カテゴリー別アーカイブ: 海外・国内旅行

excited young diverse friends celebrating birthday of cheerful woman on terrace

祝ってください

先日、私は誕生日だった。

去年は、ホテルでエステを自分にプレゼントしてはみたものの、
祝ってもらわなかったので、暗く地味だった。


こういう過ごし方は、自分の趣味じゃ、ぜんぜんないな、と気づいた私は、
今年は反動で、その逆にしたかった。

今年は、ちゃんと誕生日に祝ってもらおう。
臆せず、「今日は私の誕生日です」と言い、「おめでとう!」と言われたい。

ちょうど、それは日曜だったので、縁起がよかった。
日曜は礼拝があるし、多くの人に会える。
私は、自分がホストになってパーティーを頑張って開催するか、と夢想した。
家の広さの垣根を越えて、誰でも来てもらいたかった。

聖書(マタイ22:9)
町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。

私は、この箇所が、私は好きだ。

王様が、王子の婚礼に際し、家来に命じたセリフを描いたシーン。
王の気持ちがよく分かる。
「祝ってくれる人、誰でも来てくれ!」ってね。
そう、私もこんな気持ち。


が、 


今年は多忙で、誕生日どころではなかった。
誕生日に、どうやって過ごす?!なんていってるうちは、平和でいいものである。
暇も、いいものである。

結局は家族それぞれ忙しかったので、朝の礼拝だけ家族全員で出かけた。



How’re you doing?



と聞かれたから、間髪入れずに言ったね。



”Today’s my birthday.”



“Happy Birthday!”



うんうん、ありがとー!!!


ってことで、今年の誕生日は、バカみたいにアピールして、おめでとう、を言ってもらった。
それはそれで、実に良かった。


というわけで、また一年、こんな私をよろしく!!!


by桜子

close up of splashing water

祈ってください(3)

お祈り、ありがとうございます!

9月14日(木)
ー朝ー
わたし、このわたしが、あなたがたを慰める。(イザヤ51:12)書籍「日々の光」引用

pages on an opened book
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大胆にも、祈ってくださいと書いた先日から、約10日が経った。
正直に言いましょう。私は、なんと、「祈られている実感」があります
どなたが祈ってくださっているのかも分かりませんが、頭を下げてお礼を言いに行きたい気分。


ありがとうございます!!!(😢)



先日、父が「もし、お前が今ここで倒れたら、わが家はおしまいだな(笑)」と呟いた時、


(確かに・・・!)

と思ってから、気づいたのです。
私、確かに今の所うまく立ち回れている!!!と。


日々元気に活動できるありがたさ。
多忙でも、夜は入浴でき、ベッドに入っている、この喜び!!!




ということで、まず心より感謝申し上げます(´;ω;`)



同時に、

祈られていても、やっぱり嫌な辛い道は通らされるわけで、ふと思い出した、ニュージーランドの家探しの辛かった日々。

ああ、あの時も、神って、助けてくれるけど、ギリギリ、スレスレの所を通らすよねえ…、ということを思い出して、クリスチャンって信じたら楽々人生と思ったけど、やっぱり違うね、ということを実感。
現実はいつも、厳しい。


だけど、祈り、がある毎日は幸せ。
(と、今は思える、(笑))



今日は、その感謝をまず、お伝えする。
同時に、宣言した義母の事故は、結論だけ書くと、
寝たきりになる可能性を手術前に示唆されつつも、めきめきと回復!!
今月末に退院予定という知らせがっ!!



良いことがあったから感謝、でなく
どうなってもキリスト者は感謝を持って日々生きるのがモットーですが、



「望みがかなうことは、いのちの木である。」(箴言13:12)


うれしいことは、やっぱり、うれしいのである。
義母が、歩けるようになって良かった。



お祈りありがとうございます。
神様に感謝!!!
そして引き続き、祈ってください。


by桜子


forest

祈ってください(2)

先日、祈ってくださいと書いた。
これについて、信仰は、「自分と神の問題」であるから、他者の祈りを求める、というのはどうなのか?!
という見方がある。


信仰は、自分と神の問題だから、他者に助けを求めない。
神のみに助けを求める。
そういう信仰者もいると思う。
なぜなら、「信じる者は山を動かす力もある」と聖書に書かれている。



先日、「祈ってください」と書いたが、私は軽はずみに書いたわけではなかった。
私もまた、大いに迷った。
書くべきか、否か。
正直、誰かにお願いするのは、大変な勇気がいる。
拒否されたら、悲しい。
理解してもらえなかったら、落胆する。



でも書いたのは、私に二つのことがあった。

ひとつは、私は今大丈夫だけど、家族全員は大丈夫か、という思い。
実際、心は大丈夫と思っていても、夜になると目が覚めたりして、身体がストレスに反応し始め睡眠が危なくなってきた。(今は回復)

そして、もうひとつは、(実はこっちの方が意味合いが大きいのだけど)
私たちキリスト者がつながることは非常に価値が高いのではないか?と考えたせいだ。
皆で神がこれから何をするか一緒に味わう、その意味を考えた。


祈ってください、は扉を開く。
「何があったの?」
「そうか、そんなことがあったんだね」


1人で味わう奇跡もいい。が、奇跡はみんなで味わいたい。
そう、ニュージーランドの家のように。
7つも家を転々として、最後はあれだけ、完ぺきなハッピーエンドだった。

神が私たちの人生に設計されることは、必ずしも私たちの願う通りになるということはない。
が、「神はすべてを働かせて益としてくださる(聖書)」


祈ってくださる方に、知ってもらいたい。
神様はこんなことしてくれた、あんなことしてくれた。

聞いて、凄いんだよ。
リアルタイムで味わうと、その真実を一緒に体感できる。


私はちょうど、その奇跡を最近、味わっていた。
次回その話を書こうと思う。


どうぞ、良い週末を。


by桜子

フィジー大使 Meet with the Fijian Ambassador

 天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。(伝道者の書3:1)


 ニュージーランドから帰国して一か月後、外国人が目の前に座っていた。みると、困っているように見えた。私はかの地で、外国人になった。異国での気持ちはよく分かる。助けようと思い、意を決して声をかけた。
「手伝いましょうか?」すると、それは、在日フィジー共和国大使であった。

 帰宅後、こんなことあるのかな、とWebサイト在日フィジー共和国大使館 – 日本、ロシア連邦、フィリピン共和国を兼轄しています (fijiembassy.jp)を見たら、たしかに当人だった。


以来、会えば「ハーイ」と挨拶する仲に。


私「大使と私たちって友達だと思う?」

夫「うーん…。フィジー人の文化では、そのようだね。ケレケレ。握手して、ハグしたら、もう家族(※)」※「世界でいちばん幸せな国フィジーの世界でいちばん非常識な幸福論(永崎裕麻、著)より


というわけで、友達!

A few weeks ago,
In front of a church in Daikanyama

私「いつか、大使館へ伺ってもいい?」

大使「いいよ。私がきみのとこ、いってもいいし」

私「え?!うちの会社?!」

大使「そう」

私(・・・いらしていただいて良いのだろうかーーーー?!誰を紹介?!社長??)



彼が、フィジーラグビーのウエアーだったので、先日のラグビー戦の話もして、楽しかった。


こんな出会いも神様が与えてくださったもの。何か私に出来ること、あるかな? フィジー大使館と、こんな相談、あんなイベントしたいという案をお持ちの方は、私まで?!


今日もあなたの良い一日を!

by桜子

a person holding a black letters

祈ってください

祈りには力がある。
私は、昨晩3時にふと目が開いて、色んな事を考えていた。その中の一つ、「祈ってください」。

ブログに書こうか?
「祈ってください」と書こうか?
神様が「書け」と言って、私の目を覚まさせたのかもしれなかった。

誰かがこの記事を読んで、祈ってくれるかもしれない。


細かいことは書けないけれど、どうか、家族の安全を祈ってください。
入院中の義母と、私の両親、弟、主人、娘のために祈ってください。
神様が最善を成す方だと、知っている。
でも今は、祈ってもらう時を迎えている。

誰に頼んだらいいのかも分からないから、神様に委ねてみる。
ググって見つけた、この記事にも励まされた。



今朝読んだ、「日々の光」9月4日のページ

娘よ。待っていなさい。(ルツ3:18)

その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心はゆるがない。
その心は堅固で、恐れることなく、自分の敵をものともしないまでになる。(詩編112:7.8)




今日にピッタリな御言葉!
今週一週間も、あなたも、あなたの家族も守られて過ごせますように。

by桜子

person holding string lights photo

脳を休ませよ!脳に良い12の習慣

夏休みが終わり、東京は9月に入ったが、異常に暑い。17時過ぎの現在、室内計は31度を指している。ニュージーランドの夏は寒くて変だったのに、東京の夏は狂いそうなくらい暑くて変である。

土曜の夕方、シャワーを浴びて、畳の上にゴロンと横になり、「脳に悪い12の習慣」(林成之著)という本をパラパラ読んだ。昨夜、手に取った「すべての疲労は脳が原因」(梶本修身氏、著)で、脳に興味をもったせいだ。


新学期に入ったが、相変わらずの炎天下、学校から帰宅すると、娘が
「疲れた・・・」
とよく言う。

私は玄関先で、そりゃ肉体疲労も甚だしいよね、と同情していたのだが、同書によれば、それは脳が疲れている、という。

いや、そんなはずないでしょ。
厳しい環境下で重たいランドセル背負って帰ったら肉体が疲れるでしょ、と思っていた。

が、「私たちの研究によれば、4時間、体に負荷を与える運動を続けても、実は筋肉や肝機能などにはほとんど影響しない」とあり、「脳の自立神経の中枢」が、自律神経の機能が果たせなくなると疲労が生じる、とある。

下校時に、脳が身体に色んな指示(呼吸しろ、右足だせ、汗をかけ)を身体に送る。それで、指令をつかさどる脳が活発に動くので疲れるという。脳は「疲れた」というアラームを出す。これを無視すると、頭痛、肩凝りなどの症状が出て、さらに無視すると、過労死などの重い症状で停止となる。ざっくりいうと、そういうことだ。


ならば、脳が疲れない生活を目指したい。
どうしたら、疲れないんだろう?


まずはスマホとの付き合い方。
〇見る時間を決める。
〇何かを作業しているときは、スマホの通知をオフに。
 (作業をスマホのアラームで中断するたび、あなたの集中力と記憶力が著しく低下)


次に良い心をはぐくむ習慣。
〇人の心は思考することによってつくられる高次元のもの
〇あなたの、面白い!好き!の感性を大事にしよう
人の悪口や、否定語を言わない →心の「質」の良さが脳に十分な力を発揮させる
自分は絶対に正しい、を疑う →脳は間違いを犯すもの
〇普段と違うことをする → 寄り道、未経験の挑戦、行ったことのない場所へ行く
〇いい本を読んで、じっくり考える →多読しなくてOK


そして脳の働きを知ってうまく付き合う。
〇「脳は基本的に、“生きたい”“知りたい”“仲間になりたい”“伝えたい”という本能をもっている」
「多様なものに触れると、脳は心や感情を豊かにし、思考力を高める」
〇脳はリズムに乗る →気分で音楽を使い分けるとノれる!
姿勢が悪いと脳力が弱まる
〇空間認知知能を鍛えると、脳のパフォーマンスに良い
 (例:絵を書く、字を丁寧に書く、球技、山道を歩く、料理)



黒字は私が覚えておこう~と思った箇所です💦

神様から貰った身体、上手に付き合っていきたいな。

by桜子

photo of led signage on the wall

きみに居場所はあるか?

文科省では今年「居場所」がキーワードになってる、と教えてもらったのは、今年の春だった。
昨日、ヤフーニュースに、学校へ行けない子どもたちの居場所を広げているという記事が載った。

不登校対応「居場所」拡充へ 文科省、空き教室に新設で補助


今日、居場所を必要とするのは、何も不登校児だけにとどまらない。大人も求めている。昨日、#首都圏情報ネタドリ! というNHKの番組で、こんな放送が流れた。
「孤独を感じる」4割 働き盛りで多い 家族や友人がいても打ち明けられず | NHK


今日はDavid Whiteというアメリカ人が書いた詩を紹介したい。
私は、けっこういいな、と思った。彼はたぶんクリスチャンじゃない。
彼の詩は、神がいるか、いないか、はさておき、「みんな、ちゃんと生きているか?」と問うている気がした。





自画像  David White

ぼくにとってはどうでもいい この世に神がひとりであろうと 
たくさんいようと。
ぼくが知りたいのは きみの居場所があるか
見捨てられた気分になっていないかということ。
絶望を知っているか あるいは 他人に絶望をみてはいないか。
ぼくが知りたいのは
きみにこの世で生きていく覚悟があるかどうかということ
厳しい要求をつきつけられているよ
自分を変えろって。
後ろを振り返りしっかり目を見据えて
ここが自分の経つ場所だといえるだろうか。
ぼくが知りたいのは
きみが知っているかどうかということ
人生の熾烈な炎のなかに身を溶かしていく術を
そしてそこに飛び込んでいけるかどうか
燃え滾る希望の核に。
ぼくが知りたいのは
きみが喜んで生きているのかということ
来る日も来る日も、愛と苦い敗北感の連続
でもまったくお手上げじゃない。

    ぼくはきいたことがある、あれほど熾烈な戦いを繰り返しながら
    多神教の神々でさえ一神教の神の噂をするっていうんだ。

出典元:turning to one another(和訳:もしも、あなたの言葉が世界を動かすとしたら)



今日の生活に、私もあなたも、潤いが満ちていますように。

by桜子

photography of monument valley arizona

What only God can do

I have one thing to tell you today.
It is a story about what only the Lord Jesus Christ can do among the many kinds of Gods.

If the introduction is long, some people will stop reading here.
So make a quick conclusion. it is,

"Resolving Death"

is.

There is a way that appears to be right, but in the end it leads to death.
Even in laughter the heart may ache, and rejoicing may end in grief.
(Proverbs 14:12, 13)



The benefit of believing in the Bible is freedom from the problem of death.
The Bible says that if you believe in Jesus Christ, you will live even if you die.



Jesus said to her, “I am the resurrection and the life. The one who believes in me will live, even though they die;and whoever lives by believing in me will never die. Do you believe this?”
(John 11:25-26)




What does it mean to live dead?
The Bible tells,


 “This is what is written: The Messiah will suffer and rise from the dead on the third day, 47 and repentance for the forgiveness of sins will be preached in his name to all nations, beginning at Jerusalem.
(Luck24:46,47)



Sin means missing the mark.
The Bible tells us that a life without knowing God misses the mark. 

Each one of us is told to walk with God, repent of missing the point, and walk with God.
I don't think it's possible to die and come back to life, but if you're God, it's possible, right? ! 
Because...



 For with God nothing shall be impossible.(Luke 1:37)



I can't believe in an invisible God!
When I was a teenager, I thought, "If there is a God, come out in front of me!" I prayed over and over again.

The answer is also in the Bible.


Then Jesus told him, “Because you have seen me, you have believed; blessed are those who have not seen and yet have believed.”(John 20:29)



I can't believe you without seeing you...! I came to believe. 
This is another miracle of God.

Now I am blogging that Jesus Christ is God. 
However, I am also one of those who understands the feelings of readers who are confused by reading this.


At the end of today, I will introduce this word and end.


Jesus Christ is the same yesterday and today and forever.(Hebrews 13:8)
Since you are precious and honored in my sight, and because I love you,(Isaiah 43:4)


May today be the day you believe in God!


by Sakurako
photography of monument valley arizona

神様だけにできること


今日、伝えたいことが1つある。
それは沢山の種類の神の中、主イエス・キリスト「だけ」に出来ることは何か、という話。

前置きが長いと、ここで読まなくなる人がいる。
だから一気に結論を書く。それは、

「死の解決」

である。

人の目にはまっすぐに見える道がある。
その道の終わりは死の道である。


笑うときにも心は痛み、
終わりには喜びが悲しみとなる。(箴言14章12,13節)



聖書を信じるメリットは、死の問題からの解放だ。
聖書によれば、イエスキリストを信じると、死んでも生きる、とある。


私はよみがえりです。命です。私を信じる者は死んでも生きるのです。(聖書)


死んで生きるってどういうこと?いやいや、人間、死んだら無でしょ、と思う人も多いだろう。

聖書はさらに、続く。


次のように書いてあります。
キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、
罪の許しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。

(ルカ24:46,47)


罪は、的外れ、という意味だ。
神様を知らない人生は、的が外れているんだよ、と聖書は伝えていて、
ひとりひとり、神様と共に歩んで、的外れを悔い改めて、神と共に歩んで、と言っている。

死んで蘇るなんて、あり得ないと思うけれど、もし神なら、あり得るよね?!
だって、


神にとって不可能なことは一つもありません。(ルカ1:37)


そう書いてあるから。



目に見えない神様なんて、信じられない!
私は10代の頃、そう思って、神様がいるなら、目の前に出て来て!と何度も祈った。

その答えもまた、聖書に書いてある。


イエスは彼に言われた。
『あなたは私を見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。』
(ヨハネ20:29)


見ずに信じられない者ですよ、私は…!などと言ってた私が、信じるようになった。
これもまた、神がなした一つの奇跡。
私は今、当たり前のように、イエスキリストとブログに書いているけど、
それをここに書いて、ひいてしまう読者の気持ちもよく分かる一人である。

かつて、聖書を否んで、たぶん多くの人が否んだり、疑ったりして、信じるようになった人たちなのではないかと思う。(※子供以外)



20年続いた、私のブログと、次の聖書の御言葉、について、ちょっと考えた。

私はいつも私の前に主を置いた。
主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。(詩編16:8)



振り返ると、聖書の御言葉(みことば)を、右に載せて、20年ゆらぎっぱなし。

お手本にならない話をたくさん、赤裸々に載せてきて、正直消したくもなるけど、
色々考えた末、削除しないでいる。


立派な人じゃなくても、
ダメダメな人でも、
神様は共にいてくださる。
こんな私が今でも神様を信じていることこそ、証といえるのかもしれない。

主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。(聖書)


これからも神様を賛美し続けられるか自信はまったくないけれど、
いつ自分もイエスを裏切るユダになるか分からないけれど、
今日の最後にこの御言葉を紹介して、終わる。



イエス・キリストは、
きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
(ヘブル13:8)



わたしの目にはあなたは高価で貴い。
わたしはあなたを愛している。

(聖書)



今日、あなたが神様を信じる日となりますように!


by桜子

明日のNHKスペシャル「ヒマラヤ“悪魔の谷”」ゼッタイ観てね‼

 オジが裏方で頑張った番組が明日、放送されます~。暑い夏にぜひ、絶景のヒマラヤをご覧くださーい!


#珍しくNHKの番宣 #ヒマラヤ山脈観たことあるよ #登山 ”未踏の秘境 #NHKスペシャル