カテゴリー別アーカイブ: 渋谷子育て

代官山から初日の出

久しぶりに渋谷で年越しをした。

都内で迎える新年は、普段できない自宅の書類整理や家事が出来る分、気持ちがすっきりとして、意外と心晴れやかだ。


年末のクリスマス会が忙しく、年始の準備は全く出来なかったが、お正月専用のお椀や御膳のおかげで、元日らしい朝食が完成。


自宅でゆっくり。

午後は夫と二人、セルリアンホテルに出かけ、お箏と尺八の演奏を聴いた。

渋谷スクランブルスクエア(2019年に完成した渋谷の新名所高層ビル)辺りが営業していないか、と夫が言うので、スマホで調べればいいものをわざわざ歩いて出かけた。
案の定、ドアは固く閉まっており、観光客の外国人家族とばかりすれ違った。
今日だけは、静かな渋谷。コツコツコツと足音がよく響く。

「昨夜の渋谷カウントダウン2020、出掛ければ良かったな。すごかったらしいよ」

確かに家から歩いていけば、スクランブル交差点はすぐ着くが、あの寒空の下、渋谷の喧騒を見たいとは全く思わぬ。今年はヒカキンや綾瀬はるかが来て10万人以上の集客だったようだが、夫は出掛けたかった理由に「ラジオのネタ」を挙げていた。彼は一昨年10月から毎週火曜、渋谷ラジオでレギュラー番組を持っている。なんだ、自慢話じゃん、と思われそうだが、これは自慢ではない。なぜなら、(頼まれた)無償活動だからである。

夫は商品開発や経営、日々の勉強など、やるべきタスクがたくさんあるのに、ラジオのことまで考えて生きているのか、大変だなと思った。

そんなことを感じながら、がらんとした歩道を引き返し、代官山蔦屋へ着いた。
ここで、夫とふたり、好きな本を片手にソファで読書三昧。
途中で娘が合流し、娘はばったり会った女友だちとしばらく外を走り回っていた。

悪くない渋谷の正月。家で静かに過ごすのは、案外安らかだ。


私の心は喜び,私のたましいは楽しんでいる。
私の身もまた安らかに住まおう。(詩篇16:9)

#SHIBUYALOVE ♯渋谷で元旦 ♯渋谷で初日の出

仕事納め

今週は一週間、目が廻る忙しさだった。
特に夜は3日連続で会食だった。今日は夫の納会で、私は職場から帰宅すると大急ぎでパーティーセットを整え、夫の会社に向かった。

彼と結婚してから少しづつ社員と距離を縮め、今年になってようやく何でも言えるような関係に(自分では)なれたと思っている。だから、私は今年はまったく遠慮することなく、グラスにワインを注いでもらい、自分の好きなことを大声で話し、娘のことは自主性に任せ(つまり気にせず)、自由気ままに寛いで納会を堪能した。

ふと気づいたときは22時半で、私は疲れて娘を夫に託し、1人で帰宅。何とも、満足な一週間であった。

この一年、自分でいうのもなんだが、非常によく働いた。

特に会社の仕事は我ながら頑張った。
社長は褒めてくれないが、そんなことはどうでもいい、と思えるほど、自分にとっては毎日が学習だった。今、私の業務はプロモーションとマーケティングだが、この領域はけして時短勤務者がやるような業務ではない。なのに、任せてもらっていることにある意味でありがたく感じている。

 1年前、任命された時は何かの手違いか、あるいは嫌がらせか、と社内をかけづりまわって、私を異動させた犯人捜しをしたが、実はやってみると、この領域が自分に合っていた。今の会社に入って初めて仕事が楽しい、と思えるようになった。

話変わるが、
昨日、そんな会社で、偶然、2人の人から別々に話しかけられた。どちらも、普段話さない男性社員である。だが、2人とも同じことを質問してきたのだ。

「最近、(桜子)ブログやってないんですか?」

やってるけど、と思いながら、まだ私のブログを覚えてくれている社員がいることに喜んだ。

「いま、私子育てブログになっているから、面白くないでしょ?」と聞いたら、

「うん。面白くない」と言われた。

じゃあなんで読むのか聞くと、「電車の中で、たまにスマホで見るよ。どうしているかな、と思って」と言われた。

ああ、この人が読者か……。そう思うと、何を書いてあげるのが彼へのハッピーなのだろう?と思い、「どんなこと書いてほしい?」と尋ねた。

「“会社に一人飲んだくれているバカがいる”と書いてくれ」と頼まれた。要は、俺だ、ということらしい。私よりぐっと年齢が上だが、かわいいなあ、と思った。

 で、もう一人の人は、今まで私の突撃インタビューを読んでいたらしく、「すごいですよね。どうやって人脈を作るんですか?」と聞かれた。

 人脈・・・。
 人脈と思ってやってきたことは一度もないが、今でも人脈があるわけじゃないし、最近はインタビュー、もしていない。だが、インタビューリストを眺めるとき、その大半が、幸運だったという一言に尽きる。

 運とは、神さまが支配するものだと、私は聖書によって確信している。
ということは、昨日の偶然は、もしかしたらブログをそろそろ改良したら?と問いかけられた気がするし、また連載についても考えてみたい、と思った。

 来年はいよいよ娘が小学3年生になる。
時短勤務のリミットの上限は、3年生終了時、までだ。しかし仕事は面白くなってきた。

満期を迎える前に、フルタイム勤務に切り替えるか否か、祈ってみよう。

あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め。」と言うことばを聞く。
(イザヤ書30章21節)

♯納会 ♯桜子ブログ ♯リーダーインタビュー ♯時短勤務リミット

結婚記念日

昨日は結婚記念日だった。
今朝、娘が起床してリビングにくるなり、「昨日のパーティーは楽しかったね」とうれしそうに微笑む姿にドキリとした。

家族三人の食事は、わが家のいつもの風景なのに、シャンパンとケーキのせいか、珍しいクリスマスナプキンを用意したのが良かったのか、娘は昨日の小さな会をイベントとして喜んでくれていた。
わが家は大家族じゃない。両親に子供一人と、核家族である。

たまに、そのことが、娘に申し訳ない気持ちでいっぱいになるのだが、それでも、このささやかな家族の空間を喜んでくれていることが、親としてありがたかった。

(夕方一生懸命、黙々と娘が絵をかいていたのは、私たちの結婚記念日のためだった)

が、昨日は大変だった。
私は仕事の合間に、25日のクリスマス会の買い出しに制限時間50分、と気が急いだせいで、電動自転車でひとり、すっころんだ。大して気にせず、シャンパンを飲み、お風呂に入ったら、足がズキズキ痛み出し、普通に歩けなくなってしまい、捻挫と判明した。


(クリスマス会で頭がいっぱいで、結婚記念日の余裕など全くなかったが、夫がケーキとシャンパンを買って早めに帰ると連絡してきたので、急遽、ボルシチをつくった)

このままだと25日歩けないよ…

ベッドに丸まるようにして横になっていたら、夫が氷嚢をもってきてくれ、布団をめくって足にくくりつけてくれた。

「ああ、結婚して、よかった……。」

人は弱っているとき、本当に誰かの優しさに心安らぐものである。

明日は、泣いても笑っても、クリスマス本番。

さっき集計したら、43人だった。
ドタキャンもあるだろうが、とにもかくにも、この企画が良かったのか、そうでなかったのか、結果は明日わかる。
あとはともかく、やりきるしかないのである。

あと一週間でクリスマス


気づけば、来週末で仕事納め。
今年もあっという間に一年が終わる。

娘が日曜から熱がぶり返し、今月は半分くらい休んだ気がする。仕事は多いし、毎日なにかとせわしく、悲しくなる出来事も多いが、夫は言う。

事実は一つ。それをどう捉えて歩むか?

与えられている家族や、仕事をサポートしてくれる優秀な同僚、祈りあえる友がいる事実の方に、もっと敏感になりたい。

暗闇でなく、光を見て、前に歩もう!

来週のクリスマス、子どものための、大人のためのクリスマス会を代官山で、日中やることになった。会社は休ませていただく。

自宅だと人数制限があるから、思い切って一軒家を借りた。

たくさん集客したいわけじゃなく、必要な人が利用できればいいと今回はこういう形にした。

たいせつなきみへ、クリスマスの愛

主役は子どもだが、大人も来てもいい。独身だって歓迎だ。聖書を知らない人も、知ってる人も来られたらいいと思う。だって、クリスマスはイエスキリストの誕生日会だから。

もしこれを見て、行ってみたいなという方がいたら、どなたでも歓迎します。

お子さんだけ預かるのも受付します。興味がある方はお問い合わせください。

高校生ガールズトーク?!

女子二人でソファに座り、寛いでいる。突然Aが、Bに真剣な顔を向けて話を切り出した。

A「いや、マジ、これ、ホントのことなんだけど、言っていい?」

B(えっ、突然、何の話?!何かうわさ話?!どきどきどき・・・) 「うん、いいよ」

A「Bといると落ち着く・・・」

B「なんで?」

A「私、ふつう、みんなといると、興奮しちゃって、ワクワクして、わああっって、たまんなくなっ
  ちゃうんだよね。(=感情が爆発しちゃうんだよね)だけど、Bといると落ち着くんだよね」

B「ふうん。落ち着かないときは、いつでもおいで。いつでもうちの家にきていいよ」

これ、女子高生の会話に聞こえるけど、小学二年生の会話だ。

まだまだ何も分からない子どもだと思っていたけど、親の知らないところで、いつの間にか、子どもは子どもなりに、この社会を歩み始めている。自分とは何かを考え、自分とは異なる友だちを受け入れる姿を見て、社会を生きることについて考えさせられた。

これから、彼女たちは数えきれない多くと出会う。
残念ながら日本の社会はおせじにも、あたたかいと言えない。
その人が、ただ存在するだけでいいのだ、と実感させてくれる体験をすることは、極めて少ない。

この子たちが、これから長い学生生活を送る上で、一人一人がありのままで実は神さまから受け入れられ、愛されている、ということが聖書には書かれている。この事実を知ってもらいたい、と切に思う。