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sakurako について

Sakurako,a business working woman who live in Shibuya,Tokyo.

ヘリがパタパタうるさい渋谷

ここ最近、土曜の11時になると、決まってヘリコプターが上空を飛ぶ。この二週間、連続してヘリが飛んでいた。

小池百合子都知事が、都内の週末自粛を呼びかけたので、これらのヘリが、ニュース番組で渋谷の街を映すのだ。最初、報道を見た時は、あのヘリコプターが撮ったんだ、と理解した。

なのに、今朝は朝から大変、騒がしい。いつも以上にヘリコプターが飛んでいる。いったい何台いるのだろう?今もヘリの音がするのだ。緊急事態宣言を誰もが待っている。そんな空気が流れている、今日の渋谷だった。

戦争中にB25が飛んでいた時もこんな感じだったのだろうかと、私の中で戦争とコロナがシンクロする。

むろん、今は戦時下と比べるべくもない。暖かい部屋に豊富な食糧。ロックダウンもなく、買い物に行けるという、人権の尊重がある。

が、けたたましいヘリの音は、何やら不安を掻き立てるようで、私は平安なのに、気持ちがモヤモヤする。どうして、マスコミはこぞっては渋谷を映すのか。

昨日は、ベランダにピーマンと、ししとうの苗を植えて、トマトや朝顔の種を巻いた。

こんな時だから、静かに家で命の素晴らしさを味わいたかったのだ。早く、育ってほしい。

ピーマンとししとうの苗、どちらがどちらか、分かるかな?

コロナは一ヶ月後にも、落ち着かない。

子供の運動会は、なくなった。

下手すると、今年はずっとホームスクールかもしれない。

コロナ自粛の渋谷暮らし

 志村けんが亡くなって、日本人のコロナ意識は、3月頭と比べ随分と変わったように思う。私もまた、然り。
だが、きっかけは彼でなく、それより少し前に届いた、ドイツからの情報だ。

 SNSで知ったメルケル首相のスピーチと、Messengerから届いたドイツの友人の声から、欧州の緊迫した状況を知り、彼らにとって日本がいかに異様か、分かるようになった。
 
 日本のテレビ放送を見ていると、国内のコロナ感染情報を終日こねくり回して推測や分析を流している気がして、入ってくる事実の量が少ない。そのため、最近は海外の報道を朝見るようになった。NHKBSはお勧めだ。各国の報道が入ってくる。CNNの動画もネットで見られる。海外の情報を知るのと知らないのでは、意識に差が出るのはある意味、当然だ。
 だがそんな私でも、都内で混雑するスタバを見、継続されている塾や学童を見ると、日本だけは大丈夫な気がする。国内の雰囲気に流されない方が、難しいといえる。なるべく人を避けて暮らしてはいるものの、欧州並みに人と2m離れて話せるか、といえば、実際のところ、しづらい。

 小池百合子都知事の最初に放ったコロナ会見以来、わが社は全面的に在宅勤務となった。そのため、娘は自宅で過ごし、午前中は勉強、午後は散歩を日課にし、私は彼女の健康維持のため、仕事を極力14時で終わらせるようにしている。(※時短勤務のため出来るワザ)
 渋谷区の小学校は6日に一斉登校で(時差登校なし)、そのあとはGW明けまで休校だ。が、一斉登校させていいのか、親として判断が難しい。下駄箱や、教室で、久しぶりに再会する子供たちが、密にならないはずがない。そしてGW後、本当に学校へ行かせていいのか。本来的にはワクチンができるまで、ホームスクールが望ましいのではなかろうか。

 そんな私のコロナ生活だが、心温まる出来事もちょいちょい、ある。

 先日、トイレットペーパーを探しに池尻大橋まで自転車を走らせていたら、遠くから私を見つけて大声で、私を呼んだ人がいた。目をやると、同じマンションの住民だった。私は眼鏡をかけ、マスクもしていた。「よく(私が)分かったね!」と買い物の事情を話したら、こう言われた。
 
 「今、トイレットペーパーはどこも売ってないよ。うちのを分けてあげる!」

 2週間余ほど前にも、大学時代の友人宅に行った際、そこの旦那さんが、別れ際、トイレットペーパーを3ロール持たせてくれたが、今回も人の親切に預かることになった。苦境の時の親切は骨身に染みる。この恩は忘れまい、と思う。

 それで、今日は、わが家に、友人が作った子供用マスクが届くらしい。昨日知ったのだが、未読80ほどのグループライン内を開いたところ、私の知らぬ間にやり取りがなされていて、発送完了しているようだ。届いたらお礼を出そう。びっくりしたが、仲間の気遣いと親切に、感動した。

 ほかにも、数日前にブログにあげた、「暗闇の訓練」は、友達からシェアされた記事で、私は元気をもらった。

 まだある。娘が「お友だちと遊びたい」と言うのをなだめ諭し、2人で散歩に出ると、ばったり仲良しの親子に会った。こういう慰めは最近しばしばあり、一緒にしばらく西郷山公園で互いの近況を語り合って、笑い合った。うれしい、偶然である。

 不自由がありながら、日常の中にはしばしば、優しい時間もしっかり流れている。その恵みの面をみつめ、大都会渋谷でのコロナ生活を乗り切っていきたい。

 

ディーンアンドデルーカ外カフェ

今日は快晴の空で、運動不足解消にお散歩。

中目黒のディーンアンドデルーカは外テラスがあり、レモネードを娘にオーダー。

人との距離を保ち、なるべく手すりに触らず、触ったら除菌、ということで、リフレッシュ。

先日までこんなに気をつけてなかったのに、すっかりドイツの友達に感化されてしまった。

暗闇の訓練

いと高き方のもとに

(いのちのことば社・オズワルド・チェンバーズ著、2月14日から引用)

わたしが暗やみであなたがたに話すことを明るみで言いなさい。また、あなたがたが耳もとで聞くことを屋上で言い広めなさい。

(マタイ一〇・二七)

神は時々、私たちに暗闇の訓練を課せられる。

それは、私たちが神に聞くことを学ぶためである。美しい声で鳴く鳥たちは、暗闇の中で歌うことを学ぶ。同じように、私たちも、神に聞くことを身につけるまで、神の御手の陰に入れられる。


「わたしが暗やみであなたがたに話すこと」―あなたが暗闇にいるとしたら、あなたの口を閉じよ。

あなたが今置かれている暗闇は、あなたを取り巻く状況だろうか、それとも神との霊的な生活だろうか。それなら、静かにするがよい。あなたが暗闇で口を開くとしたら、誤った発言をすることになる。暗闇は聞く場である。
他の人に、あなたの暗闇について語るな。暗闇の理由を知ろうとして本を読むな。ただ、聞け。他の人に話すなら、神のことばを聞けなくなる。暗闇の中にいるなら、聞け。そうすれば、あなたが光の中に出た時に、他の人々に伝えるための非常に貴重なメッセージを、神から受けるだろう。


暗闇の後に来るものは、つねに喜びとへりくだりである(もし喜びのみであるなら、神に聞いたかどうか疑わしい)。神のことばを聞く喜びとともに、そこには、「私は何と神のことばを聞くのに遅く、理解の鈍い者だろう!それでも神は、日々私に語ってくださる」という思いが、まず訪れるのである。

神は今、あなたに、どんな時にも神に聞くという砕かれた心がもたらす謙遜の賜物を与えてくださる。

宇宙飛行士に聞く閉じこもり生活の極意

先日の朝日新聞、天声人語に、こんな混乱の時に、どうやって暮らすか、という記事があった。

AFP通信によるとまず、「とにかく日課を決めること。決まった時間に起き、決まった時間に眠ること」だそう。

ここ最近は、ドイツに住む友人と話すことが増えて、彼女から、教えてもらったことは、ともかく人に会わず、縄跳びやジョギングをして家族と仲良く暮らせ、ということだ。

「日本じゃ、4月から学校再開だよ」と伝えたら、学校には行かせるな、と言う。

彼女の子供たちには、MacBookや、iPadが学校から無償支給されているという。日本には、オンライン教育の土壌が公立にない。政府がゴールデンウィークまで休校と決めたようだが、教育への宣言は全くない。それどころじゃない、ということだろう。

長期戦に備え、わが家はひとまず、ホームスクールの準備をしている。

おうちで花見

日曜日にいただいた桜が、すべて蕾だったのに、火曜の今日8割も咲いた。

コロナで自粛だから、お家で春を感じられて、うれしい。

【コロナ休校】LEGO世界遺産パルコ渋谷&池袋の美術鑑賞

会社を休んだ。

「ママ、二人でお出かけしよう」と娘が言うので、娘と徒歩圏内の渋谷パルコへ出かけた。小学校で無料の子供入場券を頂いたので、大人代だけ負担して、暇つぶしに来たのである。

パルコ渋谷は去年リニューアルしたので、記載のミュージアムがどこなのか分かりづらかったが、中に入ると、レゴブロックで再現された世界遺産の作品は見ごたえがあった。

そもそも、世界のどれが遺産になっているか、あまり考えたことがない。しかし、偶然、数日前に家で娘とPCを使って、日本の世界遺産のランキングを見ていたので、「ほら、これが(ネットでNo1と書いてあった)広島の厳島神社(いつくしま)だよ」と、楽しめた。

なぜ、わが家で世界遺産がブームなのかと言えば、NHKのEテレのせいである。さすが、Eテレ、子の心を掴むのが上手い。親の知らないうちに、娘が、水曜20時前の[びじゅチューン!] という、井上涼出演の番組をお気に入りに入れていた。一目見て気に入り、ここのコンテンツにドはまりしていたのである。

「イラストや、歌が面白いの」と娘がいい、たくさんの歌を知っている。最近の音楽だと思っていたら、2年前に作られた「姫路城で初デート」という歌は、私も少し歌えるほどになった。

姫路城に全く興味がなかったのに、調べると、色んなことが分かる。白いお城は別名、白鷺城と呼ばれ、兵庫県にある。平成5年、奈良の法隆寺とともに日本で初の世界文化遺産になった。なるほど、それなら私の受験は過ぎてるし、知らないわけだわ、と思った。

で、話は戻って「姫路城がないね」という話になった。同時開催中の、池袋パルコに展示されている、と言う。(※渋谷と池袋の同時開催で、両方を鑑賞すると大人500円子ども200円)時間があるから、今行こう、といつになく娘が元気なので、一緒に池袋まで、足を運んだ。美術の時間である。

池袋パルコの世界遺産会場では、お客は私たちしか居なかった。
それなのに監視員が3人もいて、じっと凝視してくるので、大変居心地が悪かった。作品に触られる、と思っているのだろうか、私は娘が監視、もとい鑑賞されている気がして落ち着かない。それでも、作品自体は、池袋の方に軍配があがりそうだった。心なしか、点数が多かったように思う。

念願の姫路城

娘が気に入ったハワイ火山国立公園

いつかハワイに観に行こうね、といいながら、こんな状態でいつ海外に行けるだろう?

イエローストーン国立公園

ピサのドゥオモ広場

あっという間に日が暮れ、コロナで自粛なのにラッシュアワーになっては大変、とマスクをしっかり着用し直し、JRに乗る。エレベーターに乗った瞬間、「ママ、もうすこし、後ろに立とう」と娘が私を後退させる。訝しんで彼女を見ると、「1メートル置きがいいんだよ」と真顔で言う。すでに娘の方が、コロナ知識が上がっている。あんまり神経質になってもな、と思いつつ、私たちは数歩後ろに下がった。

コロナで娘よ、強くなれ

政府の発令で、3月2日から小中高は一斉休校となり、渋谷区も条例が出た。
夏休みに匹敵する、未だかつてない春休みが突如全国で始動し、多くのメディアで報じられているように、子育て世帯に大激震が走ったが、わが家もその世帯の一つであり、私は働く母である。

歴史に残る日は、こうしてある日突然やってくるんだなあ、と2月末、私は3.11の日を思い出していた。
あの頃、私は妊娠していて、テレビではACの広告ばかりが流れ、精神的に落ち込み、過食した。
もうあの二の舞は踏むまい、と努めて、普段通りやってみよう、と心を強くした。あの頃は、水がなくなる騒ぎだった。今はマスクにトイレットペーパーだ。
でも、一度経験しているから、世間が大騒ぎしても、私は平常心でいたい。

だが、普段通りといっても、子どもの過ごし方に関しては、呑気にしていられない。
私は幸い、在宅勤務推奨令が会社で敷かれたので良いのだが、問題は、家で働けないママ友だ。数名、気になる人がいたので、私はひとまず月曜は預かるよ、と連絡したり、自助会の立ち上げを相談した。お互いに助け合えば何とかなる、と思ったのだ。

だが、思いのほか、各家庭の考えはぞれぞれであって、親戚一同で集まって子供を預かりあう者や、実家に帰る人、パパが在宅、と、ひとまず皆、なんとかなりそうだった。おまけに、どちらかというと、私の方が助けてあげられるよ、と言ってもらう始末であった。

その中で、唯一、学童に入れるから大丈夫、と言ってきた友人がいた。
私の大学時代の友であり、港区の高級マンションに住んでいる。わざわざ、高級と書いているのは、シッターを雇うお金に苦労しているわけでもないのに、学童に預ける決断をしたことに、私は、少なからず驚いたのだ。

そもそも、政府が学校を一斉休校を指示しておきながら、学童は始動するよう主張していることは、多くの矛盾をはらんでいる。
学校が集団感染の場所なら、学童も集団感染の場だ。少なくとも私の子の学童は、子供の人数が増えても教室はそのままの広さだと言った。地方の学童では1メートルづつ間隔をあけて、子どもの学習を支援しているところもあるようだが、そういった特別な配慮や、方針はない。(3月4日現在)

そういう学童に入れるのか。後でわかったことだが、港区の学童では1時間置きに除菌しているそうだ。それなら、安心か?渋谷区はどうなのだろう。
友人は聞いてみたら、と言ったが、私はただでさえ急なことで混乱している学童の現場にこれ以上、負荷をかけるのに気後れして聞けない。

私は、本当に学童にコロナ感染の危険性があるかは別として、集団感染は悪である、という論理で今の発令がある以上、学童に預けるのは私の中で、あり得ない選択だった。
それは、第一に、娘に対する姿勢として、あり得ない、と考えた。

しつこいが、学校が集団感染の場なら、学童も集団感染の場だから、そこに行かせるというのは、「あなた(の感染リスク)よりママは仕事が大事ですよ」と聞こえはしないか、と心配したからだ。

次に、前述した環境である。現行いまの教室の広さで、子どもを受け入れて、目黒区のある学童では90人と聞いた。(2月末時点)
もしわが子の学童にその人数が入ったら、どうなるのだろう。

と、こういうわけで、私は学童を遠慮した。

だが、しかし。
先週の月曜に、おそるおそる学童に電話したら、なんと、ふだんの夏休み(の学童参加者)よりも、ぐっと人が少ないことが判明した。
わが家は殆んど預けない家だが、それならば、ということで、娘を送り出した。

仕事も大忙しだったので、子どもが外出してくれて、大変に助かった。
おまけに何をしたのかと聞いたら、体育館でドッチボールをしたという。なんだ、それは素晴らしいじゃないか。

人数がしばらくは少ない見込みと聞いて、二日間は学童にして、三日目からは友人に預かってもらった。
ひとりでバスに乗れるなら、ママも送り出せる、と娘に言い、娘は初めて一人でバスに乗った。

「すごい緊張するよ・・・」と言っていたが、幸い、運転手さんに行き先を告げると、事情を察したのか、優しく対応してくれ、安心できた。
ママ友も協力してくれて、ありがたいことにバス停まで迎えに来てくれた。

帰りは迎えに行こうか?と私が聞くと、「一人で頑張ってみる」と娘は言った。

そうだ、こうして子は強くなっていく。娘よ、どうか、強くなってくれ。

♯コロナ休校 ♯テレワーク ♯渋谷区学童 ♯子供の居場所 

24の瞳

コロナで日本は大騒ぎである。私もソワソワしている一人だ。

今朝は、街中の人がマスクをしているような感覚に襲われたが、小学生にとっては、どこ吹く風、に見えた。

今日は1時間目、娘は体育の授業で、体調により遅れて参加した。遅刻の場合、親は連れて行かねばならぬ。

下駄箱に着くと、ちょうど校庭のグラウンドで体育座りしている子供たちが見えた。彼らから、娘が分かったらしく、何やら口々に子供たちが、何か叫び始めた。

「300回飛べたよ!!」「やったよ!」

そう言ってるらしい。

ガッツポーズをして見せたり、娘に手を振っている子。男の子たちが多かった。

思いがけなく出会った光景に、私はとても感動した。

子供はなんと、無邪気なのだろう。

今朝、大縄跳び300回をクラスで飛べたと喜んでいた。授業開始中というのに、屈託なく大声で報告してくる子供たちに、担任も仕方ないと嬉しそうに、私たちを見て、その態度を許していた。

24の瞳の小説を思い出した。

子供たちの純粋さ、純真さ、失われることなかれ、このまま大きく成長してほしいと、強く感じた。

新型コロナで在宅ワーク、学校行事もお稽古も中止に

連休を長野県で過ごせたことは、最後の幸運だったのか、
帰ってからまだ数日もたっていないのに、東京は異例のウィルス感染への厳戒態勢を敷き始めている。

私の会社も、今日になって、3月前半まで在宅勤務推奨と発表された。
そして渋谷区も、区が主催する行事は中止(詳しくはクリック)と告知があり、教育委員会からもお達しがあり、娘の学校の行事は軒並み中止、もしくは努めて少数での実施、となった。今年卒業する6年生や親御さんが気の毒である。だが、下手すると入学式もこの先どうなるか、という感じだ。

 今日わが家はお友だちが親子で遊びに来ることになっていた。楽しみだったのに、ふと、こんな状況下で来客があっていいのか、と心配になった。友人が来てすぐ手洗いを薦めると、「ウィルスを落とさなくちゃね。」と彼女は笑ったが、まるでお友だちを病原菌扱いしているようで気が引けた。そんなつもりはないのだが、お互いに気を付けないといけないのだ。これからは、友達を家に呼ぶことさえ、自粛するべきだろうか。

 なんだか、まるで戦争時代の非国民探しみたいに、もしも万が一、発症したら隠さなければ、みんなから後ろ指刺されそうで怖い。そんなことを考えていたら、娘のお稽古先からも3月末まで中止の案内がきた。もはや集団=悪の世界だ。今年はお花見も自粛ムードになりそうだが、私としてはお花見ぐらいマスクしながらやってもいいではないか、と今のところは思っている。
  
 なんだか、異常事態が始まった。たった一匹のコウモリが、世界を変えていく。恐ろしいことだ。