カテゴリー別アーカイブ: 介護

moon in wonderful blue sky in evening

Nothing is impossible(2)

「人にはできないことも、神にはできる。(ルカ18:27)」

ブログ更新が滞っている間に、新規プロジェクトが2つ取り去られた。
一つは、賑やかなニュージーランド一家が、日本を満喫して、無事に帰国した、ということ。
そしてもう一つは、中1の娘が渋谷の家を出て、私の父のもとへ行き、そこで暮らしはじめたこと。

私はニュージーランドの家族をもてなす気力はゼロだったが、
全部できたし、箱根にもいけた。
それは、めちゃくちゃ楽しかった。
そして、わが子が早くも独立した。

どちらも全く予想外だった。



娘がいない家は静かだ。
私は、意気揚々と家を出る娘を見て、苦々しく思う(娘は私をうざったいと感じている)と同時に、妻を手放さざるを得なかった父のもとへ、”太陽”を送り込んだ気がした。


かようにして、神の計画と言うのは人には計り知れぬものである。

by桜子

Nothing is impossible

3月、私は怒涛の介護生活は突然に!をブログに書いた。
私は、助けを求めていた。


その結果は、神のみぞ知る。
が、一つ伝えたいことがある。
それは、自分が、やっぱり神に選ばれし者だなって感じているってこと。



実際のところ、私は先月こんなふうに思っていた。


ああ、なんでこんなに疲れるんだろう?!
そうだ、新規の案件がたくさん走っているからだ!
仕事も新規プロジェクトだし、プライベートも新規プロジェクトが2本、走っている!
中1の親になるのも初めてなら、介護も初めて!
3つの案件が同時進行で走っているからパンクしそうなはずだよ、オイオイ!!!

って感じ。

こうなると、脳が疲弊して、誰に連絡するかを考えるだけで、頭がシューシューと沸騰したヤカンのように音をたててくるので、何も考えずに済む外部のメンタルヘルス機関に電話した。



と、

こんな私に、神はさらに新規案件を投下してきた。
それは、ニュージーランド一家の来日(17日間)である!


昨年、私たちはニュージーランドにいて、家を失い大騒ぎであった。
この変な日本人家族(私たちのこと)が帰国後、なんと、私達ロス(=あんたがいなくなって寂しい)になってくださったニュージーランド人のご家族がおられて、時折私たちはビデオ会議などをしていたのだが、半年以上前に「会いに行くよ!」と計画くださっていた。



私にとって、大好きな彼らであるが、今の私は彼らをもてなすのも、一緒に観光へ出かけることも厳しかった。



だが、夫は彼らの提示してきたスケジュール表を見て、

「え?!毎日うちに来ないの?毎晩、うちで食事かと思っていた!」
と、呑気であった。

「いや、それ、私が困るし…。私、まったく余裕がない」と低い唸り声をあげる私に、

「僕、あるよ」と、夫。


夫も私と同じように疲れているのに、この差は何なんだ!と信じられない思いがした。
同時に、そんな彼が誇らしく、尊敬の念もあり、どうしたら私も彼のように振舞える大人になれるのか、と考えた。


by桜子


つづく。


crop unrecognizable male doctor with stethoscope

残念な医者

母がわが家に来て、1週間。
明け方、お手洗いに起きた母が、また寝室に戻るドアの音が聞こえ、布団の中で私はホッとした。

この7日間は、年末に引き取った時と今の母の違いに驚かされていた。
今日、起きてこないことをみると、少し落ち着いたか?

母は昨年末、妄想を言うようになった。おかしいと思い、主治医の所に連れていくと、うつ病だと断言する。

副院長「ちょっと精神科だね!!!」

母  「ええーっ!!そんなあ・・・」

副院長「僕には無理!ちょっとこういう状態で診てきたけど、パーキンソン病のスペクトラムで説明がつかない。精神科行って!」


あれから4か月たった。
父に内緒で、私は昨日、母をこっそり病院へ連れて行った。
夫が見つけてくれた、脳神経内科だ。

医者は言った。

「うつ病では、ありませんね」

ですよね?
ですよね?
だから、私、精神科でもらった薬、うちに来てから飲ませてないんです。

「いいと思います」

「それから、脱水症状と栄養状態が悪くて、せん妄がひどくなっている可能性があります。絶対やらなくてはならないのは、理学療法士によるマンツーマンのリハビリです。身体が固くなっています」



採血と心電図を4月3日とることになった。

母は診察中、医師がじっくりと私の話を聞いて問診するので、何度も私を叱った。
が、医者は言った。
「初診は、長くなるものだから、いいんですよ。」

そして、母が早すぎる別れを試みてもできなかったことを吐露すると、
「それは言っちゃ、いけないよ」
と優しく語り、
「生きたくても生きられない人がいるからね」と言ったら母もすぐさま、

「そうです」
と力強く、はっきり答えた。


彼女は、わかっている。
生きなくてはならないことを。
この先、どんなにみじめになろうとも、命ある限り、生きなくてはならないことを。

医師は優しく言った。
「前向きに・・・ね」


私は母の手を握り、暗い夜道を歩いて家路についた。

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。(伝道者の書3:1)


by桜子

♯介護 ♯難病 ♯にぎやかな暮らし ♯仕事と育児と介護の両立 

two adult women beside each other

怒涛の介護生活は突然に!

今年初の、ブログ投稿である。

昨年の今頃、私はニュージーランド(以下、NZと略)にいた。
家を失い、7回も住まいを求めて移動し、心底苦しい生活を営んだ。
30年NZ在住の人から、「本、出せるんじゃない?」
と言われるほど、ムチャクチャ奇想天外な日々だった。
Season2:ニュージーランドの家探し~短期移住9 | VIVA!桜子の超気まま渋谷日記since2003 (sakurako.cc)


それで、帰国したら安住の暮らしになるかと思いきや、わが家では密かに様々な試練が与えられていた。主たるものは、「両親」である。
NZ滞在中、私の両親が、それぞれ難病に罹患、義母と母がほぼ同時に大腿骨頸部骨折。
主人と私は、発症時に何かがあると、多忙を極めた。

しかし神は恵みも与えてくれ、
特に要介護3と診断された義母が、退院後、独居生活にもかかわらず、1週間に3回も機能訓練の送迎を受け、そこで友達をたくさん作り、健やかに、一人暮らしを続けている点である。

私達はむろん、うちに来るか?という話もしたが、今はいい、ということであった。

一方、非常に緊急なのは、母である。
父による老々介護を受けていたが、みるみる悪化、昨年末はわが家にちょっと連れてきたが、状態があまりにひどく、予期せぬ介護がスタート。しかし私が、慣れぬ世話と母の状況の酷さに狼狽し、ダウン。
父と私の介護方針は全く折り合わず、従って悩みに悩んだ末、母を父のもとに1月戻す。
が、やはりさらに悪化。母の死を覚悟で父に戻したが、まだ生命力あり。
先週金曜、小規模多機能の施設を見学したが、そこに入りたがらない母を見て、結局、またもや無計画にわが家に連れてくる選択をし、介護生活再スタート。現在要介護2か3の疑いあり。


詳細は割愛するが、現在、行政支援から漏れており、わが家・・・火の車状態

行政の支援を受けるまで、あと何日待てばいい?
主治医にレスパイト入院を相談したが、断られた。
正しい医療に結び付けたい。

母は現在、わが家にいるのも、私たちに苦労をかけ、申し訳ないと萎れる。
しかし、わが家の暮らしは気に入っているようにも見える。
なぜなら、私が日中そばにいれば、母の友達とビデオ通話させたり、水分や食事補助ができるから。

というわけで、
もしも、このブログを読んで、5分でも母と話せるよ!っていう人がいたら、私か母に電話ください!
(電源オンにしました。※オフになっていたので)


また、うちに来て、母とお茶したり、お話できる~っていう方がいたら、
わが家、散らかってますが、いらしてください。(その間、私、仕事させて頂きます💦)
ともかく、行政の支援を受けるまであと2、3週間を乗り切るのが課題だ。

私は母を横において、仕事できるときはするし、
できないときは、夜に仕事をするってことで、上司の理解も得られたので、毎日祈りながらやってみます!

追伸:①本日は15時~17時は外出なり
   ②余裕がなくSNSこまめにできず、不義理もあります💦どうかご容赦ください💦💦
   

神はすべてのことを働かせて益としてくださる(聖書)

by桜子

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