月別アーカイブ: 2021年12月

クリスマスの朝

家のポストを開けると、1通の赤い封筒が入っていた。

開くと、お隣さんからの手紙だった。

お隣は先月、上階から引っ越してこられた老夫婦で、私は奥様から話しかけられた際に、優しそうだな、と思っていた。手紙には、その彼女から、私が前日に差し上げた林檎のお礼と、プラスアルファ、がしたためられていた。


「もしや、お宅はクリスチャン?」


話は12月上旬に遡る。
私は玄関の表ドアに、娘のお手製リースを飾った。

a christmas wreath hanging on the door
Photo by Anastasia Shuraeva on Pexels.com



そして、私と同じように、ドアへ飾りをつけている家が、同じフロアに他に2件あった。その1つが隣で、ポイントは、それがサンタとトナカイだった点だ。


私は今、在宅勤務だから、家を頻繁に出入りする。そのたびに、隣のサンタとトナカイが視界に入ってくる。そして、いつも、何の気なしに思っていた。

           (・・・サンタなら、プレゼントが届くよな…)


それで、隣に何かを差し上げたいとずっと考えていた所、23日(結婚記念日!)に、家へ突然、大量のリンゴが届き、その見事な青森のリンゴに、私はこれをおすそ分けしようと決めた。

 紙袋にボンボンとリンゴを入れた。が、これではどうもハレの感じが出ない。


 そこで、透明のパラフィンでリンゴ2つを包み、上を赤いリボンで結んだ。
(おお!これで一気に、クリスマス!・・・)

そうそう、忘れちゃいけない、と慌てて、友お手製のクマ飾り付き「聖書の言葉カード」を括り付けてみた。うーん、可愛らしい。完成だ!



 さて、隣のチャイムを鳴らす。

 
 私とて、知らない人のドアを叩くのには、勇気がいる。

 変な人に思われたらどうしよう!!だが、だからこそ、リンゴは少なくした。どうかな、どうかな。ドキドキ…。だが、出てきた夫人は大変驚きながらも、とても喜んでくださり、私はホッとした。

 それで、クリスマスの朝に話は戻る。

「もしや、お宅はクリスチャン?」


この後には、続きが書いてあった。


私はクリスチャンホームで生まれ、夫は●年前に洗礼を受け、今はXX教会に通っています。
聖書の言葉を見つけてうれしくなりました。




私が、その朝どれくらい喜んだか、書くまでもない。
そもそも、このリンゴを頂いたことにも、他のストーリーが含まれていたのだが、そこを披露すると、キリがないので割愛する。

クリスマスの朝に、隣人がクリスチャンだと知ってうれしかったが、何よりも、そのことを知らずに、日常が過ぎていくこともあり得たのに、神が私の生活に手を伸ばし、施してくださった采配が、何よりうれしかった。

今日も神は生きて働く。私は神さまを心から賛美する。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、


あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。

by桜子

クリスマスイブ、決戦の金曜日

(起きるにはまだ早すぎる・・・)と目を閉じたまま、もう少し眠ろうと考えた。

 が、今日これからのことを考えると、目が覚めた。私の頭の中には、次々に色んな人たちが浮かんでは消えていた。

 今日はクリスマスイブで、夜には娘の友達が出演するミュージカルのイブ礼拝もあるし、21時にはその一人がわが家へ泊まりに来る。そして明日は3家族旅行と、楽しみがてんこ盛りだ。

 しかし、頭が冴えた理由はそれではない。今日が娘の最終登校日だからだ。24日がXデーになったらすごいな、とは思ったが、まさかそうなるとは神様の愛なのか。

 赤いランドセルを背負って、張り切って小学校へ行った日から、今に至るまでの約4年、考えられなかった、数多くのことを経験してきた。極上の経験も、沢山あった。

 「意外とブログ読んでいる人いるわよ」

と近所のお母さんに声をかけられたので、詳細は割愛しよう。

ただ、私にとって、今日という日は大きい。感謝しつつ、足の塵を払って出たいと考えている。


 人生の岐路に人が立つ時、私たちは多いに迷う。私は、自分の鍛錬不足なのか、幾ら祈っても答えは得られなかった。それで、ある朝、突然主人が判断した。


「あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから『これが道だ。これに歩め』と言うことばを聞く」イザヤ30:21

 
 道が仮に間違っていても、主はけして私たち一人一人を見放さない。この真実を胸に、今日も歩む。

by桜子

よなよなダンスに見る和田アキ子と、私の叔父さんの不死鳥ぶりがハンパない

 和田アキ子のYONA YONA DANCEを、小学四年の娘がアレクサに歌わせ始めたのはいつだっただろう。 
 在宅勤務をする私の背後に流れるブルースに、(なぜ昭和のR&B女王、和田アキ子を娘が知っている?!)と訝しがりながら、仕事が終える頃になると、忘れていた。
 
 それが今夜、娘がまた、「アレクサ、和田アキ子の“よなよなダンス”かけて」と命令しているので、「なんで、知っているの?」と聞いたら、彼女は、「和田アキ子って女の人?それとも男の人?」と言う。

 ググってみて、YouTubeを見て、なるほど…と理解した。

和田アキ子が全面に出るのではなく、イラストを使ってTikTokで流行らすこの感じは、まさにイマドキ!

私は、フレデリック氏(TikTokでバズる楽曲を熟知するプロデューサー)を知らず、このヒットが練りに練った戦略の下に実を結んだ、当然の結果であったとしても、今の娘世代(小学生)に、昭和のゴッド姉ちゃんこと、和田アキ子が華麗に蘇ってきたことが、ものすごく、うれしかった。

私は何度か曲を聴いて、頭の中に何かが駆け抜けていったのを見逃さなかった。

なんだろう、この感じ…。最近、どこかで経験した…。

そうだ!!!!!
レビー小体型認知症になった、私の叔父さんにそっくり…!!

昨年蛭子能収さんがレビー小体型認知症になった報道があったが、その少し前に、私の叔父は、レビー小体型認知症と判明した。
叔父のそれは、蛭子さんよりずっとひどく、単独で外出はできず、一歩の歩幅はちょこちょことしか歩けず、じっと座っていられず、呂律が回らず、議論好きな叔父のお喋りは遠い過去になり、別人へ変貌していた。

大きな体は痩せ、私は、もう余命が短いことを覚悟して、友だちに祈りをお願いし、一人でお見舞いに行くのが怖くて、夫についてきてもらうほどだった。

その叔父が…なんと、まさにアッ子さんのように、不死鳥のごとく、蘇ってきた。世田谷区の映像が送られてきたのは、3日前だ。なんと公の場で、自身の病を喋るという講演会でパネルディスカッションに登壇するまでに回復・・・!!!これはすごい、事件だ!!!

「ねえ、神さまってすごいわよね。今までの彼がやってきたテレビの仕事も、人間関係も、すべてが益とされたのよ。苦労してきたことも、すべてが無駄じゃないのよ」と、母が驚嘆していた。

私は、そんな叔父に、聖書の詩篇103を贈りたい。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。

あなたの若さは、わしのように、新しくなる。

まさに叔父は、蘇ったのだ。

by 桜子

89歳+私+イギリス人講師

先日の日曜、私はマンツーマンの英会話教室へ出かけた。
子供に習い事を薦めているくせに、自分は全く努力しないので、少しは自分も何かを頑張ろうと、週に1,2回のレッスンを数か月前から始めていた。

“How’s your day?”(今日はどんな感じ?)と、毎回聞かれて、Goodや、So so(まあまあ)と答え、すぐ授業に入るのが常と思うが、私はこれを問われるたび、ハッとする。

今日はどんな日だろう?!

そこで私は、今朝受けた突然の電話を、イギリス人講師へシェアした。

 20年前程前に、JTBのイランツアー旅行へ単身参加した折、親しくなった夫妻がいた。帰国後に会うことはなかったが、私の結婚が決まると、大いに喜んでお祝いの品をくださった。そして一年後、主人がテレビで取り上げられるのを偶然見た(例:マツコデラックス深夜番組に出たよ)夫君が、わが家へ電話をくださった。
 ちょうど受話器を取った主人が、「家内は今病院なんです。昨日、娘が産まれまして」と答えたのは、なんと恵まれたタイミングだったろう。
 以来、音沙汰がなかったが、日曜の朝、急に連絡があった。何事かと思ったが、前と同じ世間話だった。「今は89歳、三途の川がもう見えている」と笑う彼の年齢に私は驚いたが、声に張りはあり、若々しかった。
 だが、奥様の安否を確認すると、障害者一級になり、自身も「肺に穴が開いて入院し、退院したばかりだが、もう歩けなくなった」と言う。そして、ひとつだけ、普段と違う話を私に伝えてきた。


「あのね、私があなたのことを忘れられないのはね…」

(はいはい、なんでしょう……。)

「空港で別れるときに、あなたが唯一、私にハグしてくれた人だったから。」

 それを聞いた瞬間、私の頭の中に神様が流れ込んできた。神が、この89歳の老人の脳裏に、ちっぽけな私の記憶を残してくださっていた。先日書いた、中嶋悟じゃあるまいし、生きている価値があるかどうかもわからない私が、彼の思い出に残る栄誉といったら、この上なかった。
 しかしそれは、ひとえに、神の技だろう。すぐさま、聖書の言葉が浮かんだからだ。

【いつまでも残るのは信仰と希望と愛です。その中で一番優れているのが愛です】

 そのハグは愛だったに違いない。わが人生で最良の行動だった、と私はドラマの1シーンのような情景を想像し、うっとりとした。が、講師は言った。

「彼、そのとき何歳?40ぐらい?」

私は性的な意味にとられたのかと思い、一気にげんなりした。

「たぶん70過ぎだったと思うけど…。」

講師は誤解していたのかもしれない。私は彼の妻とも親しく、きっと空港では、婦人にもハグをしたと思う。が、それはさておき、私はこの老夫婦に対して、毎年何かしたいと思いながら、忙しさにかまけて忘れてしまう。今年こそ何かしたい。しかし、何をしよう?!

 そう考えながら、次に礼拝へ出かけた。

 この日は、この後まさか、後で話す予定ではなかったが、外国人へ紹介するのにピッタリの教会へ出かけていた。というのも、そこは英会話教室から近く、英語で聖書のメッセージが行われていて、私は手元にあるプリントの翻訳を見ながら、その話を聞いていたからだ。
 
 この日は「Treasure in Heaven (天にあなた方の宝を積め)」という話だった。
 折しも、前日に私の女友だちから聞いた、大量の豚が崖に落ちて死ぬ話と似ていた。何を言ってるか分からない人のためにまとめると、要するに、神様よりも、この世で大事に握り締めているものがあれば、それを手放せ、というテーマだった。

 「連続して同じような話を聞いたから、私にとって、この世で握り締めている偶像は何だろう」と考えていたところです」と、講師に言うと、「面白い」と言う。
 
「僕も、ちょうど昨夜、イギリスの妹から連絡があって、自宅にある大量の本をどうするか、と聞かれてね…」

 ちょっと話がずれていたと思うが、ともかく、私の行った教会名を彼は、ネットで検索し、まんざらでもない風だった。「僕は無宗教だけど、こういう話は好きだよ。どうもありがとう」と言われた。


 私はレッスン終了後、その日がおかしかった。
一日中、聖書がメインテーマとして流れていて、前日に聞いた女友達も、89歳の紳士も、イギリス人も、私にとって、すべてがシンクロニティ(意味のあるつながり)であった。

by桜子