世界一高いホテルエベレストビュー創設者宮原巍さんへ捧ぐ

 

ヒマラヤ山脈の世界最高峰エベレストを眺めながら、暖かい布団に包まって眠れるホテルがある。ダイナースの会員誌「シグネチャー」で、伊集院静が紹介してもおかしくないこの希少なホテルは、ネパールにある唯一無二のホテルで、名を「ホテルエベレストビュー」という。その名の通り、各部屋のガラス窓から、美しいエベレストの山を拝むことができ、その景色は忘れられない。 

 きっとこんな宿は、登山タレントイモトの新婚旅行先に相応しい。けれど、彼女はすでに泊ったかもしれない。わが叔父、天国じじいがここを紹介しないわけがないとも思う。なぜなら私こそ、20年前、叔父にここへ連れてきてもらったのだ。
 そのありがたみが、今になってよくわかる。当時は、大晦日。叔父とホテル創設者の宮原巍(たかし)さんと一緒にダイニングで年を越し、新年は静かな山で快晴の空のもと、エベレストを仰いでいた。

 先般、叔父から宮原氏昇天の知らせを受け、私は一日、その懐かしい日々を思い出していた。
宮原さんの著書(ヒマラヤの灯―ホテル・エベレスト・ビューを建てる– 1982/10)には、彼がどんな思いで、異国の地にホテル建設を試みたか書かれているが、当時、若かった私はそこへの質問をしなかった。ビジネスに興味を持つようになったのは、30代からで、当時はもっぱら自分が人にどう見られるかが、最大の関心であった。私はこの、稀有な地に足を運びながらも、この高所で(心拍数が上がるから)自分はどれくらい痩せられるか、ということを気にしていた。

「な、情けなか・・・。」という母の声がどこかから、聞こえてきそうである。

 しかし、その情けなさと、世界一の高い山との対比が、仕事を終えて帰る途中の私を、むくむくと勇気づけた。

 考えてみたら、すごいことじゃないか。
 若い時分でよくエベレストまで行ったよ!叔父が登山家とはいえ、親戚の中で連れて行ってもらったことがあるのは、いまだに私ただ一人だけ。誰もがこういう幸運に恵まれるわけじゃない。
 ヘリコプターだって、乗車費は相当高いと聞いている。叔父が払った姿を見た覚えはないが、宿泊代にしても、叔父がどこかで負担してくれたからこそ、行けたに違いない。叔父は、救急の資格も持っていて、道中は、私の高山病を防ぐために、登山の折々で、私の指を取って脈を図り、私を運んでくれた。家族だからあたりまえだけど、考えてみれば、フツーじゃない。

 そういう素晴らしい経験を、平凡な私に頂いていた、というこの事実。

 世間は言う。努力すれば報われる。人一倍努力すれば、他人より良い景色が見られる、と。
 でも、当時の私は、何か努力したわけじゃない。TOEICで900点取ったわけでもなく、仕事を頑張ったわけでも、心が清かったわけでもないのに、神さまは世界最高峰を私に見せたのだ。

 そういうことを考えていると、これからも、ありのままでいけ!と思えた。

 最近、何の刺激もない単調な暮らしに少し考えることが多かった。でも、昔を思い出していたら、今のまま生きていても、近い未来に、エベレストと再び出会える気がした。

   「したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」(ローマ人への手紙 9章16節)
   「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。」(ヨブ記 1章21節)

   

 そう考えていくと、いろんな思い煩いが飛んでいく。

 天国じじい、宮原さん、昔の思い出をありがとう。 

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