月別アーカイブ: 2021年3月

さよなら、わが社

 長年勤めた会社を定年退職したーーそんな諸先輩方が、今日は巷で数多く見られたに違いない。あなたの会社はどうですか?わが社では少なくない人たちがお辞めになっていかれました‥。


 私の会社では、人事速報が社内サイトの中にあるのだが、なぜだか4クリックぐらい叩かないと閲覧できない場所にあるため、そもそも人事が発令されていることすら気づかない。
 そのため、私はいつも退社する人から届く別れの一斉メールを受信してから、後手になって情報を知るのだが、今月は辞める方からの連絡もあり、4クリックしてサイトを見に行った。そしたら大勢が辞めていくように見えた。
 
 顔見知りの人が、ひとり、またひとりと、社を去っていく。コロナ禍により、諸先輩方が今日という日をどんな思いで去って行かれたのか想像すると、少し切ない。

 今朝、朝一番の会議(オンライン)に参加していると、上司が別れの挨拶をしていた。
そばの娘の耳にも届いたようで、どうしたの?と尋ねてくる。「この人、今日でサヨナラなの?」

「いや、この人は辞めないんだけどね、会社員にとって3月31日と言うのは特別な日でね、年度末というの。そして、来月から異動する人たちが居て、チームがバラバラになるから、みんなに挨拶している、そういうわけなんだよ。」

「あー、なるほどね」と、彼女が納得していた。

在宅勤務は、子供にとって大変な社会学習につながっているんじゃないか、と今日思った。そういえば、数日前も、会議の後で娘がこう呟いた。

「何言ってるか、ぜんぜん、分かんない。」

そりゃそうである。その時の話題は、ちょっと難しかった。その年でわかるわけもない。
だが、そのあとに娘が投げかけてきた言葉は鋭かった。

「ねえ、それで今、ママがやっている作業は、頼まれたから、やっているの?それとも、自分で考えて、やっているの?」

「うーん、これは自分で考えてやっている作業かなあ…」

こう答えるとわが子はこう言った。

「ママ、頼まれてない仕事はやらない方がいいよ。ママ、すぐ、(頭の中が)いっぱいになっちゃうでしょ?そしたらまた疲れがたまったり、イライラしたりするから・・・」

と、こうきた。

(@@)!!!

たしかにー!!!
そう思いつつ、私はしばし黙ってしまった。いつもどのように働くかは、サラリーマンにとって永遠のテーマな気がする。

と、話が娘ネタになってしまったが、今日は退社された方に、聖書から伝道者の書をお贈りしたい。
そしてこれから、このブログを読んでもいいな、と言う方がいたら、ぜひメアドを登録ください。(もしくはTwitterフォロー:アカウントsakurako)メルアド登録のお願い 



【伝道者の書 3章】すべての営みには時がある

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。
くずすのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。
抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
捜すのに時があり、失うのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。
黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。

働く者は労苦して何の益を得よう。
私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。
しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。
私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。
また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。

長年の勤務大変お疲れさまでした。<(_ _)> by桜子

LAVI渋谷でパソコン買ったらサーティワンついてきた

父のパソコンを買った。ヤマダ電機は渋谷では、店舗名LAVIだ。

そもそも先日、夫の携帯に私の父から連絡があった。

「なぜ、僕に?!ふんふん、アハハハハ!!分かります、分かります」

顔を崩して笑う彼に、何ごとかと聞いたら父が、「桜子に聞くのが、怖いんだって。だから僕に連絡がきた。」と言ったそう。

あっ、そう、と聞き流したら、夫が真面目な顔をして言う。

「親が娘のことを怖い、ってどんな状態?きみ、お義父さんへの態度を改めた方が良くない?」

神田川沿い

この日、私は夫と花見に神田川を歩いていた。桜と説教は似合わない。

結局、それで翌日夫は近所までパソコンを買いに来たわけである。

予算と機種に悩むこと20分、即決したが、購入手続きに入ってからが長かった。おそらく1時間余り要したのである。

なぜか?

それは、ヤマダ電機の店員さんがヒアリング毎に、入れ替わったからである。数えてみたらなんと精算まで4人と話さねばならなかった!

「お答えいただくど、割引につながる特典があるかもしれません」

こう言われると、質問につい答えてしまう。

そして、ヤマダが社員のファイナンシャルプランナーを配置したとかで、ファイナンシャル相談の次回来店を予約してくれ、と言う。

予約すると5000円割引く、と言うのだ。もはや、ヤマダ電機は、電気屋さんでなく、ライフアシスト企業と化していた。

「そういえば、大塚家具を買収したもんねえ。」

「そうなんです、はい」

ヤマダの社員は、今後の自社の成長に大きな期待を寄せているようで、心なしか、鼻の穴が膨らんでみえた。

「私たち、この後用事があるんです。すこし急いでもらえませんか。」

いざ購入になったら、お会計は反対側だという。やれやれ。

やっと、買ったら後でサーティワンのアイスクリーム券を2枚、わが家に送る、と言われた。

「1時間半で、5000円とアイスだったね。それが交換条件だったんだね」と夫が言った。

これを得したというか、損した、というべきか。

#pc購入は大変 #父のため #やれやれ

渋谷の新名所が上陸⁈ダイソー旗艦店スタンダードプロダクトがキタ

小池さん、また密です!

渋谷マークシティに百均のダイソーの豪華版ができた。

名前もなんだか横文字でカッコいい。

ここは、100円均一でお馴染みのダイソーとダイソー新業態を狙うスタンダードプロダクトが併設するフロアだ。

ただし、現在はスタンダードプロダクトに入店するには、人気のため、ダイソー入店とは別に並ばねばならぬ。

イケアか無印かと思うような品揃え
これ、500円でヤバすぎ

なぜか食器もつい惹かれてしまう

ついつい選んじゃいそう、主に300円

ひとしきり、幾つか買ってみたあとはお隣の100均へ。

行ってビックリ、広いの、なんの。

これなら当分地方の百均に寄らずにすみそう。マニアックな釣り用具まで、110円で買えちゃいます。

あと、筆箱がこれ、220円って、すごくないですか?

こないだ、Amazonで筆箱2000円ぐらい出して買ったばかりだよ…。

渋谷の東急ハンズやロフトが、駅前のダイソーにやられてしまいそうである。

銀座ランチで春休み突入

子どもが春休みに入ったので、思いきって会社を休んで、銀座に来た。

中央区銀座は、日本の贅が結集する街だが、私にとってかつての職場だ。ランチは前の晩に下調べしたが子どもに合うかピンと来ず、三越のはす向かいにある銀座四丁目のル・カフェドトール辺りで済まそうかと思ったら、娘がテラス席のサラリーマン群を見て、顔を曇らせた。

ならば、と中央通りを二丁目へ向かって歩くと、「ママ、ここならいいんじゃない?」と表看板を見て、娘が言う。おっ、なかなか、いいセンス。ここなら私も好き。銀座風月堂だ。

ゴーフルで有名な風月堂

風月堂は、私が大卒後すぐ勤めた広告代理店で、よく上司に打ち合わせと称し、連れていかれた。半螺旋の階段を上がると、私たちは、2つの椅子が中央通りを向いている窓際席を薦められた。座ってみると真正面に、ティファニー、文具の伊東屋、ブルガリが見えた。懐かしい。不思議なことに、すべての店舗に覚えがある。婚約指輪を買ってもらったティファニー(その後破談)、先輩のお使いで何度も買い物に来させられた伊東屋、時計の修理で訪れたブルガリ。

 食事が運ばれてきて、お昼を頂いている最中、突然私は叫んだ。

「あー、幸せ!!」

 言って、すぐ耳を疑った。いま、なんと?・・・幸せ、って言ったよね、私??

ワハハハハ!!!

大笑いしたら、傍らで娘が目を白黒させた。「ママ、どうしたの?!」

 自分で自分がおかしかった。こんなことで幸せを感じるとは。童話メ―テリンクの「幸せの青い鳥」のように、幸せって、こんなすぐそばに転がっているんだとベタに驚いてしまった。

日頃「感謝」はよくしているが、幸せは気づきにくい。不満や不安の方が、感情が大きいからだろう。とっさに「幸せ」、と発したことに驚いてしまった。何を幸せと感じたのか、よく分からなかった。料理に?風月堂に?銀座にいる自分に?娘と過ごす時間に?

おぼろげに辿り着いた答えは、おそらく、銀座の風景を眺めているうちに、今こうして母となり、子供に食べさせている自分であることが、うれしかったんだろう。
色んな過去があった。
ラグジュアリーな場所で過ごすことが好きな私も、神さまはとうの昔から知っておられ、現在、住まいを渋谷に構えていることも、ご存知だ。そして、そんな私の夫は、ミーハーな私に「良かったね」と寄り添ってくれる人である。

ひよこが、生まれて初めて見た物を親と思うように、職場や職業も、その後の私に多大な影響を与えた。

神様の大いなる計画の中で、これまで歩んだきていた。そう気づいたことが、また何よりうれしかった。

渋谷の桜

公園にあった、桜が開花していた。

どの角度から撮ってみても、ビルが後ろに写ってしまう。

ここで子供を遊ばせながら、お花見できるなあ、と思ったら、

しっかり、お花見禁止、の圧がかかってた。

#渋谷子育て #遊び場少ない #子供の居場所あったらいいな

祝!渡辺謙さん最優秀助演男優賞 By Fukushima50

今日は大学生と知り合った。
コロナになると「新しい出会いがないよねー」と言われるが、人間動けば出会いはあるものである。今日は早稲田大学の一年生と、青山学院大学の四年生と出会った。


 今日は私用で渋谷区鶯谷町にる乗泉寺へ初めて足を踏み入れたが、そこで彼らと偶然出会って、タイトルにある「3月27日の東日本大震災を学ぶイベント(対象は小中学生とその親、時間は10時から15時半まで)」に来ませんか、と誘われたのだ。

 出会った早稲田の学生が、コロナ禍で入学した男子だったので、私の興味は途端に、どうやってこの一年過ごしたか、という質問へ変わってしまった。彼は、サークルのオンラインイベントがあったので、と聞いている限りでは、報道でよく言われた“新大学一年生は友達出来ずに大変”といった悲壮感がまるでなかった。・・・リアルな声は大事である。

 で、彼になぜ東日本大震災のイベントをするのか、と聞いたら、「僕らが小学生の時に味わった体験を、今の小学生に伝えたい。今の小学生は東日本大震災を知らないから」ということだった。

ちょっとまって。

「今どきの小学生は良く知っているよ!NHKで放映された映像も、学校の授業で事前に視聴していたし、黙とうも学校で行われたよ」

と伝えたら、「え?ホントですか?!」と大学生は驚いていた。リアルな声は大事である。事前リサーチは重要だよ。

とはいえ、大学生にそこを求めるのは難しい。そもそも、このようなイベントを無償でやろうする、その心意気だけでうれしい。若さと時間は大人にはない。日々の生活に追われ、他人を思いやる時間がどんどんなくなっていくのだ。

「Fukushima50(福島フィフティー)観た?あれ、観ていたら、案外、大人の方が、東日本大震災のことを忘れているような気がしちゃった」

そう言ったら、学生はまた驚いていた。「なんですか、それ?」

Fukushima50は、佐藤浩市と渡辺謙の名演による、東日本大震災時の福島第一原発の対応の実話に近い映画であり、フィフティーとは、死の淵に立った東電約50名の作業員たちを指しており、この映画はいかにして原発の爆発を抑えようとしたか、というサラリーマンたちの戦うドラマである。

ほら、案外大人の方が知っているようで、知らないと思わない?
東日本大震災を理解するのに、Fukushima50はとてもよくできていた映画だと思う。私は渡辺謙もよかったが、佐藤浩市の演技にも心打たれた。

良かったら映画も、イベントも、東日本大震災を知る機会として、お時間があればぜひのぞいてみてほしい。
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【イベント情報】知ってる?3.11~マンガを描いて東日本大震災を学ぼう~ 

3月27日(土)午前の部:10時から12時/午後の部:13時半から15時半まで
場所:乗泉寺(渋谷区南口徒歩10分)
対象:小中学生とその親
料金:ワンコイン(寄付)
共催:学生応援村、NPO法人FILMe*Earth、あーすりんくゆめぴっく宇宙桜グランプリ

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金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう

朝、ベランダから落とし物をした。娘の学校のプリントだ。

正確には、登校していく娘に対してベランダから、「忘れ物ー!」と声をかけ、
マンションから、プリントを静かに落としたわけだが、
ひらひらひら、と風に舞って、娘の手元に届かず、隣の敷地内に落下してしまった。

落ち着いて考えれば、プリント用紙をたとえクリアファイルに挟んだとはいえ、
垂直落下させる重さとしては不十分だった。

風に流されることは予測できたはずなのに、なぜ私は下に降りて娘に届けなかったのか。
それは、そもそも娘が登校時間ギリギリで、家を出たからである。
下に降りていけば、娘は遅刻する気がした。
だから私は時間短縮のために落としたわけだが、大失敗だ!最悪である。

娘はそのまま学校にいってしまった。

自分のバカさ加減とおっちょこちょいは自覚しつつも、プリント落下の任を受け、失敗した夫にも火の粉は飛んだ。
なんで、落とすのよ!と怒鳴ったかどうか忘れた。
ともかくまずは、愚かなことを頼んだ妻を静止してもらいたかったが、寝起きで判断の余地がなかったか。

そもそも、なぜ夫はいつも朝が遅いのだろう。
どうして私は毎朝、娘を学校へ送り出すことに、こんなに苦労しているのだろう。
私は猛烈な後悔と反省のエネルギーの勢いで、脱兎のごとく、隣のビルに駆け込んだ。
トラブルは早く解消するに限る。

守衛さんに、落とし物を告げると、その敷地に入る権限が自分にはない、と言う。代わりに、その権限があるという“監督”に依頼しよう、ということになり、朝から一緒に監督を探した。

「さっき、朝の挨拶に来てくれたから、その辺に居ると思うんだけど・・・」

二人で一緒に隣のビルをゆっくり歩く。「おーい、監督さん知らない?」付近の男性に声をかける。
「あ、いたいた!」

ちょうど、向こうから“監督”が歩いてきた。遠くでよく見えない。なのに、間髪入れず、守衛さんは私に言った。
「いい男でしょ?!」

予想外の声がけに私は思わず噴き出した。正直、マスクで全く顔が見えない。が否定する必要もなく、笑いながら頷いた。

近距離にくると、監督は確かに人の好い顔をしており、頼みごとに快諾してくれた。
私は礼を言い、拾ったら電話をもらうことになったので、いったん家に帰ることにした。

家に戻ると、陽だまりの中で夫は新聞を読んでいた。
「あった?」

私は事の顛末を話し、拾ってもらったら何かお礼した方がいいか相談した。

本来なら気にしなくても良いはずだが、何かしてあげたい思いに駆られていた。
すると、「いつも(ビルの大音響には)迷惑をかけられているから、お礼でいいよ」と助言された。

確かに。だが、今回協力してくれるのは、ビルのオーナーでなく、雇われた人達である。
私は、守衛さんが、自分の父のように思えた。
もし父が誰かに親切にして、お礼やちょっとした物をもらったら、その家族はうれしく思うだろう。
だから、何かあげることにした。

しかし、何を?!

結局、柿ピーと聖書の言葉を送ることにした。食べ物は食べたらなくなるが、聖書の言葉は私が出来る唯一の贈り物である。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう(聖書)」の心境である。

その後、どきどきしつつも、おずおずと手渡ししたら、思いのほか、満面の笑みで受け取っていただいて、大変、喜んでいただいた。そして、監督さんの分も後で渡す、と言われた。きっと、監督さんも後で笑ってくれるに違いない。

私は嬉しかった。

在宅勤務が続き、人との触れ合いが一切ない日常で、この小さな交流が楽しかった。
プリントの落とし物がきっかけで、朝から笑えるなんて、今日はおかしい日じゃないか!

最悪が、最高になった。
かくもあてにならない感情である。