カテゴリー別アーカイブ: 身の周りのニュース

The big locks of life

私たちの日々の選択、そして決断

 快晴が続く東京、今朝は5時前に目が覚めてしまった。さて、どうしよう。

洗濯?
ジョギング?
もうひと眠り?

 起床してからベッドに入るまで、私たちは35000回もの決断を、一日の中でしていると言われる。

You Make 35,000 Choices Every Day!


それで近頃、自分に聞いている問いを、今日も私は自分へ投げかけた。


「今日の大きな石は何?(*)」

この概念(*)を知らない人がいたら、末尾に解説を貼っておく。
これは、あっという間に過ぎる生活の中で、自分が一番その日に成したいことを組む、Meタイム(私の時間)習慣である。試して良かったので、よかったらぜひ皆さんもトライしてみてほしい。

 私はこれを習慣化するようになって、充足度が増したような気がしている。達成したい目標があるとき、これはお勧めの思考法だと思う。


そう書くと、順風満帆に聞こえるかもしれない。が、そんなことはない。現に先日、職場では評価査定をされたら、なんと、“最低のD”という成績をとった。

・業績…未達
・行動評価…3段階のうち最低

言いたいことをグッと割愛して書くと、落ち込みは僅か半日で済んだ。“会社の評価を気にしないで生きる”「決断」の舵を切れたおかげだった。

昔の私なら悩んだに違いない。しばらく腐って働くとか、メンタル病んで休職という選択肢もあったが、この決定の上に神の采配がある。そう気づくと、白旗をあげた。なんで私がと思う気持ちは横に置き、神を信頼する。


恨んでもいい、そうしなくてもいい。
悩んでもいい、そうしなくてもいい。
泣いてもいい、そうしなくてもいい。


自戒も込めて書くのだが、考えても変わらない物事に対しては、問いを止めたい。
これも決断だ。

後で、その意味が分かる日が来る。
また仮に、その日が来なかったとしても、神を信頼することを選択する。
全てを完全に理解できなくても、とにかく信頼するという決断が、人の一生をつくっていく。


あなたの人生の運転席に座っているのは誰?

「揺るぎない信頼」ジョイス・マイヤー著


今日も良い一日を!

by桜子






text fired on cardboard

会社クビになりました

あなたはどっち?

会社クビになりました。

A.「ああ、ありがたいな、これで、新しい会社へ行ける!また新しい人達と知り合える!」
B.「どうしよう~、私の人生終わった、ダメだ!」




今朝は久しぶりに夫の「しっかり自分の人生を生きる講座」を朝から受講した。


起きてすぐ、私が色んなことを心配したからである。
「今日から台風級の雨。外にある自転車は大丈夫かな?」
「Aさん、体調は大丈夫かな?」

そんなことよりまず、自分の管理を最優先しろ、と喝を入れられた。


「自転車は、野ざらしになっていいんだよ。そんな些細なこと、心配するなよ」
「Aさんもそう。君は『会社つらい~、疲れた~』って言うよね?それではAさんに迷惑」
「君が、生き生きと人生を楽しむ。そうして初めてAさんに良くできる」





物事ってどちらの方向から見るか。人生って、どこから見るかを選択することなんだよ。

woman in white blazer holding tablet computer
「もしもし?あのね、わたし、会社クビになっちゃった。ラッキー!新しい人生の始まり!」
これが言えたら確かに最強w

                                                       信仰も一緒でさ、神様がやってくれたから、って(何もせず)
怠けている人、いっぱいいるじゃない?


ポジティブに努力できるように自分の気持ちを持っていく
仕事が首になった、人生が終わったと思うよりも、
「これでまた新しい仕事ができる」と捉えて、
そちらの方向に「踏み出していく」。そういうことが大事なんだよ。
向かい風は、立ち位置を変えたら、追い風だから。


「人間の脳っていうのはね、騙すか、騙されるか。どっちかなんだよ。
脳は、自分が抱いたイメージを全力で実現させようと働くから。
だから、自分の人生をしっかり生きなさい。」


さらには、子育てにも喝が入った。


親(桜子)が、ドーパミン出して生きてないから、しょうがないんだけど、
僕たちは、子供が楽しんでいることをどんどんやらせて、
人生は楽しいんだ、と訓練をさせるんだよ。


子供が楽しめないようなことを、人と同じようなことを子供に無理やりさせようとする。
だから、お互いに生活が辛くなっちゃうんだよ。


私はこれを聞いて2つのエピソードを思い出した。
ひとつは、ユダヤ人の親が、子供に読書の習慣をつけさせるために、
本を読む間は飴玉をなめさせて膝に乗せるという話。
(オキシトシンが出て、美味しい=幸せ、うれしい)
これも、脳を騙すことである。



次にさかなクンの母の話。
さかなクン母は、彼の小学校の授業参観で、先生にさかなクンをもっと勉強させろと言われ、
こう返したらしい。

あの子は魚と絵が好きだからそれでいいんです
その末路が、東京海洋大学名誉博士、魚類学者、タレント、イラストレーター…。



将来を不安がらない。
ブレない。
前向き。





大汗かきます💦💦



納得~。


今朝は、拍手したくなるほど、いいこと言うわ~と聞き惚れた。

ひろゆきも、中田の敦ちゃんも、ホリエモンもいいんだけど、
夫の話も、必要な人に届くといいな~と思った。





というわけで、今朝はこの感動を、共有しないともったいない、と書きました。
読者の中に、私のような人が居たらぜひ、一緒に脳を騙して前に進みましょう。

で、もしよろしければブログのお知らせが届くメールアドレス登録をお願いします。
時々、メッセもお願いします。(私の励みになるので)

今日読んでくださった方、こんなSNS時代に、ありがとうございます!
m(__)m

by桜子


ラグビー最強のオールブラックスに会いたくて

「せっかくNZに来たんだから、オールブラックスの選手にインタビューでも出来たらいいね、ハハハ」
と、渡航前に冗談の一つとして軽口を叩いていた。
が、この3日間でオールブラックスとのご縁が見つかった。

①元ボディーガード
金曜に、ニュージーランドで差し歯を接着と歯医者に行ったとき、会計を済ませている私たちに「日本人?」と話しかけてきた男性が居て、「Oh!YURIGAOKA(新百合ヶ丘、と言いたかったらしい)Me?Bodyguard!」と胸を張る男性が居た。
彼は元ボディーガードで、日本企業の経営陣AやBを知っている、でもそれは言うなって言われているんだけどね、ハーハーハーッ」と笑った。

私たちは、狐につままれた感じがして、「いやー、そんなわけないじゃん、またまたー、信じないよー」と英語で臆せず告げたが、「ホント、ホント」と言って携帯の写真を見せ始めたが、私たちはその企業のAさんやBさんを知らなかったので、FBでつながってみると、確かに元ボディーガードと経歴には書いてある。

今まで、散々な目に遭ってきたから、今度はいいことが私たちの身の上に起こるのね、と私は浮足立った。そして、彼が日本語を知らないのをいいことに、「どうする?この人とちょっとお茶でもして話を聞く?」と目をハートにして夫に聞いたが、彼は心底嫌だ、という合図を私に送って来た。

結局、惜しむ気持ちのまま、その場を離れたが、後で彼はこう言った。

「今まで嫌なことがあったから信じるなんて、そんなの、一番ダメなパターンだよ。宗教で壺を買う人みたい」

「あの人の話、嘘に決まってるじゃない。オールブラックスの試合でボックス席を用意する、だの、フィジーにタダで連れてってあげる、だなんて、あるわけない。」

でも私は今でもほんのちょっぴり期待している。「いや、用意してもらえるかもよ」と。



②オールブラックスの選手の代理人
毎週日曜、私たちは2つの教会に行っている。午前中に、近所のローカルチャーチに出かけ、午後になると、日本人のための教会へ今日まで欠かさず通い続けている。

先日、家が見つかったので、安堵のあまり、「毎週教会通いも大変だから、午後の日本人は休もうか」と私はつい、言ってしまった。
しかし、家が見つかったら行かない、とは余りにもご都合主義すぎる。「やっぱり行こう」と思い直して、遅刻して教会へ行った。

そこではもう、礼拝は終わっていたが、最初に会った男性(実は1月に会っていたが、会話する余裕が私はなかった)と会話のラリーが続き、聞いていると、なんだか幸せの青い鳥はここにいましたか、という状態になった。そう、つまり、彼こそ、オールブラックスの選手を束ねるニュージーランド人であった。

「それじゃあ、今度インタビューさせてくださいよ。私、ブログやってるんで。」と言ったら、「ああ、いいですよ」と言われた。

そういうわけで、3月末の更新を楽しみにしていてください。

by桜子

ニュージーランドで差し歯を接着

待合室にて

主人の差し歯が、取れた。

日本で取れたことないのに。

3日前に家が与えられたので、次は夫の体に対処する。

幸い、「神に栄光を返せ」と言った女性の義弟が歯医者さんだと言い、心配して、紹介してくれた。

歯医者さんは、こちら自由診療で高額という。だから、最短距離で適切な医師に出会うのが大切だ。

それで、紹介されて、紹介されて、ついに差し歯をつけられる専門医にたどり着いた。

歯医者に限らず、こちらの医療現場では医師不足により、予約が取りづらいという。

だが、家を与えてくださった神様は、適切な医師にすぐ引き合わせてくださった。

いくらかかるのかしら、ドキドキ

ただいま、治療中。

by桜子

person using macbook pro on white table

Season2:ニュージーランドの家探し~短期移住5

<これまでのお話> 
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1月:お正月に東京からオークランドへ。主人の友人宅に滞在するも、第3週に退去。
   Airbnbでオークランド郊外へ脱出。農場とお洒落な一軒家の空間で9泊。
   31日以降の宿が見つからず、1日まであと8時間の場面で奇跡的に家を確保。

2月:滞在中(現在) 
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1月31日は、まるで映画のよう(ニュージーランドの家探し~短期移住4)に、プール付きの一軒家にたどり着いた私。これは、エヴァとジョン(60代半ばの夫婦)が、1月30日までスーパーホストとして経営していたAirbnbの部屋だった。

私がエヴァと海岸沿いで初めて会った時は、本当に映画のシーンのようだった。
車から降りる私たちと、海岸を見つめてハンドルを握ったまま、顔をこちらに向けたエヴァ。

正直に書きましょう。

オニババかと思うほど、顔が怖かった・・・・!
それもそのはず、彼女は30日まで滞在していた韓国人ゲストが予定を早めて退去し、エアビ―のトラブル真っ最中。「もうエアビ―辞めたわ!!!」という状況だった。

そんなわけで、お世辞にも優しそうにみえず、私たちに「スペシャルオファーで4月までいていい」とメールしてきた人と思えず、私はわが目を疑う気持であった。


実際、彼女は1日以降も、口を開くと文句ばかり言う女性だった。
1月もそうだったが、ここに来てまたか、の思いだった。


おまけに、彼女はもはやエアビ―を使わないと思ったせいか、私たちに多くのことを要求した。


*生ごみはコンポスト(都市ごみや下水汚泥などを発酵腐熟させた肥料)にいれて
*柑橘類以外の果物は、チキンボックス(ニワトリのエサ)にいれて
*リサイクル、その他のごみ
*お風呂のお湯を入れるときはちょっと
*食器を洗うときは洗剤を一滴だけ垂らす

私は、これ以上覚えたくない知識ばかりを頭に詰めて暮らさねばならなかった。


私はエヴァを好きになりたいと思い、彼女の顔色がいい日は、「いい顔してますね!」と言った。が、彼女は「そお?私、すごい疲れてるんだけど」と否定語を言い、いつも愚痴が多かった。



(…1月に泊めさせてくれた主人の友達とおんなじ…。)
と、私は思っていた。


by Sakurako

photo of a happy family at christmas time

クリスマスまでのカウントダウン


求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。
(新約聖書マタイによる福音書 7:7)



 私は小学生の時に、吉祥寺にある日曜学校に通っていた。

 一軒隣にアメリカ人家族が住んでいて、その子息と弟が仲良しだった。だから、姉の私もおこぼれにあずかった。それで、なのか、だからなのかは忘れたが、気がつくと彼らの通う教会へ一緒に行くようになっていた。
 毎週日曜の朝になると、私と弟は、白いポンコツの小さな車にぎゅうぎゅう詰めになって、日曜学校へ行った。

 そんな彼らは、宣教師一家だったということを大人になってから、たまに思い出す。
そのことの意味を深く考える。

私たちの人生は、その時、その瞬間では、意味が全く分からなくても、後になって分かる「人との出会い」や「ことの意味」が、実はたくさんある。


私は、小学生の頃に、冒頭の文章に出会って、強烈なインパクトを覚えた。


求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。
(新約聖書マタイによる福音書 7:7


 
今に至るまで、そらで言える。

よく考えたらすごいことだ、と、今書きながら感謝した。
今日まで結局は私を支えている。


 

「求めなさい。そうすれば与えられる…」という言葉はすごい。

何がすごいか、というと、まず、分かりやすい。
次に、前提条件がないことが、さらに分かりやすさを増している。


・神様を信じたら
・修行をしたら
・努力をしたら

と書いていない。それどころか、こんなビックリする言葉が聖書にはある。


事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。


大人になってこの箇所を読んだ時の衝撃も凄かった。椅子からひっくり返りそうになった。
努力したら報われる、と私たちはよく言う。けれど、聖書は、違うよ、と言っている。

ホントか?
って、きっとこの文章を読む人は思うと思うのだけど、
私は書く。ホントだ、と。


辛かった日々も、苦しかった体験も、今は分からなくても、後で絶対に知るようになる。
そのヒントに、冒頭の言葉がある。

わたしがあなたのそばを通りかかったとき、
あなたが自分の血の中でもがいているのを見て、
血に染まっているあなたに、『生きよ』と言い、
血に染まっているあなたに、くり返して、『生きよ』と言った。
(旧約聖書 エゼキエル書16章6節)


のたうち回るような日々も、暗闇の何かも
すべてが、ああこのためだったのか、と探求できる日が誰にでも平等に与えられている。
私はそのように信じている。

by桜子


スッキリ加藤浩次もタナカヒロカズWANTED‼

朝8時。夫が日テレ「スッキリ」をつけた途端、リビングに流れる、みちょぱ結婚報道。「朝から芸能情報、聞きたくない。(テレビ)消して…」と私。

「今日はスッキリに“ほぼ幹事さん(夫の友人、田中宏和氏)”が出るんだ」と夫。

腑に落ちて黙認すると、次のニュースは「わいせつ未遂、カリスマ作曲家・田中秀和容疑者」。
強い違和感。なんだこれは…と、田中和と田中和の一字違いに気づき、すわ惜しい!でも、夫は既知だったらしく、「そうなんだよ、コレ」と言っていた。

で、気になった。

「ねえ、これ、もし、田中宏和さんだったとしたら、ギネス挑戦ってどうなるの?」と私。

「なしだよ!!!」と即レス。

ふー。危ない、危ない。と夫が汗をぬぐったか定かではない。が、もはや趣味の領域を超える個人の挑戦に、企業的倫理感が伴うことに私は驚いた。田中宏和は、私が知った当時は、漢字すべてが同姓同名で一致することを条件にしてギネス認定を目指していたが、今年はカナ表記でタナカヒロカズの同姓同名での一致を探す戦略に変えている。そしたらギネス認定されている、アメリカのマーサスチュワート同姓同名の一致を抜く可能性が高いらしい。

私は正直、いつも非常に冷めてこの活動を見ている。
だけどよく考えれば、自分が結婚したのは、夫が田中宏和であることに強い縁がある。「田中宏和」という名の不思議な本がその昔に出版され、私はそれを頂いたのを機に、6か月後結婚した。

 そういうわけで、私は非常に田中宏和運動には実はお世話になった…のかもしれない。と、今日テレビを見ていたら、ほぼ幹事の田中さんにエールを送りたくなった。

 なぜあそこまで同姓同名集めに一生懸命になれるのかと不思議でしかなかった。が、発起人の熱い情熱と、夫ほか多くの田中宏和さん幹部の併走により、同団体は継続し、もうすぐ実を結ぶかもしれない所まできた。団体はやはりトップと幹部が肝だとつくづく思う。そしてもしも、この長い歳月をかけた活動に結果を残せれば、それは相当素晴らしい。きっと、小室圭さんNY州弁護士合格並みに。


ギネス挑戦まであと3日。頑張りようもないけど、神様の祝福がありますように。


by桜子


追伸:Tシャツロゴは夫デザインなり 「恪さん(※)リスペクトして作ったんだ~」と本人談。恪さん、元気ですか~?※=企業ロゴの第一人者、飯守恪太郎氏はNTTロゴの発案者

adult attractive beautiful brunette

オープンダイアローグと私⑩トラウマを持つ人との関わり

 私はごく普通の、渋谷在住ワーママだ。トラウマ、という言葉と無縁に生きている。

そう思っていたのは半月前までで、「フィンランド式精神医療、オープンダイアローグ(開かれた対話)①」のセミナーで女医さんから、「トラウマインフォームド・ケア」の説明を教わってから、考えが少し変わった。私にも関係あるかも、と思った。

 * * *
 前回、パワハラ上司の裏にトラウマありか、という気づきを書いた。本日は野坂祐子著「トラウマインフォームドケア」(*)に記載の事例から、他者のトラウマをどう認識するか、と言う点について考察したい。以降、性的虐待の記載があるため、不安を覚える方はどうぞ読み進めないでください。

=====!注意!=====性的トラウマを書きます。危険を感じる人は読まないでください。

ある中学校に、「義父から性的虐待を受けていた」という申し送りとともに、女子生徒が転入してくることになった。受け入れにあたり、学校ではこの生徒への対応を検討した。

おそらく生徒は男性をこわがるだろうと考えた学校は、女性教員を担当にした。…(中略)…ところが、転入してきた女子生徒は、男子生徒や男性教員をこわがるどころか自分から近づいていき、警戒心がない様子。べたべたと馴れ馴れしい態度をとるのが目にあまるほどであった。

拍子抜けした教員らは「もう、すっかり気にしてないようだ」と思い、支援体制は不要と判断した。むしろ、「あんなに隙のある態度だから、義父とのあいだに間違いが起きたのでは」という見方が強まり、支援よりも指導の対象とみなされるようになった。(野坂祐子著「トラウマインフォームドケア」より抜粋)


さて、これはどういうことだろうか?私がもし、教員の1人であれば、同じように考えた。そう思いながら、本を読み進めると、意外なことが分かった。そこには、大人の想像をはるかに超えた、肉体及び精神的ダメージが描かれていて、胸が痛む。長文になるが、筆者の記事をそのまま引用する。


一口に性被害によるトラウマといっても、幼少期の出来事と思春期以降に体験したものでは、さまざまな違いがる。また、加害者が身内なのか、見知らぬ人なのかによっても、被害の状況や影響は異なる。(中略)幼少期に身近なおとなから性的虐待を受けた子どもは、男性との距離感が近く、ベタベタして、性的にあけすけな態度をとることがめずらしくない。(中略)違和感を覚えても、からだや性器を触って来る相手の行為がいけないことだとは教えられていない。そもそも、子どもというのは、おとなとの触れ合いを求めているものである。「高い、高ーい」とからだを持ち上げられたり、脇をくすぐられたりするような、少しこわくて、ちょっと不快な感覚に興奮する。自分が知っているおとなを疑うことがないし、たとえ『いやだ』と感じても、子どもには断る選択肢もなければ、逃げ場もない。そのため、性的虐待を受けた子どもは、混乱しながら、その状況に適応するしかないのである。

 『おまえのことが好きだから』『これはおかしなことじゃない』『二人だけの秘密だよ(誰にも言ってはいけない)』という加害者の言葉を聞きながらからだを触れられてきた子どもは、愛情や信頼は性的接触とともに得られるものだと思い込んでしまう。性的虐待を受けた子どもが、親しくなりたい相手に触れようとしたり、相手の関心をひくために性的なアピールをしたりするのは、それまでに学んできた『人との関わり方』ともいえる。(中略)『からだと関わりかた』として身につけてきた方法である。

やがて思春期を迎え、加害者の行為が性的虐待であったことに気づくと、『自分はほかの子と違う』『自分のからだは汚れている』という考えにさいなまれるようになる。自己否定的な気持ちから自暴自棄な性行動が増えたり、「タダでやられるくらいなら、お金をもらえるほうがいい」と売春行為をしたりすることもある。加害者に裏切られたという思いだけでなく、加害者に懐いていた無邪気さや自分自身も快感を覚えたことに対して、自分のからだにも裏切られたように感じている。(以下略)」

 …さて、ここまで読んで読者の方はどう感じただろう?
 私はこの女児の内面と、これから起こりうる未来について全く知らなかった。心理学専攻でない私には、知らない話だし、もしかしたら心理学専攻の人でも、トラウマ専門でないと、このような機微に気づかないこともあるのだろうか。
 
 私はこの性的トラウマを知ってもらいたいのではない。それよりも、私のような無理解の人が引き起こす悲劇について、これは書かねば、と感じた。

 先に書いた通り「あんなに隙のある態度だから、義父とのあいだに間違いが起きたのでは」と(中略)支援よりも指導の対象と判断してしまうことへの恐ろしさがそこにある。
 いや、だって、仕方ないよね。トラウマを深く学んでいなければ、教育的指導として誰もが指導側に転じるだろう。だがそれは、児童の立場になれば、攻撃でしかない。
 
 関わる大人が、関わる教員が、無意識に指導するその言葉や行動は、その児童の心をさらにズタズタにする。指導という名の攻撃が市民権を得たら、その子の社会的転落は自明の理である。もしそうなれば、その子の未来はどうなるか。その子は、いったい、これから続く彼女の人生で、どこで心を救ってもらえるのだろう。
 
 そう考えると、本当にトラウマを持つ人との関わりは、周りの支援が欠かせない。同時にそれは、私たち一般人(と言っていいか分からないが、トラウマという言葉に深く反応しない者たち)にとって、大きなチャレンジでもある。私たちは誰もが誰かの他人であり、それはつまり、支援者の1人、ということだ。
 そこには、非常な忍耐と寛容と苦悩と疲労が伴い、人としての品性が強く求められる。

最後に聖書の言葉を紹介する。

新約聖書コリント人への手紙I 13:4〜8

 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。


今日も良い日曜日を!


by桜子



 

word sorry beside flowers on white surface

オープンダイアローグと私⑧

 神がゆるされるなら、先に進みましょう。(へブル人への手紙6章3節)


昨日は毒を吐いてしまい、すみません。
なるべく有益で、前向きな発信を心掛けているブログですが、久しぶりに、日と月曜は非常に、落ち込んでしまいました。でも、今朝読んだ聖書の言葉に、こんな言葉を見つけたのでした。

神がゆるされるなら、先に進みましょう。

昨日まででもう十分苦しんだわ、と割り切り、次、行きます。リクエストに応えて(桃ちゃん、LINEありがとう)続き。一般人のワーママが学んだオープンダイアローグの気づきを書く。


 私は8月中旬、渋谷区で2日間オープンダイアローグのセミナー(フィンランド式精神医療、オープンダイアローグ(開かれた対話)①)を受けて、雷に打たれた気持ちになった。それは、オープンダイアローグの創る社会ーーあえて、創る、と書きますーーが、即座に分かったからだ。
 正しくは、今度、森川すいめい医師に解答用紙をもらいたいが、オープンダイアローグの実践は暖かい社会をつくるため
 
 インターネットを検索すると、オープンダイアローグの解説に、「統合失調症、鬱、引きこもり、発達障害、認知症」とごく一部の人たちのため、のように思われる解説が並んでいるが、私が感じたことは、これ、今の日本に必要な、みんなのためのコミュニケーションの形じゃん、であった。

 だから、オープンダイアローグは、何も精神医療の世界だけでなく、一部の専門家間で取り上げる話題でも、手法でもなくて、社会全体で取り入れたら、私たちの暮らしはずっと良くなる。ああ素晴らしいね、って私は終わった瞬間、目の前に薔薇の花がひらひらと舞うように、心底、感動したよ。
 
 だけど、瞬時にこうも思った。身体は正直だ。分かった瞬間、心臓の鼓動が速くなり、いやいや、まさか、この日本で無理でしょ?ありえないでしょまさか、すいめい先生、これを広めたいの?いやいやいや、これを会社でやるとか無理だし。だいたい、今の社会で、ビジネスの現場で、こんなにゆっくり、他人と会話する時間なんてないんだから!!と。もう、手を上げたい衝動を抑えるのが大変でしたよ。だって、そんなことしたら、セミナーを邪魔しちゃうからね。

とまあ、正直な感想はこういうものでした。
けど、あれから今日まで約2週間余り経つけど、走りながら私は考えている。どうしたら、これをもっと広められるかっていうことを。そして、どうやったらビジネスの現場で、取り入れてもらえるかっていうことを。(アイデア募集中)

ああ、今日はもう寝よう。

今日も、もしこれを読んでくださった方がいらっしゃったら、本当に貴重な時間をすみません。
ありがとうございます。m(__)m

by 桜子

本日のおまけ ↓ 前半がちょっと前置き長いですが、後半ストーリーは感動!

3分52秒で流れる東大小国教授コメント必見 
学校の中が排他的な空気が非常に強くなってきている・・」←いや、そうだよね、わかるわ~。

blue skies

フィンランド式精神医療、オープンダイアローグ(開かれた対話)⑥

 ■ここまでのストーリー■
精神科医の森川すいめい氏から、オープンダイアローグを教わったワーママの私。実践演習をやると、思いがけない他者からの告白に汗びっしょり。(詳細:フィンランド式精神医療、オープンダイアローグ(開かれた対話)⑤

 1980年代にフィンランド西ラップランドにある精神病院、ケロプダス病院で開発された「オープンダイアローグ」(開かれた対話)は、社会的な革命を起こした。
 当時、欧州では共産主義政権が次々と倒され、一連の民主化革命が起こっていたが、その波が、精神的な病を持つ人にも民主主義を与えた。
 なにしろ、「頭がおかしい人の話は聞いても無駄」の常識を覆し、彼らの一生を、入院暮らしから、解放させたのだから(約8割が回復)。

さて、この魔法のようなオープンダイアローグと日本の精神医療の現場での親和性は今日どうか、というと、森川すいめい著「感じるオープンダイアローグ」によれば、「今のところ変わる気配はない
 皆さん、知っていましたか?日本は、世界の精神科病床数の1/5世界最多の精神科病院を持ち、長期入院者が世界一多い、ということを。私は全く知りませんでしたよ。なんだかこれって、日本の司法制度が北朝鮮並み(元エリート裁判官が日本の裁判所の実態を暴露!)と同じ。異物、と認定したものは徹底的に排除する国=日本だったんですね…。


 さて、前段長くなったが、(フィンランド式精神医療、オープンダイアローグ(開かれた対話)⑤))の続き。参加者から、セミナーで内密な告白を聞いて私は自分なりの感じた想いを吐露して、汗びっしょり…。

その話を、わが家に来た高校の同級生に私は、熱心に話していた。
 「辛い過去の話を聞けば、そりゃあ、聞く方は疲れるよね。分かる。で、桜子はどうなの?もう二度と、その人の話を聞きたくないって思ったの?」

 この問いは、私にとって大きかった。すぐさま、「いや、機会があれば、うちにその人を呼んで一緒に食事したいなと思っているけども…」と頭をポリポリ搔きながら、私は考えていた。
 聞きたくない、とは思っていない。それはそのあとに、その人が喜ぶ姿を見たから、つまり好転に向かったからそう思えたのかもしれないが、その人が、対話を重ねることでもし、もっと笑えるなら関わりたいな、と思っていた。

 実際、私がその人を自宅に招くかは疑問だ。だが、そういう心境になったのは確かだ。演習前日までの他人を、そこまで身近に思える不思議な力がオープンダイアローグにあり、“実践してみなければその境地はわかるまい”と最初の段階で書いたのは、そういう理由だ。

 お互いを知り合い、痛みを分かち合っていく。
昨今の、コロナだから、他者とソーシャルディスタンス必要だから、同居する家族以外のつながり薄こそ善であり、安心・安全と錯覚させる日本社会。その中で、オープンダイアローグを体得する、ということは、他者とのつながりを濃くさせることで、日本社会に真っ向から勝負を挑むような感じがする。

 
 筑波大学医学医療系保健医療学域社会精神保健学の、斎藤環教授は、これを、「日本の精神医療のパラダイムシフトとなるケア手法」と評している。
 2021年5月、WHO(世界保健機関)の地域精神保健サービスに関するガイダンス『人間中心の、権利に基づくアプローチの促進』において、グッドプラクティスの1つとして、国際的に認められた。


 是非、これを読んだ人には関心を持ち、開かれた対話を、大事な人や、そうでない他者ともやってもらえたらいいな、と思う。

※次回「トラウマインフォームドケアとオープンダイアローグ」へ続く。