タグ別アーカイブ: 信仰

text fired on cardboard

会社クビになりました

あなたはどっち?

会社クビになりました。

A.「ああ、ありがたいな、これで、新しい会社へ行ける!また新しい人達と知り合える!」
B.「どうしよう~、私の人生終わった、ダメだ!」




今朝は久しぶりに夫の「しっかり自分の人生を生きる講座」を朝から受講した。


起きてすぐ、私が色んなことを心配したからである。
「今日から台風級の雨。外にある自転車は大丈夫かな?」
「Aさん、体調は大丈夫かな?」

そんなことよりまず、自分の管理を最優先しろ、と喝を入れられた。


「自転車は、野ざらしになっていいんだよ。そんな些細なこと、心配するなよ」
「Aさんもそう。君は『会社つらい~、疲れた~』って言うよね?それではAさんに迷惑」
「君が、生き生きと人生を楽しむ。そうして初めてAさんに良くできる」





物事ってどちらの方向から見るか。人生って、どこから見るかを選択することなんだよ。

woman in white blazer holding tablet computer
「もしもし?あのね、わたし、会社クビになっちゃった。ラッキー!新しい人生の始まり!」
これが言えたら確かに最強w

                                                       信仰も一緒でさ、神様がやってくれたから、って(何もせず)
怠けている人、いっぱいいるじゃない?


ポジティブに努力できるように自分の気持ちを持っていく
仕事が首になった、人生が終わったと思うよりも、
「これでまた新しい仕事ができる」と捉えて、
そちらの方向に「踏み出していく」。そういうことが大事なんだよ。
向かい風は、立ち位置を変えたら、追い風だから。


「人間の脳っていうのはね、騙すか、騙されるか。どっちかなんだよ。
脳は、自分が抱いたイメージを全力で実現させようと働くから。
だから、自分の人生をしっかり生きなさい。」


さらには、子育てにも喝が入った。


親(桜子)が、ドーパミン出して生きてないから、しょうがないんだけど、
僕たちは、子供が楽しんでいることをどんどんやらせて、
人生は楽しいんだ、と訓練をさせるんだよ。


子供が楽しめないようなことを、人と同じようなことを子供に無理やりさせようとする。
だから、お互いに生活が辛くなっちゃうんだよ。


私はこれを聞いて2つのエピソードを思い出した。
ひとつは、ユダヤ人の親が、子供に読書の習慣をつけさせるために、
本を読む間は飴玉をなめさせて膝に乗せるという話。
(オキシトシンが出て、美味しい=幸せ、うれしい)
これも、脳を騙すことである。



次にさかなクンの母の話。
さかなクン母は、彼の小学校の授業参観で、先生にさかなクンをもっと勉強させろと言われ、
こう返したらしい。

あの子は魚と絵が好きだからそれでいいんです
その末路が、東京海洋大学名誉博士、魚類学者、タレント、イラストレーター…。



将来を不安がらない。
ブレない。
前向き。





大汗かきます💦💦



納得~。


今朝は、拍手したくなるほど、いいこと言うわ~と聞き惚れた。

ひろゆきも、中田の敦ちゃんも、ホリエモンもいいんだけど、
夫の話も、必要な人に届くといいな~と思った。





というわけで、今朝はこの感動を、共有しないともったいない、と書きました。
読者の中に、私のような人が居たらぜひ、一緒に脳を騙して前に進みましょう。

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今日読んでくださった方、こんなSNS時代に、ありがとうございます!
m(__)m

by桜子


diverse women stacking hands on wooden table

Trust

 「起きて、食べなさい。旅はまだ遠いのだから。」(旧約聖書第一列王記19:7)

 最近夜にすぐ寝れないことが増えていた。が、昨夜は炭水化物を食べたら一気に眠たくなり、いつもより早くベッドインした。すると珍しく玄関のドアがガチャリと開く音がして、夫も早く帰ってきた。「今日は疲れた、俺も早く寝る」と言い、昨夜のわが家は比較的、早く電気が消えたと思う。

 しかし明け方、私はまた早朝に目覚めた。すぐ頭に浮かんだのは上司たちと私の下期の業務で、頭の中で会議が始まってしまい、起床した。達成できない目標についてどうすればいいのか、と今朝も仕事が嫌である。しかし、朝イチに考えるのは戦略ではない。私のモーニングルーティーンは、なるべく真っ先に聖書を開くことだ。


 今日読んだ旧約聖書第一列王記後半部に、神を信じる預言者エリアの箇所などがあり、すこし慰められた。

 ・壊れた世界での生活は、さまざまな痛みをもたらす
 ・苦難の時は、しばしば私たちの限界を明らかにする
 ・あなたの苦しみは、主を信頼するための個人的な招待状

 中堅社員のくせに未だに職場に悩まされるってどういうこと?と考えて、自分を責めていたけども、

 ・神は、私たちがどれだけ神を必要としているかを認識させる機会を、定期的に私たちに与える
 ・真実を明らかにするために、私たちの人間性をさらけ出る。

 という学びで、新たに励まされた。

そういえば、最近、「信仰はどこへ行ったの?」と英語の先生からも日曜の礼拝でも問われていたけど、
心底信じきって、何にも心配しない状態を、自分の内側に作り出す、というのは実にコツがいる

でも今日は、もうこれ以上会社についての考えで暗くなるのはやめにしたい。
神を信用し、私の行く末をゆだね、本当に時間を割くべき大切なことに自分の時間を使ってみたい。

詩篇103:13-14
「父がその子をあわれむように、主はご自分を恐れる者をあわれまれる。主は私たち
の成り立ちを知り 私たちが土のちりにすぎないことを心に留めてくださる。」


 今日もすべての働く人に元気が宿りますように。

by桜子

証。する、しない?

先週、教会のママ友を経由して、私に、「証し」の打診がきた。
来月の火曜日に、教会で行われる「聖書学び会」の後に、私が証をしてはどうか、という。平日だから、会社を休まねばならぬ。一瞬、がっかりしたが、やらなきゃいけない気がした。

証とは何か?

改めて考えた。インターネットでググったら健康保険や医療証明のWEBページがでるばかりで、教会でやる証、の説明ページがなかなか出ない。しかたないので、言葉自体の定義をみたら、ー確かなよりどころを明らかにすること。証拠ーと、あった。

とどのつまり、神様の証明を私の口からするということになるのだが、
今まで私が聞いた数々の証は、誰かの経歴を延々と聞くことが多かった。どういう両親に育てられて、どのように感じて、神様を信じるようになったか、という話である。

15分間が持ち時間だから、私の履歴書(by日経新聞)を話すわけにはいかない。
ポイントを絞って話さねば、と思う。
しかし、これって、誰に対して、話すの???

改めて、考えさせられた。
そもそも、聖書の学び会で、証がセットになっているのはなぜだろうか?
たまたま隣にいた教会の人に聞いたら、「昔は初めて来る人のためにやっていたと思うんだけど・・・」と言った。
今は? 今は初めて来る人ってあまり、いないよね?

この場に集う人は、大半が信者だ。神様の存在を信じている群れである。だから、私などが話して役に立つわけもないのだが、なぜ、今、自分がやるんだろう?

 思えば、私は、現在集う教会には、小学4年生の頃から集っている、生粋の教会っ子だ。なのに、今まで一度も証をする任を受けていない。昔、バンコクで数名を前にいきなり指名されて、何か喋った記憶はかすかにあるが、公の場で正式に話すのは今度が初めてになる。
 何を話そうかなあと思いながら、日曜に会ったクリスチャンママ友らに、証のことを尋ねたら、彼女たちは口を揃えて、「今まで2-3回(証の当番が)廻ってきた」と言った。びっくりした・・・!何回も任命される人がいる一方で、私、ゼロって、どういうこと?

 やっぱり、自分は教会の人っぽくないんだよなあ、と思って、教会からお前はダメなやつ、と審判を下されたような気がした。今回証しをすることになったのは、やっと人前で証し(=話)する資格を取れた、ってことなんだろうか。

ちぇーっ。

 やさぐれそうになった瞬間、いや、待てよ、と思った。
証するという行為は人前に出る行為だから、逆に言うと、今日まで神様が人(大衆)から、守ってくれたのかもしれない。だって、私、神様に愛されているし、もしかしたら、神様の秘蔵っ子?と、勝手な妄想を膨らませた。

しかし、わからぬ。いったい何を話すと、証になるだろうか。
そもそも、神様を信じている私ではあるが、証をしていいのかどうかも、よくわからない。

主人には「変なこと言わないようにしろ」と釘をさされた。
なかなか的を得ている。さすが、私の伴侶。

私はこの人と会ったことで、人生が変わった。
彼との出会いで、自分の信仰生活がハッピーエンドになった。(注意:仮に今日が生涯最後の日だった場合)

(つづく)