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葬儀

25年1月2日に、大学時代の同級生が亡くなった。
ショックだった。


亡くなるほどの病と知っていたら、もっと気にかけたのに、と思った。
ただ、予兆はあった。入退院を繰り返していた。
抗がん剤治療をしていて、私がしたことといえば、退院時にお花を送っただけ。
もっと、出来ることがあったかと振り返るには遅すぎて、もはや彼女はいない。

友人は、青山に住んでいた。
入学式では、黄みどりのスーツを着て、内部生からは、みどり、と陰で呼ばれた。
この子と自分がやがて親しくなるとは、思いもしなかった。

自分の中で、彼女が一気に特別な存在になったのは、ご葬儀だった。
彼女の父が亡くなり、呼ばれた。声をかけて頂いたことにも驚いたことが、それ以上に驚いたのは参列の少なさと喪主を務めた彼女の姿だった。遺影を両手に持ち、似合わない喪服(持っていなかったから友達に借りた)を着て、挨拶をする友を、一生裏で支えねば、と思った。


*  *  *

昨日、空はとても晴れていた。絶好の葬儀日和だと思った。
夫が、前夜にある事件が起こり、「呼ばれている気がする」と言い出したので、夫婦で乃木坂の葬儀場へ行った。

乃木坂



会場に行って、驚いた。
人が沢山いた。
彼女が結婚して、夫婦となり、子を授かって駆け抜けた軌跡がそこここに、溢れていた。
幸せな人生を送ったんだ、と本当にうれしくなった。

式は、無宗教式だった。私は彼女の夫に、よっしゃー、と言いたい気分だった。

ジャック・ジョンソンの曲が式場で流れた。
大好きな沖縄方面旅行に行くたびに、夫婦が聞いたその曲は、最高だった。
式の一番後ろに立ち、全体を眺めていたら、まるでドラマのようだと感じた。



天国から見てる?
私、あなたのお父さんの葬儀に行ったけど、今度はあなたの葬儀だなんて。

たくさんの人が、あなたの死を悲しんでいるよ。
遺影をみたら、とってもいい笑顔だけど、首にタオルがかけられている写真見て、
私、ちょっと笑っちゃった。
「もっと違う写真ないの?」って思ったけど、
それを選ぶ旦那さんがいて、それを受け止めるあなたがいて、らしいな、と思ったよ。


お別れの言葉に「みんな大好きだよ」といって旅立った人生、大成功だったはずだよね。


何年先になるか分からないけど、私もやがてそこに行く。
死は決して、終わりではない。

by桜子




叔父の葬儀

岐阜県可児市に住む叔父(父の弟)が20日夕方、62歳で急死した。

叔父の妻は、3年前に亡くなった。愛妻に先立たれ、一時は自殺も考えたと聞いた。

だが、それから僅か3カ月後、叔父にステージ3Bの癌が見つかった。以来、治療しながら、叔父は死の備えをしていたのかもしれない。こんなに早く天国へ逝くとは誰も想像だにしなかった。

この3年間、叔父はどんな気持ちで過ごしたのか。ここ数日はそれが頭から離れず、脳裏に叔父の孤独な姿が浮かんでは消えた。もう叔父と話せないと思うと、喉が掻き毟られた。もっとメールすれば良かった、思い切って電話すれば良かったと思うと嗚咽が漏れた。

私は聖書を信じてるくせに、叔父の知らせは平安でなく、悲しみだった。

叔父夫婦は天国だとは思うけど、生前何もできなかったことが悔やまれてならなかった。

葬儀に際し、親からは無理して来なくていい、と言われたので、行かないことにした。

が、辛さは増し、葬儀は故人のためじゃなくて、私自身のために必要なのではないかと今朝未明、起きてお風呂に入り、7時にうちを出た。

家が渋谷でよかった、と心底思いながら11時からの葬儀に間に合った。  

理系で頭の良い叔父は、今日の準備を一人できっちり事前に行ったようで、遺影も自分で選んでいたほか、私たちに車代などの気遣いまでしてくれていた。

また、叔父の妻がクリスチャンだったことを思い計ってか、家族葬という、献花や黙祷をもって故人を偲ぶ会を遺言として残し、会は小さくあれど暖かかった。

残された2人の息子は、私の従兄弟で、立派な青年になっていた。会うのは十数年ぶりだったが、これからは私が家族になりたいと思った。

叔父さんが、私のブログを読んでくれていて、身近な人に宣伝してくれていたのを今日知った。

私はさらに泣けた。

もっと、たくさん、中身がある文章を書いたり、更新すれば良かった。

もっと、たくさん、おじさんに気持ちを伝えれば良かった。