!って言ったら、
俺にはその気持ちわからんが、というような顔をして、君がいいならいいや、というようなことを言われた。

いや、心配してくれる誰かがいるのって、実にありがたいね。
この人と結婚してよかった、と思った。


最後に聖書をご紹介しておしまいにする。




いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。
あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。
(第一コリント人への手紙 4:7)



今日もよい一日を!

by桜子

photo of child reading holy bible

おめでとうございます。ツイートが注目を…

 最近、ブログを書くと、ツイッター社からお祝いの言葉が届く。回を重ねるたびに、表示回数が増える。やった結果が分かるとうれしい。昨日は知らない人からハートマークを押されて大喜び。が、いかん、そこに目を留めちゃ・・・!

 私はクリスチャンだ。が、そのイメージにありがちな、無欲さから遠い人間だ。アクセス増を喜んでしまう。だからこそ、戒めねば…。それより大事なことは、たとえ明日が滅びようともリンゴの木を植えよう、のごとく、たとえPV数が低くとも一人読者がいれば書かせて頂きたい。今日は、人生で大事なもの、がテーマだ。

一昨日、近所の東京バプテストチャーチの礼拝で牧師から、ヴィンセント・ファン・ゴッホの「開かれた聖書のある静物」の話を聞いた。

開かれた聖書のある静物

 右奥に、燃え尽きたろうそく、中央は聖書で、手前右は黄色い本で、読めないがタイトルは「The joy of Life」(人生の喜び)とあるそうだ。

牧師は言った。

人々は今、「聖書」よりも、「人生の喜び」の本を熱心に読んでいる。
誰かによって書かれた本は、輝いていて、人生の成功を私たちに約束してくれているように見える。
でも、本当の光は、聖書にある。
神さまの真理の中にのみ、希望や光、喜びを見出すことが出来る。
どうぞ、気をつけて。
神さまの言葉(=聖書)を、あなたの、そして、私の道を導く光としてください。


いや、ホントにそう!!!

牧師の話に同意する。
けど、それより激しく同意するのは、私の家には黄色い本が山ほど積んであるってこと!
そして、聖書は本棚にきちんと鎮座してある。


す、すみません・・・!と、神さまに謝りたい気持ちになった。



確かに、どうしてこの世の本は面白いのだろう?
そして、聖書はどうしてあんなに読みづらいんだろう?


それはね、聖書は神が自己紹介する書物だから。
立花隆の本が仮に難しいなら、神の本はもっと難解で当然ですよね、と今朝、ごーちゃんが言っていた。(と、私は感じた)


聖書には、3つのことが書かれている。
 ①神とはどういう方なのか?
 ②人間とはどんなものなのか?
 ③人間が神に近づくために何が必要なのか?

最近、私が視聴し始めたのが、YouTubeのごーちゃんねる。ただしくは、「ごうちゃんねる」だそうだが。コロナになってから、だいぶ前に親から変わってる牧師だけど面白い、と薦められた。けど、興味がなかった。
それが、昨今のロシアウクライナ侵攻により、聖書は何と言ってるだろう、と考え始めたのを機に、聴き始めた。

15分で終わる動画は便利で、時間がない時、私は1.5倍速で聞いています、笑。
よかったら、ぜひ、今日の聖書についての話が、ごーちゃんねるに書いてあります。↓


主のように聖なる方はいません。まことに、あなたのほかにはだれもいないのです。私たちの神のような岩はありません。(第二サムエル2:2)


私は、ごうちゃんのことを良く知らないのですが、HIKAKIN(ヒカキン:登録者数が1000万人を超える日本人YouTuber)を観る時間があるなら、ぜひ皆さんもチャンネルを覗いてもらいたいな、と思います。
          

by桜子





 
 

クリスチャン新年会

1月2日の日曜、新年早々の礼拝後に、主にある家族6組が、わが家近くの一軒家に集まった。

group of people making toast
Photo by fauxels on Pexels.com


主にある家族、というのは、天の神を父と考えた時、私たちはみな、誰もが兄弟または姉妹(※)という考えによる。米映画でよく耳にする、Brother(ブラザー)とSister(シスター)は、要するにクリスチャンからきている。

 新年二日目から、親戚の少ないわが家が、血のつながりはないにせよ、家族と呼べる人達と集まれたことは神の恵みそのものであった。私は、娘が産まれた当時、親戚のいないわが子はなんと不憫だろうと長年、重荷を背負っていた。が、この日示して頂いたことは、神様をお父さんにしたら、彼女に親戚は無限に与えられているという事実だった。

 そうして集まった私たちの目的は、実は新年会ではなかった。
きっかけは昨年、互いの子供たちが学校で様々な困難に合っていた危機感から、聖書を知る子供たちが互いの体験を仲間と語り合って、成長していく心の場を作ろうということから、祈って集まった会であった。

「もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。」
伝道者の書4:12

 子供たちは、地元や学校に、聖書について語り合う人が親以外いない。コロナ禍で、子供が一番、他人との関係が希薄になる。大人が、自由に外へ出て、携帯やSNSで人と繋がれるのに対し、こと小学生以下にそれらがない。幸い、私たちは、同じ年齢の子どもを持つ親たちで、それがないとマズい、と気づいたので、率先してクリスチャンの子供たちの交流の場を定期的に持とう、と相成ったのだ。

 再会した子供たちは、親の心などつゆ知らず、呑気に、2年前と変わらず会うとすぐ、外で遊び始めた。が、その身体つきは、ティーンエイジャーの入り口で、男の子は凛々しく、女の子は可愛らしくなっており、成長ぶりには目を見張るものがあった。この子たちと関われるのは、あと何年だろうか。
 
 そうして、ひとしきり遊んでお昼をすませると、子供たちにクワイエットタイム(静かな時間)と称し、円陣になってもらった。そして、友だちの旦那さんが、英語と日本語で司会をし始めた。(※英語を母国語とするお友だちが数人いたため)
 

「今まで、いじめにあったことのある人?」

 この日のテーマは、いじめ、であり、30分余りの時間を使った。いじめについて、どう思い、どう感じて、どう対処するかというシェアの時間を持った。だが、この内容は割愛する。
 ただ、後ろで静かに見ていた主人に言わせると、いじめがテーマの話題は進行が難しく、「大人の自己満足になりがち」と辛口の評価が下ってしまった。
 言われてみれば、その通りであったが、娘に言わせると「ちょっと退屈したけどまあまあ」とぎりぎり合格点をもらったか。
 とかく、大人が司会者になると、一定の方向へ導きたくなるが、いじめは正しい対処法があるとは限らないので、次回からはもっと子どもに好き勝手にしゃべってもらって、大人も一緒に悩みたい。
 

 だが、なんにせよ、教会の仲間と気持ちを分かち合ったこと自体は、良かったと思う。ある精神科医が、「話すことが、子供を強くする」と、言っていて、以来、私は子どもを信頼おける人と関われるように配慮するようになった。ぜひ、この集まった子供たちにも、互いに語り合ってもらって、強くなってもらいたいものである。


 困難な時代にあって起こる一つ一つのことが、私たちに色んな気づきを与えている。
生きづらい世の中にあって、子供たちが、希望を失うことなく、強くたくましく、生きていってほしい。
 私たち大人は、そんな次世代をこれからも応援し続け、忍耐をもって関与し、祈り続けていきたい。

by桜子

クリスマスの朝

家のポストを開けると、1通の赤い封筒が入っていた。

開くと、お隣さんからの手紙だった。

お隣は先月、上階から引っ越してこられた老夫婦で、私は奥様から話しかけられた際に、優しそうだな、と思っていた。手紙には、その彼女から、私が前日に差し上げた林檎のお礼と、プラスアルファ、がしたためられていた。


「もしや、お宅はクリスチャン?」


話は12月上旬に遡る。
私は玄関の表ドアに、娘のお手製リースを飾った。

a christmas wreath hanging on the door
Photo by Anastasia Shuraeva on Pexels.com



そして、私と同じように、ドアへ飾りをつけている家が、同じフロアに他に2件あった。その1つが隣で、ポイントは、それがサンタとトナカイだった点だ。


私は今、在宅勤務だから、家を頻繁に出入りする。そのたびに、隣のサンタとトナカイが視界に入ってくる。そして、いつも、何の気なしに思っていた。

           (・・・サンタなら、プレゼントが届くよな…)


それで、隣に何かを差し上げたいとずっと考えていた所、23日(結婚記念日!)に、家へ突然、大量のリンゴが届き、その見事な青森のリンゴに、私はこれをおすそ分けしようと決めた。

 紙袋にボンボンとリンゴを入れた。が、これではどうもハレの感じが出ない。


 そこで、透明のパラフィンでリンゴ2つを包み、上を赤いリボンで結んだ。
(おお!これで一気に、クリスマス!・・・)

そうそう、忘れちゃいけない、と慌てて、友お手製のクマ飾り付き「聖書の言葉カード」を括り付けてみた。うーん、可愛らしい。完成だ!



 さて、隣のチャイムを鳴らす。

 
 私とて、知らない人のドアを叩くのには、勇気がいる。

 変な人に思われたらどうしよう!!だが、だからこそ、リンゴは少なくした。どうかな、どうかな。ドキドキ…。だが、出てきた夫人は大変驚きながらも、とても喜んでくださり、私はホッとした。

 それで、クリスマスの朝に話は戻る。

「もしや、お宅はクリスチャン?」


この後には、続きが書いてあった。


私はクリスチャンホームで生まれ、夫は●年前に洗礼を受け、今はXX教会に通っています。
聖書の言葉を見つけてうれしくなりました。




私が、その朝どれくらい喜んだか、書くまでもない。
そもそも、このリンゴを頂いたことにも、他のストーリーが含まれていたのだが、そこを披露すると、キリがないので割愛する。

クリスマスの朝に、隣人がクリスチャンだと知ってうれしかったが、何よりも、そのことを知らずに、日常が過ぎていくこともあり得たのに、神が私の生活に手を伸ばし、施してくださった采配が、何よりうれしかった。

今日も神は生きて働く。私は神さまを心から賛美する。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、


あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。

by桜子

心、この不思議なるもの

今日はもうダメだ、と思った。

似た境遇の人に、自分の境遇を訴えたら、気持ちをわかってもらえるかもしれないと期待した。
もしかしたら、慰めや、示唆に富んだ言葉が返って来るかもしれない。

だが、瞬時に飛んできたリプライは見るまでもなかった。人に、多くの愛を求めるのは酷というものである。

時折、私の周りにいる、すべての人が自分の敵のように感じるときがある。が、落ち着いて考えれば味方は多い。仮に、たとえ、一人だったとしても、私には神がいる。
それが、信仰だ。


神はいる。
全てのことに意味はある。
必ず、すべては益に変えられる。


聖書をふだん信じていて、私は毎日、祈っている。心から信じているつもりなのに、本当に信じてはいないのではないか、と揺さぶられる時がある。
私は、朝、近頃はきちんと祈っているから、きっと穏やかな顔をしているに違いない、と思っていたが、私の見ている鏡と、家族が見る私は、違うものが映っているらしい。
私はいつも怒っている、と家族は言う。

いや、神様、もうダメです。私は、いっぱいいっぱいです。誰も助けてくれません。

夜明け前は最も暗いーーと言う言葉を思い出しながら、私は嘆きや呟きを抑えようとしながらも、こぼれていく心を抑えられなかった。

けれど、しばらくして、もう一度その言葉を思い出してみる時、空が最も暗いなら、まもなく陽は昇る。東から朝日がやってくるのではないか。だとしたら、今が堪えどきである。




明日もやっぱり、祈ろう。
この道を信じて、ついていくしかない。

泣いたカラスはもう笑っていた。


  

Never Let Go Of Me /私を手放しません

季節は冬に近づいているが、私の今夜は、夏一色だった。

 なぜかというと、Never Let Go Of Me という数年前の夏の音楽に、聞き入っていたからである。懐かしい…。素晴らしい曲だ。なんて、秀逸なリズムなんだろう・・・!

 以下に紹介するのは、アメリカ各地の教会で毎年行われるサマープログラムで提供された一曲だ。そのサマープログラムを、Vacation Bible School (略してVBS)と言う。アメリカ発だが、日本でもそのプログラムをやっている教会があり、私の娘は数年前から、夏になると参加していた。
 ちなみに、年によってテーマは変わるが、以下は「難破船(Shipwrecked)」というテーマに括られた一曲だ。(例年5曲ほど学ぶ)

 ずいぶん難しい単語を小さな子供たちに教えるんだな、と当時は思ったが、神さまを見失う状態を難破船、と表現する発想の柔らかさに、さすがアメリカの教会、と思った。そして前置き長くなったが、ともかく、一度、聴いてもらいたい。これもまた、クリスチャンが聴く音楽の常識を破るものである。

https://youtube.com/watch?v=A-YuWeVojEw
※ティーンらによるダンスのVBS。なお、この教会や団体のことは私は一切知りません。


ちなみに、娘たちはこんな難易度の高いダンスは出来ず、以下のビデオが近い。今度は歌詞付きなので、もう一度良かったらぜひ、聴いてみてください。

https://youtube.com/watch?v=WJgIPk_NkZY



ブログに、このVBSのことを書いた日はなかったかな、とググってみたら、5年前の記事が見つかった。(VBS at Daikanyama

初参加は、6年前か、5年前だったのか。アメリカンスクールの夏のプログラムは高額だと聞いたが、娘のこのVBSはなんと無料であり、雰囲気はアメリカンスクールに負けないと思う(行ってないから分からないが)。ちゃんと、スナックタイムもあれば、ダンスも工作も運動もある(笑)。
 150人程の子どもたちで、歌って踊る5日間で、最終日の午後は親も参加して、私も大いにその期間を楽しんだものだった。

懐かしいな、懐かしいな、とお風呂場にまでスピーカーをもっていって、聴いていたら、子供が「泣きたくなった」と言う。

私にとって、あの時間はけっこう貴重で大事だったんだな、というようなことを呟いている。そうだね。そうかもね。今はあんな風に謳って踊れないものね。泣いてもいいよ。と私は言った。


しかし、お風呂から上がったら、
「なんか、曲聴いてたら、元気が出てきた・・・」
と言った。

そうだ、神さまは私を手放さない、なんて言われたら、元気がみんな、出るもんね。

by桜子

聖書からみる、世の終わりの前兆

2021年の夏は、歴史に残る年になること間違いない。
東京五輪は、国民の総意なしに開催された。
「オリンピックとコロナ感染は無関係」と政府は言ったが、来日オリンピック選手団に陽性者は残念ながらおられ、感染者は多発した。そして、観光禁止の選手群と聞いていたが、私はあろうことか、2名のオリンピック関係者が、家電量販店から出てきたところに遭遇。彼らは外せばいいのに、胸にオリンピック公式のネームタグをつけており、どこの国のなんていう人か見ようか、と野次馬根性が走りそうになったが、とっさに目を外した。(見てはいけないものを見た!とドギマギした。)

 そうした外国人の来訪者数増で、感染力強の変異ウィルス・インド(デルタ)型の急拡大を招いた可能性は高く、「国民の安心安全が第一」と菅首相は仰ったが、連日報道される自宅療養者増に空しい気持ちになる。いつから日本はこんな国になったのだろう?いや、昔から日本はこんな国であって、自分が無為に過ごして気づかなかっただけかもしれない。

 世界はどうか、とドイツに住む親友に先週連絡して、近況を尋ねると、欧州では5月のワクチン接種以降、環境は一変し、夏のバカンスを堪能した、というから驚いた。だが、そんな平和はごく一部のようだ。天候をみれば、地中海沿岸で記録的熱波が猛威を奮い、山火事の多発、グリーンランドの氷床が大規模融解、と自然環境の悲報が続く。近隣の中国は、日に日に軍事力を増し、海域を侵して東南アジアの平和はもちろん、日本にとっても大きな脅威となっている。香港の自由が中国に統治されていく様は、イスラム主義組織タリバンがアフガニスタンを占拠という恐怖ほどでないにせよ、いずれも武力行使、という点ではよく似ている。そうそう、サバクトビバッタの大量発生はどうなっただろう。アフリカから中東、南西アジアまで広く分布し、食料飢饉の危機にある。

 それら(いなごの大群)は全地を面をおおったので、地は暗くなった。それらは、地の草木も、雹を免れた木の実も、ことごとく食い尽くした。エジプト全土にわたって、緑色は木にも野の草にも少しも残らなかった。(旧約聖書より)

 おそらく日本人の多くは、聖書を宗教的な書物として毛嫌いしていると思うが、世界を知る上で、聖書は読むべき書物であるはずだ。いなご、バッタが、私たちの世界を奪ったさまは、旧約聖書の出エジプト記に書かれている。(昔あったということ)
そして、世の終わりについてもまた、書かれている箇所が新約聖書にある。今朝、私はマタイ24章を読んだ。

イエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物をさし示した。

そこで、イエスは彼らに答えて言われた。

「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」

イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。
「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」

そこで、イエスは彼らに答えて言われた。
「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。

そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。
また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。
また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。
不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。


震えあがる文章の列挙である。
私は今朝、これを読んで怖くなった。すでに、多くの人達の愛が冷たくなっていることを実感している。

昨日同僚に、「聖書に【冷たい時代になっていく】と書いてあるよ」と言ったら、
ブッ(笑)と、笑われた。
私は大まじめで言ったのだが、聖書を知らないと笑い話に映るだろう。頭がイカれている、そんな揶揄さえ聞こえてきそうだが、NYの9・11で、大きなタワーに飛行機が突っ込んで自爆した映像を見た時、この世の物とは思えない!と誰もが思ったのではないか。
私は友達と携帯で話していて、映像を見た時、わが目を疑った。そう言うことが今現実に、たくさん起こっているではないか。


なお、この聖書の箇所を解説した文章を探したところ、以下が見つかった。私としてはなんとなく、合っているのではないか、と思ってリンクを貼っておく。
礼拝説教 マタイによる福音書24章 「世の終わりの前兆」 (bible-seisho.net)
(※正しい解釈かどうかの確認はご自分で聖書と照らし合わせてね:))


ああ怖い、ああ恐ろしい、と思って仕事をしようと思ったら、「今日のみことば」のメールマガジンが届いた。

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「気をつけて、静かにしていなさい。恐れてはなりません。あなたは、これら二つの木ぎれの煙る燃えさし・・に心を弱らせてはなりません」イザヤ7:4

今、困難に直面しているなら、「気をつけて、静かにしていなさい」が主の答えだ。「恐れるな、心を弱らせるな」と。まず落ち着いて、主を仰ごう。主に信頼を寄せよう。私たちは、主の御手の中に置かれている。まずは動かずに、主を覚え、主に祈ろう。

引用元:【日々のことば】  発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係り

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労苦はその日ごとにある。

昨日のことは忘れた。


明日のことは分からない。


日ごとに出来ることを考え、上を見上げ続けたい。