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photography of monument valley arizona

神様だけにできること


今日、伝えたいことが1つある。
それは沢山の種類の神の中、主イエス・キリスト「だけ」に出来ることは何か、という話。

前置きが長いと、ここで読まなくなる人がいる。
だから一気に結論を書く。それは、

「死の解決」

である。

人の目にはまっすぐに見える道がある。
その道の終わりは死の道である。


笑うときにも心は痛み、
終わりには喜びが悲しみとなる。(箴言14章12,13節)



聖書を信じるメリットは、死の問題からの解放だ。
聖書によれば、イエスキリストを信じると、死んでも生きる、とある。


私はよみがえりです。命です。私を信じる者は死んでも生きるのです。(聖書)


死んで生きるってどういうこと?いやいや、人間、死んだら無でしょ、と思う人も多いだろう。

聖書はさらに、続く。


次のように書いてあります。
キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、
罪の許しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。

(ルカ24:46,47)


罪は、的外れ、という意味だ。
神様を知らない人生は、的が外れているんだよ、と聖書は伝えていて、
ひとりひとり、神様と共に歩んで、的外れを悔い改めて、神と共に歩んで、と言っている。

死んで蘇るなんて、あり得ないと思うけれど、もし神なら、あり得るよね?!
だって、


神にとって不可能なことは一つもありません。(ルカ1:37)


そう書いてあるから。



目に見えない神様なんて、信じられない!
私は10代の頃、そう思って、神様がいるなら、目の前に出て来て!と何度も祈った。

その答えもまた、聖書に書いてある。


イエスは彼に言われた。
『あなたは私を見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。』
(ヨハネ20:29)


見ずに信じられない者ですよ、私は…!などと言ってた私が、信じるようになった。
これもまた、神がなした一つの奇跡。
私は今、当たり前のように、イエスキリストとブログに書いているけど、
それをここに書いて、ひいてしまう読者の気持ちもよく分かる一人である。

かつて、聖書を否んで、たぶん多くの人が否んだり、疑ったりして、信じるようになった人たちなのではないかと思う。(※子供以外)



20年続いた、私のブログと、次の聖書の御言葉、について、ちょっと考えた。

私はいつも私の前に主を置いた。
主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。(詩編16:8)



振り返ると、聖書の御言葉(みことば)を、右に載せて、20年ゆらぎっぱなし。

お手本にならない話をたくさん、赤裸々に載せてきて、正直消したくもなるけど、
色々考えた末、削除しないでいる。


立派な人じゃなくても、
ダメダメな人でも、
神様は共にいてくださる。
こんな私が今でも神様を信じていることこそ、証といえるのかもしれない。

主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。(聖書)


これからも神様を賛美し続けられるか自信はまったくないけれど、
いつ自分もイエスを裏切るユダになるか分からないけれど、
今日の最後にこの御言葉を紹介して、終わる。



イエス・キリストは、
きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
(ヘブル13:8)



わたしの目にはあなたは高価で貴い。
わたしはあなたを愛している。

(聖書)



今日、あなたが神様を信じる日となりますように!


by桜子

VacationBibleStudy

お盆ウィークのそれぞれ

今年の夏は、暑い。
ニュージーランドより、ずっと暑くて蒸し蒸しする。

お盆の今週、東京は台風襲来予報で、すわ天気はどうなる?!と大騒ぎだった。
が、進路が逸れた。

帰省や家族旅行に出かける人がいる中、ここ代官山では、東京バプテストチャーチという英語と日本語を使う教会で「バケーションバイブルスクール(略して、VBS)」が、未就学児から小学6年までの子供達に開かれている。

今年は、コロナ後初の本格始動だ。
100人超の子供と、100人超のボランティアが集まり、いろんな国の人がいて、インターナショナルである。
朝9時から午後1時まで、子供達が聖書に親しみ、歌やダンスを習い、スナックタイム(おやつ)を楽しむ5日間。私はコロナ前はこの週をクリスチャンウィークと呼んで、リラックスするのが常だった。

今年のテーマソングは、SPARKS(弾ける)!まさに、コロナ後にピッタリ。

秀逸な音楽はアメリカ発。過去の思い出はこちら:VBS at Daikanyama


4歳から参加していた娘も、今年は最終学年。
迷いに迷った末、私は恐れ多くもスタッフTシャツを頂き、参加中。


何気なく誰かと話すだけでも、その人の背後にあるものを知ると、神様がこの人を今日は会わせてくださったと知り、導きを覚える。そういうわけで、今週はよく祈っている。祈り漬けである。


なんだっけ、この、いっつも祈ってる感じ…
と思ったら、何のことはない。ニュージーランドで家を探していた時(ニュージーランドの家探し~短期移住)が、そうだった。



あなたを、わたしを創った神は、生きている。
主は生きておられる。

あなたの夏が、守られますように。
あなたの夏が、神様と共にあり、たくさんのSPARKSがありますように!


by桜子


追伸:義母(84歳)が先週水曜に事故に遭い、月曜に骨折の手術を終え、リハビリ頑張ってます!今のところ「早く退院したい」と歩けるように努力する気持ちが与えられています!感謝。

silhouette of cross

ニュージーランドのローカルチャーチ

 オークランドで過ごす最後の日曜になった。天気予報ではイースター休暇は曇とあったが、朝日が美しく登り始めている。
 ここで日本との違いをいつも考えるが、カーテンを開くと一面に広がる空がなんといっても圧巻だ。視界を遮るものがない。自然の恵みを全身に浴びて、清々しくなる。私はこの景色を、鬱っぽくなった全ての日本人に見せてあげたい。もしその人が、自然や歩くことが好きなら、海岸を眺め、森林を散歩して、ストレスが飛んでいく。きっと回復できると、心から思う。

 今朝も私たちは朝9時半からローカルチャーチに行く。そこで、今日はニュージーランドの教会について紹介したい。
 
 そもそも、ニュージーランドであろうが、日本であろうが、日本人にとって「教会に行く」というのは、非常にハードルが高い。私の場合は、近所のアメリカ人家族に連れられて小学生で聖書を知った。が、そういう自然な何かがなければ、自発的に教会へ行くのは難儀だ。何か教会には、悩みがある人や弱い人が行く、というイメージがある。でもそうじゃないよ、ということを伝えたい。

thank you signage

なぜクリスチャンが教会へ行くのかと言えば「神様へ一週間の感謝と賛美」をしに行くのだ。

懺悔しに行くわけでも、願い事を叶えにいくのでもない。この点は強調したい。
そして、ニュージーランドに来たなら、ぜひ教会へ行くことをお勧めしたい。(日本でもいいけど…)


 教会へ行ったからと言って、その場所はあなたを包みこむような場所じゃないかもしれない。良い体験ができると保証できない。うちのメンバーであるイギリス人によれば、「どの教会も、うちみたいなところじゃない」と人差し指を立てて、教えてもらった。


 そう、どの教会に行くかで、雰囲気はかなり違う。だから、行く前に、あなたが神を信じる人でなかったとしても、心の中で「神様、どこに行けばいいですか?」と1回でも祈ってから、あなたが足を運ぶ教会を探して見つけ、体験してほしいと思う。


 そこが、あなたの人生を変える可能性は大いにある。だから勇気を出して、行ってみよう!

by桜子

aerial view of city buildings

ハロー、ニュージーランド!海外移住

NZに来て10日間が過ぎた。
元旦に成田から飛行機に乗った。
2日、オークランド空港についたら、迎えに来る、という人がいなかった。

初日から今日まで、怒涛の日々だった。

どこから書こう?何を書こう?

そもそも、私はなぜ、異国にいるのか。
いや、よく来たよ。涙が出ちゃう。

↑うちから、徒歩5分のところから見える景色。夫と散歩して、撮ってもらった。



思い切って、来てよかった。
今なら人生まだ残り時間がありそう。
これから、私たち、どこでどう生きるんだろう?



ニュージーランドに来た、と書くと、すごくキラキラしたイメージがあって、華やかに聞こえる。
実際、私もそう思って来た。けど、書けないぐらいビックリすることが「山ほど」あった。
それで、5日目ぐらいに(今から帰国しようか?)という考えが真剣に過った。辛すぎて…。


でも、その嵐は徐々に収まっていき、
今朝は、「来れた」という事実にまず、感謝したい、と悔い改めの気持ちが起こされた


悔い改めは気持ちがいい。
私はこういう時、この聖書の言葉がすぐ頭に浮かぶ。


===============
神へのいけにえは、砕かれた心。
悔いた魂。
主はけして、それをさげすまれません。

===============


そして、「不平不満の眼鏡」でなく、「感謝の眼鏡」をかけてみる。
そうしたら、こんどは、この聖句を思い出した。

===============
わが魂よ。主をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
わが魂よ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
===============

きっと、今日からは大丈夫。
いや、永遠に、と思わず、まずは1日1日を、大丈夫、と思って過ごすことにする。

私がどうしてここにきて、どうやって生活しているのか、
これから少しづつ、書いていきたいと思う。

良かったらぜひ、読んでください。

日本のみんな、オープンダイアローグのみんなも、会社の人も
今日が良い日でありますように。

by桜子

news inscription on neon signboard hanging on street

私の重大ニュース2022年

オープンダイアローグとは何か?
オープンダイアローグは、どのようにして人のこころを助けるのか?
対話の実践者になるとは、どういうことなのか?(中略)

2015年の秋、私はフィンランドへ行ってケロプダス病院を見学した。
そして、この病院がオープンダイアローグを一日で誕生させたように、私もすぐに自分たちのクリニックに取り入れようと、帰国した翌日…から、これを始めた。(「感じるオープンダイアローグ」森川すいめい著)

clouds



 今朝、障子を開けたら、窓の向こうに見える朝日と雲のミルフィーユがひどく美しかった。
都会に住んでいると、自然と無縁に思うが、高い所にある空だけは、いつも居住地を忘れさせてくれる。

(ああ、渋谷からも空は美しいんだよな…)


 私は海外旅行が好きだ。3日後、飛行機に乗って、4日後には違う国の空を見る。
だから、これから出会う景色にたくさん感動するだろうが、この渋谷の空の美しさもしっかり覚えておこう、と思った。


 毎年いつも、クリスマスを過ぎると、慌ただしい。この5年間、いろんな形でクリスマス会が与えられた。どの年も、その時々の感動と喜びがあるのは、神ご自身が、自分の会として、すべてをデザインされることに拠るだろう。
 

 そうして、2022年を振り返るとき、私の重大ニュースは、”「与えられた人生をしっかり生きよう」と思えたこと”だ。

1.オープンダイアローグに出会った
2.自分が生きている意味がわかった
3.生活が変わった

自分革命なので、このことは忘備録として書いておく。

先々続いていくのか、正直分からない。が、もう二度と、立ち止まりたくない、と思っている。とはいえ、愛する人を失ったときに、同じ思いで走れるかと聞かれたら、全く自信はない。

人は複雑だ。
でも、私は今の思いを大切にして、どこまでいけるか試してみたい。 

神のなさることは、すべて時にかなって美しい (伝道者の書3:11)



今年も一年、ありがとうございました。
また、ブログを読んでくださる希少な方に、本当にお礼を一軒づつ回って言いたいのですけど、
訪問先を間違えたら恥ずかしいので、やめときます。
でも、とっても感謝してます。


神様のお守りがお1人、お1人の上に豊かにありますように。
そして辛い時、苦しい時、独りぼっちに思えても、神がいるのかもしれない、と考えてみてください。
文末に、聖書の言葉をご紹介します。

by桜子



わたしを呼べ。
そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう
(エレミヤ33:3)






 

woman with umbrella on beach

山口周に18時間寝てる?と聞かれた女

 最近会う人、会う人に、「山口周って知ってる?」と宣伝部長になっている私。
飛ぶ鳥落とす勢いで、出すビジネス書が売れに売れまくっていると思しき文筆家、それが山口周だ。

ダイアモンド社のアマゾンに貼ってあった広告見つけた↓コピーライト:アマゾン&ダイアモンド社

宣伝部長すぎますか?

ググったら、NHKにも出てて、たまげた。



本を読むと、キレッキレの文章を書くので、今さらながら、この人めちゃくちゃ頭がいいんだ!と感嘆し、よく友達でいてくれたよな~と思った。なんで未だにつながっているか、というと、神の技、と言うしかないが、なんといっても、インタビューしたことでつながり続けられたのではないか?と思う。

それで、昔のインタビューを久々に見たら、吹き出したので、紹介したい。
当時の日記から抜粋する。

===
■山口周の読書法について聞く

山口「もうビジネス書ほとんど読まなくなっちゃった。寝ちゃうよねえ、やっぱ。
あのね、本は食べ物と同じで自然に読みたくなるものを心が求めているんだよ。この間、西森栄三郎さんの本を読んだら、『アムンセンとスコットの冒険』を読んでさ、『ゴンドラの都』がメタファー、『アドリア海の女王』をメトノミーというんだけど、同じ「ベネチア」のことを指してもゴンドラの都だと分かるけど、アドリア海の女王っていったら、何かわからないだろ。掘り下げていくことをメタファーっていってさ・・・」

桜子「え?なんて本?」

山口「アムンセンとスコットの冒険」

桜子「ヤムウンセン?」

山口「それくらい知ってろよ!アムンセンだよ」

桜子「タイ料理にヤムウンセンってあるんだよ~(汗)」

山口「あ、マジで?」

桜子「ほら、知らないじゃん!」

■星野道夫をあなたは知っていましたか?by桜子
山口「なんでさあ、おんなじ時間を生きているのに、桜子そんなに何もしらないわけ?もしかして18時間しかないわけ?」

桜子「え?18時間しかない?失礼だよ」

編集部「桜子さん、違いますよ。岡本さん、『18時間寝てるわけ?』って言ったんですよ」

桜子 「え!?もっとひどいじゃない!18時間寝てる?そんなわけないじゃない!」

山口「まあ、俺もすごい寝てるけどさあ・・・」

桜子「・・・私はね、きっとね、(岡本さんが何かを得ている)その裏で何か他のことを得てるんですよ」

山口「いや、それ、ないでしょ」

桜子「うん、そだね。・・・(しばし無言)あー、もうインタビューする気、失せたっ!」

山口「いやでもねえ、パロアルト(FXPALはパソコン発祥の地(詳しくはココをクリック))知らなくても、星野道夫はフツー知ってるぞ」

桜子、無言

山口「でね、俺ね、攻めていると発展しないから、桜子にソリューションを提供する。桜子ねえ・・・(しばし間)・・・・18時間寝てる・・・・わけじゃない、そうだよね?寝すぎじゃないんだよね??」

ムッとする桜子に少し考える岡本氏。

山口 「・・・本屋、行ってる?」

桜子 「ネイルサロンには行ってる」(ふんぞり)

山口 「ネイルサロン、それ、バシバシ行っていいんだけど。ただねえ、俺、自分のことを考えると本屋な気がします。ぷらぷら歩くんだよ。そういうことしたことない?」

桜子無言に、編集部、思わず吹き出す。

編集部「桜子さん、(^w^) ・・・ふふふ。珍しく止まってる~(大笑)」

桜子 「いや、もうさあ、本当にインタビューやる気力が失せちゃって、なんで場所を変えてやり始めちゃったんだろう。もうさっきのでおしまいにすれば良かった」

山口 「星野道夫はさあ・・・」

桜子 「もういいよ」

編集部「桜子さんはね、感受性がね、感受性が高いんですよね(笑)」
↑フォローしてくれてる

桜子「私、思ったんだけど、私が桜子じゃなくて、Tさん(編集部)が桜子やれば良かったのに」

編集部「なに言ってるんですか、ハハ」
↑この方は優しい

山口 「いや、でもさあ、感性がないから本屋に行かないんだろ?俺、むしろ、そっちだと思うぞ」

桜子 「アー?」
↑不良の真似。※生まれて初めてインタビュイーの肩元を掴んだ。。

山口 「桜子こうなってるんだよ(没頭ポーズ)こうなって一点集中で本を見ているからだよ」
=テープの書き起こし作業が実に空しい。もうこのトークはカット=

===

「ね、おかしくない、笑っちゃうよね~」と私は言いながら、この文章を読ませたら、夫がいつになく怪訝な顔をして、こんなことを言った。

 「そんなの載せていいの?プライドないの?」

by夫


私、うれしかったねえ…。

今日も読んでくれる誰かが笑ってくれればいいじゃん!って言ったら、
俺にはその気持ちわからんが、というような顔をして、君がいいならいいや、というようなことを言われた。

いや、心配してくれる誰かがいるのって、実にありがたいね。
この人と結婚してよかった、と思った。


最後に聖書をご紹介しておしまいにする。




いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。
あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。
(第一コリント人への手紙 4:7)



今日もよい一日を!

by桜子

photo of child reading holy bible

おめでとうございます。ツイートが注目を…

 最近、ブログを書くと、ツイッター社からお祝いの言葉が届く。回を重ねるたびに、表示回数が増える。やった結果が分かるとうれしい。昨日は知らない人からハートマークを押されて大喜び。が、いかん、そこに目を留めちゃ・・・!

 私はクリスチャンだ。が、そのイメージにありがちな、無欲さから遠い人間だ。アクセス増を喜んでしまう。だからこそ、戒めねば…。それより大事なことは、たとえ明日が滅びようともリンゴの木を植えよう、のごとく、たとえPV数が低くとも一人読者がいれば書かせて頂きたい。今日は、人生で大事なもの、がテーマだ。

一昨日、近所の東京バプテストチャーチの礼拝で牧師から、ヴィンセント・ファン・ゴッホの「開かれた聖書のある静物」の話を聞いた。

開かれた聖書のある静物

 右奥に、燃え尽きたろうそく、中央は聖書で、手前右は黄色い本で、読めないがタイトルは「The joy of Life」(人生の喜び)とあるそうだ。

牧師は言った。

人々は今、「聖書」よりも、「人生の喜び」の本を熱心に読んでいる。
誰かによって書かれた本は、輝いていて、人生の成功を私たちに約束してくれているように見える。
でも、本当の光は、聖書にある。
神さまの真理の中にのみ、希望や光、喜びを見出すことが出来る。
どうぞ、気をつけて。
神さまの言葉(=聖書)を、あなたの、そして、私の道を導く光としてください。


いや、ホントにそう!!!

牧師の話に同意する。
けど、それより激しく同意するのは、私の家には黄色い本が山ほど積んであるってこと!
そして、聖書は本棚にきちんと鎮座してある。


す、すみません・・・!と、神さまに謝りたい気持ちになった。



確かに、どうしてこの世の本は面白いのだろう?
そして、聖書はどうしてあんなに読みづらいんだろう?


それはね、聖書は神が自己紹介する書物だから。
立花隆の本が仮に難しいなら、神の本はもっと難解で当然ですよね、と今朝、ごーちゃんが言っていた。(と、私は感じた)


聖書には、3つのことが書かれている。
 ①神とはどういう方なのか?
 ②人間とはどんなものなのか?
 ③人間が神に近づくために何が必要なのか?

最近、私が視聴し始めたのが、YouTubeのごーちゃんねる。ただしくは、「ごうちゃんねる」だそうだが。コロナになってから、だいぶ前に親から変わってる牧師だけど面白い、と薦められた。けど、興味がなかった。
それが、昨今のロシアウクライナ侵攻により、聖書は何と言ってるだろう、と考え始めたのを機に、聴き始めた。

15分で終わる動画は便利で、時間がない時、私は1.5倍速で聞いています、笑。
よかったら、ぜひ、今日の聖書についての話が、ごーちゃんねるに書いてあります。↓


主のように聖なる方はいません。まことに、あなたのほかにはだれもいないのです。私たちの神のような岩はありません。(第二サムエル2:2)


私は、ごうちゃんのことを良く知らないのですが、HIKAKIN(ヒカキン:登録者数が1000万人を超える日本人YouTuber)を観る時間があるなら、ぜひ皆さんもチャンネルを覗いてもらいたいな、と思います。
          

by桜子





 
 

クリスチャン新年会

1月2日の日曜、新年早々の礼拝後に、主にある家族6組が、わが家近くの一軒家に集まった。

group of people making toast
Photo by fauxels on Pexels.com


主にある家族、というのは、天の神を父と考えた時、私たちはみな、誰もが兄弟または姉妹(※)という考えによる。米映画でよく耳にする、Brother(ブラザー)とSister(シスター)は、要するにクリスチャンからきている。

 新年二日目から、親戚の少ないわが家が、血のつながりはないにせよ、家族と呼べる人達と集まれたことは神の恵みそのものであった。私は、娘が産まれた当時、親戚のいないわが子はなんと不憫だろうと長年、重荷を背負っていた。が、この日示して頂いたことは、神様をお父さんにしたら、彼女に親戚は無限に与えられているという事実だった。

 そうして集まった私たちの目的は、実は新年会ではなかった。
きっかけは昨年、互いの子供たちが学校で様々な困難に合っていた危機感から、聖書を知る子供たちが互いの体験を仲間と語り合って、成長していく心の場を作ろうということから、祈って集まった会であった。

「もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。」
伝道者の書4:12

 子供たちは、地元や学校に、聖書について語り合う人が親以外いない。コロナ禍で、子供が一番、他人との関係が希薄になる。大人が、自由に外へ出て、携帯やSNSで人と繋がれるのに対し、こと小学生以下にそれらがない。幸い、私たちは、同じ年齢の子どもを持つ親たちで、それがないとマズい、と気づいたので、率先してクリスチャンの子供たちの交流の場を定期的に持とう、と相成ったのだ。

 再会した子供たちは、親の心などつゆ知らず、呑気に、2年前と変わらず会うとすぐ、外で遊び始めた。が、その身体つきは、ティーンエイジャーの入り口で、男の子は凛々しく、女の子は可愛らしくなっており、成長ぶりには目を見張るものがあった。この子たちと関われるのは、あと何年だろうか。
 
 そうして、ひとしきり遊んでお昼をすませると、子供たちにクワイエットタイム(静かな時間)と称し、円陣になってもらった。そして、友だちの旦那さんが、英語と日本語で司会をし始めた。(※英語を母国語とするお友だちが数人いたため)
 

「今まで、いじめにあったことのある人?」

 この日のテーマは、いじめ、であり、30分余りの時間を使った。いじめについて、どう思い、どう感じて、どう対処するかというシェアの時間を持った。だが、この内容は割愛する。
 ただ、後ろで静かに見ていた主人に言わせると、いじめがテーマの話題は進行が難しく、「大人の自己満足になりがち」と辛口の評価が下ってしまった。
 言われてみれば、その通りであったが、娘に言わせると「ちょっと退屈したけどまあまあ」とぎりぎり合格点をもらったか。
 とかく、大人が司会者になると、一定の方向へ導きたくなるが、いじめは正しい対処法があるとは限らないので、次回からはもっと子どもに好き勝手にしゃべってもらって、大人も一緒に悩みたい。
 

 だが、なんにせよ、教会の仲間と気持ちを分かち合ったこと自体は、良かったと思う。ある精神科医が、「話すことが、子供を強くする」と、言っていて、以来、私は子どもを信頼おける人と関われるように配慮するようになった。ぜひ、この集まった子供たちにも、互いに語り合ってもらって、強くなってもらいたいものである。


 困難な時代にあって起こる一つ一つのことが、私たちに色んな気づきを与えている。
生きづらい世の中にあって、子供たちが、希望を失うことなく、強くたくましく、生きていってほしい。
 私たち大人は、そんな次世代をこれからも応援し続け、忍耐をもって関与し、祈り続けていきたい。

by桜子

クリスマスの朝

家のポストを開けると、1通の赤い封筒が入っていた。

開くと、お隣さんからの手紙だった。

お隣は先月、上階から引っ越してこられた老夫婦で、私は奥様から話しかけられた際に、優しそうだな、と思っていた。手紙には、その彼女から、私が前日に差し上げた林檎のお礼と、プラスアルファ、がしたためられていた。


「もしや、お宅はクリスチャン?」


話は12月上旬に遡る。
私は玄関の表ドアに、娘のお手製リースを飾った。

a christmas wreath hanging on the door
Photo by Anastasia Shuraeva on Pexels.com



そして、私と同じように、ドアへ飾りをつけている家が、同じフロアに他に2件あった。その1つが隣で、ポイントは、それがサンタとトナカイだった点だ。


私は今、在宅勤務だから、家を頻繁に出入りする。そのたびに、隣のサンタとトナカイが視界に入ってくる。そして、いつも、何の気なしに思っていた。

           (・・・サンタなら、プレゼントが届くよな…)


それで、隣に何かを差し上げたいとずっと考えていた所、23日(結婚記念日!)に、家へ突然、大量のリンゴが届き、その見事な青森のリンゴに、私はこれをおすそ分けしようと決めた。

 紙袋にボンボンとリンゴを入れた。が、これではどうもハレの感じが出ない。


 そこで、透明のパラフィンでリンゴ2つを包み、上を赤いリボンで結んだ。
(おお!これで一気に、クリスマス!・・・)

そうそう、忘れちゃいけない、と慌てて、友お手製のクマ飾り付き「聖書の言葉カード」を括り付けてみた。うーん、可愛らしい。完成だ!



 さて、隣のチャイムを鳴らす。

 
 私とて、知らない人のドアを叩くのには、勇気がいる。

 変な人に思われたらどうしよう!!だが、だからこそ、リンゴは少なくした。どうかな、どうかな。ドキドキ…。だが、出てきた夫人は大変驚きながらも、とても喜んでくださり、私はホッとした。

 それで、クリスマスの朝に話は戻る。

「もしや、お宅はクリスチャン?」


この後には、続きが書いてあった。


私はクリスチャンホームで生まれ、夫は●年前に洗礼を受け、今はXX教会に通っています。
聖書の言葉を見つけてうれしくなりました。




私が、その朝どれくらい喜んだか、書くまでもない。
そもそも、このリンゴを頂いたことにも、他のストーリーが含まれていたのだが、そこを披露すると、キリがないので割愛する。

クリスマスの朝に、隣人がクリスチャンだと知ってうれしかったが、何よりも、そのことを知らずに、日常が過ぎていくこともあり得たのに、神が私の生活に手を伸ばし、施してくださった采配が、何よりうれしかった。

今日も神は生きて働く。私は神さまを心から賛美する。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、


あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。

by桜子

心、この不思議なるもの

今日はもうダメだ、と思った。

似た境遇の人に、自分の境遇を訴えたら、気持ちをわかってもらえるかもしれないと期待した。
もしかしたら、慰めや、示唆に富んだ言葉が返って来るかもしれない。

だが、瞬時に飛んできたリプライは見るまでもなかった。人に、多くの愛を求めるのは酷というものである。

時折、私の周りにいる、すべての人が自分の敵のように感じるときがある。が、落ち着いて考えれば味方は多い。仮に、たとえ、一人だったとしても、私には神がいる。
それが、信仰だ。


神はいる。
全てのことに意味はある。
必ず、すべては益に変えられる。


聖書をふだん信じていて、私は毎日、祈っている。心から信じているつもりなのに、本当に信じてはいないのではないか、と揺さぶられる時がある。
私は、朝、近頃はきちんと祈っているから、きっと穏やかな顔をしているに違いない、と思っていたが、私の見ている鏡と、家族が見る私は、違うものが映っているらしい。
私はいつも怒っている、と家族は言う。

いや、神様、もうダメです。私は、いっぱいいっぱいです。誰も助けてくれません。

夜明け前は最も暗いーーと言う言葉を思い出しながら、私は嘆きや呟きを抑えようとしながらも、こぼれていく心を抑えられなかった。

けれど、しばらくして、もう一度その言葉を思い出してみる時、空が最も暗いなら、まもなく陽は昇る。東から朝日がやってくるのではないか。だとしたら、今が堪えどきである。




明日もやっぱり、祈ろう。
この道を信じて、ついていくしかない。

泣いたカラスはもう笑っていた。