カテゴリー別アーカイブ: 渋谷子育て

学童のお弁当づくり

長年、夏休みの学童用お弁当作りと無縁の私。
「うちの子は学童好きですねー!」という同僚もいるが、わが子は上級生が睨んでくる~(><)と一年から行き渋り、無理やり行かせられなかった。それが、自身も中学年となって、学童へ行くと急に言ってきたため、私は慌ててお弁当を作った。
ふだん作らないから、張り切った。いわゆるキャラ弁もどきを用意し、お昼が少しでも楽しくなればという親心で送り出した。

そうして夕方に子供が帰宅してきたところ、
「ママ、学童楽しかった!」
と言い、

「ママ、お弁当ありがとう!嬉しくって、食べるのがもったいなくて、苦手なものが入っていたけど完食した〜!!あれ、インスタ(写真)撮った?!」
とひどく喜んでいる。

「いや、作るのに忙しくて、それどころじゃなかったよ…。そんなに喜ぶなら撮っておけばよかったね…。」
(※一度きりよ、と作ったので再現できず)


以来、娘が学童へ行くというので、私はお弁当作りに精を出しては写真を撮った。

超力作!しかし写真がうまく撮れず、涙。
おそうめん弁当。つゆは別添え。

おにぎり弁当。

回を重ねることに手抜きになっていくが、ラップに、LOVEと書いただけで、子供は「うれしかったよー!」と、帰ってきたので、正直、かなり驚いた。

親が子供をLOVEなのは当たり前なのだけど…!

というのが、私の内心だったが、分かっているだろうと簡略せず、子供の眼を見て、何度も何度も愛してるよ、というのは、子供の成長にとって、とっても大切なんだろうな、と改めて思わされた。

私たちも生きている限り、愛を希求しているものね…。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。
(イザヤ43:4)

美味!エジプトのスープ、ムルキーヤ

カード雑誌の8月号に紹介されていた世界スープ、ムルキーヤを見て、美味しそう!と思った私。

材料はモロヘイヤ、鶏胸肉、スパイス、レモン、と簡単そうで、夏にピッタリな予感。

作ってみたら、とってもエスニックな味わいで、家族にも好評だった。もっとも娘は、私たち夫婦の、うーん!エジプトっぽい!!という、感嘆ぶりに、美味しいと言わされた感はあるが。

ムルキーヤは、ごはんにかけたり、パンをちぎって浸して食べるそう。朝でも、夜でも、ハレになる一品。ぜひ、お試しあれ!

私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。
13 また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。(伝道者の書3:12.13)

猛暑8月スタート!

ミーンミンミンミンミンミー・・・セミのけたたましい声が朝から響く。
マンションの住民が、階下でハーレーダビッドソンの轟音を吹かす。
だが今朝、私にとっての最大の騒音は、娘のうめき声だった。

うぅっ・・・!うー、うー!!!

かなり長いこと呻くので、夫が彼女に声をかけた。
だが、意識があるのかないのか彼女は苦しみ続け、いったん私が起き上がってお手洗いに行くと、本人も同じように起きて、唸りながらお手洗いへ来た。
時計を見るとまだ5時なので、寝るよう促すと、また眠った。

だが再び、起きる頃に長いこと、唸っていた。
いったい何に苦しんでいるのだろう。あれか、これか。


7月半ば、私は人生何度目かという試練に見舞われ、ドラマになるほど連日何かの事件が起こって、自律する訓練に襲われた。
心が痛くなると、食欲は失せ、お腹はみるみる、ぺったんこになっていった。
このままじゃ死ぬ、と思って、一生懸命食べた。


主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。・・・
彼がえにしだの木の下で横になって眠っていると、
ひとりの御使いが彼にさわって、「起きて、食べなさい。」と言った。

彼は見た。すると、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、
水のはいったつぼがあった。彼はそれを食べ、そして飲んで、また横になった。
それから、主の使いがもう一度戻って来て、彼にさわり、
「起きて、食べなさい。旅はまだ遠いのだから。」と言った。
(列王記第一19:5-7)



今日から八月になった。
暑い夏が、31日続く。私の人生もまだ続きそうだ。

生き恥をさらすブログ

「文は人なりだ。自分の書いた文章には必ず自分が出ている。(精神科医きたやまおさむ「自己分析のために書く」/日経新聞夕刊より)

 土曜の朝、私は母に子育ての悩みで連絡をした。私は珍しく弱っており、涙ながらだった。夫は仕事で出かけており、話す暇がなかった。
 母は、私の様子を察し、なんとか私に寄り添おうと、忍耐強く私の話を聞いていたが、結局、母が放った言葉で印象に残ったのは、これだけだった。

「あなたのブログ読んでいると、“自分”、“自分”、がすごく多い。それと“仕事をしているっていう話”、あと、“親とは”。」

 母が言わんとしたことは、「もっと自然に出来たらいいのに。(神さまを信じて)生まれ変わったんでしょ。肩の荷を下ろして!」というエールだったが、私は批難されている、と感じた。特に、ブログで、自分が多いという指摘は、ブログの性質上、仕方ないじゃないか、と思った。冒頭に書いた通り、文は人なり、だ。ブログで私は毎回まさに、生き恥さらして書いている。


 午後、うちに遊びに来たママ友にこの話をしたら、
「すごいね、しっかり(ブログを)読んでくれているんだね!」

と、違う所に驚いていた。いや、そこに反応するんじゃなくて、私と一緒に憤慨してほしかった・・・。


 確かにブログなんて一利なしだよな、とブログの全削除をすべきか、以前にも悩んだことを蒸し返しそうになったが、日曜夜、偶然入手した小説家・三浦綾子のメモリアル冊子を見て、それは少し先延ばしにすることにした。


 私ね、自分が思っているよりも、神さまははるかに素晴らしく、その人をつくってくださっていると思うの。そのことにいつ気がつくかなのよ。 
三浦綾子「銀色のあしあと」(いのちのことば社より)


 生き恥をさらしているが、「わたしの目にはあなたは高価で尊い」と、聖書に書いてある。
私に文才なく、学もないが、神さまの目から見たら、「でもあなたは尊い」から、書いていいよ、と言われている気がした。
 というわけで、今日も、私は“私”をつづる。
こんな駄文でも、たまには読んでいいな、という方がいたらぜひ、メルアド登録のお願いに、ご協力ください。


by桜子

新潟の姉妹からの写真

日曜夜、東大院卒の塾長から電話

  日曜の夜、私の携帯に知らない人からの電話が鳴った。ふだんなら出ない。
が、夜21時に「03」から始まる番号には、緊急事態を感じた。何事かとこわごわ出たら、某進学塾の塾長だった。「前にお問合せを頂きましたよね?」と相手は言うが、1年以上も前だ。

 これは一体どういう了見か、と応答していたら話題は小学校の話に及んでいった。
 
 ちょうど夫婦でこの日は「小学校へ行く子供のメリット」について、真面目に話し合っていた所だった。このあり得ないタイミングに神さまの働きを覚え、私は神さまがこの人を遣わした、と感動して、思わず携帯をスピーカーオンにし、彼の見解を夫婦で聞くことにした。
 というのも、実の所、私たちは、学校に行くメリットを挙げられないでいたからだ。
 
 東大院卒の塾長は、受験戦争に挑む親からすれば、憧れの東大卒だ。「私は時給30万」と電話口で豪語する彼の「小学校へ行くメリット」に、耳を傾けた。黙っていたら、ギャフンとする回答がたくさん帰ってきた。


「学校はね、行く意味なんて、ないですよ。第一ね、先生方なんて、私らより、偏差値低いんです。そんな人たちに勉強教えてもらったって、面白いわけないでしょ!」

 ズコッ。なるほど…。教育に大事なことは偏差値の高さだけではないが、彼は、自論を次々に展開した。

「学校は“集団行動を身に着ける場”、しいて言うと、それです。それ以外はね、ないです。」
「学校の授業がつまらない、それは当然です。」
「学校では先生のために頑張るふりをする。寝たまま授業を聞いているふりをする。勉強は塾で学ぶ。学校は体力を温存するところ。」
「学校は、感情をシャットダウンするスキルを学ぶ場なんです」


要するに、小学校とは、世の不条理を学ぶ場、ということであった。

うーむ、そうかあ…。


結局彼の話は夜22時まで及んだ。おまけに、その電話は私がやんわり促して、やっと切ってくれた。先方は自身の熱弁にハッとして、こんな時間まですみません、と謝ってくださったが、「彼は何か病気なのかな」と、私は切った後、夫に言った。

夫は私の電話応答を聞き、目を白黒しながら、「しかし、どうして日曜の夜に人の奥さんに電話をかけてくるんだろうね?」と言い、「結局あれだよね、東大院率でも幸せとは限らない。そういうことが分かったのかもね…」と言った。

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
それは、こう書いてあるからです。
「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」

知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。
この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。

事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。
それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。
(聖書)

皆様、良い週末を!

NHK夜7時のニュースを観なくなった件

テレビが好き、と昨日書いたが、日中のテレビを観ることが、本当に減った。
夜7時だけは唯一、娘と私の食卓用BGMにNHKをつけていた。が、最近つけるのをやめた。

「どうせ、暗いニュースだけだし、観てもしょうがない、やめよう」
と、子どもが言う。

確かに惰性でつけていた。本当にそうだね、と私も気づかされた。特に、コロナの感染が始まってから、トップニュースは一日の感染状況と政治家たちの話で、飲食店のインタビューも、届く話は暗い情報ばかり。加えて、東京オリンピックでさえも、空しい報道ばかりが重なって、聞けば聞くほど、矛盾をはらんだ開催は、沈みゆく日本の船の象徴のようである。私たち親子が、一日の終わりに聞くニュースとしては、かなり萎える。


「どうして、もっと明るいニュースがないの?」


子どもが投げかける言葉は、時として、本質を突く。


「ほんとだね、どうしてだろうね」


私は娘にそう応えるが、「それだと、世間が収まらないからだよ」と、心の中で言う。


こういうのは、なんていうのかな、とググってみたら、こんな言葉が見つかった。

「他人の不幸は、蜜の味」

「シャーデンフロイデ」(独: Schadenfreude 他人の不幸を喜ぶ感情)

※人類にとってシャーデンフロイデは、社会を守るために必要な感情だった。
 自分たちよりも不当に得をしてる人を許さない。引きずり下ろす、という行動に喜びを報酬として与えて、促進することが共同体の維持には必要(ロザン×中野信子「シャーデンフロイデは、社会を守るために必要な感情なんです」|特別”高学歴”鼎談|菅広文/中野信子 – 幻冬舎plus (gentosha.jp)


こんな社会に、神さま、Let there be light(光よ。あれ)!

毎日わが子を褒めてますか?

 小学生の娘がいる。私は親たるもの、わが子への評価はすべて控えめであれ、と、人前でわが子を褒めることは殆どしなかった。親バカはみっともない、と思った日本人ならではのメンタリティーゆえである。
 だが3年前の夏、子供キャンプのバスで移動中に、10以上年下の幼稚園先生から、こう説かれた。

「親が、わが子を世界一可愛い!!って言わないで、いったい誰が言うの?!」
「もーっ、たっくさん、可愛い、可愛いって、子どもを褒めて抱きしめてください!」

 私はけっこうビックリして、「え?!そうなの?そんなことしていいの?」と返したが、「当たり前です!」と彼女が胸をはったので、私は方針転換した。

未だにそのことを覚えているので、私にとって、相当衝撃だったのだと思う。

 というのは、今日、娘をぼんやり眺めながら、ある感情が沸き上がったので、その会話を思い出したのだ。


 

 かわいいなあ。

 
 わが子をそう思っている自分にギョッとした。余裕がある自分にも驚いたし、親として人並みに慈しむ気持ちがあることにも感動した。こんな私にも、聖母みたいな感情がちゃんとあるじゃない?
 
 目の前の娘は、まだまだ、小さな顔と細い腕で、まるで人形のよう。そんな子が、毎日、自分の頭で考えて、自分の足で、学校に一人で行く、そう思うと感動した。

・・・。


 無言で見ていると、娘と目が合った。彼女は、なんだ?とでもいう顔をして、無言で私を見るので、ニッっと私は笑った。

(わが子よ、母はお前にみとれていたのだ・・・)

 子供と言えど、よく生きている、と褒めてやりたい。学校は必ずしも楽園ではないからだ。

 時々、自分と娘を比べる。

 私は会社を選んだが、娘は学校を選んでない。
 私は会社が嫌なら辞めればいい。が、娘は嫌でも行かなくてはならない。
 私はお喋りする同僚を何百人から選べるが、娘は僅かばかりのクラスメイトからしか選べない。

 娘の方が、逃げ場がない。そんな世界で、子どもは実によく頑張っている、と私は思う。
 本当に、よくやっている。
 
 

 いつくしみと、まこととを捨ててはならない、それをあなたの首に結び、心の碑にしるせ。
(箴言3:3)


#子猫が欲しいfrom渋谷

Today is #TakeYourDogToWorkDay! 

今日はアメリカで、職場に犬を連れて行っていい日、だそうです。わが家には、連れていく犬も、開かれている職場もなかったですが。(1999年アメリカ動物愛護団体が始めた「職場のストレスが低減する」など広まった“職場に犬を連れていこう”運動)

犬、欲しいですね~。猫、欲しいですね~。
でも、「お願いだから、むやみやたらにペットを買わないで」と、トリマー(ペットの専門美容師)の友人に言われたので、わが家は自粛しています。。

 事の発端は現在、ペットが高値で売れることで、悪質な環境下で動物を繁殖させたり、安易に買う人達が増えていることで、飽きたら捨てる、といった、命の尊さを無視した社会になっていることに、彼女が嘆いていたから。

その話を聞いて、

「それなら、わが家は買わないわ。でも犬や猫が欲しいから、もし保護された犬や猫がいて、貰い手に困ったら、一声かけてね」とお願いしました。でも、あれから、うんとも、すんとも連絡が入ってこず……。

 ちなみに、欲しがっているのは私でなく、娘です。

彼女が、「超」が何個もつくほどの動物好きで、一日一回は近所のペットショップへ足を運んでは、お気に入りの犬や猫に触れ、「〇〇に、癒された~」と、帰宅するたび、騒いでいるので、飼ってあげたくなったのです。
というのも、

「私、もし犬か猫が買えたら、なんでも我慢できるわ」

と言うので、もしかしたら、苦手なアレやコレも、犬や猫がいたら、乗り越えらえるのかな?と考えてしまいました。

神さま、プリーズ!


求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。
(新約聖書マタイ7:7)

ああ、小学校よ、プールはなぜ赤い帽子必須か?

 大人の時間軸と、子どもの時間軸は違う。私の仕事に季節はないが、子どもには四季折々の行事がある。
 日中、私はスタジオ収録(なんと!テレビ番組「情熱大陸」のナレーター窪田等さんとご一緒)で忙しかったが、夜に夕食を食べていると、子供から「明日はプール開き」と言われ、慌てふためく悲惨な夜を過ごした。
 
 何が悲惨だったかというと、「ある」と思っていた赤い水泳帽子がなかった。黒や紫はあるのに!私は子どもが寝静まる時間になって、家中の引き出しや収納ボックスをひっくり返していた。

amazonに発注すればひとポチで済むのに・・・と時計を見たら21時。(さすがにムリ)


 パジャマ姿の娘が、「神様、見つかりますように」と祈る声が背後で聞こえ、(そういえば、祈るの忘れてた。そもそも祈って見つかるっけ?)と、不遜にも思ってしまっていた。明らかに自分の監督不行き届きで、神に祈る後ろめたさがあったせいだろうか。

私はあちこちの引き出しを見ながら、自分を強く責めていた。

仕事は誰にでもできる。だが、この子の母は私だけ。
週末に時間はあった。なのに、どうしてその時にプールの準備をしなかったのか。
愚かな自分に腹が立って仕方なかった。

「誰にでも失敗はあるよ」
「探す時間を決めて、見つからなかったら、もうあきらめたらいいよ。」
「大したことじゃないよ」
「プールを休むことが神さまの御心かも!私、ホントは明日休みたかったの。」
「そんな深刻にならないで。大したことじゃないよ」

これらはすべて、私が必死になっている傍らで、娘が私に投げかけてくれた言葉集だ。
私は上の空で相槌しつつ、どこだろう、とひたすら考え、探し続けていた。
すると、娘がタタタと洗面所へ駆けていったかと思うと、また私の所へ戻ってきて、ニールズヤードのアロマパルス(=リラックス効果のあるアロマ)を、私の耳後ろに、ぬりぬり、と塗りだすではないか!!

そ、そんなに気を遣わないでくれ…


なんだかすべてがイヤになってしまった!私はただ自分が情けなかった。

結局、この責任は夫が拭ってくれた。
23時帰宅した夫が、室内の泥棒に入られたような状態を見て、私の嘆きを聞き、24時間営業のドン・キホーテを見つけ出して2件駆け回ってくれ、「大人用水泳帽子赤」を購入してきてくれた。。(※1件目に帽子はあったが、赤がなかった)

眠い目をこすりながら、赤い帽子にチクチクと苦手な裁縫を施し(amazonにあるような名札付はなかった)、名札を縫いつけた。

「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである」(伝道者の書7:14)