代官山GREENでランチ。
私の腕の中で眠るベベ。
ママ友が鏡越しにべべをあやしてくれました。
フランスのオーガニック離乳食も売ってます。
右、ママ友のベビー。ドイツ人とのハーフでべべと同じ10月生まれ。
お肌がまっしろです☆
余談ですが、GREENの隣って、サイバード(IT系企業)があるんですね。びっくり。
代官山GREENでランチ。
私の腕の中で眠るベベ。
ママ友が鏡越しにべべをあやしてくれました。
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右、ママ友のベビー。ドイツ人とのハーフでべべと同じ10月生まれ。
お肌がまっしろです☆
余談ですが、GREENの隣って、サイバード(IT系企業)があるんですね。びっくり。
今朝は娘ベベに3時過ぎに起こされて、ベッドから抜け出した。
いつもなら適当にあやして寝かしつけるのを失敗したので、そのままこうしてブログを書くに至っている。
5時、やっとベビーベッドで眠ってくれたので、その後は寝室に戻って自分がまくりあげたお布団を直し、夫のむきだしになっている冷たい肩に毛布をかけて、そのままでは肩こりが悪化するだろうからと背中に軽く圧をかけてみた。
というのも、昨夜遅く、夫が帰宅後に私の腱鞘炎になった手をマッサージしてくれたのを夢の中の私は知っていたからである。目を閉じながら気持ちいいなあと思ったが、眠っていたから起きなかったし、ありがとうも言わなかった。
私はそれを思い出したから、夫にも感謝の気持ちを込めて、同様にしてみたのである。
そうして、私はベベが産まれた頃を思い出した。
母になったなあ、と思った最初の瞬間は、この夜の時間だった。
渋谷の家に戻ってきた当時、空気が冷たい冬だった。
真夜中に目が覚めると、左にいるわが子の安否をまず気遣い、生きているのか確認して、次に寒くはないかとバンザイの恰好をして両手を布団から出している娘の手を握って(たいてい冷たかったので)お布団をかけた。
そして、今度は反対側にいる夫を見て、はがれているお布団をかけ直し、子と夫の間に挟まれて天井を見上げた。そのとき初めて、お母さんっぽいことしているな、と思って、再び眠りについたものだった。
今日はそんな最初の頃のことを思い出し、なんだか懐かしい気持ちになった。
最近、娘の成長が目覚ましい。
体重は6.5キロになり、大きくなったと実感することが増えた。
先日、予防接種で注射されたわが子の皮膚から赤い血がにじんだとき、赤い血に軽く驚いた。
夫に言ったら当たり前だと苦笑されたが、この子が初めてした便は緑色だった。それがやがて黄色になり、私たちが馴染んでいる便の色にまだなっていない。(※離乳食開始後になるらしい)
手や足があまりにも小さすぎて、泣くパターンは1~2種類となれば、なにか別な生き物のように感じていた。
それがここ最近、泣き方はいくつものバリエーションを持つようになり、夫があやせば声を出してケラケラ笑い、おはようとにっこり挨拶すれば、呼応して微笑み返すようになった。
知らない人に会えばじっと相手を見返すし、授乳の最中には時々はっと私の顔を見て、瞳で何かを訴えかけ、私の髪や洋服を掴んでくるようになった。
さらに、昨夜は寝かしつけた後、1時間後に大声で泣き出したので、いつもと違う試みをしてみた。
ふだんなら即授乳となるところを、これは空腹によるのではない、と判断して、真っ暗な寝室の中で「大丈夫だよ」と声をかけて、一緒のお布団に入って寝てあげた所、安心したのか、静かに眠りに戻った。
(※このときは大人用ベッドに寝かせていた)
こんな小さな子でも大人と同じなんだなあ、
と、感動した。
私たちだって、不安なとき誰かが「大丈夫だよ」と言ってくれたら、その言葉に安らぐし、寂しい時に誰かが寄り添ってくれるとホッとする。
知り合いが言っていたが、赤ちゃんでも悪夢は見るらしい。
いままでのように空腹から泣き声をあげるのではなく、何か不安な思いから叫び声をあげるわが子に成長の兆しを見て、これから先の年月に思いを馳せる。
この先、何度も何度も、大丈夫だよ、とわが子に言い続けていくのは間違いないのである。
私も強くなっていきたいものである。
☆追伸:ひよこクラブ今月号にベベと二人、別冊に載りました。
その名もずばり「赤ちゃんがスーッと眠る神テク100」(笑)
どうでもいいのですが、私、最年長でした。撮影中、他のお母さん方をみて、どう見ても私が最年長だよね、と思っていたのですが案の定、そうでした・・・w
生後4カ月で人見知り!?の続き。
昨日吉祥寺に行ったとき、教会の赤ちゃん部屋で起こった出来事。
「無事、着いた」と赤ちゃん部屋から、同じく教会に来ているであろう母親に携帯メールを送ったら、母親が心配したのか、教会でのお話の最中だというのに、思いがけず赤ちゃん部屋を尋ねてきてくれた。
私はまさか来てくれるとは思わなかったから、母が室内に入ってきたとき、その存在に気付かなかった。
それに対し、床に寝っ転がっていたべべが、その頭上でじーっと母親の侵入を見ていて、頭上を過ぎて、自分の真横で母が「ちゃんと来れたのね~」と言った瞬間、
ウワーン!!!!
と、泣いた、泣いたよ。
母親はそれまでの静かな赤ちゃん部屋にべべの一声が響いたので、ヒィーっと言わんばかりの勢いで、一目散にドアの方へ引き返して行った。
ウケる、ウケるよ。ホントに人見知りしているよ(笑)。
私は声にこそ出さなかったが、内心、大爆笑だった。
人見知り、大変だが、面白い。
今日は2012年初めての吉祥寺。
それも、私一人でベビーカーを押してきました!
じゃーん、じゃ、じゃーん!!!
すごい、すごいよ、私。えらい、えらいよ、私。
(v〃∇〃)ハ(〃∇〃v)
この「吉祥寺まで行く」という単純な行為が、子連れ新米ママには大変な心的負担である。
この気持ちは、同じ境遇でないと分からないと思う。
実際、吉祥寺の教会で、7カ月のママ友が「ご苦労さま」と労ってくれたとき、うるっときた。
同病相哀れむとでも言おうか。そう、ベビーカーって、ただ乗せればいいってもんじゃない。乗って泣かなくなるにはある程度の月齢が必要である。
とても緊張した電車乗りだったが、背もたれをあげたせいか、べべはキョロキョロと車内を見つめ、しまいには歌を歌い始めた。
えらいぞ~、べべ~
※しかし、後日、この背もたれアップは4ヵ月児にはまだ早すぎると判明。(普通は7カ月頃らしい)家に帰ったら夫に直してもらうことにした。
この初々しい気持ちは備忘録としてつづっておこう。
思えば、産後1カ月後に初めて外を歩いた時は、世界がキラキラ輝いて見え、深く感動したものだった。
以来、子供を産んでから、たくさんの初めてづくしを味わっている。
初めて、べべが物を握った時、
声を出して笑った時、
人見知りした時。
可愛い顔からブサイクな顔まで、思わずこちらがプププ、と吹き出してしまうことが満載である。
子供が授かってから、人生が実に豊かになった。大変だけれども、やっぱり感謝せずにはいられない。
今日は旦那さまがイギリス人、ドイツ人、フランス人のママたちとランチ。
みんなベベと同じ10月産まれのハーフちゃん。
ベベだけ、ベタなジャパニーズ。
国際感覚溢れる子に成長しておくれ。by母
同じマンションのミズ・フランシスを誘って、渋谷区の育児学級に参加してきました。
乳児の事故予防?離乳食の進め方の話。
ミズ・フランシスのベビー、パリちゃん(上)
パリちゃんはベベと1週間違い。
夫が「うちの子がドラえもんみたいなのに対して、パリちゃんは手足が長い(気がする)」と言っていた。
男の子がやって来たよ?
今日は7人のママが集合。ランチ1400円ぐらいだったかしら。
子連れランチにドキドキ。
ベビーが中心なので、お食事を楽しむ、というより、ママ友との会話を楽しむ、というお店。
テラスモール湘南のベビーカーを押す私。
先日、実家に帰ったら、べべの機嫌が悪かった。母が抱っこすると、べべは大泣きした。
久しぶりに来たせいだろうか。
母は「もう人見知りしてるわ!」と言ったが、マニュアルでは通常7カ月から人見知りが始まるのだ。そんなはずはないであろう。
「きっとオムツが・・・・」「たぶんお腹がすいていて・・・」等と言いながら、泣きやまないべべにバツが悪く、早めに家に帰った。
それから数日後、夫の実家でも同じことが起こった。前回大人しかった娘が、義母の腕の中でウワーンと泣く。
「あら、もう人見知り!?この子、早いんだわ」と、義母も(実)母とおなじことを言った。
・・・いや、そんなはずは。夫と私は顔を見合わせ、「僕らが抱いても泣くよねえ・・・」と言ったが、彼が抱くと、しばらくしてべべは泣き止んだ。
「ほら、そっちをじっと見てる。この子、パパが分かるんだわ」と義母は言った。
私たちは念のために、もう一度べべを抱っこしてもらったが、またもや彼女は泣き出した。
いわゆるギャン泣き
人見知り、というのは赤ちゃんの成長で欠かせない過程ではあるが、せっかくベビーとの再会を楽しみにしてくださっていた義父母に申し訳なく、苦笑いするしかなかった。
今日家で調べてみたら、生後3、4カ月で人見知りが始まることがあることがわかった。
私のせいじゃなくて、ちょっとホッとした。
早く人見知りになった分だけ、早くその時期も終わりが来るだろう。なにごとも前向きに考えようではないか。
日に日に成長していく娘である。
今日はハートの洋服
バレンタイン気分を盛り上げてみました。
午前11時、友人の住む南青山へ物を渡しに出かけた。
初めてベビーカーを押して往復1時間半(片道50分)の外出にチャレンジすることにした。
どこまで出来るか不安だ、と夫に言ったら、いざとなったら車で帰ってこい、というので、そりゃそうだ、とドキドキしながら出かけてみた。
今日はさっと行って、さっと帰ってこよう。
私はベビーカーを力強く押して、早歩きをした。
べべは長時間持たないし、天気予報は午後から雨だった。
ところが友人宅に着く頃になると、べべが大声で泣きだし、玄関先で失礼するつもりが、あがらせていただくことになった。もっとも友人は最初から家に入れてくれるつもりだったらしく、快く私を家に招いてくれ、三歳児がべべを抱っこして再会を喜んでくれた。
そして「田中桜子ちゃん、一緒にお昼ご飯を〝あいぽーと〟で食べようよ。」と誘ってくれ、「一人で食べるの寂しいよ」と言うので可笑しくなった。結局、三歳児の誘いを断ることが出来ず、近くで買ったお弁当を青山の子育てひろば「あいぽーと」(※初回の利用費1000円/年)で食べることになった。外苑前にも子供はたくさんいるのである。
しかし、第2子でもない限り、べべのような幼子はいなかった。
赤ちゃん部屋があるというので、べべを寝かせた。
子供たちがべべを見て、赤ちゃんだといって群がってきた。
三歳児のお弁当、昼食タイム。
私もいつかべべに作るのね。
友人がべべをあやしてくれたので、その間にお弁当をかき込んだ。
この子が産まれてから、平日はゆっくり食事が出来ない。
お弁当のカロリーは高そうだったが、揚げ物の衣を外す余裕もなく、何でもいいや、と思って、早く食べた。インフルエンザがちょっと心配だったのである。
そして、べべのオムツを替え、授乳をして、南青山のママさんたちにさよならをした。
南青山のママさんたちは、友人の友なので、私にも大変フレンドリーだった。
彼女たちはべべから癒されると言い、口々に抱っこさせてくれ、と言うので、喜んでべべを渡した。(私の両手はもうかなり酷い腱鞘炎で、食器を洗っても痛い。)
そして、べべが歩き始める前にいつでも来てくれ、良かったら明日でも、今週中でも、と言った。(1歳児のママたちが言うには、歩行前の状態が愛しいそうだ)
帰り道、表参道のナチュラルハウスと紀伊国屋に寄り道したせいで、時間がかかり、べべは泣きだしてしまった。道行く人が振り返るほど泣くので、私もかわいそうになり、ベビーカーを隅に止めてべべを抱き上げ、予備で持っていた抱っこ紐(アプリカのコラン)を装着して抱っこした。
しばらくするとべべが眠るので、そっとベビーカーに戻したら、またしばらくして泣いた。
私はまた抱き上げて、観念して抱っこ紐に乗せ、ベビーカーを押しながら渋谷の坂道を上った。
家に着く頃には息も絶え絶えだった。
ハア、ハア・・・ああ、これで今日が終わったよ・・・とお茶を飲んで一息ついたところで、用事を一つ忘れていたことを思い出した。
最後の力を振り絞って、今度は抱っこ紐だけつけて近所のクリーニング屋さんへ出かけた。
クリーニング屋さんのおばさんは、ママコートに包まれたべべを見て、「あ、寝てる」と言った。
そう、寝てます、さっきまでぐずってましたが・・・。
と言ったら、「今度抱っこさせてくださいね」と仰った。そして、帰り際、「いつでも来てくださいね。話したくなったら寄ってくださいね」と言うので、私が、え!?という顔をしたら、「ほら、お母さんって下手すると誰とも話さない日もあるでしょ。だから、来てください。抱っこしますよ」と言われた。
私は外見上は疲れ切った姿をしていなかったと思う。たぶん一般論で、その女店員は仰ってくださった(と信じたい)。その親切心に、すごくうれしくなった。
そして、気分が良くなったので、スーパーによって少し雑貨品を買い足したら、レジのお姉さんが、ベビー連れだと気づいて袋につめてくれた。
マンションに戻ってきたら、遠くで「田中さん」と声がして、見ると、以前お風呂屋さんでバッタリ会った、1歳児のお母さんがベビーカーとともに立っていた。
そして、べべを見てニコニコ笑ってくれた。
友人と言い、南青山のママさんと言い、クリーニング家さんと言い、スーパーの店員と言い、マンションの住人ママと言い、周囲の触れ合いや、べべを通して知る親切心には、つくづくありがたいものがある。
こうして新米ママは成長し、育まれていくのである。