谷川俊太郎の詩から、子への愛を考える

  地球へのピクニック
                     谷川俊太郎

 ここで一緒になわとびをしよう ここで

 ここで一緒におにぎりを食べよう

 ここでおまえを愛そう

 おまえの眼は空の青をうつし

 おまえの背中はよもぎの緑に染まるだろう

 ここで一緒に星座の名前を覚えよう

 ここにいてすべての遠いものを夢見よう

 ここで潮干狩をしよう

 あけがたの空の海から

 小さなひとでをとつて来よう

 朝御飯にはそれを捨て

 夜をひくにまかせよう

 ここでただいまを云い続けよう

 おまえがお帰りなさいをくり返す間

 ここへ何度でも帰つて来よう

 ここで熱いお茶を飲もう

 ここで一緒に坐つてしばらくの間

 涼しい風に吹かれよう

 以前、この詩を読んで、涙腺が緩んだ。
 先週、ふとテレビをつけたら「八月の蝉」が放映されていて、クライマックスシーンに涙がとまらなかった。

 その瞬間、娘を愛していることに気づいて、愕然としてしまった。
 
 私はいったい、いつから娘をこんなに愛するようになったのだろう。いつの間にか私の中にいる彼女は測り知れないぐらい大きな存在になってしまった。産まれたときは、他人のように感じていたのに。

 出産したら親が子を愛するのは当たり前だとみんな思っているだろう。
 私も産むまではそうだ、と思っていた。

 だが、実際育ててみると、それはちょっと違うのではないか、
 と思っている。

 親が最初から親然とならないように、親は子育てを通して親らしくなっていくように、
 また、授乳を通して母子の関係が深まっていくように、
 
 親は出産を通して無自覚に子への愛を芽生えさせ、
 日々の積み重ねによって情が蓄積され続け、愛の芽が育まれていき、愛が深まっていく(=愛を実感する)のではないだろうか。

 わがうちを通して、変わっていく自身の感情に驚かされる日々である。