2022年あけまして、おめでとう

初めに神が天と地を創造した。創世記1.1

新年は、実家で始まった。写真は、窓から見える今日の富士山である。

私たち家族は起きるとすぐ祈りを捧げた。

が、父はすぐ朝ごはんの支度に勤しんで、母も朝から白いエプロンをつけて、台所仕事を始めている。

私は、母に、なぜ2人はすぐ祈らないのかと父の居ない時に尋ねたら、母はコソッと私に言った。

「あなたたちがうらやましいわ」

私は、母の思いを察し、父に言った。

「一年の初めなんだから、まずは3分でも夫婦で祈ってから、食事の準備をすれば?」

新年早々の言葉としては相応しくなかったが、今言わねば元日の朝は過ぎてしまう。ところが、父は言った。

「これがわが家のやり方。お母さんも納得してる」

なぜだろう。

母の本音を父はまったく知らぬ。

私は新年早々、聖書から見る、クリスチャンの妻の在り方について考えてしまった。

夫に従う母は立派か。それとも、そのせいで、自身が、期待する生活が送れなくても、それは聖書的には大した問題ではないのか。

何はともあれ、これまで、実家に泊まることはおろか、元旦を過ごしたことのない私たち一家には、未だない新年の幕開けだった。

食卓に集う家族の数が多いのは、なんと楽しいことだろう。

一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。(聖書)

正直、家族だから、口数が増えれば、口論もあった。それでも、家族は家族で、存在自体が、ありがたい一日だった。

早く召されたいと願うけれど、やはり家族は皆元気で、長生きしてほしい、と願わずには生きいられない元旦だった。

by 桜子

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