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sakurako について

Sakurako,a business working woman who live in Shibuya,Tokyo.

NY雑貨オーサムストアトーキョー渋谷にAwesome!

散歩して見つけた、AWESOME STORE TOKYO。

メインの入口

 若い人には既に馴染みかもしれないが、90年代に一世を風靡した雑誌「東京ウォーカー」無き今、流行をインスタで追う若さはなく、大型商業施設にも足を運ばない私は、全く知らなかった。

お洒落なアメリカンテイスト(ランチボックス)


 フライングタイガー、ダイソー、セリア、スタンダードプロダクツバイダイソー(ダイソー高級路線店)に類する、アメリカンでリーズナブルな可愛い生活用品が揃う二階建の充実雑貨店を、宇田川町(3月12日オープン)で見つけた。これが、日本発(原宿本社)というから、ビックリ!

 近ごろは地元周りを、リモートのストレスと運動不足の解消のため、よく散策するようになり、中目黒、代官山、渋谷、時々、表参道、三軒茶屋、へ行く。慣れた道は大して面白くもないが、こうして新しいお店に自然な形で遭遇すると、渋谷に住んでて良かった、と土地の恩恵を覚える。

庭仕事の道具も一式・栽培キット4種は398円(税抜)
(パセリ、バジル、パクチー、ペパーミント)

夏に活躍しそう!保冷剤は98円〜子供に買おうかな?

ワンコのグッズが超充実!
コレ絶対買っちゃう!と、カップルの女子が男子の腕を掴んで叫んでいた(が、買う様子はなかった)
エサ入れまでお洒落。390円
犬プレート950円(猫もあったよ!)
犬用ネクタイや靴下も
#036PETS

 最後は、犬好き、猫好きの友だちに教えなきゃ~と若干、犬猫グッズを多めに撮りました。
このほか、お菓子やコスメも完備されており、来たら何か買いたくなる仕掛けは、百均のダイソーや、セリアに似ている。

追伸:7月に「犬部」という、犬好きにはたまらなそうな映画が上映予定。
犬好きのわが子が、映画スタッフにペットショップで遭遇したそうで、チラシをもって私に宣伝してきたので、ここにも宣伝を。7月22日上映!映画『犬部!』公式サイト (inubu-movie.jp)

その頃には、東京の映画館でも、映画を見れたらいいですね。映画館求めて「越境移動」 コロナ休業要請、効果に疑問: 日本経済新聞 (nikkei.com)などせずに…。オリンピック是が非でもやりそうですから、きっと映画館ぐらいOKもらえそうですね。

雲の上のドラえもん

左奥にひっそり土管

「カリフラワー、久しぶりに買っちゃった!」

とスーパーの袋から取り出すと、娘から、待ったー!の声。調理をとめられ、何をされるか見ていると…

雲の上のドラえもん、、、なるほどね!

孤独力のすゝめ

GWも終盤に迫ってきた。
わが家は緊急事態宣言の発令を受け、空白の連休が広がっていたが、しっかりと神様に「楽しく充実した日々になりますように」とだけは祈った。おかげで今朝は「なかなか良いGW」と、娘からお言葉を頂戴した。

 日曜、友達が車でうちに来てくれ、思いがけないハレの日になった。
「私一人でごめんね、家族のだんらんに申し訳ない」
と言われたが、なんのなんの、海外に行ったか、と思うくらい楽しかった。大げさでなく、それぐらい他との会話に飢えていたし、年齢も7つ下の独身とくれば、住んでる世界も違って刺激を受けた。「会話はごちそうだね!」と、私は大喜びした。考えてみればコロナ禍で子どもの友だちは沢山くるが、私の友だちを呼べることはめったにない。

友と知己とは、幸運に到達するための確かな旅行免状である。
 byショウペンハウエル(ドイツ人哲学者)


 さて、そんな風にして交流を喜ぶ一方で、孤独に強くなりたい、と私は思うようになった。
 
 自分がパーティーピープル(=大勢の人とお喋りを楽しむ性格)だと気づいたのは、友だちに言われたからだが、その原因を探ると、幼少期にたどりついた。祖父母に来客が多く、夜はいつも鰻かお寿司を注文して大勢で過ごす週末に慣れていた。
 
 が、この一年余コロナにより、人と人はそんなに接近しなくても生きていける、ということを知った。そして、来客がないと楽だ、ということも知った。
 同時に、自分の家族以外はどうでもいい、という無関心な社会になりはしないか、と恐れた。単身者や身寄りのない家庭に交流がなければ、精神的に死んでいく。私はこの一年、大きな声では言えないが、自分が独身暮らしでないことに感謝し、ただひたすら孤独を恐れる生活を送っていた。
 ところがこの数日で、孤独は、必ずしもデメリットではない、と思うようになり、孤独への概念が変わってきた。

 
 今年初め、夫を亡くされた夫人がいる。私は、彼女を心配した。昨日ちょうど連絡してみると、久しぶりに聞く彼女の声は昔のままで、ありがたいことに芯があった。

なぜか?

それは、1つに彼女もまた信仰者であり、天で夫との再会を期待してること。そして、もう1つが、(ここが大切なのだが)彼女が孤独に馴れていた、という主の備えがあったからである。

 彼女の夫は海外赴任者だった。それで中国やブラジルなど未開の地で、友達はもちろん、日本人に会うことすら難しい環境下にいた。だから、妻はいつも、一日の大半を家で過ごし、夫の帰りを待っていた。振り返ると、その長い期間が彼女の生活の基盤となって息づいている。
 私はそれに気づくと、思わず主を賛美してしまった。主は素晴らしい、主の御名はほむべきかな。

 私は、このような状況を知った時、自分が目を背けている孤独について、私自身もまた、強くならなくてはならない、ということを考えるようになった。やがて一人になることは、想像したくもない未来だが、その未来が明日かもしれない。あるいは、幸運にも私に孤独は無縁で、ずっと人に囲まれて一生を終えられるかもわからない。

 だがいずれにせよ、死ぬときだけは、人間ひとりである。その日慌てずにしっかりと過ごせるよう、私には、孤独への訓練が必要だ…。老人になっても、生活を愛でることが出来る人になりたい。ちゃんとしていたい。孤独は、両手を広げて迎え入れられるものではないが、並走していくことができたらありがたい。

「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます」
(第一コリント10:13)


患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。(ローマ5:3-4)


このコロナ自粛生活は、来るべき自分の老後の備えかもしれない。
精神力を鍛錬するために、神様が与えた期間かもしれない。

友達と頻繁に会えなくても、静かに一人で過ごせる。
誰からも気にかけてもらえなくても、生活を愛でることができる。

孤独は内面を鍛える。私は大金持ちにも、著名人にも、活躍する人にもならなくていいから、ただ神を愛し、神を信じ、独りぼっちでいられる強さを持つ人になりたい。

あんまりひとりぼっちの人間は、しまいには病気になるもんだ。
(byスタインベック)


孤独はいいものだということをわれわれは認めざるをえない。
けれどもまた、孤独ははいいものだと話し合うことのできるだれか相手をもつことはひとつの喜びである。

(byバルザック)

いと悲し、3度目の緊急事態宣言発令

草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。(聖書・イザヤ書40章8節)

太陽がまぶしく、木々や花々が美しい新緑の季節になった。私たちの混乱など、どこ吹く風のように、自然は素晴らしく地球は廻り続けている。

緊急事態宣言の発令が、3度目になった。2回目はいつだったか忘れてしまったが(※)、初回の緊急事態宣言の衝撃には及ばない、と思っていた。あれこそ、今でしょ!と思うほど、今回の目玉は「飲食店での酒類一斉禁止」がめぼしいだけ、と思っていた。が、さにあらず。ジワリジワリと、発表外の施設も封鎖が続き、東京都の要請力の強さを見せつけている。
※202118日~321日が2回目

スーパー「ライフ」のチラシだけ自粛に便乗して①国民への通知②印刷代削減にみえる。私だけ?

「ダイソー(渋谷の新名所が上陸⁈ダイソー旗艦店スタンダードプロダクトがキタ)も休みなのね。。。」

と、昨日うちに来たピアノの先生が、レッスン中にもかかわらず、2回も娘に繰り返して呟いた。ダイソーは先生にとって大事な場所だったらしい。
 

 一方、私がショックを受けたのは、何の連絡もなかったGWの子ども旅行が中止、と昨夜遅くに連絡を受けたことだった。なぜ、もっと早くそれを教えてくれぬー?!荷造りしていた私はひどく落胆し、動物好きな娘もまた、同じようだった。

だがその夜、一日の感謝の祈りをするとき、娘自身が、

「神さまの、他の計画が待っていると思うのでよろしくお願いします」

と祈ったので、ドキンとした…!

口では「神さまのお導きだねー」と娘を慰めていたが、私にそういう発想はなかった。聞きながら、(そっかあ…)と娘の、若くして、すでに生活の中心に神様を置く態度に、私は目を留めた。私の方が信仰歴もはるかに長く、大人であるのに、まったく手本にならぬ。

いっそ、犬でも飼っちゃう??

と、寝床につく寸前まで、娘のGWをどう充実させるか躍起になっていた。友達に連絡し、グランピングも3か所調べた。が、どれも満席、受付停止、であった。ああ、私のとる行動は、どうしていつもこの世的だろう!


新型コロナウィルスが発生して1年余、私たちが学んだことは何だろう?

 私にとっては、神の存在が大きくなった一年だった。信頼していた各国のリーダーも、しょせんはただの人であることを、まざまざと知った。政治家も国も頼れない、という状況になって、自分の身は自分で守るしかない、と感じた。私の場合、これに、神様への祈りが大いに加わる。前述の通り、身の程は分かっているからだ。

 この世に神などいない、と言う人に、これまでたくさん出会ってきた。が、私はこんな言葉が聖書にあることを、知ってもらいたい。

「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」
マタイ6:33

 「これらのもの」とは、聖書の前文を読むと、「何を食べるか、何を飲むか、何を着るか」という、生活上の種々の心配事(経済的必要、対人関係の悩み、健康上の不安、仕事の問題等)を指していることが分かる。つまり、神様を一番にもってくれば、これらのものは満たされる、と言っている。

 神を信じる、というと、清貧にならなくちゃ、とか、キリスト教に入信とか、生き方を改めなくてはならない負担が重くのしかかってくるイメージがあるが、聖書で言っていることは、実にシンプルだ。
 
 「俺は神」でなく、神こそ神、と「神がいて、生かされている私」に感謝して生きよ、と言っているだけなのだ。つまり、心の問題だけなのだ。

 不確かな時代の確かな歩みに、神なくしてわが人生なし、というのが、コロナで私が学んだことだ。伝わりにくいかもしれないが、「もし神様がいるとしたら、私が信じられるようにして」というところから、心を開いてみてほしい。
何を隠そう、私自身も、そのようなところから、神を信じる道への第一歩を始めた1人なのだから。

ラララ出勤

会社へ向かった。

音楽を聴きながら道を歩く。「ああ、幸せ…!」と、思ってしまった。
通勤嫌いだった20代の私が、今、嬉々として職場に足を運ぶ。時代変われば、思いも変わるものである。恐るべし、年の功。

「うちの会社は、いま在宅推奨だから出勤しなくていいのにさ、なんか、毎日、出勤してる人もいるらしいんだよね」

今朝、私は夫に言った。

「いるいる。会社に行くと、ホッとするなぁ、って人がやっぱり居るんだよな」

と、彼も相槌を打った。


通勤時間は、明らかに個人の損出である。なのに、なぜ出社するのだろう。居場所がないとか、家が狭いとか、いろんな理由があるのだろうが、この日の私は、出社自体がもはやハレ、であったからだ。

定期券が撤廃されて、一年以上が経過した。
電車に乗ると、「乗った~!」と思わず、何日ぶりの乗車なのか数えてしまう。
そして、出勤ごとに、街は刻々と変化している。シャッターの閉まった店の前を通り過ぎ、社会について考える。上島珈琲店は、こんな時代に新店舗を始めてるよ、すごいな、とか、歩く人が増えてる、やっぱり景気は回復傾向かな、と、通いなれた道を定点観測して自問自答する。その営みが、自分には楽しいと気づく。
 家に居ると、仕事はできるが、街は見えない。一歩外に出ると、身をもって社会の変化を体感し、今の時代を生きていることに、少なからず感動する。

で、この日、久しぶりの職場に興奮した私は、社外企業を訪問した。(会社以外の人と会うのは約2年ぶり?!)
レーシングドライバーの佐藤琢磨さんに会ってきた。

右下、佐藤琢磨さん
カーリング日本女子のロコ・ソラーレにも!

スポーツ選手を束ねる事務所のスポーツビズ社は銀座にある。同社役員に当日アポをとって伺ったのだが、以前取材した、山本雅一社長(【インタビュー】スポーツビズ山本雅一社長の起業話ほか)も相手になってくれた。

話は脱線するが、日経新聞の夕刊に「私のリーダー論」が連載されているが、このところ、知人の登場が何度か続いている。(※チームラボ猪子さん、サイボウズ青野さん)

取材した人が出る記事を読むのは面白い

そういうわけで、私は近いうち、この山本社長も、日経に取り上げられないかな、と密かに期待している。

社長の人柄が滲み出てる良い写真が撮れたw。


私は同社を即退散、と計画していたが、結局、話が弾み、長い時間、滞在してしまった。


「コロナ(禍)になってから社外に全然出てない!初訪問が、ココなんだぞ~!」と豪語したら、

役員が、着座している社員らに向かって
「おーい、コロナになってから、初めてウチに来たんだって~!」
と大声で言うので、顔から火が出た。

「やめてよ!そんなわけないじゃん!コロナになんか、なってないよ!!!(怒)」
と、敬語をすっ飛ばして、発言を訂正させた。


でも、こんな会話が後になって考えてみると、可笑しかった・・・。
いやはや、やっぱり出勤はいい。

在宅勤務で仕事はできるが、出勤は計画にない人との出会いが待っている。
予期せぬ人とすれ違ったり、何気なくする会話が、今日の元気を生み出し、明日の飯のタネになるかもしれない。

偶発する出来事ばかりは、オンライン会議で得られない。


こども庁の創設「国の宝に光を」

4月5日の日経新聞朝刊で、菅首相の発言が小さく報道されていた。

引用すると、

「子どもは国の宝でここにもっと力を入れるべきだ。光をあてる政策をきちんとやっていきたい」「いままで高齢者中心だった。思い切って変えなければ、ダメだと思っていた」と発言されている。


国のトップが、このような気づきをもってくれたのは(実際できるかさておき)素直に喜ばしい。

 日本は今、子育てがしづらい国である。何度も書いたが、渋谷の公園は大人の休憩所と化しているし、禁煙の貼り紙があっても、スパスパ平気な顔で吸っている男女が多くいる。「禁止」の効力がまるでない。
 そんな環境もさりながら、私は社会全体がやはり、自分以外、すべて関係なし!、という道徳観になっていることが日本の大きな問題であるように思う。それを象徴する体験に、井の頭線の〝優先席〟事件がある。

 当時、私はベビーカーを押していて、そこが空いていたので座ろうとしたら、先に座っていた老夫婦から、

「シッシ!」

と、あっちいけ、の身振りを力いっぱい、された。


 その時のショックはどう例えたらいいだろう?
「シッシ」という言葉はもちろん、粗野な態度も、成熟した大人がする行いから、大きくかけ離れており、拒絶された時、わが目を疑った。何をされたか、瞬時に分からなかったのだ。

しかし、そう書いている一方で、親切な老女がいたこともしっかり覚えておかなくてはならない。

 横浜市営地下鉄ブルーラインに乗車中、隣に座っていたおばあさんが、娘に何か話しかけて、「これどうぞ」と、やおら、カステラを渡してこられた。見たら、福砂屋のキューブカステラだった。

福砂屋は、中目黒にあるカステラで、上等菓子だ。これなら、うちの子も食べてよし、とすぐ思った。

原材料鶏卵(国産)、砂糖、小麦粉、水あめ

 私は電車の中でカステラ、というアンマッチに、内心、これは食べかけじゃないだろうか、とおばあさんに対して疑いの目を向けたが、こっそり確認した結果、未開封であった。

「それじゃあ、いただきましょうかね」と、車内でボソボソ食べることに抵抗はありつつも、おばあさんの温かいまなざしに応えるには、いま食べるしかない、と思った。

はむはむはむ、と娘は静かに食べていた。


カステラの味はすっかり忘れたが、あのおばあさんのことは7年経った今も忘れない。

clouds

イッテQ天国じじいと私の切れない関係

4月になり、新体制となったため、新チームで各自の自己紹介が行われた。
私は職歴を話し「ブログをやっている」とメンバーに伝えたら、うち1人が「桜子さんのブログ、俺読んだことあるんですけど、おじさんが天国ジジイっていうのに、めちゃビビりました~」と言う。加えて上司も「イッテQ(日テレ)の登山、俺好きー!」と乗っかってきて、図らずも盛り上がった。叔父さん、ありがとう、いつの間にか有名人。

よく「俺、〇〇知ってるー!」と、○○を知っていることで自分の評価を高く見せようとする人がいる。
私はそれを、大変カッコ悪いと思っていて、決してそうするまい、と思っている。だが、いつも喉元に、私ホントはこの人とつながりがあるんだよな、と暴露したくてたまらないネタが幾つかあるが、自分を貶めることになるので、黙っている。

と、かようにして、人と人は、誰がどこで、どうつながっているか、わからぬ。
それは本当に不思議な人生の妙、といえよう。

しかし、すでに判明していることは、改めて書いてもいいだろう。
そう思い、今宵は、天国ジジイの力を借りることにした。(虎ノ門ヒルズ、アンダーズで天国ジジイとランチ
イッテQ!登山部でお馴染み「天国じじい」にインタビュー

叔父の七光りで、ブログの読者を増やそうー!という魂胆である。
というのも、私は2004年よりブログをやっているが、近頃は更新が滞っていた。けれど、もう一回、原点に戻ろう、と活動を再開したからである。職場の人にも、3人ぐらい登録を頼んだ。社外の人にも恥を忍んで宣伝してしまった。なぜだろう?私を見て!と言いたいわけじゃない。でも、ちょっと聞いてほしい話が時々あるのだ。

そういうわけで、
まあ時々読んでもいいかも、と思った人。または、天国ジジイの姪っ子のブログなら、読んでもいいかも?!と、ちょっとでも思ってくれる方が居たら、ぜひこちらから、登録お願いします。メルアド登録のお願い

ちなみに、今NewsPicksやビジネス本で知名度をぐんぐん挙げている山口周には、私のブログを全否定されている。その話は追々、彼に許可をもらってから、書いてみようと思う。


そういうわけで、応援お願いします。ポチリ。

by桜子

さよなら、わが社

 長年勤めた会社を定年退職したーーそんな諸先輩方が、今日は巷で数多く見られたに違いない。あなたの会社はどうですか?わが社では少なくない人たちがお辞めになっていかれました‥。


 私の会社では、人事速報が社内サイトの中にあるのだが、なぜだか4クリックぐらい叩かないと閲覧できない場所にあるため、そもそも人事が発令されていることすら気づかない。
 そのため、私はいつも退社する人から届く別れの一斉メールを受信してから、後手になって情報を知るのだが、今月は辞める方からの連絡もあり、4クリックしてサイトを見に行った。そしたら大勢が辞めていくように見えた。
 
 顔見知りの人が、ひとり、またひとりと、社を去っていく。コロナ禍により、諸先輩方が今日という日をどんな思いで去って行かれたのか想像すると、少し切ない。

 今朝、朝一番の会議(オンライン)に参加していると、上司が別れの挨拶をしていた。
そばの娘の耳にも届いたようで、どうしたの?と尋ねてくる。「この人、今日でサヨナラなの?」

「いや、この人は辞めないんだけどね、会社員にとって3月31日と言うのは特別な日でね、年度末というの。そして、来月から異動する人たちが居て、チームがバラバラになるから、みんなに挨拶している、そういうわけなんだよ。」

「あー、なるほどね」と、彼女が納得していた。

在宅勤務は、子供にとって大変な社会学習につながっているんじゃないか、と今日思った。そういえば、数日前も、会議の後で娘がこう呟いた。

「何言ってるか、ぜんぜん、分かんない。」

そりゃそうである。その時の話題は、ちょっと難しかった。その年でわかるわけもない。
だが、そのあとに娘が投げかけてきた言葉は鋭かった。

「ねえ、それで今、ママがやっている作業は、頼まれたから、やっているの?それとも、自分で考えて、やっているの?」

「うーん、これは自分で考えてやっている作業かなあ…」

こう答えるとわが子はこう言った。

「ママ、頼まれてない仕事はやらない方がいいよ。ママ、すぐ、(頭の中が)いっぱいになっちゃうでしょ?そしたらまた疲れがたまったり、イライラしたりするから・・・」

と、こうきた。

(@@)!!!

たしかにー!!!
そう思いつつ、私はしばし黙ってしまった。いつもどのように働くかは、サラリーマンにとって永遠のテーマな気がする。

と、話が娘ネタになってしまったが、今日は退社された方に、聖書から伝道者の書をお贈りしたい。
そしてこれから、このブログを読んでもいいな、と言う方がいたら、ぜひメアドを登録ください。(もしくはTwitterフォロー:アカウントsakurako)メルアド登録のお願い 



【伝道者の書 3章】すべての営みには時がある

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。
くずすのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。
抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
捜すのに時があり、失うのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。
黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。

働く者は労苦して何の益を得よう。
私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。
しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。
私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。
また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。

長年の勤務大変お疲れさまでした。<(_ _)> by桜子

LAVI渋谷でパソコン買ったらサーティワンついてきた

父のパソコンを買った。ヤマダ電機は渋谷では、店舗名LAVIだ。

そもそも先日、夫の携帯に私の父から連絡があった。

「なぜ、僕に?!ふんふん、アハハハハ!!分かります、分かります」

顔を崩して笑う彼に、何ごとかと聞いたら父が、「桜子に聞くのが、怖いんだって。だから僕に連絡がきた。」と言ったそう。

あっ、そう、と聞き流したら、夫が真面目な顔をして言う。

「親が娘のことを怖い、ってどんな状態?きみ、お義父さんへの態度を改めた方が良くない?」

神田川沿い

この日、私は夫と花見に神田川を歩いていた。桜と説教は似合わない。

結局、それで翌日夫は近所までパソコンを買いに来たわけである。

予算と機種に悩むこと20分、即決したが、購入手続きに入ってからが長かった。おそらく1時間余り要したのである。

なぜか?

それは、ヤマダ電機の店員さんがヒアリング毎に、入れ替わったからである。数えてみたらなんと精算まで4人と話さねばならなかった!

「お答えいただくど、割引につながる特典があるかもしれません」

こう言われると、質問につい答えてしまう。

そして、ヤマダが社員のファイナンシャルプランナーを配置したとかで、ファイナンシャル相談の次回来店を予約してくれ、と言う。

予約すると5000円割引く、と言うのだ。もはや、ヤマダ電機は、電気屋さんでなく、ライフアシスト企業と化していた。

「そういえば、大塚家具を買収したもんねえ。」

「そうなんです、はい」

ヤマダの社員は、今後の自社の成長に大きな期待を寄せているようで、心なしか、鼻の穴が膨らんでみえた。

「私たち、この後用事があるんです。すこし急いでもらえませんか。」

いざ購入になったら、お会計は反対側だという。やれやれ。

やっと、買ったら後でサーティワンのアイスクリーム券を2枚、わが家に送る、と言われた。

「1時間半で、5000円とアイスだったね。それが交換条件だったんだね」と夫が言った。

これを得したというか、損した、というべきか。

#pc購入は大変 #父のため #やれやれ