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いつも自分を吟味して

「自分は至らないものだと、だれでも一方では思っていながら、他人に対する時は、多くの場合自分一人がよいものであるかのような気になって、他人の不行き届きを不快に思い、心ひそかに咎めたてをしているものです」
 ※羽仁もと子(国内女性初ジャーナリスト、自由学園創設者)の“愛と寛容”より

私たちはみな、自分自身が主役、というドラマを生きている。
朝目覚めた瞬間から、私のストーリーは始まっている。できればハッピーな記録をつづりたい。
だから、そのための工夫もするし、困難は克服しようと努力する。

7年前、朝の通勤で券売機を前にカバンから財布を漁っていると、おじさんが体当たりしてきたことがある。一瞬、何が起こったか分からず、面食らった。育児休暇を明けて3年ぶりの出勤だったから、動作が緩慢だったのか、私が邪魔だったか、単なるストレス発散か?

こんな災難を思い起こしていたら、渋谷の道玄坂で、女子高生がリュックを投げつけられ、怖がっていた姿が記憶によみがえってきた(渋谷センター街のキレ男)。

どちらもこの場合、加害者に非がある。と、私は思う。だが、本当にそうか?

分かりやすい例より、分かりにくい例は、日々の暮らしにある。近しい親や、夫、子供の存在。友達や、日々やりとりする職場の人達。そして表に出れば、出くわす近所の人々。口開くとき、楽しいこともあるが、不快な思いをすることもたくさんある。そのとき、私たちはだいたい、自分を正しいと思いがちで、相手を一刀両断して、非難し、疎ましく思ってしまいがちだ。

羽仁もとこさんは、
「世の暗黒な方面について考えてみても、大小すべての罪悪はことごとく他人を憎むこと、少なくとも愛していない冷淡ということから来ています」と上記の書籍で、続けて記述しておられた。
そのあとの文章も、味わいある内容なので、紹介したいと思う。

「ひきかえてこの世の光明の側について考えると、すべての幸福が皆われわれの愛と同情から来ているのです。私どもがもしも(中略)、今でも少しでも(人を)余計に愛することが出来たなら、それだけ多くわれら自らが幸福になり、また他を幸福にすることが出来ます。

さらに進んでもう少し余計に愛することが出来たなら、自他の幸福がまたそれだけ余計になります。

そうしてこの愛するとは、あえて物を与えるのでもなく、また世話をやくというのでもないのですから、貧しい人にでも力のない人にでも心次第で必ずできることです。ただわれわれの心を愛深くすることが、賢い人にも賢くない人にも、一様に一番むつかしいことなのでございます。


私たちは毎日忙しい。
いちいち、自分が感じていることを、自分以外の目線や価値観でどうかと、世の中を見直す暇もない。
だからこそ、いつも自分を吟味して、と思う。
他人をいつも愛せたら素晴らしいと思う。
なかなかできないのだけど。

羽生もと子選集「最も自然な生活」

いま、けっこうおススメです。