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言いたくない、家族のこと。私の「どうすればよかったか?」(5)

介護の話、続きです。

怒っても、罪を犯してはなりません。
日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。
悪魔に機会を与えないようにしなさい。

(エペソ人への手紙4章26節―27節)


怒りの問題について、教会でカウンセリングを受けることになった。

牧師はまず、私の自己開示が不可欠、と説明した。
曲がりなりにも、カウンセラーなので、意図は知っている。

ここでは、信仰を隠さなくていい。
真理について、深く深く語り合う場に、私は飢えていた。

教会のカウンセリングだからって、それがいいとは限らない。
ここで万事解決とは、思わなかった。

たとえ、牧師が関わってくれるにしても、
一つの機会に過ぎないとも思っていた。

だが、抜きん出て素晴らしいことは、祈りが加わることだ。


祈っています

もし、あなたがたのふたりが、どんな事でも、
地上で心を一つにして祈るなら、
天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。

ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、
わたしもその中にいるからです
(マタイ18:19,20)

あなたは、祈ったことがあるだろうか?

私は「日本人は無神論者だけど、危機に直面すると、とっさに祈る」という話が忘れられない。

例えば、家族が事故にあった、という知らせを受けたら、
(ああ、神様助けてください)と祈りながら、病院へ向かうだろう。

子供が病気になれば、
(ああ、神様助けてください)と祈りながら、看病するだろう。


かようにして、どの神様に頼んでいるかも分からずに、
私たちは天に向かって、祈らずにいられない。
私は、人とは、そういうものだと思っている。


聖書は、その神とは、わたし、だと言っている。

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それで、あなたがたのふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら…かなえてくださいます」と、ある。


祈りは、目に見えない、きわめて地味な行為だが、実のところ、私はこれが、非常に難解だ、と思っている。


「汝の敵を愛せよ」

は、有名だ。

嫌いな人のために、その人の幸いを祈れ

と聖書は説く。

おまけに、人生の主導権をあなたではなく、わたし(神)に委ねよ。とも説く。


どれも、難しくないですか?
目に見えない神を信じること。日本や世界に、神はごまんといること。
なぜ、その中でイエスキリスト?

で、どうして、嫌いな人の幸いを祈る?祈りたくない。
ある程度、自分で人生をコントロールして、どうしてもうまくいかないときだけ神に頼りたい。

多くの人はそう思うのではなかろうか。



あれこれ書いたが、本題に戻る。
私は、この祈りについても、あれやこれや、長年、疑問を抱えていた。

その悩みは次の章で、書くことにする。

by桜子


言いたくない、家族のこと。私の「どうすればよかったか?」(4)

介護の話、続きです。


私の燃える怒り

時は前後するが、私は父との意見の相違に際し、
次第に、よく怒るようになった。

実家へ行くたび、感情が激しく揺さぶられた。

父の漕ぐ船で、船員が溺れ始めている。
私が助けなくては!
そんな心の葛藤は、これまで述べてきた通りだ。

私は、怒りが何も生み出さないことを知っている。
だが、怒らないーーこれだけのことが、出来ずにいた。


「これから実家へ行きます。どうか怒りませんように」

どんなに努力しても、祈っても、9割方、怒っていた。



「お前はこんなに怒る性格だったっけ?」

父が他人事のように呆れて私を見た。
が、私もまた、そんな父の鈍感さに呆れて父を見た。


さて、この怒りについてーー聖書は何と書いているだろうか?

御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 柔和、自制…
(ガラテヤ5:22)


神を信じると、イエスキリストの御霊が、私たちに宿るようになる。
つまり、いつも(御霊に)満たされていると、「愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制」がある…。


私は、まったく逆で、満たされていなかった。

話しは飛ぶが、私はそれ以外の場でも、感情を乱すことが日常で多くあった。
仕事、家庭、育児…。
私は自分の家はとてもうまくいっている、と信じていた。
だが、夫や娘は私に不満があり、我慢しているような様子が多々見られた。
この時と並行して、どうやら私の存在が、夫や娘を困らせている、と気がついた。


それは、あたかも、実家の父の姿と私が重なるかのようだった。

”本人は気がつかないけど、家族が困らされている”ーーそんな構図が、私の家にある!


これに気づいた時、大変なショックであった。



私はどうして、こんなに怒るのか?

もし自分が裸の王様であるとしたら、それは大変なことだ。
なんとか、しなければならない。


教会で偶然、牧師とすれ違った。
去年の夏だ。

私は彼と話したことが、殆どなかった。
だが、思い切って声をかけるなら、今だ!と思った。

「すみません、聖書的カウンセリングというのを知って、私、受けてみたいんですけど」


それは、聖書を土台にカウンセリングするプログラムで、私はそれを、受けてみたいと考えた。
奇しくも、友人がカウンセラーをしていた。
だから、私は誰かが、私と相手してくれたらいいな、と考えていた。


だが、間髪入れず返ってきた答えは、とんでもないものだった。

「いいですよ。私がやりましょう。」


あっさり言う牧師に、私は目を丸くした。




by桜子

言いたくない、家族のこと。私の「どうすればよかったか?」(3)


介護の話、続きです。

2年が過ぎ、初めて父が母を別の病院へ連れて行った。
診断された名前が違った。パーキンソン病と言われていた母は、


「パーキンソン病とレビー小体型認知症の合併症」
これまでと違う薬が処方された。




主治医の見立ては、誤っていた。


薬が変わると、母は回復した。
しだいに会話がハッキリしてきた。体重も栄養剤で35から45キロへ増加した。


お母さん本当は、どうしたいの?ーー

「そうねえ。他愛ないこと…。お茶飲んだり、おしゃべりすると、やっぱり楽しいじゃない?」


彼女がゆっくり本音を吐露するとき、決まって父はそこに居なかった。
私は母を助けたい、といつも思い、いつも生活を変えたくて仕方なかった。

でも何も変わらなかった。
日が経てば経つほど、実家に対して鈍感であれ、鈍痛であれ、と心に念じた。
祈りだけは欠かさずにいたが、夏の、最も注意を要する時でさえ、実家には行かなかった。


秋になった。昨年の話だ。

久しぶりに実家へ行くと、母の部屋に父の布団が敷かれていた。
父は、自室で寝ていたはずだが、変わっていた。
閉まっている父の部屋の襖を開けると、寝床を敷く場所がなくなっていた。

高齢者のゴミ問題が取り上げられている名著(上記の写真を押すと別ウィンドウが開き、詳細を確認できます)。私としては、非常にお薦めです!

この本はこんな内容
 *高齢になってゴミ分別する工程が、日本の高齢者にどれだけ負担をかけているか。

<ゴミ捨てで起こる問題>
・何曜日が燃えるゴミ?
・何曜日がプラスチック?
・どれがプラスチックで、どれが資源ごみ?


繰り返すが、父は平日仕事へ出かけ、自らも難病で病院通いがあり、母が介護4で、介護サービスなし。
例えば牛乳を飲むと以下の5工程が発生していた。

紙パックを①はさみで分解→②洗う→③乾かす→④保管→⑤ゴミの日に出す


「それは余裕がある人がやることで、うちはそれ、やらなくていい!」と私は叫びたかった。



話を戻す。

結論から言うと、親の家は、本書で取り上げられる写真までにはなっていなかった。
が、そうなるのも時間の問題だと思った。




(片づけたい、片づけたい)

私は実家に行くたびに、かさばるタッパーやお皿を一つ、二つと持って帰った。
「そんなことをしても、何にもならない」と夫は言ったが、
私は1ミリでも綺麗にしたかった。

しかしこれもまた、取ると父が気がついた。
次第に私が来ると、父は「勝手に物を持って帰るなよ」と警戒した。

by桜子

言いたくない、家族のこと。私の「どうすればよかったか?」(2)

介護の話、続きです。

「どうしてこうなったのか?」

父には、父の物語がある。彼なりの考えがあったとは思う。
だから、読者の方には、少し差し引いて読んでいただけたら、と思う。
家族の問題は、外から見えるほど単純ではない。

だが、私は苦しかった。
私しか、この惨状を知らない。
命を預かっているような責任が重く肩にのしかかったた。
母の生活が下降線をたどるのは、最初から分かっていた。

いつか、父や母のどちらかが亡くなると、この惨事は終わるのか。
それまで見ているだけしか、出来ないのか。
私は神に祈っていたが、落ちていく親を傍観するのが自分の仕事とは、とても思えなかった。


数年が経過して、私は次第に、一つの答えにたどり着いた。



親子の間にある「境界線」


人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うべきである。
(ガラテヤ人への手紙 6:5)

ひとりひとりが重荷を背負い、生きている。

そして、母と父は、二人で一つ。




「だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。
従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」
(マタイによる福音書 19:6 新共同訳)


聖書に照らし合わせると、母をどうしようが、父の自由。
そして、病の母もまた、彼と結婚した責務があった。

二人のどちらかが、「助けて」と言ってこない限り、家族と言えども手出しが出来ない。

そのような答えを見出し、静観する覚悟が出来たのは、去年のことだったのか。
いや、一昨年であったろうか。

何度も離れては、過去、私はあらゆる方法を試みていた。

・行政、ケアマネージャー、親戚、クリスチャン

誰を介せば、母を助けられるのか。書籍も読んだ。
だが、どれもうまくいかなかった。

わが家に関わる人は誰もいなかった。





「家族の問題だから」

皆、口々にそう言った。
もし私が単身だったら?そう思うとゾッとした。

神の狙いは何か?父はなぜ、こんな暮らしを続けるのか。
母を愛しているのはよく分かる。
だが、父は母が第一と言いながら、仕事を辞めず、母を一人にする。

この人は一体どういう人なんだろう…。
ーー私は初めて、父親を一人の人間として捉え、考え直し始めていた。

そして、冒頭に戻る。
境界線ーー可哀相でも、二人の歩む道を、私はただ、黙って祈るしかないと思わされていた。


つかず離れずで、遠くから見守る


夫に、何度もそういわれた。

だが、この、距離を保つことが、私の場合、とてもとても難しかった。
父がどれくらい「助けて」と言わないか、については、慶應の医者が<下記で>証言した通りである。




2年が過ぎ、初めて父が母を別の病院へ連れて行った。
診断された名前が違った。パーキンソン病と言われていた母は、



「パーキンソン病とレビー小体型認知症の合併症」
これまでと違う薬が処方された。



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by桜子

言いたくない、家族のこと。私の「どうすればよかったか?」(1)

ざっくりいうと、私はこの3年余、父との考え方の違いに長く悩んでいた。
パーキンソン病と診断された母の、医療と介護の問題である。



診断当時、私と夫は、母は「レビー小体型認知症ではないか」と疑った。
父に何度もセカンドオピニオンを薦めたが、そうしなかった。
介護サービスも、「様子を見て」と繰り返し、利用せずに生活が続いた。

当時、父は仕事をしていた。
つまり、母は日中、家にひとりでいた。
母は次第に気力を失い、口元に食事や水を持ってこないと食べないようになった。

父は母の状態を認めたがらなかった。
「あなたが食べないと、俺が(娘に)責められるんだぞ」と母に何度も大声で言った。
母はいつも、黙っていた。
いま振り返ると、それは父の不安や叫びだったかもしれない。

看護婦の友人が、実家を訪問し「脱水症」と言った。
冬なのに脱水症になる。それを初めて知った。


「こんな生活はおかしい」と父に叫んだ。しかし、ことごとく玉砕した。
1年が過ぎ、母は35キロになった。

(亡くなるのが御心なら、早く天に引き上げてください)

何度もそう祈った。だが、頭でそう考えても、身体は弱い。
私はどうすればよかったか?
ーー毎晩3時にグルグルと脳内が動き出して寝ながら考え、朝は泥のように起きた。
そんな日々が続いて、夫が進言した。「実家と距離を少し置いた方がいい」



映画「どうすればよかったか?」をご存じだろうか。


統合失調症の姉を持った弟、藤野知明さんが2024年12月に家族の映像を公開した、ドキュメンタリーだ。
・公式サイトはこちら https://dosureba.com/



「どうしてこうなったのか?」

父には、父の物語がある。彼なりの考えがあったとは思う。
だから、読者の方には、少し差し引いて読んでいただけたら、と思う。
家族の問題は、外から見えるほど単純ではない。

だが、私は苦しかった。
私しか、この惨状を知らない。
命を預かっているような責任が重く肩にのしかかったた。
母の生活が下降線をたどるのは、最初から分かっていた。

いつか、父や母のどちらかが亡くなると、この惨事は終わるのか。
それまで見ているだけしか、出来ないのか。
私は神に祈っていたが、落ちていく親を傍観するのが自分の仕事とは、とても思えなかった。



数年が経過して、私は次第に、一つの答えにたどり着いた。


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by桜子

■私のこれまで


two adult women beside each other

怒涛の介護生活は突然に!

今年初の、ブログ投稿である。

昨年の今頃、私はニュージーランド(以下、NZと略)にいた。
家を失い、7回も住まいを求めて移動し、心底苦しい生活を営んだ。
30年NZ在住の人から、「本、出せるんじゃない?」
と言われるほど、ムチャクチャ奇想天外な日々だった。
Season2:ニュージーランドの家探し~短期移住9 | VIVA!桜子の超気まま渋谷日記since2003 (sakurako.cc)


それで、帰国したら安住の暮らしになるかと思いきや、わが家では密かに様々な試練が与えられていた。主たるものは、「両親」である。
NZ滞在中、私の両親が、それぞれ難病に罹患、義母と母がほぼ同時に大腿骨頸部骨折。
主人と私は、発症時に何かがあると、多忙を極めた。

しかし神は恵みも与えてくれ、
特に要介護3と診断された義母が、退院後、独居生活にもかかわらず、1週間に3回も機能訓練の送迎を受け、そこで友達をたくさん作り、健やかに、一人暮らしを続けている点である。

私達はむろん、うちに来るか?という話もしたが、今はいい、ということであった。

一方、非常に緊急なのは、母である。
父による老々介護を受けていたが、みるみる悪化、昨年末はわが家にちょっと連れてきたが、状態があまりにひどく、予期せぬ介護がスタート。しかし私が、慣れぬ世話と母の状況の酷さに狼狽し、ダウン。
父と私の介護方針は全く折り合わず、従って悩みに悩んだ末、母を父のもとに1月戻す。
が、やはりさらに悪化。母の死を覚悟で父に戻したが、まだ生命力あり。
先週金曜、小規模多機能の施設を見学したが、そこに入りたがらない母を見て、結局、またもや無計画にわが家に連れてくる選択をし、介護生活再スタート。現在要介護2か3の疑いあり。


詳細は割愛するが、現在、行政支援から漏れており、わが家・・・火の車状態

行政の支援を受けるまで、あと何日待てばいい?
主治医にレスパイト入院を相談したが、断られた。
正しい医療に結び付けたい。

母は現在、わが家にいるのも、私たちに苦労をかけ、申し訳ないと萎れる。
しかし、わが家の暮らしは気に入っているようにも見える。
なぜなら、私が日中そばにいれば、母の友達とビデオ通話させたり、水分や食事補助ができるから。

というわけで、
もしも、このブログを読んで、5分でも母と話せるよ!っていう人がいたら、私か母に電話ください!
(電源オンにしました。※オフになっていたので)


また、うちに来て、母とお茶したり、お話できる~っていう方がいたら、
わが家、散らかってますが、いらしてください。(その間、私、仕事させて頂きます💦)
ともかく、行政の支援を受けるまであと2、3週間を乗り切るのが課題だ。

私は母を横において、仕事できるときはするし、
できないときは、夜に仕事をするってことで、上司の理解も得られたので、毎日祈りながらやってみます!

追伸:①本日は15時~17時は外出なり
   ②余裕がなくSNSこまめにできず、不義理もあります💦どうかご容赦ください💦💦
   

神はすべてのことを働かせて益としてくださる(聖書)

by桜子

♯介護 ♯難病 ♯にぎやかな暮らし ♯仕事と育児と介護の両立