今日は公園日和!
講座より、子どもの外遊びを優先すべきか迷ったものの、夫が知っておいたらと、背中を押してくれたので学びに出かけた。
子供の死亡原因は、病気よりも不慮の事故。
スーパーボールなどの誤飲や歯ブラシ持って歩いた時の事故等、2歳児になってもまだまだ安心は出来ず。
気を引き締めて、見守らなくては。
近頃は週末になると深い話が始まる。
そもそもは、娘の託児先をどうしよう、という話から始まって、べべにどんな環境を与えるのが望ましいか、どんな子に成長してほしいのか、学校は?という議論が相変わらず続いている。
それで実は私は、漠然と小学校受験に興味を抱いていたのだけど、夫が、どうして、なぜ?と聞く。
それで、私たちは自分たちが育ってきた環境を土台に、ああでもない、こうでもないと真剣な議論を広げているのだが、今のところ、私が劣勢である。
というのも、私が世の中の価値観に支配されていて、極端な言い方をすれば、「東大に行ければそれで良し」という考えなのに対して、夫は、東大にいってどうするのさ!?と、にべもない。
彼は<そこにいって何をするのか?>が最も大切だと言い、目的意識の重要性を私にコンコンと説明して、私のミーハー脳にがっくりと肩を落とすのである。
さらに夫は言う。
「僕はね、大学受験の時になったら、べべにプレゼンさせるつもりだよ。どうして大学に行きたいのかってね。それでもし、納得のいく答えが出なかったら、お金なんて出さないよ。」
・・・あら、厳しい・・・・べべちゃん、パパってば厳しいわ・・・・。
と、傍らにいた娘に囁いたが、彼女は無反応だった。
その夜、偶然、私たちは中学校受験をテーマにしたNHKの番組を見た。
それによれば、小学生には受験処理能力(志望校の決定から試験をするまでのマネージメント能力のこと)が「ない」と専門家が言っていて、子供が自ら志望校を選んで受験対応する力を身につけるのは、ちょうど大学受験のときだという。
「ほら、ごらん。(ということは)しょせん、小学校受験は親のエゴなんだ。
子供が行きたいと自ら言っているんじゃなくて、親が選択しているんだ。だったらね、べべが自分でなにかしたい、と言うときに勉強して、好きな学校にいかせたらいいじゃないか。うちはね、受験はしないよ。」
ちょうど、評論家が受験勉強する子供たちを指して、
「子供はね、親の期待に応えたい、ただそれだけなんですよ」
と悲しげに言っていて、私は夫が言っていることは正しい事のように思え、がっかりした。
それじゃあ、わが家は小学校受験なしなのね・・・。
ガーンガーンガーン
と、同時に、悲しいかな、子育ての目標を失った気がした。
「じゃあ、どうしよう?明日から、何を目標にこの子を育てたらいいの・・・?」
そしたら夫がひっくり返って、
「えーーーーーーーー!?目標がないと育てられないの?じゃあ、きみ、受験が目標だったの!?
そんな・・・。そんなことさせられてべべもいい迷惑だよ」
と怒鳴られた(ような気がした)。
彼は小学校受験で学力は測れない(※幼稚園児の学力に優劣などない、というのが彼の持論)と言って、「こんな幼子の合否を人様に下してもらいたくない」というようなことを言っていた。
だけど、私は娘の可能性を試す機会を失ったことが残念だった。本屋で知育ブックを見ては、教えるべきことを頭の片隅に叩きこんで、なんとなく教えていた。
だが、受験がないとすれば、それらのレッスンは不要だ。(たいていの知育本は受験を見据えている)
シュウシュウと頭の中で何かがしぼんでいき、
私はじゃあ、もう子育てに専念する必要はないな、と思った。
娘を愛する生活は続けてきているので、だったら、このまま今まで通り愛して育てれば、あとは放っておいていい--つまり、私は私の人生を歩むべきではないか、と思った。
会社を長く休んでいる。
いろんな人と疎遠になっているし、勉強はぜんぜんしていない。
毎日、家事して子育てしてクタクタで眠ってしまう日々・・・。
いつの間にか子育てが生き甲斐になっている自分・・・。
私はもう頭を切り替える時期に来ているのだろうか。
そういえば、自分に関する夢なんて、まったく見なくなった。
娘が幸せになることが、自分の夢になってしまった。
つまり、自分はどうでもいい・・・みたいな?
ふと、時計をみれば23時半。
今日もまたモヤモヤ考えて、この話は続く。
なあ、イラッと来ることあらへん?
と、昨日、代官山チャノマ(ベビー連れWELCOMEレストラン)でランチしたママに真顔で聞かれた。
彼女と私の娘は同じ2歳児だ。
ええ、ありますとも・・・!
と、答えたかどうか忘れたが、そのときはもしかしたら歯切れが悪かったかもしれない。
というのは、今までさほど怒ることはなかった気がするのだが(気のせい?忘れているだけ??)、
この2日間は子供にイライラしていた。
原因は、私にある。微熱で体調が悪かった。
それが、いつもなら受け止められることが出来なくなっていた。
人は余裕がなくなると、他人に、もとい娘にすら、優しくなれなくなる・・・という自分本位の思考に改めて気づかされ、悲しくなった。思い新たに子育ては身体が資本だとつくづく痛感した。
それで、私は子供の泣き声で「うるさーい!!」と言ってしまったのだけど、うるさいは、五月蠅いと書く。
人に対して発言するには、非常に失礼な言葉で、
私はこういう汚い言葉を娘に教えてはいけないな、とうなだれた。
騒音に対してうるさいと言うならよいが、人に対して使うのは控えた方がいいだろう。
だって、もし、べべ(娘・2歳)が、「ママ、うるさい!」と言ったら、
私はショックで倒れるかもしれない。
と、同時に、ふと子を虐待する大人のことを思い出した。
私も彼らの気持ちがわかるところがある・・・。
もし劣悪な環境下に身を置いていたら、そういう思考になるのかもしれない。
ああ、イヤだ、イヤだ、と心の中で首を振って、
娘に謝った。
そうして、それがちょうど夕食前だったので、
ハタと思いだし、二人で神様に祈った。
ママに忍耐力が、べべに従う気持ちが、
与えられますように。
私たちの風邪が(注:娘も風邪)治りますように。
祈ると、娘もアーメン(=その通りです)と言ってくれて、ホッと溜息をついた。
彼女はまっすぐに前を見て、その瞳はさっきまで大泣きしていた涙で濡れていた。
親は本当にダメなものであり、私はこの歳になっても未熟である。
子のために、お手本になれる大人になりたいのだけれど、たぶん一生かかってもできないだろう。
私は現在、育児休業中。
一昨年、娘を生後すぐに保育園へ預ける気持ちになれなかった私は、ゼロ歳クラスに入園希望を出さなかった。
それが、働くママ(ワ―ママ=ワーキングマザー)なら絶対にしてはいけない愚かなこと、だったらしく、
翌年1歳児クラスに希望を出した私は見事、落選。
会社へ落ちましたと連絡して休業延長を申請した私は、現在2歳児クラスを狙って育児している。
が、夏に区役所に出向いたら2歳児クラスもさらに激戦です、とのこと。
なにそれ・・・・。育児したい私が間違ってるってこと!?
と憤っているのが、今の私の正直な気持ち。
けれどひねくれてばかりもいられず、このままでは復帰できなくなりそうなので、渋谷区に限らず、範囲を広げて、保育先を探し始めた。ちなみに南平台周辺は、無認可の保育所すらない。唯一あるセルリアンホテルのポピンズは、1日中子を預けるには狭いし、外に一度も出してもらえず、子にとっては牢獄のような所である。(あくまで、平日長時間預ける場合デス)
そういうわけで、最近、プリスクールのほか、幼稚園も視野に入れて、子の将来について考え始めた。
そうすると、時節柄出来たばかりの【お受験対応型】託児所が目黒に見つかり、英会話のプリスクールがちらほら見つかったのだが、値段は年間150万超(月25万~30万)、さらに辛いのはその送迎にJRやバスを乗り継いで行かねばならぬため、私などは復帰前にそれだけで身体を壊しそうである。
それで、そういう今どきな託児所に行くたびに、
【将来はどう考えていますか?】
【小学校受験はしますか?】
【英語はどのくらいのレベルになってほしいですか】
などと、1歳児の娘を前に質問を受けるので、私たち親は目を白黒。特に夫はショックを受けた様子。
--いまどきの小学校って、そんなに悪いの?どうしてみんな受験するの?等など
(※うちの近所はお受験組が多い様子。)
そういうわけで、近所の小学校に見学に出かけた。
行ってみたら、百聞は一見にしかず、で、私たちが見た小学校はまったく悪くなかった。
先生はすごくフレンドリーで、娘もすぐなついた。
あくまで<いま>の話しだが、どんな子が通っていて、どういう雰囲気なのか分かって私はホッとした。
なんだ、これなら、この小学校でぜんぜんいいよね♪という感想すらもった。
さらに渋谷区の場合は、放課後クラブという学童保育の整備がすべての小学校でなされているということで預け先に困ることはない、と言われ、私には吉報だった。
とはいえ、まあ・・・まだ全然、小学校をどうするのかなんて決められないのだが、
私たちは、見ておいて良かったなあ、と思った。
子にとって、まだまだ遠い先の小学校を見ることで、なんとなく、成長する子のイメージも湧いてくるし、自分たちのライフスタイルもなんとなく想像できることがある。そしてイメージが出来れば、選ぶ幼稚園や保育園も決まってくる。
もしも私たちのように進路に悩んでいる親御さんがいたら、お薦めしたい小学校見学だ。