日別アーカイブ: 2025年12月5日

明日に希望が見えなくとも

昨日、読者のHさんからメールを頂戴した。
申し訳ないけど、お礼の気持ちも込めて、ご紹介させて頂く。

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桜子さんこんにちは。
配信のたびに、楽しく読ませていただいています。
12月にはいり、2025年はあとわずかとなりました。
今年は2月に愛犬が召されて行きました。
7月は息子の鼻の手術と
妹の乳癌手術がありました。
そして、18日に夫の腰の
手術があります。
いろいろなことがあっても
それは災いでなく、
すべてが神さまの御手のうちに
あることなのですから
平安があります。
全知全能の方にお祈りできますから希望があります。
もうすぐクリスマスですね。

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読んで、私はびっくりしてしまった。
色々あるけど、平安です、希望があります、と。
そう、もうすぐクリスマス。

文面からは、穏やかな様子が伝わってきた。
私が同じ状況でも、同じように告白できるかしら・・・?

3年前、両親がそれぞれ難病となってから、信仰をもつ者と、それを取り巻くすべてを
私は見つめていた。一言でこうだ、と書けないぐらい、これは私にとっては苦しいものだった。
荒野の3年間であった。

もっとも、今も、戦っているかもしれない。
が、この数か月ほど、私は元気になっており、平安がある。

それは、親が変わったからというわけではなく、
私が神様との関係を見つめ直し、自分が変わりたいと思ったからのように思う。
結局、人生は、ただ自分と神様との対話がすべて、というのが今の理解だ。


これについては色々書きたい気がするが、今日は金曜の夜。
最後に、ヨブ記5章17、18節を紹介して、終えたい。

ああ、幸いなことよ。
神に責められるその人は。
だから全能者の懲らしめをないがしろにしてはならない。

神は傷つけるが、それを包み、
打ち砕くが、その手でいやしてくださるからだ。



神様は私たちを、傷つけ、打ち砕く。
だけども、あなたや私を、包んで、癒す、と宣言されている。



そこに、希望を持ち、安心して、今夜も眠りたい。


by桜子