私はごく普通の、渋谷在住ワーママだ。トラウマ、という言葉と無縁に生きている。
そう思っていたのは半月前までで、「フィンランド式精神医療、オープンダイアローグ(開かれた対話)①」のセミナーで女医さんから、「トラウマインフォームド・ケア」の説明を教わってから、考えが少し変わった。私にも関係あるかも、と思った。
野坂祐子著「トラウマインフォームドケア」(2019年12月25日発行)を取り寄せた。「トラウマとは、生命にかかわるような危機とそれがもたらす影響を指す」とあった。災害等の事件、家庭での虐待、ネグレクト、学校や職場の肉体的あるいは精神的暴力もトラウマになりえるそうだ。ああ、やっぱり私にはあんまり関係がないかも、と正直なところ感じた。
だが、「生命にかかわるような危険」を、「自分の安心、安全を脅かすもの」と定義したらどうだろう?私自身にも、身近な存在として、トラウマが出てくる。そして、トラウマを抱えた人は、そこここにいるんじゃないか、という思いに至った。
というのも、私は以前、チーム会議で発言する場になり、上司の論理に対して私自身の見解を伝えた所、彼から早口で責められたことがあった。長らく、恐怖でしかなかった彼のことを私はその日ふっと思い出した。あれは、もしかしたら、私の意見の是非よりも、彼からすれば、彼の安心と安全を脅かす行為そのものだったのでは、と。そんなことが、トラウマを聞いて、ふっと分かった。
こんな話は、一緒に対話した参加者からも似た話が聞かれた。まるで作り話のような、パワハラ上司の実態ストーリーは耳を疑うばかりであった。そして参加者の人と二人で、元上司へ思いを馳せた。
・色々不安を抱えていたのかも ・慣れない環境になじもうと一生懸命だったのかも
・本当は孤独だったのかも ・結果を出そうと必死になって部下からの非難を恐れていたのかも 等々。
2人でそんな話をしていると、心の中はなんだか暖かく、しんみりとする。
他者を知ること、そして、その人の過去に寄り添い、配慮すること。この視点は新しい。実践は簡単ではなさそうだが、生きていく上での示唆に富んだアプローチだ。
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近年、さまざまな研究から、トラウマとなりうる体験は稀ではなく、多くの人にとって身近なものであることが明らかにされておいる。そして、暴力や対人トラブル、薬物やアルコールへの依存など、“問題行動”とみなされる言動の背景には、トラウマが影響している可能性があることもしられてきた。
野坂祐子著「トラウマインフォームドケア」より
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#しばらくこのトラウマシリーズ続けます。
by桜子