結婚記念日

昨日は結婚記念日だった。
今朝、娘が起床してリビングにくるなり、「昨日のパーティーは楽しかったね」とうれしそうに微笑む姿にドキリとした。

家族三人の食事は、わが家のいつもの風景なのに、シャンパンとケーキのせいか、珍しいクリスマスナプキンを用意したのが良かったのか、娘は昨日の小さな会をイベントとして喜んでくれていた。
わが家は大家族じゃない。両親に子供一人と、核家族である。

たまに、そのことが、娘に申し訳ない気持ちでいっぱいになるのだが、それでも、このささやかな家族の空間を喜んでくれていることが、親としてありがたかった。

(夕方一生懸命、黙々と娘が絵をかいていたのは、私たちの結婚記念日のためだった)

が、昨日は大変だった。
私は仕事の合間に、25日のクリスマス会の買い出しに制限時間50分、と気が急いだせいで、電動自転車でひとり、すっころんだ。大して気にせず、シャンパンを飲み、お風呂に入ったら、足がズキズキ痛み出し、普通に歩けなくなってしまい、捻挫と判明した。


(クリスマス会で頭がいっぱいで、結婚記念日の余裕など全くなかったが、夫がケーキとシャンパンを買って早めに帰ると連絡してきたので、急遽、ボルシチをつくった)

このままだと25日歩けないよ…

ベッドに丸まるようにして横になっていたら、夫が氷嚢をもってきてくれ、布団をめくって足にくくりつけてくれた。

「ああ、結婚して、よかった……。」

人は弱っているとき、本当に誰かの優しさに心安らぐものである。

明日は、泣いても笑っても、クリスマス本番。

さっき集計したら、43人だった。
ドタキャンもあるだろうが、とにもかくにも、この企画が良かったのか、そうでなかったのか、結果は明日わかる。
あとはともかく、やりきるしかないのである。

あと一週間でクリスマス


気づけば、来週末で仕事納め。
今年もあっという間に一年が終わる。

娘が日曜から熱がぶり返し、今月は半分くらい休んだ気がする。仕事は多いし、毎日なにかとせわしく、悲しくなる出来事も多いが、夫は言う。

事実は一つ。それをどう捉えて歩むか?

与えられている家族や、仕事をサポートしてくれる優秀な同僚、祈りあえる友がいる事実の方に、もっと敏感になりたい。

暗闇でなく、光を見て、前に歩もう!

来週のクリスマス、子どものための、大人のためのクリスマス会を代官山で、日中やることになった。会社は休ませていただく。

自宅だと人数制限があるから、思い切って一軒家を借りた。

たくさん集客したいわけじゃなく、必要な人が利用できればいいと今回はこういう形にした。

たいせつなきみへ、クリスマスの愛

主役は子どもだが、大人も来てもいい。独身だって歓迎だ。聖書を知らない人も、知ってる人も来られたらいいと思う。だって、クリスマスはイエスキリストの誕生日会だから。

もしこれを見て、行ってみたいなという方がいたら、どなたでも歓迎します。

お子さんだけ預かるのも受付します。興味がある方はお問い合わせください。

高校生ガールズトーク?!

女子二人でソファに座り、寛いでいる。突然Aが、Bに真剣な顔を向けて話を切り出した。

A「いや、マジ、これ、ホントのことなんだけど、言っていい?」

B(えっ、突然、何の話?!何かうわさ話?!どきどきどき・・・) 「うん、いいよ」

A「Bといると落ち着く・・・」

B「なんで?」

A「私、ふつう、みんなといると、興奮しちゃって、ワクワクして、わああっって、たまんなくなっ
  ちゃうんだよね。(=感情が爆発しちゃうんだよね)だけど、Bといると落ち着くんだよね」

B「ふうん。落ち着かないときは、いつでもおいで。いつでもうちの家にきていいよ」

これ、女子高生の会話に聞こえるけど、小学二年生の会話だ。

まだまだ何も分からない子どもだと思っていたけど、親の知らないところで、いつの間にか、子どもは子どもなりに、この社会を歩み始めている。自分とは何かを考え、自分とは異なる友だちを受け入れる姿を見て、社会を生きることについて考えさせられた。

これから、彼女たちは数えきれない多くと出会う。
残念ながら日本の社会はおせじにも、あたたかいと言えない。
その人が、ただ存在するだけでいいのだ、と実感させてくれる体験をすることは、極めて少ない。

この子たちが、これから長い学生生活を送る上で、一人一人がありのままで実は神さまから受け入れられ、愛されている、ということが聖書には書かれている。この事実を知ってもらいたい、と切に思う。

最悪は最善

娘がインフルエンザになった。最悪だ。先週金曜に、第2回予防接種を受けていたら、インフルエンザは防げたかもしれない。金曜に病院へ行かなかったことは、最悪だった。

でも、神さまの目から見たら、これは最善というだろう。

なぜかって?

その日、私が予定を変えたのは、娘のお友だちが、娘と遊びたがったからなのだが、それが縁で、結局、二人はその夜、近所の教会のバイブルクラスに行くことになったばかりでなく、その母と妹まで参加したからだ。

ほんとうにびっくりした。
なぜかというと、私の計画に全くなかったからである。加えて、当初、娘のお友だちがバイブルクラスに行きたい、と言い出した時、その母は夜遅いからと反対した。それなのに、実際に教会に来た母が、楽しそう・・・と言って、中へ入っていく。私の方がアタフタと後をついていったくらいで、帰っていいんだよ、と促したが、最後まで居た。おまけに連れてきた妹まで、バイブルクラスに入れた。
私は待っている間に図らずも神さまの説明をした。母はまったく聖書のことを知らなかった。こういう時、私はその話を特にしたいというわけではないのだが、する羽目になった。終わったら、「来週もまたぜったいに来たい!」と言って、娘の友だちが帰っていった。びっくりした夜だった。

この金曜の選択を、神さまの目から見たら、最善だ。親の目から見たら、最悪だ。くどいけど、そのせいでインフルになった可能性があるから。
でも、親である私は、神さまを信じている(つもりな)ので、この日のことは「良かった!」と思っている。

娘がインフルになったけど、神さまを紹介できた。その喜び?に比べたら、病気は大した犠牲じゃない。だけど、この病気が一過性の治るものだから、私はそのように言い切れる。もしそうでない類の病気だったら、はたしてそのように喜べるか?
私のような我の強い人間が、「自分ファースト」でなく、「神さまファースト」にするのは、けして簡単なことじゃない。私は気づけば無意識に、そのはざまで常に揺れ動いている。