小学生のニュージーランド親子留学②神様おしえて、学校選び

いろいろ考えられる選択肢の中から、「この一手」を選ぶのは自分しかいないわけです。
―― 羽生善治(プロ棋士)



人生の選択はいつも難しい。

朝食はパンか、ご飯か。
家を出るときは、右足からか、左足からか。

その手の質問なら、バカバカしい、どっちだっていい、と皆、笑う。


けれど、進路だったら?就職先だったら?結婚相手だったら?
どれも人生に強い影響を及ぼすから、簡単に選択できない。


神様、どうしましょう、どうしましょう。
と、たとえ神の存在を信じていない人でも、何かの「しるし」「確信」「最善」を天に求め、行動するのではないか。

私の奇妙な冒険、ニュージーランドの家探し。
振り返ると、神は「家を与える」と確かに1月、ひとつの「しるし※」を与えてくださった。
(※ニュージーランドの家探し~短期移住をご参照ください)



それで私は、ニワトリが卵を目の前で産んだのを見て、「ちょっとー!家が与えられるよー!!」と歓喜の声をあげた。それで当時、私の脳裏には「強烈に思い浮かぶ家」があったので、それが与えられると思い込んだ。

さらに、
「何事でも疑わなければそのようになる」
という聖書の御言葉から、絶対に疑わないぞ、と堅く心に誓って過ごしていた。


結果は皆さん、ご存じの通り、その家は与えられなかった。
疑わなかったつもりだったので、私は当初、がっかりした。

けれど、これもまた、皆さんご存じの通り、もっと立派な家が与えられた。
「家を与える」という約束は、確かに守られたのだった。



私は今朝、このことについて思い巡らせた。
自分と神の落差である。

自分の人生を歩んでいると、自分が一番よく分かっている監督者のように思ってしまいがちだが、神が最善の監督者であることを思い知る。聖書には、私たちの願いや望みについて、次の文がある。


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期待が長引くと心は病む。
望みが叶うことはいのちの木である。

箴言13:12

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私は、家探しにおいて、脳裏に浮かぶ家を欲しい、と望んでいたが、その本質は、「家族が幸せに暮らせる家」だった。

だから神様は、私の本質を叶えた。それは私が監督者ではダメであり、やはり神が監督者でなくてはならない、という結果でもあった。


ああ、なんと、素晴らしいことだろう。
私たちの理解を超えて、知識を超えて、一番良いものを授けてくださる方がいる。
日々の必要をよくご存じで、私たちの望み、願いを、私たちが口にする前から知っている。



今日も神様が、お1人お1人の上に、豊かに望まれますように。


by桜子



※学校選びのリアルは次回、綴ることにします。