子供の誕生日会に、昭和の誕生日会を想う

 
バースデーケーキ(18カット)作りました。

 近所の子供が夕暮れまで外で遊ぶ、というのは昔の話で、今時の子供はお稽古で忙しく、中には平日の9割が習い事、という強者もいる。

 過日、誕生日を迎えることになった娘は、今年もやりたい、と平日の誕生日会を心待ちにして言った。しかし、誰が来られるだろう?数人でも来てくれたらうれしいね、と言いながら、娘と祈ったのが、一か月前。

 Xデーが近づくにつれ、私は仕事の傍ら、本当に料理が作れるのか、準備が間に合うのか、という不安で次第にナーバスになっていき、前日は眠れなくなった。というのも、夕食付きで15人近くが来てくれることになったからである。(おまけに当日は正午まで仕事)

 しかし、神様はすごい、と私が感動したのは、偶然これを知った、パーティに来ないママ友や友人が、手伝いを申し出てくれたことだ。本当に思いもよらず、その親切がうれしかった。最初は遠慮した私も、ふとこれは神様から来たかもしれない、と思い直し、甘えることにした。実際、ふたを開けてみれば、その手伝いなしに、準備は間に合わず、また大勢の子を公園へ連れていくことは不可能だった。友人らが、子供たちを公園へ引率してくれ、その間に私は夕食を用意できた。

 その夜、久しぶりに大勢と話した私は、興奮してまたまた眠れず、週末になってやっと、日常に戻ることができた。

 誕生日会というのは、思い起こせば私自身も親にやってもらった記憶が幾つかある。一番印象に残っているのは、ホールケーキを前に、手をのばして自分の分を取ろうとしている、得意げな自分の顔が写った一枚の写真である。友人に囲まれ、たいそう幸せそうだ。

 大人になった今、その当時を考えてみると、少し切ない。親の苦労、子知らずとはよくいったもので、ホールケーキはどこで買ってくれたのだろう?そして、これは親からみて、経済的にどういう立ち位置だったのだろう。そういえば、誕生日当日になって、1つ1つ絵柄が違う動物の新品ガラスコップが子供用に揃えられていたことも、忘れられない思い出だ。親がここまで準備してくれた、というのが、記憶に残っている。実に親の犠牲なしに、誕生日会はあり得ない。娘の誕生日会を通して、ふっと親の愛を思い出した。

 しかし、そのように愛情をかけて育てられた私は、思春期にはたくさんの苦労をかけ、多額の学費を払ってもらって、良い学校へ行かせてもらったのに、ろくな勉強もしなかった。本当に親は大変だ。すまない。そして今日まで、ほんとうに、ありがとう。

・・・ホロリ。

 結局、親の心、子知らず。ということは、神の愛もまた、人知らず、ということか。
私たちの重ねる月日が、実は神様の深い愛に支えられている。私たち人間の多くは、そのことを知らない。第一、神なんているか、と思っている人の方が特に日本では多い。だけど、もしもいると分かり、私たちが神様に愛されていると知ることが出来たら、私たちはもっと楽に今の世の中を生きられるのだ。そのことは、追々書いてみる。

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