月別アーカイブ: 2022年1月

悪いストレスは人を変える?みかん実験

昨年の暮れ、義母から美味しそうなみかんを一箱いただいた。
少々もったいなかったが、そのみかんを2つ取り出し、娘がそれぞれに絵を描いた。

1つは、にっこりマーク(^^)、もう一つは、怒ったマーク(*`Д´)プンスカ 。
前者には「かわいいね」「きれいだね」と褒め、後者には、「汚いね」と悪い言葉をかけた。(※ちゃんと個体を各々離れた所で声掛けをするのが実験のミソ)

娘が勝手に始めた実験だが、教わった内容によると、後者のみかんは腐っていくという。
はたしていかに。

その一か月後が、下記の写真だ。

左が、悪口を言った方。右が褒めた方。

各々の、輪郭の違いが分かりますか? 触ってビックリ、左の皮はコチコチ硬く、右はふにゃりと柔らか。

左のみかん「ストレス受けて、身も心もコチコチです!」と、しゃべっているみたい。(^^;
毛穴もめちゃくちゃ開いているのだ!
家族で、ほっほう~と驚いた。

が、夫は、「これ、n個で実験してくれたら、説得力あったのにな~。」
「個体差があるじゃん」と論理的。


確かにそうだけど、そもそも、同じ箱から取り出して、実験当初は何の変化もなかったのを目視した私としては、「何もないじゃん!」と冷めて観察してきただけに、この変化には心底驚いた。きっと、n個やっても、結果は同じと思う。

そうしてみると、左のみかん、悪口言われた姿は、眺めていると、人間の脳にみえる。

心療内科や精神科で、傷ついた人たちの脳はこんな風にコチコチするのだろうか。するに違いない、と思う。だって、美容師さんが私の頭をシャンプーしてくれるとき、頭が硬いと、「お客さん疲れていますね」というもの。
実際、人は緊張すると、身も心も硬くなる。
もしも、嫌なことを言われ続けたら、確かに周囲と境界線を張ることで身を守っている。

一方、柔らかいみかんの弾力性といったらない。
その柔軟性が、世の中の辛いことも、対処できるバネであるかのよう。


2つのみかんにしんみり…。



聖書から、ストレスに対処する言葉を幾つか拾ってみた。

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(Iペテロ5:7)

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:6,7)


なまじ、人間には脳があるから、考えてしまうけど、
考えすぎず、自分を責めず、神様よろしくと、疲れた日は美味しいものを食べてよく眠りたい。

…そうは言っても、私だって悩んでいるときには、それで済めば楽なことないよ!と思ったことがたくさんあるから、ことは単純ではないけれど。
でも結局いつも、最後はなんとかなっている。

だからきっと、神様は、私たちに、良い言葉を口からよく出して!といつも仰っていると思う。
それが、ストレスから身を守る秘訣だから。

まあ、それを継続するのが難しいのはよくわかる。
そんな時は、聞いてくれる誰かを探して、祈ってくれる誰かに祈ってもらって、
いつも良い言葉を口から出すようにしていきたい。

私が一番それができないからね、自戒を込めて。

by桜子

冬休み明け、学校再開で始動

今年はどんな一年になるだろう?!

 期待に胸を膨らませていた学生の頃に比べ、社会人歴を重ねた今は、日常の再開にときめきはない。それでも、子供のおかげで「1」がつく年初めに、気分は清々しい。

 冬休み明けの1月11日、さっそくわが家に来訪があった。小学校でお世話になった担任が、所用で来られた。用事を済ますと、先生は、玄関に飾ってあった娘の作品(写真)を見て、仰った。

「学校で見た瞬間、目が潤んで…感動しました…」


 三角錐の一面には、聖書を開くと最初に書かれてある、創世記1章1節があった。初めに神は天と地を創造した、とある。そして別の面には、わが家の名字が書かれてある。
 これは小学校に入学すると、子供たちが保護者会に来る親用に、座席を知らせる表札として作った作品だった。昨年の暮れ、担任から返却されたので、私は創世記が書かれているのを見て、捨てるのに忍びなく、玄関に飾っておいたのだ。

 先生は、「入学してすぐ聖書の一ページ目にある言葉を書くなんてね」という風なことを仰った。

 私は、返却時に先生がこれに目を留めて、涙腺が潤んだ、と仰ったことに感動した。4年前に、初めての学校保護者会で、私がこれを見た時には、ギョッとして、先生と同じことを思ったのだ。6歳で、しかも学校でこんな言葉をここに書くなんてね…、と。

 この言葉には、確かに強い力がある。初めに神が天と地を創造したのだ。それで、世界が始まったのだ。


 あれから4年余りが経って、娘はもちろん、同年代の子どもたちも、ずいぶん大きく成長した。世の中を経験しつつも、脳と心はまだ発達段階だ。

 私は最近、いつも同じことを祈っている。
 
 神様、どうぞ、すべての子どもたちが健やかに、思いやりをもって、成長しますように。愛し、愛されて、大人になれますように。

by桜子

代官山生ソフトフランスパン1000円

夫がオープン前から買いたがり、昨日ついに買ってきた、代官山生ソフトフランスパンのNIJi。虹、というらしい。

千円なり

「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」(マタイ4:1〜4)

ワクワクして買った夫が言うには、パンがたくさん余ってた、というのだけど・・・

ともかく、千円のパンは贅沢ね。(^_^;)

クリスチャン新年会

1月2日の日曜、新年早々の礼拝後に、主にある家族6組が、わが家近くの一軒家に集まった。

group of people making toast
Photo by fauxels on Pexels.com


主にある家族、というのは、天の神を父と考えた時、私たちはみな、誰もが兄弟または姉妹(※)という考えによる。米映画でよく耳にする、Brother(ブラザー)とSister(シスター)は、要するにクリスチャンからきている。

 新年二日目から、親戚の少ないわが家が、血のつながりはないにせよ、家族と呼べる人達と集まれたことは神の恵みそのものであった。私は、娘が産まれた当時、親戚のいないわが子はなんと不憫だろうと長年、重荷を背負っていた。が、この日示して頂いたことは、神様をお父さんにしたら、彼女に親戚は無限に与えられているという事実だった。

 そうして集まった私たちの目的は、実は新年会ではなかった。
きっかけは昨年、互いの子供たちが学校で様々な困難に合っていた危機感から、聖書を知る子供たちが互いの体験を仲間と語り合って、成長していく心の場を作ろうということから、祈って集まった会であった。

「もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。」
伝道者の書4:12

 子供たちは、地元や学校に、聖書について語り合う人が親以外いない。コロナ禍で、子供が一番、他人との関係が希薄になる。大人が、自由に外へ出て、携帯やSNSで人と繋がれるのに対し、こと小学生以下にそれらがない。幸い、私たちは、同じ年齢の子どもを持つ親たちで、それがないとマズい、と気づいたので、率先してクリスチャンの子供たちの交流の場を定期的に持とう、と相成ったのだ。

 再会した子供たちは、親の心などつゆ知らず、呑気に、2年前と変わらず会うとすぐ、外で遊び始めた。が、その身体つきは、ティーンエイジャーの入り口で、男の子は凛々しく、女の子は可愛らしくなっており、成長ぶりには目を見張るものがあった。この子たちと関われるのは、あと何年だろうか。
 
 そうして、ひとしきり遊んでお昼をすませると、子供たちにクワイエットタイム(静かな時間)と称し、円陣になってもらった。そして、友だちの旦那さんが、英語と日本語で司会をし始めた。(※英語を母国語とするお友だちが数人いたため)
 

「今まで、いじめにあったことのある人?」

 この日のテーマは、いじめ、であり、30分余りの時間を使った。いじめについて、どう思い、どう感じて、どう対処するかというシェアの時間を持った。だが、この内容は割愛する。
 ただ、後ろで静かに見ていた主人に言わせると、いじめがテーマの話題は進行が難しく、「大人の自己満足になりがち」と辛口の評価が下ってしまった。
 言われてみれば、その通りであったが、娘に言わせると「ちょっと退屈したけどまあまあ」とぎりぎり合格点をもらったか。
 とかく、大人が司会者になると、一定の方向へ導きたくなるが、いじめは正しい対処法があるとは限らないので、次回からはもっと子どもに好き勝手にしゃべってもらって、大人も一緒に悩みたい。
 

 だが、なんにせよ、教会の仲間と気持ちを分かち合ったこと自体は、良かったと思う。ある精神科医が、「話すことが、子供を強くする」と、言っていて、以来、私は子どもを信頼おける人と関われるように配慮するようになった。ぜひ、この集まった子供たちにも、互いに語り合ってもらって、強くなってもらいたいものである。


 困難な時代にあって起こる一つ一つのことが、私たちに色んな気づきを与えている。
生きづらい世の中にあって、子供たちが、希望を失うことなく、強くたくましく、生きていってほしい。
 私たち大人は、そんな次世代をこれからも応援し続け、忍耐をもって関与し、祈り続けていきたい。

by桜子

富士山を仰ぎみて新春初滑り

今年は富士山によく出会う。

すっかり忘れていたが、1月3日から4日に家族でスキー旅行を計画していた。場所は富士山近くで、自宅から車で2時間ほどの距離にある。

初日、娘はスクールに入れて、私と夫は二人で滑る。
翌日は、家族全員で滑る。

「子どもがいなきゃ、スキーなんてしないよね」と夫が言い、そうたそうだ、と合いの手を私が打つ。
「感謝だね〜」と言って、滑った。

今年はよく働き、よく学び、よく遊ぶ年にしたい。

by 桜子

2022年あけまして、おめでとう

初めに神が天と地を創造した。創世記1.1

新年は、実家で始まった。写真は、窓から見える今日の富士山である。

私たち家族は起きるとすぐ祈りを捧げた。

が、父はすぐ朝ごはんの支度に勤しんで、母も朝から白いエプロンをつけて、台所仕事を始めている。

私は、母に、なぜ2人はすぐ祈らないのかと父の居ない時に尋ねたら、母はコソッと私に言った。

「あなたたちがうらやましいわ」

私は、母の思いを察し、父に言った。

「一年の初めなんだから、まずは3分でも夫婦で祈ってから、食事の準備をすれば?」

新年早々の言葉としては相応しくなかったが、今言わねば元日の朝は過ぎてしまう。ところが、父は言った。

「これがわが家のやり方。お母さんも納得してる」

なぜだろう。

母の本音を父はまったく知らぬ。

私は新年早々、聖書から見る、クリスチャンの妻の在り方について考えてしまった。

夫に従う母は立派か。それとも、そのせいで、自身が、期待する生活が送れなくても、それは聖書的には大した問題ではないのか。

何はともあれ、これまで、実家に泊まることはおろか、元旦を過ごしたことのない私たち一家には、未だない新年の幕開けだった。

食卓に集う家族の数が多いのは、なんと楽しいことだろう。

一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。(聖書)

正直、家族だから、口数が増えれば、口論もあった。それでも、家族は家族で、存在自体が、ありがたい一日だった。

早く召されたいと願うけれど、やはり家族は皆元気で、長生きしてほしい、と願わずには生きいられない元旦だった。

by 桜子